ウィーン中央墓地にあるファルコの墓
「ロック・ミー・アマデウス」は、クラシックの巨匠ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの曲を、英語を交ぜたラップで面白おかしく歌ったもの。軽快なリズムに、爆発したかつらなどで、同国で人気となるや否や、世界各国でも大ヒット。米国のビルボード・チャートでも3週連続で1位となった。ドイツ語の曲としては前代未聞の快挙で、ワールド・ツアーでは来日も果たしている。
ほかにも、「Der Kommissar」(1982年)や、「Jeanny」(1985年)などのヒット曲はあるが、その後はなかなかヒットが出ず、プレッシャーから逃れるように、ドミニカ共和国に移住。音楽活動は続けていたものの、ファンからも友人からも見放され、孤独な日々を送っていた。そして1998年2月6日、レストランの駐車場から道路に出たところを大型バスと衝突し、即死。40歳という若さだった。検死の結果、コカインなども検出されたことから、自殺説も飛び交った。
若くして死亡し、伝説となった有名人の例は多々あるが、ファルコもその一人。死亡から3週間後に発売されたアルバム「Out Of The Dark (Into the Light)」で、皮肉にもカムバックを果たしたのだった。
それから10年……。最後のアルバム名をタイトルに冠した映画「Falco - Verdammt wir leben noch!」が公開されたり、元妻の娘で、ファルコとはDNA検査の結果、血縁関係がないことが明らかになったカタリーナ・ビアンカ・ビトコビックさん(20)が「Falco war mein Vater(ファルコは私の父だった)」を出版するなど、ファルコの存在が再びメディアを賑わせている。久しぶりに耳にする「ロック・ミー・アマデウス」は、今聴いても新鮮だ。
「SPIEGEL ONLINE」 "MOZART MIT DER PUNK-PERÜCK"