ジャパンダイジェスト
独断時評


なぜドイツはナチスの犯罪を心に刻むのか

1月30日、ドイツ連邦議会でユダヤ人など、ナチスの暴力支配の犠牲者を追悼する式典が行われた。この催しは、アウシュヴィッツ強制収容所がソ連軍によって解放された1月27日前後に毎年行われている。今年の式典は、ヒトラーが政権を取った1933年1月30日からちょうど80年目に当たる日に行なわれた。

「国民にも責任の一端」

連邦議会のノルベルト・ランメルト議長は、「ナチスによる政権獲得は、Betriebsunfall(事故)ではなかった。これは偶然に起きたものでも、避けられないものでもなかった」と述べた。

ヒトラーという犯罪者が最高権力を握ったのは、クーデターによるものではない。国民が選挙という民主的な手段で彼の政党を選び、当時大統領だったヒンデンブルクが正式に権力を与えたのだ。ヒトラーは権力を握るや否や、社会民主党や共産党などの野党を禁止し、ユダヤ人に対する迫害を始めた。

ドイツ国民が自ら選んだ政治家が、民主政治の息の根を止めて人権侵害に乗り出したのだ。12年間の暴力支配と第2次世界大戦の終着駅が、約600万人のユダヤ人の抹殺(ホロコースト)だった。

史上例のない犯罪

歴史上、大量虐殺は世界各地で、様々な民族によって行われてきた。しかし工場のような施設を建て、流れ作業を行うようにして、罪のない市民を数百万人単位で殺した民族は、ドイツ人以外にいない。ユダヤ人殺害を専門に行っていた親衛隊の「特務部隊(Einsatzgruppe)」の報告書を見ると、彼らが毎日殺したユダヤ人の数を細かく記録して「戦果」をベルリンの本部に伝えていたことがわかる。人間性のかけらもない。ランメルト議長は、「ヒトラーは、偶然権力を取ったのではない。彼を選んだドイツ国民にも、責任がある」と訴えているのだ。現在のような民主社会、法治国家は空気のようなものではなく、意識して守らなくてはならないものだというメッセージである。

過去と批判的に対決

私は、23年間ドイツに住んで、この国の社会や人々について批判したいことも山々ある。しかしドイツ政府が第2次世界大戦の終結から70年近く経った今も、毎年ナチスの犯罪を心に刻む式典を催していることには、敬意を表する。さらにこの国が若者たちに歴史教育の中でドイツ人が犯した犯罪について詳しく教えていること、ナチスの殺人については時効を廃止して、司法当局が今なお強制収容所の看守らを追及していることを、高く評価する。

マスメディアや出版業界も、ナチスの問題を繰り返し取り上げている。今年はスターリングラードでドイツ第6軍が壊滅してから、70年目に当たる。ドイツのテレビでこの戦闘の記録フィルムをご覧になった方も多いだろう。ドイツが欧州連合(EU)の中で指導的な立場にあり、周辺諸国から信頼されている背景には、ドイツ人が続けてきた「自己批判」と「謝罪」の努力がある。ドイツの首相や大統領は、イスラエルへ行くたびに必ず慰霊施設を訪れ、謝罪の言葉を述べる。

ナチズムの犠牲者の広場
ミュンヘンにある「Platz der Opfer des Nationalsozialismus
(ナチズムの犠牲者の広場)」

ネオナチは生きている

ドイツには、数は少ないものの、今なおナチスの思想を継承する者たちがいる。例えば極右政党NPDは、すべての外国人をドイツの社会保障制度から締め出し、雇用を制限することを綱領の中で要求している。旧東独のメクレンブルク=フォアポンメルン州の一部の地域では、市民の4人に1人がNPDを支持している。NPDは同州の州議会で議席を持っているので、ほかの主要政党同様、政府から交付金を受けている。外国人排斥を求める政党が、我々の税金によって援助されているのだ。噴飯物である。

ネオナチは武装し、テロリストとして地下に潜行しつつある。テロ組織「国家社会主義地下活動(NSU)」は、ドイツ全国でトルコ人やギリシャ人など10人を射殺したが、警察は10年間にわたって外国人同士の抗争と思い込み、極右によるテロであることを見抜けなかった。外国人を憎む勢力は、死に絶えていない。

ナチスの過去は現代の問題

NPDやNSUの問題は、ナチスの問題が決して過去の出来事ではなく、今なおドイツ社会に影を落としていることを物語っている。イスラエルやポーランドなど、ナチスの被害を受けた国々は、ドイツの一挙手一投足を常に見守っている。ドイツがナチスの蛮行を心に刻もうとするのは、そのためである。彼らの反省は、主に道徳的な理由によるものだが、それだけではない。貿易立国ドイツにとって、過去と対決することは、歴史から決して消えることのない犯罪を犯した国が生き残る「処世術」でもあるのだ。

アジアの緊張を憂える

わが祖国日本の状況はどうだろうか。東アジアでは、日本と中国、韓国との間で領土問題をめぐる緊張が高まり、貿易にまで悪影響が出ている。その根底には、歴史問題がある。もちろん地政学的な理由から、日本とドイツの状況を単純に比較することはできない。しかし、周辺諸国との間で良好な関係を築いているのは、ドイツと日本のどちらだろうか。ナショナリズムは、最終的にはすべての国の市民を不幸にする。欧州の20世紀の歴史は、そのことをはっきりと示している。

15 Februar 2013 Nr.948

最終更新 Donnerstag, 14 Februar 2013 10:23
 

ニーダーザクセン州 議会選挙の波乱!

「選挙は水物(みずもの)。投票箱を開けるまで、予断は許されない」。新人記者の時に、デスクから頭に叩き込まれた鉄則である。この警句が正しいことを改めて示したのが、1月20日に行われたニーダーザクセン州議会選挙である。

FDPが予想外の善戦

この日、どの世論調査機関や政治ジャーナリストも予想していなかったことが起きた。自由民主党(FDP)では目下、フィリップ・レスラー党首の指導力の弱さに対して党内から批判の声が高まっており、事前の世論調査では、同党への支持率が5%を割っていた。ドイツでは法律が定める「5%条項」に基づき、得票率が5%未満の政党は、会派として議会に議席を持つことができない。このため選挙前は、FDP会派がニーダーザクセン州議会から姿を消す可能性が取りざたされていたのだ。ところが投票箱の蓋を開けてみると、FDPは世論調査の約2倍に相当する9.9%の票を獲得。これは前回の選挙を1.7ポイント上回る得票率だ。

FDPは、なぜ世論調査の予想に反して5%ラインを突破できたのだろうか。それは、キリスト教民主同盟(CDU)の支持者が連立相手であるFDPの弱体化により、保守中道連立政権が崩壊することを恐れて、援護射撃を行ったためと推測されている。

赤緑政権の誕生

もちろんFDPの善戦は、政権交代を食い止めることができなかった。デビッド・マカリスター首相の率いるCDUが、得票率を42.5%から6.5ポイントも減らして大敗したからだ。これに対し、野党である社会民主党(SPD)は得票率を2.3ポイント、緑の党は得票率を5.7ポイント増やして政権奪取に成功した。

今年9月には、連邦議会選挙が迫っている。このためニーダーザクセン州議会選挙は、8カ月後の選挙の行方を占う前哨戦として注目されていた。続投を狙うアンゲラ・メルケル首相にとって最大の悩みは、FDPの世論調査による支持率が前回の連邦議会選挙の得票率の半分以下に落ち込み、5%を割っていたことだった。したがって、もしもニーダーザクセン州のようにFDPが国政選挙でも10%近い得票率を確保できれば、保守中道連立政権はSPDと緑の党を敗北させることが可能になるかもしれない。

「レスラー降ろし」は続く

だが、FDPの善戦が連邦議会選挙でも再現されるかどうかは、未知数である。FDPの反レスラー派の政治家たちは、ニーダーザクセン州議会選挙で敗北することを予想していた。そして、選挙直後に臨時党大会を開き、レスラーを党首の座から追い落とす予定だった。ところが同州議会選挙でFDPが前回に比べて票を伸ばしたため、反レスラー派は党首交代を大っぴらに画策することができなくなったのである。

しかしFDPの地方支部では「レスラー党首では、連邦議会選挙で負ける」という不安感が強い。このため反レスラー派は、ニーダーザクセン州での選挙から時間が経って記憶が薄れた時点で、再び党首交代のための策動を開始するだろう。この国で初めて連邦大臣を務めたアジア系ドイツ人の評判は、残念ながら非常に悪いようだ。このためメルケル首相は、連邦議会選挙でのFDPの得票率が前回のように10%に達するという確信を持つことはできないだろう。FDPの党内で今後8カ月間に何が起こるかわからないからだ。

SPDの重荷=シュタインブリュック候補

さて今回の選挙は、野党側の苦しいお家事情もくっきりと映し出してくれた。ベルリンのSPD本部では、ニーダーザクセン州議会選挙でSPDの得票率が2.3ポイントしか伸びなかった原因は、連邦議会選挙の首相候補であるペール・シュタインブリュック氏にあるという見方が有力だ。

実際、この人物に対する有権者の評価は下がる一方で、人々のSPD離れにつながっている。前回、このコラムでお伝えしたように、シュタインブリュック氏は財務相を辞めてからの3年間に、企業などのために75回の講演を行い、125万ユーロもの講演料を受け取っていた。さらに、「連邦首相の給料は、民間企業に比べて少な過ぎる」という奇妙な発言を行い、世論から総スカンを食った。

もしもシュタインブリュック氏が首相候補になっていなかったら、ニーダーザクセン州でのSPDの得票率の伸びは2.3ポイントを大きく上回り、SPDと緑の党はCDUとFDPに大差を付けて圧勝したものと見られている。つまり、保守対リベラルが接戦を繰り広げた原因は、SPDの足を引っ張るシュタインブリュック氏にあるのだ。

ニーダーザクセン州議会選挙の得票率比較

連邦議会選挙も接戦か

SPDも、とんだ人物を首相候補に祭り上げたものだ。シュタインブリュック氏を見ていると、「日本だけでなくドイツの政党の人材不足も甚だしい」という感想を抱かざるを得ない。また今回の選挙では、左派党と海賊党が5%ラインを超えることができなかった。このことはCDUやSPD、緑の党など伝統的な政党に有利に働く。

ニーダーザクセン州議会選挙の結果は、9月の連邦議会選挙が接戦になることを示唆している。保守・リベラルともに過半数を確保できず、大連立政権が生まれるかもしれない。

1 Februar 2013 Nr.947

最終更新 Mittwoch, 13 Februar 2013 18:55
 

どうなる? ドイツ連邦議会選挙

2013年は、ドイツにとって重要な選挙が目白押しの年だ。州議会選挙は、1月20日にニーダーザクセン州、9月15日にバイエルン州、12月にヘッセン州で行われる。さらに9月には、今後4年間の国政の行方を大きく左右する連邦議会選挙が実施される。連邦議会選挙の投票日は、本稿を執筆している1月上旬の時点では9月22日が有力である。

メルケル首相に人気集中

現在、アンゲラ・メルケル首相の人気は比較的高い。メルケル氏は、昨年12月4日にキリスト教民主同盟(CDU)の党大会で党首に再選されたが、その際には97.94%もの支持率を得た。彼女は2000年からCDU党首を務めているが、これほど高い支持率を得たことは今までになかった。

公共放送ARDが1月4日に行なった世論調査によると、CDUと姉妹政党キリスト教社会同盟(CSU)への支持率は、4年前の連邦議会選挙に比べて約7ポイント増えて41%となっている。

政党支持率

好景気が追い風

メルケル氏の人気が上昇した最大の理由は、好景気である。連邦雇用庁によると、2012年の就業者数は、前年に比べて1%増えて4150万人となり、過去最高の記録を達成した。確かに私が住んでいるミュンヘンでも、エンジニアなど特殊技能を持つ人材が枯渇しているだけではなく、パン屋やスーパーマーケットまでが、「店員募集中」の張り紙を出している。私はこの国に23年間住んでいるが、これほどの好景気は珍しい。

連邦統計局によると、メルケル氏が首相に就任した2005年の失業率は10.5%。457万人が路頭に迷っていた。しかし過去8年間で失業者数は173万人も減った。昨年11月時点の失業率は5.3%。ドイツ統一以来最低の水準である。バイエルン州の失業率は4%を割っており、いわゆる「完全雇用状態」を実現した。

もちろんこれはメルケル氏だけの業績ではなく、前任者のゲアハルト・シュレーダー氏が抜本的な労働市場改革を実施し、労働コストを削減したことが奏功している。メルケル氏は、赤緑政権が実施した「痛みを伴う改革」がもたらした果実を手にするという、幸運な立場にあるわけだ。

FDPの地盤沈下

しかしメルケル氏とて、油断は禁物である。保守中道政権の連立相手である自由民主党(FDP)の低迷が著しいからだ。FDPへの支持率は、前回選挙の14.6%から3分の1以下に減って、わずか4%。このため3党を合わせた支持率は45%と、前回に比べて約3ポイント減っている。ドイツでは、いわゆる「5%条項」に基づき、得票率が5%未満の政党は会派として議席を持つことができない(小政党の乱立を防ぐため)。つまり今のままでは、FDPの議員団が連邦議会から締め出される恐れもあるのだ。

FDP低迷の最大の理由は、フィリップ・レスラー党首の指導力の欠如である。党内ではレスラー氏への風当たりが日に日に厳しくなっている。このため同党は、ニーダーザクセン州議会選挙で敗北した場合、党首交代によって支持率の挽回を図る可能性が高い。

メルケル首相にとっては、FDPが支持率を回復できるかどうかが政権維持を大きく左右するのだが、CDUには、「FDPが現在の泥沼から抜け出せない場合、CDU・CSUは緑の党との連立を考えてはどうか」という意見を持つ議員すらいる。実現の可能性は低いとは思うが、FDPの状況がいかに深刻であるかを示すエピソードだ。

シュタインブリュック氏の講演問題

一方、野党側もいまひとつ元気がない。昨年中頃の時点では、今年、社会民主党(SPD)と緑の党による連立政権が誕生するのは必至と見られていた。確かにSPDと緑の党への支持率は、前回の選挙に比べて約7ポイント増えて41%となっている。だが、SPDが2005年の大連立政権で財務相を務めたペール・シュタインブリュック氏を首相候補に選んでから、雲行きが怪しくなっている。

それは、同氏が財務相を辞めてからの3年間に、企業などのために75回講演を行い、125万ユーロ(1億2500万円・1ユーロ=100円換算)の講演料を受け取っていたことがわかったからだ。同氏はこの講演料を税務申告しており、法的には問題ない。しかし財務相を務めた議員が、企業から多額の報酬を受け取っていたことは、多くの市民を驚かせた。この問題を受け、SPDへの支持率は徐々に下がりつつある。

緑の党も、福島第1原発事故の直後は20%近い支持率を誇っていたが、その後勢いを増した海賊党に若い有権者の票を横取りされつつある。さらに保守党も含めてすべての政党が脱原子力と再生可能エネルギーの拡大を支持しているので、緑の党が環境政党としての独自色を出すのが難しくなってきている。

次の選挙でも、勝敗を決するのは固定した支持政党を持たない浮動層である。中国や米国、ドイツ以外のユーロ圏加盟国の景気が悪化する中、貿易立国ドイツの経済の先行きにも黄信号が灯っている。浮動票は、今年から来年にかけての景気の悪化に対して、有効な対策を打ち出せそうな政党に流れるに違いない。

その意味で、連邦議会選挙の最大の争点は「経済政策」と「社会保障政策」に絞られるだろう。

18 Januar 2013 Nr.946

最終更新 Mittwoch, 13 Februar 2013 19:03
 

2013年のドイツを展望する「ユーロ連邦」の初夢

夜空を彩る恒例の花火とともに、ドイツの新年が明けた。この瞬間、ドイツの空は花火の煙で覆われる。この硝煙はあっという間に夜空に拡散して消えていくが、ドイツそして欧州を覆っている不況の黒雲は、残念ながらすぐには晴れそうにない。多くの経済学者たちが、2013年のドイツもユーロ危機の影響から容易に抜け出せないという見方を取っている。

鈍化する成長率

キールの世界経済研究所など4つの主要経済研究所は、2012年10月に発表した秋季経済見通しの中で、2013年のドイツの予測成長率を2%から1%に引き下げた。経済学者たちはその理由を「ユーロ危機に対する懸念から、多くの企業が投資をためらうため」と説明している。EU経済の機関車役ドイツの景気にも、黄信号が灯ったのだ。

国際通貨基金(IMF)も、昨年秋の世界経済見通し(WEO)の中で悲観的な見通しを発表している。IMFはWEOの中で「2012年にスペインとイタリアの国債の利回りが一時上昇したことで、ユーロ危機の深刻さが増した」として、2013年のユーロ圏の成長率を0.7%から0.2%に修正した。事実上のゼロ成長である。

ユーロ危機で高まる「不確実性」

債務危機のために欧州にのしかかる不確実性の黒雲は、世界経済全体の足を引っ張っている。IMFは、2013年の世界経済の成長率を2012年7月に発表した予測値よりも0.3ポイント低い3.6%に引き下げた。

IMFは、その最大の原因がユーロ圏の先行きに関する「不確実性(uncertainty)」にあると指摘する。IMFは、今後ドイツが加盟しているユーロ圏の成長率が中国やベトナムなどアジアの新興国に大きく水を開けられるだろうと予測している。

2013年のヨーロッパ情勢の焦点は、2009年末から続いているユーロ危機の深刻化に、欧州諸国が歯止めを掛けられるかどうかである。


ユーロ圏とアジア新興国27カ国のGDP成長率比較

  ユーロ圏 新興アジア諸国
(27カ国)
2010年 2.0% 9.5%
2011年 1.4% 7.8%
2012年 -0.4% 6.7%
2013年 0.2% 7.2%
2014年 1.2% 7.5%
2015年 1.5% 7.6%
2016年 1.7% 7.7%
2017年 1.7% 7.7%

(資料:IMF、WEO、2012年10月発表)

欧州にも「失われた十年?」

IMFは、「南欧諸国が経済改革や緊縮策の実施に失敗した場合、不況が長引いて、欧州が日本が経験したような『失われた10年』に突入する危険がある」と指摘している。そうした事態を防ぐために、ユーロ・グループは様々な手立てを講じている。

たとえばユーロ圏加盟国は昨年10月の首脳会議で、欧州中央銀行(ECB)にユーロ圏内の主要銀行を監視する「ユーロ圏銀行監督庁」の機能を与えることで合意した。これまで国ごとにバラバラに行われていた銀行への規制を統合することによって、スペインで発生したような銀行危機を防ぐための態勢を整える。ユーロ圏銀行監督庁の設立は、欧州金融安定化メカニズム(ESM)が域内の銀行に直接資本注入をするための前提。この監督機関が始動すれば、銀行危機に苦しむスペインはESMの潤沢な資金を受けることができるようになる。

政治同盟を強化せよ!

欧州委員会やECBは、今のユーロ圏に欠けている「政治同盟」を大幅に進化させることによって、債務危機の再発を防ごうとしている。具体的には、各国政府の予算案を議会で可決する前に欧州委員会に提出させて、ある国が法外な歳出や借金を計画している場合には、欧州委員会は予算案を突き返して、やり直しを求めることができるようにする。そのためには、現在のEUの法的基盤であるリスボン条約の改正が必要になる。

ドイツ政府は、欧州委員会に「通貨問題担当委員」という新しいポストを作り、各国の予算作成プロセスに介入する権利を与えることや、ユーロ圏加盟国の予算を統合した「ユーロ圏予算案」を導入することを提案している。つまり、ユーロ圏がますます「連邦」のような性格を強めていくのだ。

ドイツのヘルムート・コール元首相は1991年11月6日に連邦議会で行なった演説で、「政治同盟を欠いた通貨同盟は、機能しない」と断言している。しかしユーロ圏加盟国は、20年間にわたりそうした努力を怠ってきた。その結果、ギリシャやポルトガルが経済競争力の弱さを、国債市場での多額の借金によって補てんするのを見過ごしてしまった。つまりドイツをはじめとするユーロ圏加盟国は、政治的な団結をこれまで以上に強化し、「連邦化」の方向へ進むことによって、ユーロ危機の再発を防ごうとしているのだ。

「ユーロ連邦」は正夢になるか?

もしも政治同盟の強化が成功した場合、ドイツやフランスのようにユーロ圏に属している国々と、英国のようにユーロを持っていない国との間には、大きな亀裂が生じることになるだろう。EUの分裂を懸念する声も出ているが、ドイツなど欧州大陸の国々が統合強化へ邁進することは、ほぼ確実だろう。この作業に成功した場合、ユーロ圏は1つの国のような存在になり、ドイツやフランスは、連邦を構成する「県」のような姿を取るのかもしれない。

昨年、EUがノーベル平和賞を授与されることが決まり、世界中の人々を驚かせた。わずか68年前にはフランスとドイツが血で血を洗う戦いを続けていたことを考えると、これらの国々が主権を国際機関にどんどん譲渡して、ナショナリズムを減らす道を進んでいるのは喜ばしいことだ。特に、島の領有権をめぐり、韓国や中国と対立している日本から来ている私にとって、欧州の人たちが国粋主義、民族主義を年々減らしているのは羨ましく思える。

ただし、将来EUがどのような形になるのかについては、まだ結論が出ていない。一種の「星雲状態」である。今後、ドイツではEUの未来について、激しい論争が繰り広げられるだろう。その意味で、現在、欧州に住む我々は、極めて興味深い「実験」を目撃しているのだ。2013年は、「ユーロ連邦」の初夢が正夢になるかどうかを占う上で、重要な年になるに違いない。

筆者より読者の皆様へ
新年明けましておめでとうございます。今年も頑張って書きますので、よろしくお願い申し上げます。

4 Januar 2013 Nr.945

最終更新 Donnerstag, 14 Februar 2013 17:42
 

ドイツ人のインフレ・アレルギー

私は、1990年にドイツで取材と執筆を始めて以来、ユーロ通貨をめぐる議論を重点の1つにしてきた。したがって、ユーロについては22年間も取材してきたわけだが、この中で一貫して感じてきたことは、通貨の価値についての考え方に、ドイツ人とそれ以外の欧州諸国との間で、大きな違いがあるということだ。

ドイツ人は、過剰な物価上昇(インフレーション)によって、自国通貨の価値が下がることについて非常に敏感だ。アレルギーと呼んでも大げさではないほどである。ドイツの主要新聞は、毎月経済面で物価の動向を詳しく分析している。

今年秋に欧州中央銀行(ECB)の理事会が、ユーロ救済策の一環として、経済改革や緊縮策を実行する国に対してはECBが国債を無制限に買い取って支援することを決めた。この時に反対したのは、ドイツ連邦銀行のイェンツ・ヴァイトマン総裁だけだった。ドイツが反対した理由は、「中央銀行が過重債務国の国債を買い取ることは、紙幣を印刷して政府に金を貸すのと同じ。ユーロ圏内のインフレの危険が高まる」ということだった。中央銀行による国債の買い入れは、日本、米国、英国などでは頻繁に行われており、特に珍しいことではない。このため、ドイツの態度に違和感を抱いた金融関係者も多かった。  

ドイツの物価上昇率は、どれくらいなのか。今年9月の消費者物価は、前年に比べて2%増加した。ECBの任務は、ユーロ圏内の物価上昇率を2%以下に抑えることなので、それほどひどいインフレとは言えない。

それでも、ユーロ救済のためにマーケットに大量の資金が投入されていることから、ドイツでは「中長期的にはインフレ傾向が強まって貨幣の価値が下がる」と心配している人が多い。貨幣の価値が下がると、預貯金、株式、生命保険、年金保険などの購買力が低下する。したがってドイツでは、金利が史上最低の水準にあることも加わって、金融資産の比率を減らして不動産を購入する人が増えている。今年1月と2月の住宅建設受注額は、前年同期に比べて22.5%増えている。このため、大都市を中心に不動産価格が上昇しつつある。ケルンのドイツ経済研究所によると、この国のアパートの価格は2003年から2011年までに毎年平均10.5%上昇した。

なぜドイツ人は、インフレに対してこれほど神経質なのだろうか。それは、彼らが第1次世界大戦後に超インフレによって、貨幣の価値がゼロになるという恐るべき経験をしたからである。これは、先進工業国を襲った歴史上最も激烈なインフレだった。

たとえば、1918年には封書の切手の値段は、15ライヒスペニヒだった。しかし1923年11月には、1億ライヒスマルクの切手を貼らないと封書を送れなくなった。通貨の価値が5年間で約6億7000万分の1に減ったのである。パン1個の値段が何兆マルクにもなり、人々は大量のお札をトランクに詰め込んで、パン屋に行かなくてはならなかった。紙幣よりも壁紙の方が高かったので、紙幣を壁に貼る市民も現れた。

こんな逸話が残っている。当時、あるドイツの大金持ちが、超インフレに苦しむドイツに見切りをつけて、米国に移住するためドイツの豪邸を売り払った。彼は港へ行って船の切符を買おうとしたが、家を売った金ではもはや船の切符を買えなかった。仕方がないので、港から町へ戻るために馬車に乗ろうと思ったら、その間にインフレがさらに進んで、馬車の運賃すら払えなくなっていた。今でも古銭店のショーウインドーに時々飾られている100兆ライヒスマルク紙幣が、超インフレの恐しさを今に伝えている。この経験によって、人々は民主的な憲法を持っていたワイマール共和国への信頼を失った。超インフレは、人々が経済の安定を望んで独裁者ヒトラーに熱狂的な支持を与える間接的な原因にもなったのである。

多くのドイツ人の心には、当時から語り継がれてきた恐怖体験が、今も深く刻まれている。ドイツ連銀が戦後ドイツ人から厚い信頼を寄せられてきたのも、同行が政府からの独立性を守り、通貨政策によって物価上昇率を低く抑え、マルクの安定性を半世紀にわたって維持したためである。ドイツ人は、同じフランクフルトに置かれたECBもドイツ連銀並みの「インフレ・ファイター」になることを期待していた。  

こうしたドイツ人のインフレ・アレルギーを、ほかの国々は「大げさだ」と考えている。国際通貨基金(IMF)のオリビエ・ブランシャール経済顧問・調査局長は、次のように語る。「ドイツ人は過去の経験から、物価上昇が超インフレにつながると思い込んでしまう。だがECBがユーロ圏内の物価上昇率を2%以下に抑えるという任務を果たす限り、私は超インフレが起こる危険は全くないと思う」。彼は、デフレに苦しむ南欧諸国の物価上昇率はゼロに近いので、ドイツの物価上昇率は4%前後になっても大丈夫だと語る。

ユーロ危機を一致団結して克服するためには、ドイツ人もそろそろインフレ・アレルギーから脱却する必要があるのかもしれない。

21 Dezember 2012 Nr.944

最終更新 Donnerstag, 20 Dezember 2012 17:02
 

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