ハリボ HARIBO
子どもも大人もだーい好き!
仲の良いお隣さん一家と一緒に遠出した時のこと。ご夫婦の3歳になる息子のヤン君は、小さなランチボックスを持ってきていた。道中、お腹がすいたヤン君は、そのランチボックスをリュックサックから出して、ほら、と嬉しそうに私に見せてくれた。中には赤、黄、緑のカラフルなグミベアヒェンがいっぱい。ママもパパもみんなでつまんだら、あっという間になくなってしまった。
ハンス・リーゲルがボンで創業
1958年頃と現在のゴールドベア
Foto: HARIBO GmbH & Co. KG
作業台、腰掛けにかまどがあるだけのこじんまりした工場からスタートしたハリボ社はその後、第2次大戦が勃発して「グミが戦車に取って代わるまで」に基盤を固め、着実に成長する。リーゲルは会社設立の1年後に結婚し、新妻ゲルトルートを初の女性の「同僚」に迎えるが、1930年代には、従業員の数も約160人にまで増える。デンマークに最初の国外進出を果たしたのもこの頃である。
リーゲルは45年、大戦終結と時を同じくして52歳の若さで他界するが、その後は妻のゲルトルートを支える形で二人の息子ハンスとパウルが経営の舵を取り、ハリボ社のサクセス・ストーリーが今日まで続くことになる。
ゴールドベアが85歳に
真っ白なクヌートのグミとドイツの国旗
3色のグミ Foto: HARIBO GmbH & Co. KG
このゴールドベアの元祖「タンツベア(TANZBÄREN)」が誕生したのは1922年。当時は町に市が立つと、サーカスの「クマの踊り」が恒例の見世物となっており、リーゲルは、子どもたちが楽しんでいる様子を見て、クマの形をしたグミをつくろうと思いついたという。大のクマ好きで知られたテオドア・ルーズベルト米大統領にその名が由来するクマのぬいぐるみ「テディ・ベア」の人気が、ドイツにじわじわと広まっていた時代であったことも、ゴールドベアの誕生に一役買っているようだ。
リーゲルが考案した最初のタンツベアは、ポッチャリした現在のゴールドベアに比べてちょっとやせっぽち。経済不況の波が押し寄せていた1920年代に生まれたクマらしいといえばらしい。
昨年、85歳の誕生日を迎えたゴールドベア。同社製品の中でも売り上げナンバーワンを誇る人気者だが、歴史をさかのぼると、実はこんな偉人たちも目がなかったよう。小説家ケストナーやアインシュタインが好んでつまんでいたといわれているし、コール政権で副首相兼外相を務めたゲンシャー氏などは、このグミがなかったら公用旅行には出掛けない、とまで言っていたという。
「ハリボの顔」といえば……♪
ゴールドベアの元祖、タンツベア
Foto: HARIBO GmbH & Co. KG
おなじみのメロディーは、1960年代に生まれた。前半部分、「ハリボは子どもたちを喜ばせる」は、30年代にすでに同社の宣伝文句になっていたが、そこに後半部分の「そして大人たちも」が加えられ、いまのメロディーが完成した。民放Kabel1局の調査によれば、国民に最も知られているCMのメロディーだというが、それも頷ける。
黒・赤・ゴールドのグミでドイツ代表を応援!
(上)最初に登場したラクリッツ
は、細い棒の形だった
(下)広告塔・トーマス・ゴット
シャルク氏
Foto: HARIBO GmbH & Co. KG
現在、ケムニッツの産業博物館では、ハリボ社とゴールドベアの歴史を一望する展覧会「HARIBO - Mit dem Goldbären zur Kultmarke」が開催されている。今月4日にスタートした同展は、これまでにコブレンツやトリアーなど各地を巡回、すでに20万人以上が足を運んだという。展覧会は8月20日まで。家族みんなで、ゴールドベアに会いに出かけてみませんか。