ジャパンダイジェスト
独断時評


難民危機でメルケル首相への批判高まる

第2次世界大戦後最大の難民危機をめぐり、ドイツのアンゲラ・メルケル首相は国民から厳しい批判を浴びている。難民危機は、メルケルの政治生命にとっても重大な脅威となりつつある。

批判の急先鋒は、大連立政権にも参加しているキリスト教社会同盟(CSU)のホルスト・ゼーホーファー党首だ。彼は、9月4日にメルケルがシリア難民の受け入れを決定した直後から、「重大な政策ミスであり、ドイツに長年にわたって悪影響を及ぼす」と批判していた。ゼーホーファーは、バイエルン州政府の首相でもある。今年1~9月までにバイエルン州が受け入れた亡命申請者の数は、約8万9000人。これは、ノルトライン=ヴェストファーレン州に次いで2番目に多い数である。

バイエルン州政府に対しては、市町村から、「難民のための暫定的な宿泊施設が見つからない。収容能力の限界を超えている」という声が寄せられている。

ゼーホーファーは、メルケルに対して「憲法が基本権として保障している亡命権を見直して、ドイツに受け入れる難民数を制限すべきだ」と述べ、難民政策の修正を要求。さらに、「連邦政府が難民の流入に歯止めをかけない場合、連邦憲法裁判所に提訴する」と強硬な態度を打ち出している。

だが、難民政策の見直しを求めているのは、CSUだけではない。メルケルの足元にも火がついている。彼女が党首を務めるキリスト教民主同盟(CDU)の地方支部や、同党を支持する市町村の首長たちからも、「これ以上は不可能だ。難民の受け入れを制限してほしい」という要求がメルケル政権に寄せられている。

10月15日、メルケルはザクセン州のシュコイドリッツで行われたCDUの党員集会に参加したが、一部の党員たちは、首相に対して痛烈な批判を浴びせた。「メルケルさん、あなたは何人の難民がドイツに流れ込んでいるかも、誰が来ているのかも知らない。この難民流入を直ちに止めるべきです」「知り合いから、メルケルは私の首相ではないと言われました」(CSUの批判に対するメルケルの、「困っている人々に援助の手を差し伸べたことについて、私が謝罪しなくてはならないとしたら、ドイツは私の国ではない」との発言を受け)。党員の1人は、「Merkel entthronen!(メルケルを王座から引きずり下ろせ)」と書いた横断幕を掲げた。

Merkelmussweg
PEGIDAのデモで掲げられたプラカード「Merkelmussweg(メルケルよ去れ)」

これらの発言は、CDUの草の根の党員たちの間で、メルケルに対する反感がいかに強まっているかを示している。さらに、連邦議会のCDU・CSU議員団の間でも、メルケルの難民政策に対する批判が強まっており、会議の席上でメルケルに対し、「私はあなたとは違う意見を持っている」と、公然と反論する議員も現れた。

メルケルにとって深刻なのは、有権者からの支持率が難民危機の影響で低下していることだ。公共放送ARDが9月末に行った世論調査によると、回答者の51%が「難民急増に不安を抱いている」と答えた。1カ月前の調査に比べると、13ポイントの増加だ。メルケルへの支持率は、この1カ月間で9ポイント下落し、54%となった。逆に、メルケルを批判したゼーホーファーに対する支持率が、11ポイントも伸びた。

また、アレンスバッハ人口動態研究所が10月末に行った世論調査によると、「ドイツは何人の難民を受け入れるかについて、完全にコントロールを失っている」と答えた回答者は57%に上った。回答者の71%が、「ドイツは難民に対する待遇が良過ぎるために、難民が急増した。ドイツにも大きな責任がある」と答えている。今年8月に、「ドイツへの難民急増について、非常に強い懸念を抱いている」と答えた回答者は40%だったが、10月には54%となった。

保守勢力は、「メルケルの難民政策は、極右政党が支持率を増やすのに絶好のチャンスを与える」との危惧を強めている。実際、ドイツの極右勢力は難民急増を契機に過激化しつつある。旧東独に多くの支持者を持つ右派市民団体「西洋のイスラム化に反対する愛国的な欧州人(PEGIDA)」が10月に行ったデモでは、一部の参加者が絞首台の模型を掲げ、メルケルの名前を書いた紙片をつるした。同月19日にドレスデンで行われたPEGIDAのデモには、約1万5000人の市民が参加した。ケルンの市長選挙の投票日前日には、難民受け入れを支持していた候補者が、極右思想を持つ暴漢にナイフで刺されて重傷を負った。

外国人排撃を動機とする犯罪は、今年1~6月までは毎月200件のペースで発生していた。しかしその数が、7月には423件、8月には628件と大幅に増加している。連邦内務省によると、難民宿泊施設に対する放火や落書きなどの犯罪行為についても、昨年は約153件だったが、今年は10月初めの時点で490件に増えている。昨年比220%以上もの増加だ。今後は、難民受け入れに批判的な右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」への支持率が急速に高まるだろう。

2011年の脱原子力に関する決定に見られるように、メルケルは世間の空気を読んで政策を急激に変えることをためらわない政治家だ。すでに難民政策を硬化させる兆候を見せており、例えば「国境近くにトランジット・ゾーンを設置して、亡命資格のない外国人は直ちに強制送還すべきだ」というCSUの提案に賛成している。

9月初めには「マザー・テレサ」にも例えられたメルケルだが、人道的な政策は、現実政治の厳しさの前に潰されるのだろうか。

6 November 2015 Nr.1013

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:57
 

VW排ガス 不正事件の衝撃

9月18日に発覚したフォルクスワーゲン(VW)・グループの排ガス不正事件は、欧州の産業史上、最悪のスキャンダルだ。世界中のドライバーが「欧州最大の自動車メーカーで、ドイツ経済をけん引していた巨大企業が、なぜ長年にわたって、このような不正をしていたのか」と首をかしげている。このスキャンダルは、高品質の代名詞だった「メイド・イン・ジャーマニー」という言葉に暗い影を落とした。

不祥事が発覚した場所は米国である。環境保護局(EPA)は、VWがEA189型ディーゼル・エンジンを積んだ自動車約48万台に、違法なソフトウエアを組み込むことによって、排ガス規制を免れていたと発表。このソフトウエアは、英語でDefeat Device、ドイツ語でAbschalteinrichtung(無効化機能)と呼ばれる。Defeat Deviceは、自動車が規制当局などの検査のため、テスト台に乗せられ、4つの車輪が同時に動いていないことを検知すると、自動的に窒素酸化物(NOx)の排出量を削減する。VWは、このようにして排ガス規制検査に合格していた。しかし、自動車が路上を走っているときは、この装置が作動しないので、上限値を大幅に上回る窒素酸化物が大気中に放出されていた。

窒素酸化物は、燃料を高温で燃やす際に窒素と酸素が結びついて発生し、のど、気管、肺などの呼吸器に悪影響を及ぼす。日本で一時期問題になった光化学スモッグは、窒素酸化物が紫外線を受けて化学反応を起こし、光化学オキシダントという物質を生成することによって発生する。VWは違法ソフトによって、大気汚染を野放しにしていたのだ。

このソフトウエアが組み込まれていた自動車の数は、全世界で1100万台に上る。そのうち、ドイツでは500万台、その他の欧州諸国でも300万台が不正車に該当する。VWはこれらの自動車をリコールして、違法ソフトの除去などを実施しなくてはならない。

全世界に60万人の従業員と12のブランド、100カ所の工場を持つVWグループは、トヨタを追い抜き、世界最大の自動車メーカーになることを目標としていた。今年上半期に、VWは504万台の自動車を売り、一時的にトヨタの販売台数(502万台)を追い抜いた。通年でもトップの座に立とうとしていたこのタイミングで、創業以来最悪の不祥事が発覚。世界一の栄冠をいただく夢は、崩れ去った。VWの株価は1週間で約40%も下落し、250億ユーロ(3兆5000億円)の株式価値が吹き飛んだ。

一時は、「世界で最も有能な社長」と称賛されたマルティン・ヴィンターコルンは、9月下旬にCEO(最高経営責任者)の契約を更新する予定だったが、不祥事発覚のために引責辞任に追い込まれた。

米国や欧州、日本では、過去にも自動車の性能をめぐるスキャンダルはあった。しかし、VWの不祥事の原因は、欠陥の見逃しなどによるミスではなく、使用が禁止されているソフトを故意に使った「確信犯罪」である。VWの肩にのしかかるのは、自動車のリコール費用だけではない。同社は今後、深刻な法務リスクに直面する。まず、米国のEPAや司法当局が科す罰金。米国のEPAは、法律違反のためにリコールされた自動車1台につき、最高3万7500ドルの罰金を科すことができる。VWが米国で48万台の自動車をリコールした場合、罰金の総額は約180億ドル(2兆1780億円)に達する。

さらに、マイカーの価値が下がったことについて損害賠償を求める市民からの民事訴訟や、株価下落により損失を受けた投資家からの株主代表訴訟も、米国や欧州で提起されつつある。法曹関係者の間では、「この不祥事をめぐってVWが支払う賠償金や費用の総額は、700億ユーロ(9兆8000億円)前後に達する」という予測もある。

なぜVWは不正を行ったのか。2007年にCEOに就任したヴィンターコルンは、米国市場でのシェア拡大を目指していた。当時、VWの米国でのシェアは3%にも満たなかった。米国では軽油よりもガソリンの価格の方が安く、ディーゼル車の人気は低かった。そこでVWは、「燃費が良く環境に優しい」というキャッチフレーズで、米国でのシェアを高めようとした。

だが、米国の排ガス規制は、世界で最も厳しい。欧州連合が二酸化炭素(CO2)の排出量の抑制を重視しているのに対し、米国は窒素酸化物を重視している。ディーゼル・エンジンで燃費を良くしようとすると、窒素酸化物や煤の排出量が増える。有害物質を減らすためには、追加的な装置が必要となるので、自動車の値段が高くなってしまう。自動車の開発チームにとっては、重大なジレンマだ。2007年当時、VWの技術陣は決められたコストの枠内で、米国の厳しい排ガス規制に合格するエンジンを開発することができなかった。しかし、エンジニアたちはヴィンターコルンCEOに対し「うちの技術では無理です」と白旗を掲げて叱責されるのではなく、違法ソフトを組み込んで規制当局の目を逃れる道を選んだ。

ドイツの環境保護団体は、数年前から「検査時の窒素酸化物の排出量と、路上走行時の排出量の間に差がある」と主張し、連邦交通省などに調査を求めてきたが、行政当局はこれまで本格的な検査を行わなかった。環境団体は「VWの不正は、氷山の一角」と主張している。このため陸運局は、10月6日にすべてのメーカーの自動車について、検査時の排出量と走行時の排出量を比べる検査を実施する方針を明らかにした。

VWが不正の全容を解明し、消費者の信頼を回復するには、相当の歳月を必要とするだろう。

16 Oktober 2015 Nr.1012

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 10:40
 

難民急増でドイツが直面する試練

9月5日にメルケル首相(キリスト教民主同盟=CDU)が、ハンガリーで足止めされていたシリア難民らをドイツで亡命申請をさせるという、歴史的な発表を行ってから約1カ月が過ぎた。この決定については、「欧州の良心」を体現するとして世界中の人が称賛した。

難民
ミュンヘン中央駅に到着した難民たち(筆者撮影)

悲鳴を上げる市町村

だが現在、ドイツの保守勢力や市民の間では懸念の声が高まりつつある。ドイツ連邦移民難民局(BAMF)によると、今年1~7月までにドイツで亡命申請をした外国人の数は、約22万人。前年同期の2倍を超える数だ。9月中旬にドイツ政府は、同国で亡命を申請する難民の数が今年末までに100万人に達するという見方を示した。昨年(20万2834人)の約5倍だ。

ドイツ国内で最も大きな負担を強いられているのは、各市町村である。メルケルは、9月5日の難民受け入れについての決定を、全国の州政府に事前に連絡せずに発表した。そのため州政府や市町村は、時には24時間以内に難民の宿泊場所を見つけなければならなかった。州政府からは、「もはや対応しきれない」という声が連邦政府に寄せられた。

保守勢力からは、にわかにメルケル批判が高まった。キリスト教社会同盟(CSU)のゼーホーファー党首は、「多数の難民をノーチェックで受け入れるという決定は間違っている。この決定はドイツの将来に悪影響を及ぼす」と述べ、メルケルを公に批判した。

バイエルン州の農村部では、州政府から突然多数の難民の受け入れを命じられたことについて、不満や当惑が広がっている。

国内での批判に応えてメルケル政権は9月13日、オーストリアから入国する外国人に対して国境検査を始めた。ただし、難民の受け入れを停止したわけではない。オーストリアからドイツに入って、亡命の意思表示をした外国人は、国境付近で難民として登録され、ミュンヘンには行かずに、他都市の宿泊施設に送られる。国境検査は、あくまで難民流入の速度にブレーキをかけ、地方自治体の負担を減らすための措置だ。

メルケルはCSUの批判に対し、「現在は緊急事態。困っている人々に援助の手を差し伸べたことについて、私が謝罪しなくてはならないとしたら、ドイツは私の国ではない」と、珍しく感情を露にして反論した。メルケルは「私は何度でも言う。ドイツは多数の難民が入って来ても十分に対応できる」と強調した。

亡命審査期間の短縮を目指す

とはいえ、ドイツは大きな試練に直面している。BAMFが1人の亡命申請者を審査するのに要す時間は、約5カ月。このため、処理されていない亡命申請の数は約25万件に上る。対応する審査官の数は550人に過ぎず、BAMFはこの数を今年末までに1000人に増やすとしているが、焼け石に水という感じがする。

重要なことは、シリアなどの紛争国から逃げてきた難民以外の、いわゆる「経済難民」を早急に祖国へ帰還させることだ。今年1~8月までにドイツで亡命を申請した約23万人のうち、38.1%は戦争が起きていないバルカン半島の国々の市民だった。これはシリア人の比率(22.9%)を上回る。バルカン半島の国々では景気が悪く失業者が増加しているため、ドイツへの移住を希望する人が増えている。スイスでは、紛争国以外の国から来た亡命申請者は、48時間以内に送還される。このためスイスでの亡命申請者はドイツよりもはるかに少ない。

社会への統合と自立が鍵

また、多数の難民に言語を習得させて、一刻も早く社会に溶け込ませ、経済的に自立させるという大きな課題もある。西ドイツは1950~60年代に労働力不足を補うため、トルコから多数の労働移民を受け入れた。しかし、ドイツ語の習得義務を課さなかったために社会に溶け込まず、この国に住み始めて30年以上経っても、ドイツ語を話せないというトルコ人は珍しくない。ベルリンなどには、ドイツ人と関わりを持ちたがらないトルコ人がコミュニティーを作る「二重社会」が生まれている。ドイツは、今回入国する難民たちについては、この失敗を避けなくてはならない。

ナーレス連邦労働相は、「シリア難民のうち、直ちにドイツで働ける資格を持つ者は、10%に満たない」と悲観的な見方を打ち出している。行政側は、難民たちに原則としてドイツ語を7カ月受講させるが、企業などで働くのに必要なドイツ語を身に付けるには、不十分だ。

中東情勢の安定化が不可欠

9月22日に欧州連合(EU)加盟国の内務相たちは、12万人の難民を28の加盟国に割り当てることを決定した。割り当ては、各国のGDPや失業率などを勘案した比率に基づいて行われる。今年8月の時点では、EU全体の亡命申請者の約40%をドイツ1国で受け入れていた。EU内相会議が行った決定は、この偏りを是正するための第一歩である。

だが、難民危機の解決にとって最も重要なシリアでの内戦終結の兆しは見えない。ドイツのフォン・デア・ライエン防衛相は、「外交手段による解決が不可能な場合、ドイツは軍事貢献も行う」という姿勢を打ち出した。欧米諸国は、内戦に終止符を打つために、ISに対する空爆だけでなく地上部隊の投入にも踏み切るだろうか。難民危機を根本的に解決するには、中東地域の安定化が不可欠である。

2 Oktober 2015 Nr.1011

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:58
 

難民受け入れに踏み切ったメルケル首相の英断

今ドイツに住む我々は、1989年のベルリンの壁崩壊にも匹敵する、歴史的な出来事を経験している。メルケル首相は、ハンガリーで足止めを食っていたシリアやイラクなどからの難民を、ドイツに受け入れることを発表したのだ。今年この国では、少なくとも80万人の外国人が亡命を申請すると予想されている。戦後最高の数である。

難民
ミュンヘン中央駅に到着したシリア難民たち(筆者撮影)

難民の顔に微笑みが戻った

私が住むミュンヘンの中央駅には、9月5日と6日の週末だけで約2万人の難民が到着した。ウィーンやブダペストからの長距離列車が着くたびに、リュックサックを背負った難民たちがプラットホームを埋める。彼らは、警官に守られて、駅の北側に向かう。

普段は、タクシーのたまり場になっている駅の北側の広場には、大きなテントが6個設置された。バイエルン州政府は、ここで難民の氏名などを登録する。難民受け入れゾーンは柵で仕切られているが、その外側には、数百人のミュンヘン市民が集まっている。彼らは、長旅で疲れ切ったシリア人たちを拍手で迎えた。「難民の皆さんを歓迎します」というプラカードが見える。花束を持ったドイツ人のお年寄りもいる。母親に手をひかれた難民の子どもに、ドイツ人がチョコレートや玩具を渡す。

ドイツ人から人形をもらった5歳くらいの少女が、嬉しそうな表情で飛び跳ねている。私は、このいたいけな少女が、戦場と化したシリアを脱出してミュンヘンにたどり着いたことを、心から嬉しく思った。柵越しに、難民の子どもを抱きしめる女性がいた。ドイツ人の拍手に対して、手を振って応える難民もいる。

私はこの時、1989年11月にベルリンの壁が崩壊した直後に見た光景を思い出した。当時西ベルリン市民たちは、徒歩や車で西側にやって来る東ドイツ人たちを拍手で迎えていた。当時の西ベルリンっ子たちは、東ドイツ人たちにビールやシャンペンを振る舞い、贈り物を渡した。この時の和やかな光景にそっくりだ。

登録を済ませてテントを出た難民たちは、駅の北側にずらりと並んだ送迎バスに次々と乗り込む。バスは、難民たちをバイエルン州内だけでなく、隣接した州に設けられた臨時の宿泊施設に運んでいく。

難民を歓迎する文化

私は、今回ドイツ人たちの難民に対する態度を間近に見て、感動した。今ドイツでは「Willkommenskultur」という言葉が流行っている。日本語では「歓迎する文化」だ。難民を拒否せず、温かく受け入れるという姿勢が、今ドイツ社会のメインストリームになっている。もちろん、ネオナチのように亡命申請者の宿舎に放火する愚か者もいるが、彼らは社会の主流派ではない。ドイツの決定は、超法規措置だ。EUが1997年に施行したダブリン協定によると、EU域外の国から来た難民は、最初に入ったEU加盟国で亡命を申請しなくてはならない。例えば、バルカン半島を経て欧州に入ったシリア人が最初に入る国はハンガリーである。このためこのシリア人は、本来ならばハンガリーで亡命申請手続きを取らなくてはならない。だがドイツは、ハンガリー政府が難民の受け入れに難色を示したことや、多くの難民がドイツ行きを希望している状況を見て、ドイツでの亡命申請を特別に認めたのだ。極めて寛容な措置である。

ドイツが難民の受け入れに積極的である背景には、ナチス・ドイツの暴虐に対する反省もある。ナチスはユダヤ人や周辺諸国の国民を徹底的に弾圧した。一部のユダヤ人や反体制派が生き延びることができたのは、スカンジナビア諸国やスイス、米国などが亡命申請者を受け入れたからである。例えば、1960年代から70年代に連邦首相を務めたヴィリー・ブラントは、ナチスに対する抵抗活動を行っていたため迫害されたが、ノルウェーに亡命し、一命を取り留めた。

ナチス時代の経験を教訓として、戦争や政治的迫害に苦しむ市民に手を差し伸べるというのが、ドイツの「理念」の1つなのだ。ドイツが受け入れている難民の数は、英仏に比べるとはるかに多い。今年6月にドイツが3万5000人の難民を受け入れたのに対し、英国は3000人、フランスは5600人である。

国家エゴよりも人道主義を優先したドイツ

もちろん、80万人もの難民を受け入れることは、豊かな国ドイツにとっても大変な負担だ。州政府からは、「もはや難民を泊まらせるところがない。我々は限界に近づきつつある」という悲鳴が聞こえてくる。連邦政府は、9月7日に難民対策のための予算を60億ユーロ(8400億円・1ユーロ=140円換算)増額することを決定した。欧州でドイツほど多くの難民を受け入れ、彼らを助けるためにドイツほど多額の予算をつぎ込んでいる国は、ほかに1つもない。

そこには、国家エゴよりも人道主義という公共利益を重視する、戦後のドイツ政府の基本方針が反映している。私は今年7月に上梓した「日本とドイツ ふたつの戦後」(集英社新書)の中で、戦後ドイツがナチス時代への反省から、モラル(道徳)と倫理性を重視する国になったと主張した。今回の難民危機でドイツが見せた態度にも、そのことがはっきりと表れている。

もちろん、ドイツは大変な試練を抱え込んだ。ゼロから異国での生活を始める難民たちの前にも多くの苦難が待ち受けている。それでも私は、予算や法律よりも人命救助を優先したメルケル首相の決断を、この国に住む一市民として、誇りに思う。

18 September 2015 Nr.1010

最終更新 Montag, 19 September 2016 12:59
 

亡命申請者急増とネオナチの暴挙

8月21日の夜、ザクセン州のハイデナウに、約120人の亡命申請者がバスで到着した。彼らが寝泊まりするのは、空き家になっていた建築資材店である。すると約150人の極右勢力がこの施設前に集まり、彼らを罵倒し、警備中の警察官には石を投げつけた。

メルケル首相の対応に遅れ

極右勢力は翌日夜にも、この施設を攻撃。警官隊は催涙ガスを使って暴徒を追い払い、難民収容施設の周辺を立ち入り禁止区域に指定しなくてはならなくなった。この事件で警察官30人余りが負傷したが、ネオナチ関係者は1人しか逮捕されていない。ザクセン州警察が直ちに現場の警察官を増員せず、暴徒を厳しく取り締まらなかったことについて批難されている。

亡命申請者の数が急増する中、1990年代と同じように極右勢力が過激な活動に走り始めている。しかし、それに対する政府の動きは後手に回っており、ハイデナウの事件をめぐっては、ドイツ国内でメルケル首相の対応の遅さを批判する声が高まっている。

メルケル氏は、難民収容施設の前で暴動が起きたことが報道されても、極右勢力を糾弾する声明を直ちに発表しなかった。首相が「ハイデナウの事件はドイツの恥だ」と発言したのは、事件から3日経った8月24日のことである。さらに、報道機関などから「メルケル首相の対応が遅い」という指摘が高まったため、首相は26日になってようやく現地を視察した。

23年前にも同じ状況

私も、政府の対応は遅かったと思っている。この国の治安当局者は、事態のエスカレートを十分予測できたはずだ。なぜなら、ドイツでの亡命申請者の増加に伴い、極右の暴力行為が増えたのは、今回が初めてではないからだ。

憲法擁護庁によると、ドイツの極右勢力の数は約2万人。人口の約0.03%に過ぎない。しかし、数は少なくても、極右勢力は外国人にとって危険な存在だ。

欧州を分断していた「鉄のカーテン」が崩壊し、ドイツ政府が統一とともに国境検査を緩和した結果、ルーマニアなど東欧からの亡命申請者が急激に押し寄せた。1992年には、約44万人がドイツに亡命を申請している。そういった時代背景にあった90年代の初めに、極右の暴力の嵐は吹き荒れたのだ。

極右勢力は、亡命申請者が増えたことを口実に、外国人に対する襲撃を開始。特に旧東独のロストックでは、極右勢力が亡命申請者の収容施設に放火、投石し、周辺の住民が喝采を送る模様がテレビで放映された。そのほかの町でも、難民収容施設が暴徒に襲撃され、92年11月には、旧西独のメルンで極右の若者がトルコ人の家族が住む家に放火し、女性と子ども3人が焼死。93年6月にも旧西独のゾーリンゲンで、極右思想を持つドイツ人が民家に火をつけ、トルコ人の女性と子ども5人が死亡した。92年に極右勢力が引き起こした暴力事件の数は、90年の8倍となる2285件にまで増加。ネオナチによる暴力によって、外国人ら17人が殺害された。

メルケル政権は、92年と93年の状況を考えれば、亡命申請者の急増が極右による暴力を活発化させるという事態を十分予測できたはずなのだ。ネオナチは、外国人の急増についてドイツ市民が抱く不安や懸念を利用して、外国人排斥の思想を広めようとする。

外国人排斥運動と現体制への不満

なぜ旧東独では、極右による暴力が後を絶たないのか。旧東独は統一から約25年経った今でも、経済的に自立できず、納税者が支払う「連帯税」によって支えられている。旧東独に本社を持つ企業は少なく、失業率は西側よりも高い。優秀な若者は、どんどん旧西独に移住している。ザクセン州の人口は、東西が再統一した1990年以来、約100万人も減った。人口減少には、今でも歯止めがかかっていない。東ドイツでは、国営企業や役所を中心とした集団主義が社会の根幹だったが、ドイツ統一によって、そうした社会構造が崩壊し、「自分は負け組になった」と感じている人は少なくない。

また、旧東独では外国人の比率は約2%で、西側に比べるとはるかに低い。90年以前に東ドイツを支配していた社会主義政権は、ナチス時代の過去と批判的に対決する教育を、西ドイツほど徹底的に行わなかった。このため旧東独では、外国人に対する偏見が西側よりも強いのだ。旧東独には、ネオナチ政党「ドイツ国家民主党(NPD)」が地方自治体の選挙で約20%の得票率を記録する場所すらある。つまり一部の旧東独人は、外国人排斥という、政府および社会の主流派にとって最も不快な運動を展開することで不満をぶちまけ、現体制に対する抗議活動を行っているのだ。

2014年10月には、旧東独のドレスデンで、「西洋のイスラム化に反対する愛国的な欧州人たち(PEGIDA)」という市民団体が結成され、一時は約2万人がデモに参加した。PEGIDAには極右関係者が深く関わっていたが、メルケル政権は当初この団体を厳しく糾弾しなかった。今年、ドイツでは約80万人の外国人が亡命を申請すると予想されている。1992年の1.8倍だ。欧州連合域内で亡命を申請する外国人の約43%が、ドイツに集中している。市町村からは、連邦政府に援助を求める声が強まっている。

外国人問題の舵取りを誤ると、メルケル氏に対する逆風が強まるかもしれない。連邦政府は亡命申請者対策のための予算を増やし、人員も増強するべきだ。

4 September 2015 Nr.1009

最終更新 Donnerstag, 20 April 2017 10:39
 

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