ジャパンダイジェスト

Nr. 12 謝らないドイツ人

謝らないドイツ人経験のある方は多いと思います。明らかにミスをしたドイツ人が全然謝ってくれないので、気分を害したこと。あるいは、ドイツ人にミスを指摘して注意を促しても、一向に謝らないどころか、少しも改めようという姿勢が見えずに困惑したこと。

いったいこれはなぜなのでしょうか。謝ってくれないドイツ人を「強情」と決めつけてストレスを貯め、謝罪を求めて議論を続ける前に、次のようなことを知っていると便利です。

おおよそ、2つのパターンが考えられます。1つめは、どこかの会社や団体に客がクレームを持ち込んだときに、窓口担当者が「自分のせいではない」と言い張り、お客を「お門違いだ」と突っぱねるケース。これは、これまでにも何度か触れてきましたが、組織と個人の関係が日本とは違うことから生まれてくるギャップです。たいていの人は、「販売員」「秘書」「営業担当」「旋盤工」など、特定の職種のスペシャリストとして行動し、社会生活を送っています。会社という所属組織は変わることがあっても、スキルのほうは変わりません。

ですから、例えば製造部門の誰かの責任で発生したミスをお客に指摘されても、秘書や営業マンが連帯責任をとって謝ることはほとんどなく、そんな時はむしろ自分は何の落ち度もなく仕事をしている、と主張しなければ、まるで自分が「秘書」あるいは「営業担当」としての義務を怠っていたように受け取られるのではないか、と恐れてしまう人が多いのです。

近年は、グローバル化のおかげで、このような各人の極端な職業意識が会社全体の顧客サービスの質に悪影響を与えている、と気づいた会社も増え、お客のクレームをせめて情報として集めようと、窓口を設置するようになっています。しかし、よほど先進的な社員教育を行っている会社でない限り、個人的なミスでないのなら、「クレーム係」でない人が「会社として」謝ることは、ほとんどあり得ないでしょう。たいていの場合は、せいぜい「あなたにとっては残念なことと思いますが」にあたる 「Es tut mir leid für Sie」止まりで、ごめんなさいにあたる「Entschuldigung」は出てこないはずです。迷惑を受けた人の気持ちを汲んで、自分が犯していないミスについて謝ることは、ドイツ人の常識としてはあり得ないことなのです。

ですが、問題はそういった組織上の違いにとどまりません。2つ目のケースは、明らかにミスを犯した本人に対して、上司あるいはお客がそのミスを指摘し謝罪を期待しているのに、反省どころか、改善の意思すら見せないことにびっくりさせられる場合です。

これはミスを犯した後の「謝罪の言葉」に含まれている意味合いおよび重みが、日本とドイツでは違う、というところに原因があります。ミスの事後処理の伝統が違うために生まれてくるギャップです。

ではミス発生後の事後処理の手順を比べてみましょう。日本では、相手がよほど許しがたい罪悪を犯したのではない限り、上に立つ人は①ミスを指摘し、②相手が非を認めて謝ったら、③反省を求め、次からはそのような事態が発生しないように要請する、というやりとりをして解決したことになるでしょう。

何かに失敗したら親や先生に対してまず謝る、というものの順序は子どもの頃から教わるものです。通常、取り返しのつくレベルである限りは、「叱咤激励」を受け、それに対して深く反省して謝り、自分なりに原因を考えて「繰り返さないように努力する」と宣言すれば、再度挑戦する機会を与えられる、という展開になることも多いと思います。

ではドイツでは、どこが違うのでしょう?ドイツ人も、子どもがミスを犯せば叱ります。そして謝らせます。ですがその後で、罰を課して償わせることが多いのです。今でも小学校では、子どもが宿題を忘れたり授業中うるさかったりすると、罰として余計な宿題が出たり、廊下に立たせたり、あえて「いやなこと」をさせる伝統があります。親に変な口ごたえをするとお小遣いがカットになったり、テレビが禁止になったりする家も多く、とがめられている事柄とはまったく関係のない罰を与えられることも多いのです。ミスを犯したら、一度いやな思いをさせて、そのいやなことを繰り返さないために、ミスをしないように心に誓わせよう、というしつけ方です。

責任範囲をもう一度見直して、再度その責任を果たすチャンスを与え努力させる、というのとは異なります。これに対しては最近ようやくドイツでも、「これは単なる威圧的な調教であって、本当の意味での教育ではないのではないか」と問題視されるようになりました。こういったしつけ方には、前近代的な絶対主義の社会や教会の絶対的権力を反映した懲罰制度の名残りがあり、失敗を「罪」として罰する伝統的な「罪の文化(Schuldkultur)」が根にあると言えます。しかし、今はこの「罪の文化」を乗り越え、失敗は責任をもって繰り返さないようにする「責任文化(Verantwortungskultur)」へと発展しなくてはならない、といったことが議論されるようになってきました。

そんなことから、ドイツも少しずつ変わってきているとはいえ、日常生活では「罪の文化」を背負い込んでいる人はまだまだ多いものです。この場合、謝ることがイコール「私はだめな人間ですから罰してください、償わせてください」と言っているのと同じことになります。そうなると謝ること自体、それまで対等だった人間関係のバランスを崩してしまう危険がある行為と考えられます。このため、よほど重大な罪を犯したのでない限り、ちょっとした失敗ならば謝ることはできないという心理構造を生むわけです。「ごめんなさい」という言葉には、「次回からは気をつけます」という意味合いが含まれている、と考える日本人と、「私はいけないことをしました。何らかの形で償わせてください」という意味合いがある、と考えるドイツ人の間では、相手のミスを指摘したり、謝罪を求める場合、トラ ブルが発生する危険があって当然と言えます。

相手のミスを指摘するときには、本当に損害賠償、あるいは解雇や減給といった形で償いを要求しているのではない限り、相手が謝らないという点に固執したり、謝らせようと無駄なエネルギーを消費するよりも、二度とこのようなミスはやらないでほしい、とはっきりと伝えればよいのです。「So etwas darf nie wieder vorkommen」あるいは「Bitte sorgen Sie dafür, dass so etwas nie wieder vorkommt(二度とこういうことが起きないように気をつけてください)」と要請すればよいのです。相手が「Sie haben recht(あなたは正しい)」、「Ist OK, habe verstanden(わかりました)」といった返事をしたら、「Entschuldigung」という言葉が登場しなくても、それだけで一件落着した、と解釈すればよいでしょう。

  ひとことBitte sorgen Sie dafür, dass so etwas nie wieder vorkommt.
二度とこういうことが起きないように、あなたが気をつけてください。
 
 
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古川まり 東京生まれ。1979年よりドイツ在住、翻訳者、ライター。主な訳書に、アネッテ・カーン著「赤ちゃんがすやすやネンネする魔法の習慣」など。ドイツ公営ラジオ放送局SWRにてエッセイを発表
http://furukawa-translations.de
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