ジャパンダイジェスト

Nr.11 ゼロの発見

アウトバーンを走ってケルンに向かうと、数キロ前から大聖堂の特徴ある塔が見えてきます。昔、長い旅から戻ってきたケルン子は、この光景を見てホッと涙を流したことでしょう。どこでもそうでしょうが、教会にはランドマークの役割もあったようです。

中世ドイツでは、ある都市が都市としての特権を認定されるためには、最低3つの条件を満たすことが必要だったそうです。教会、泉(=井戸)、それに中央広場がそれです。魔女裁判が行われたくらいですから、キリスト教が生活の基本原理だったわけで、教会がないドイツの都市は考えられません。

また、泉や井戸も都市生活に絶対に必要です。飲み水はもちろん、洗濯や清掃まで、人間の生活に水は欠かせません。もちろん、マスコミのない時代ですから、住民の情報や噂話を交換する場でもあったわけです。

©Sae Esashi

では、広場は? これは、「市」が立つ場所として必要だったからです。都市は食料品を始め、生活必需品の多くを近隣の農業地帯から「輸入」していたため、広場が欠かせなかったのです。大きな都市ですとFleischmarkt(肉市場)、Fischmarkt(魚市場)などが、それぞれ市内に散らばっていますが、どこへ行っても中心となる教会の前には大きな広場があります。この中央広場は、「市」を開くためだけでなく、別の役割も持っていました。独立した都市として認められるということは自治権を持つことでしたから、住民はここで集会を開き、重大な事項を決めていたのです。このように中央広場は、経済ばかりでなく政治的にも大事な役割を果たしていました。今でも、あるスイスの州ではLandsgemeinde(州民集会)が開かれるそうです。

ところで以前、東京で日独の歴史学者が集まって「中世都市の比較シンポジウム」が開かれた時、この広場が話題に上がりました。考えてみれば、日本には市が立つ広場はあっても、政治的な意味を持った広場は例がないのです。これは、日本で住民自治が発達しなかったことと関係があるわけですが、それが都市の構造にまで影響を及ぼしていることに驚かされます。

しかしなによりも、歴史の素人である私が驚いたのは、それまで日本の都市には中央広場がないという事実を思ってもみなかったことです。「存在しないもの」を発見するのは大変なことです。幸いにして、文化現象の場合にはこうして、「比較」という方法でそれに気づくことがあります。それにしても数学の「ゼロ」(存在しないもの)を発見したことは、本当に素晴らしいことだったと感心しました。

 
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Koji Ueda ケルン日本文化会館館長
早稲田大学、筑波大学でドイツ文化および異文化交流を担当。NHKのテレビ、ラジオ「ドイツ語講座」元講師。留学や客員教授などを合わせた在独歴は十数年。ベルリン日独センター副事務長(日本側代表)を経て、2007年3月より現職。
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