炭鉱業遺産群が語る ルール工業地帯の歴史と文化

ドイツは世界文化・自然遺産登録数が54件と、世界でも3番目に世界遺産の多い国。私の住むノルトライン=ヴェストファーレン州には、国内で最初に世界遺産に登録されたアーヘン大聖堂をはじめ、六つの世界遺産があります。よく晴れた週末、その一つであるツォルフェアアイン炭鉱業遺産群へ足を運びました。

バウハウス様式の第12採掘坑が来場者を出迎えますバウハウス様式の第12採掘坑が来場者を出迎えます

エッセン中央駅からトラムで約15分。ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群は、100ヘクタール(東京ドーム約21個分)の広大な敷地内に残された炭鉱関連の施設や工場跡、そして豊かな自然溢れる空間で構成されています。敷地内には博物館やデザイン美術館をはじめ、舞台芸術スペースやイベント会場、ホテルから企業テナントまで、さまざまな施設が入る複合型文化産業施設が設けられています。また、建造物の合間に広がる緑地エリアは昼夜問わず入場可能。シートを広げ日光浴を楽しんだり、公園の遊具で子どもたちが遊んでいたりと、思い思いの時間を過ごすことができます。

ルール地方一帯の石炭・鉄鋼業の発展を背景に、1847~1986年までの約140年間にわたり、欧州最大級の鉱山として一大産業を築いたツォルフェアアイン炭鉱。現在では、その歴史を伝えるべく季節や対象年齢に応じ、充実したプログラムが用意されています。今回、私も1時間の採掘坑内ガイドツアーに参加。地底深く、炭塵立ち込める坑内での炭鉱夫たちの厳しい労働環境のお話を聞くなか、ガイドの方が手渡してくれた採掘ハンマーの重さがずっしりと手に残りました。

ガイドツアー(英語またはドイツ語)では、一般に公開されていない採掘坑や工場の内部エリアを見て回りますガイドツアー(英語またはドイツ語)では、一般に公開されていない採掘坑や工場の内部エリアを見て回ります

こうした炭鉱では多くのドイツ近隣国の外国人労働者も働いていましたが、その中に日本人の炭鉱労働者もいたという事実はあまり知られていません。アーティストの川辺ナホさん発行による冊子「ルール炭田の日本人」では、1957~1964年にかけて、日本・西ドイツ(当時)の政府間協定に基づき、436名の炭鉱労働従事者が日本から西ドイツへ渡った史実とその聞き取り調査が収録されています。小柄な日本人労働者が、安全靴、ガスマスク、ハンマーなどの重いドイツの道具に苦しみながら、坑内の長い道のりを歩いた……。同冊子に収録された証言とその光景が、ハンマーの重さと共に思い返される瞬間でした。

坑内では、救難聖人である聖バルバラが炭鉱夫を見守っていました坑内では、救難聖人である聖バルバラが炭鉱夫を見守っていました

さて、この炭鉱跡では、今年7月11日(金)~13日(日)に第4回を迎える音楽フェス「ストーン・テクノ・フェスティバル」を開催。国際的に活躍するDJNobuやWata Igarashiも参加予定です。また、8月21日(木)~9月21日(日)に開催される、ツォルフェアアインを含む複数会場を舞台にした芸術祭「ルール・トリエンナーレ」も見逃せません。

ルール地方の記憶の遺産として、そして文化創造の拠点として息づくツォルフェアアイン炭鉱群。過去と現在に思いをはせ、ゆっくりとした時間を過ごすことができる場所です。

Zollverein:www.zollverein.de

M.K.
1991年生まれ、ケルン在住3年目。映画とビールと音楽が大好き。最近はケルンの地ビールであるケルシュに合う和食レシピを研究中。
 
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