ゲッセマネ教会の英雄交響曲
11月2日、旧東側のプレンツラウアーベルク地区のゲッセマネ教会で、「非暴力への記念コンサート」と題する入場無料の公演が行われた。演奏は、ダニエル・バレンボイム指揮のシュターツカペレ・ベルリン。このコンサートは、20年前のある出来事を思い起こさせるものだった。
1989年の秋、ゲッセマネ教会は、平和と東独政府の改革を求める人々の牙城となっていた。50万人以上が集まったと言われる、11月4日のアレクサンダー広場でのデモのわずか翌日、緊迫した状況の中、シュターツカペレ・ベルリンがこのゲッセマネ教会で「非暴力コンサート」を行った。演奏されたのは、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」だった。
「寛容を要求するならば、まず自分が寛容でなければならない」というオーケストラのチェリスト(当時)、ホルスト・クラウゼの20年前のスピーチが、満員の聴衆の前で再び読み上げられた。「私が当時何を話したか、ほとんど何も思い出せないのですが、あの時感じた恐怖ははっきりと覚えています。前日に大きなデモがあったとはいえ、権力はまだ党の側にありました。その夜がどのような形で終わるか、誰にもわからなかったのです」。そういう状況下、指揮をしたロルフ・ロイターは聴衆に向かってこう言った。「壁はなくならなければならない!」。クラウゼは息が止まりそうになったという。11月9日の4日前にして、まだ誰も頭に描いていなかった言葉が発せられたのだ。
「このコンサートを指揮することは私にとって大変名誉なことです。なぜなら20年前のあのコンサートで、シュターツカペレのメンバーは象牙の塔にこもるのではなく、音楽を通して人を、そして世界を理解できることを示したからです」と挨拶したダニエル・バレンボイムによって、当時と同じ「英雄」の冒頭の2つの和音が力強く鳴り響いた。ベートーヴェンが旧体制からの打開を込めて書き上げたこのシンフォニーが、これほどの迫真をもって鳴り響いた例は、少なくとも私の中ではかつてなかったと思えるほど、感動的な演奏だった。
私の2列先にはヴァイツゼッカー元大統領が座っていた。教会の中を不思議な熱気と一体感が包んでいた。社会的な立場云々は問題ではなく、意思を持った人間が集まり体を寄せ合っている親密な空間。私は、直接には知らない20年前のコンサートを追体験しているような錯覚さえ抱いた。
2009年の今年、印象に残ったのは「平和革命」という言葉を目にすることがかつてないほど多かったことだ。89年を指すのにこれまで一般的だった「転換期」(Wende)という言葉をしのぐほど、人権主義者のみならず、学者やメディアの間でも頻繁に用いられるようになった。11月9日の記念式典では、政治家のスピーチとドミノ倒しに注目が集まったが、一方で旧東独の人権活動家も多く招待された。アレクサンダー広場の「平和革命展」にはすでに100万人以上が訪れ、来年10月までの公開延長が決まったという。
89年秋の出来事は転換ではなく、革命だった。ただ、ベートーヴェンが英雄交響曲を書くきっかけとなった、その200年前のフランス革命とは違って、非暴力の革命。「自由」は、ゴルバチョフやブッシュら政治指導者から与えられた贈り物ではなく、人々が自らの意思と勇気で勝ち取ったもの。派手なドミノ倒しは巨大なショーのようでもあったが、人々がこの価値ある事実を忘れなければ、大規模な20周年祭は意義があったと言えるのではないだろうか。