Hanacell

Nr.10 異文化の度合い

最近はドイツに来ても、そんなに異文化ショックを受けない日本人が増えているようです。本当に関心があれば、テレビやインターネットを通じて、ドイツの様子はなんでも映像として見ることができます。それでも、見えていながら見えないものもあります。試しに日本に行ったことのないドイツ人に、日本の街角の写真を見せたとしましょう。その隅に「〒」の印がついた赤い箱が写っていても、郵便ポストだと判らないばかりか、その存在にすら気がつかないようです(実験済み!)。知識に助けられてようやく見える(=認識する)わけです。

さらにソフトの部分になると、映像でも伝わりにくくなります。親指と人差し指を立てて数字の「2」を表すのも、初めは違和感があります。人差し指で自分の鼻を指して「自分」を意味する日本独特のジェスチャーは、ドイツ人には通じません。いわゆる「ノンバーバル・コミュニケーション」の領域ですが、分からないわけでなくても違和感があって、なるほど異文化という感じがします。

©Sae Esashi

最近はドイツでも夏に花火を上げることが増えてきました。毎年6月に開かれるデュッセルドルフの「日本デー」の目玉の一つです。しかし、お店に花火が置かれるのは年末だけで、大晦日の真夜中にあちらこちらで一斉に打ち上げられます。ケルンではその煙で、ライン川の向こう岸からは大聖堂が見えなくなるほどです。こうなると、いかにも習慣=文化が違うと感じられます。また、ライン流域都市のカーニバルの騒ぎは、古い歴史があって日本にない習慣なだけに、異文化を実感させられます。

これが人間関係において現れる違いとなると、もっと「異文化度」が高いようです。たとえばドイツでは、結婚するときに新郎新婦が結婚契約書を取り交わすケースが増えているようです。共働き夫婦なら、生活費をどのように分担するか、家事分担をどうするか、不幸にして離婚に至った場合の財産の処分まで盛り込むとか。私たち日本人の感覚では、ずいぶんロマンチックから縁遠い気がします。それはともかく、自分に身近なところで大きな違いが見つかると、これぞ異文化という感じです。

ところで、毎日たっぷり接しているのに、意外に異文化と認識されないものがあります。さあ、何でしょう。そう、それは「言語」です。これこそ最大の異文化ではないでしょうか。予備知識がなくてもジェスチャーならたいてい推測できますが、言葉の場合は知らなければ全然理解できません。しかも生活の隅々まで支配しているのですから、厄介な異文化です。

 
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Koji Ueda ケルン日本文化会館館長
早稲田大学、筑波大学でドイツ文化および異文化交流を担当。NHKのテレビ、ラジオ「ドイツ語講座」元講師。留学や客員教授などを合わせた在独歴は十数年。ベルリン日独センター副事務長(日本側代表)を経て、2007年3月より現職。
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