ジャパンダイジェスト

ドイツの街角から

岩本順子 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。
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市庁舎ではじまったワイン取引

RATSKELLER

ドイツの伝統的な市庁舎には、地下にラーツケラー(市参事会セラー)がある。その多くが、現在もなお、ラーツケラーという名前のレストランとして営業している。かつては、ドイツで郷土料理を食べたくなったら、市庁舎の地下に行けばよい、と言われたものだ。現在では、必ずしも郷土料理が食べられるわけではないが、その伝統は概ね引き継がれている。ところでこのラーツケラー、14世紀から18世紀にかけては、その名の通り、ワインの貯蔵庫兼販売所として機能していたのである。

一例として、ブレーメン市庁舎のラーツケラーの歴史をひも解いてみよう。中世のドイツにおいて、ラーツヘルン、つまり市参事会員は、ドイツワイン(ラインワイン)の小売独占権を所有していた。従ってワイン商人が都市部でワインを販売するためには、まず市参事会員にそのワインを振る舞い、販売許可を申請しなければならなかったのだ。1635年制定のブレーメン市のワイン法は、いかなるワイン商人も、販売用のワインをまず市庁舎のセラーに預けなければならない、と定めている。市参事会員らは、ワインが市場に出回る前に購入する権利を持っていたため、上質ワインを先に買い占めてしまい、一般には品質の劣るワインしか流通しなかったという。

ラーツケラー

このようにして、ブレーメンのラーツケラーにも、ドイツの一流ワインの数々が収集され、やがてそこで食事と共に供されるようになった。メリアン(MERIAN)のブレーメン・ガイドブックがラーツケラーを絶賛する記事を掲載すると、おいしいもの好きがどっと押し寄せるようになったという。

ブレーメン市はワイン造りとも無縁ではなく、30年戦争(1616-1648)以前までは、ラインワインの質には及ばないものの、ヴェーセル川流域でワインを生産していた。また17世紀に入って、オランダ商人がワインを積極的に取り扱い始めるようになると、ボルドーからフランスワインが海路で北ヨーロッパにもたらされ、リューベックやハンブルク、ブレーメンなどのハンザ都市も、積極的にボルドーワインを輸入し始めるようになった。中でもブレーメンのワイン商は、ボルドーに倉庫を建設するほどボルドーワインの輸入に熱心だった。ブレーメンは、北ドイツにおけるワイン・メトロポールだったのである。

現在もなお、ブレーメンのラーツケラーには貴重なドイツワインの数々が保管されており、そのコレクションは「ドイツワインのエンサイクロペディア」と呼ばれている。また現存する最古のワインは1653年産のラインガウ、リューデスハイムのワインだそうだ。

ラーツケラー

現在ラーツケラー内では、「L‘Orchidee」というレストランが営業している。このレストランのワインカルテはドイツでも高く評価されており、常時100種類以上のワインを提供している。

今年のブレーメンのラーツケラー見学日は4月18日、6月6日、10月17日の3回。所要時間は3時間。チョコレートとワインのテイスティング料込みで1人20ユーロ。お申し込みは直接ブレーマー・ラーツケラーへ。

Bremer Ratskeller
Schopensteel 1, 28195 Bremen Tel. 0421-337788
Restaurant L’Orchidee
Am Markt, 28195 Bremen Tel. 0421-321676
 
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