Nr.1 日本はマッチョ社会(?)
2月の半ばごろでしたが、ドイツのある新聞に、日本の男はマッチョだから妻に向かって「イッヒ・リーベ・ディッヒ」と言わない、という記事が載っていました。これを読んで、ドキッとした男性、「その通り!」と思った女性もいたことでしょう。しかし、どことなく違和感も残ります。
もう少し詳しく記事の内容を紹介すると、こうした言葉を妻に面と向かって言えない日本人男性の心理に触れて、「催し物」の形をとって「愛してるよ~!」とマイクで叫ぶのでもなければ、気恥ずかしさを克服できないというのです。このように「理解」も示していますが、なんだか変です。
本当に日本の男がマッチョかどうかは、この際、脇に置いておきましょう(この言葉を口にしない愛妻家もいれば、「リップサービスほど安上がりで効果的なものはない」と嘘ぶく友人もいます)。問題は、この記事と似た報道がかなり見られることです。個々の「事実」は正しくても、どこか意地悪な感じを受けることも少なくありません。
大げさに言えば、「愛している」と口にする西欧社会の習慣を「グローバル・スタンダード」と見なし、その基準で異文化社会を判断しているように思えます。きっと、この記事を書いた記者もドイツの読者も、明治の翻訳家たちが「アイ・ラブ・ユー」をどう日本語に訳すかで苦労したことなど知らないでしょう。
だれでも無意識のうちに、自分の属する集団の基準を前提にして、異文化のいろいろな側面を判断しがちですし、新聞も例外ではありません。もちろん、西欧を中心に発達してきた考えの中には、個人の自由や人権の尊重、あるいは民主主義の原則など、本当に世界の普遍的基準となるものもあります。それでも、戦前の日本はそれを認めようとしなかったし、21世紀の現在でもこれらを拒否する国や社会があります。他方、西欧においては「どの文化も同じだけの価値を持つ」という考え方が浸透しつつあって、多様性を尊重する方向が強まっているようです。
今回は大きな話になってしまいましたが、なるべく具体的な例を取り上げながら、外国に住む私たちに身近な問題を、異文化接触という観点からごいっしょに考えていきたいと思います。
ちなみに、ある人口学者の見解では、先進諸国における少子化傾向はマッチョな社会ほど強いそうです。そして、ご存知のように、日本とドイツは少子化がもっとも進んでいる国です……。