医療改革
2月、長く続いた激しい論議の末、医療改革法案(Gesundheitsreform)が連邦議会を通過、参議院でも承認された。医療改革というと、政権交代の度に耳にする言葉。増大する医療費を背景に、これまでも改革は何度か実施されてきている。今回の改革の特徴として、①国民皆保険化②医療基金の導入③国庫補助の拡大、の3点がメディアで大きく取り上げられている。他にも医薬品と病院への支出削減、診療報酬制度改正、特定分野での保険給付サービス拡大、被保険者の自己責任強化策などがある。法律施行は今年4月か らだが、制度ごとに実施時期は異なる。
社会保険制度の先駆者として日本も模範としてきたドイツ医療保険。なぜ今となって皆保険なのか。また医療基金とは何か。私たち被保険者に及ぼす影響を含め、概観してみたい。
医療保険で保障されていなかった人々
ドイツでは被用者であれば自動的に公的医療保険への加入義務が生まれる。保険料は各保険運営者が設定する一定率が全員に適用される(AOKによると2006年平均は14.18%)。保険料の大半は労使折半。日本とほぼ同じ仕組みだ。また失業者や社会扶助受給者も公的な保障を受けられる。一方月給が3,975ユーロ(2007年)以上の被用者は、公的保険加入義務が免除され、大半は民間医療保険に入っている。公的保険料は所得に比例して絶対額が高くなるので、若い高所得者にとっては疾病リスクやサービス範囲に基づいて計算される民間保険の方が割安となる。そのほか経営者、自営業者、フリーランサーなど、被用者でもなく被扶養者でもない就労者は、任意加入となる。
ここで問題となるのが小額所得の自営業者やフリーランサーだ。昔は自営業といえば比較的裕福だったが、最近は経済事情も変わり、過剰供給で仕事にありつけない弁護士から国の助成を受ける小起業家までさまざま。彼らには保険料を半分負担してくれる雇用主がいないため、公的保険に入ると収入の約14%が保険料として出ていく。民間保険も手頃なものでも数百ユーロから。扶養家族がいると更に高くなる。また一度民間に移ると公的保険に戻るのが難しくなる。これらの事情から、医療保険未加入者が全国で約30万人いるという。
基本料金制で保険料は安くなる?
新制度の下ではこれら未加入者にも加入義務が発生する。同時に民間保険会社は09年から、公的保険がカバーする範囲に相当する医療サービスを保証する、基本料金(Basistarif)というパッケージを、加入希望者に提供する義務を負う。保険料は純粋に年齢と性別によって決まり、疾病リスクを理由に加入を拒否することも禁じられる。
気になる基本料金の金額であるが、公的医療保険料の最高額以下、という上限が設けられる。現在の最高額は約500ユーロ。ある民間保険会社は、「将来はリスクの高い人が加入して出費が拡大するので保険料は高めに設定せざるを得ない」と説明。手軽な価格になることは期待できそうにない。支払いが困難な人は半額免除の措置もあるが、経済的負担は小さくない。さらに引き続き並存することになる従来型の民間保険料ま でも「引き上げざるを得ない」と保険会社は言う。
用語解説 |
Versicherungspflicht (=保険義務) 公的医療保険の加入対象者は2007年4月から加入義務が生じる。また過去に民間保険に加入しており保険料が払えなくなっていた人にも、09年1月から再加入義務が生じる。民間保険会社はこれら希望者を基本料金制(Basistarif)にて、疾病リスク調査無しで加入させる義務を負う。加入義務を怠った人には罰金も科される。 |
政治的な妥協案としての医療改革
ドイツの社会保険はもともと労働者を守る制度として発達したこともあり、農業など一部の職業グループを除き、自営業者というのはあまり考慮されてこなかった。ここにきて突然自営業者がスポットライトを浴びた感もあるが、これは何故なのか。その陰にはシュミット保健相の属する社民党(SPD)が一昨年前に連邦議会選挙戦で提唱してきた全市民保険(Bürgerversicherung)という考え方が伏線にあると思われる。これまで公的保険への加入義務を免除されてきた裕福で比較的健康な経営者、公務員、高額被用者を財政的に組み入れることで、保険料収入を増やし、保険料率の値上がりを抑制したい考えがあった。シュミット保険相はさらに民間を公的保険へ統合する構想を示唆する発言さえもしていた。同時に社会問題化している、公と民間の医療サービス格差の拡大を食い止めたい、ということもあった。
対する保守派のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)は、小額の人頭定額保険料(Kopfpauschale)を提言。患者負担を増やし保険料を減らすことで、雇用者側の負担軽減を謳っていた。保守党はまた伝統的に民間保険の利害を代弁する役回りでもある。
保守党と社民党の連立政権下で、改革案は妥協に妥協を重ねた。民間保険に基本料金制を課すことで皆保険化にはなったが、高所得者を何らかの形で公的保険財政に組み入れるという左派の狙いは外れてしまった。緑の党のキュナスト院内会派代表は政府を、「ロビー団体に折れた。そのお代を払うのは被保険者だ」と非難する。ちなみに民間保険の加入者は人口の約1割。金持ち層の特権であるといわれる民間保険制度に手をつけることがいかに難しいかを見せつけるような改革劇でもあった。
新しい医療基金とは?
公民の統合にはいたらなかったが、公的保険間での財務上の統合は実現する。これまで各保険が運営していた保険料収入は、09年から医療基金(Gesundheitsfonds)に一元化される。具体的には、各保険は徴収した保険料を医療基金に入れ、代わりに個々の被保険者の年齢、性別、病状に応じた金額の再分配を受ける。これまでもAOKなど低所得者や高齢者が集中する保険の資金調達のため、高所得者が多く財務状況の良い他の公的保険が調整金を出している。医療基金はこの保険間の経済的格差を完全調整する機能をもつ。また分配金でやりくりできない保険は、所得の1%を上限に追加保険料(Zusatzbeitrag)を徴収してもよいことになる。半面これを理由に被保険者は他の保険に移ってもよく、各社とも効率的経営を強いられる。
同時にこれまで保険ごとに異なっていた保険料率も一律化される。保険料率は基金の初年度となる09年、支出を100%賄えるよう設定されることになっている。
医療基金設立を機に、国は国庫補助の拡大を増やすことも計画している。これにより自主管理が旗印の公的保険への影響力を強め、保険財政の安定を図る構えだ。負担は原則的に納税者で分け合うことになる。
期待される、選ぶ自由
今回の医療改革法案の本来の目的は、医療保険分野の競争強化と、それに伴う保険料の効率的運営、サービスの向上、である。政府によれば①民間保険の加入者が高齢時に備える積立金の払い戻し条件が緩和され、他の民間保険に移りやすくなる、②公的保険間で負担を分配することで公正な競争ができる環境が整う③公的保険で部分保険と保険料返却制度の導入が自由化され、競争強化となる、とする。
これまでも相談、予防策、針・指圧など代替医療分野では、公的保険間でもサービスが多少異なっていた。競争強化によりサービスが多様化し、消費者が自分にあった保険を選べるようになる算段だ。この他にも鎮痛療法やホスピス、予防接種など公的保険の給付内容も広がる。詳細は医療改革の公式サイトをご参照ください。
● 参考文献
Die Zeit. 01.09.2005, 29.06.2006, 02.02.2007
Lauterbach, Karl.. Die Bürgerversicherung.
www.medizin.uni-koeln.de
Bandelow C. Nils. 1998 Gesundheitspolitik. Der Staat in der Hand einzelner Interessengruppe. Opladen. Leske + Budrich
www.die-gesundheitsreform.de
情報収集協力 在独日本大使館田中一等書記官
社会科学修士。通訳、ライター。調査記事ほか日本の新聞雑誌にも記事を寄稿