ジャパンダイジェスト

ドイツの街角から

岩本順子 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。
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移動遊園地が降りてくる

Hamburger Dom

ハンブルガードーム
それまで何もなかった、だだっ広い空き地に、突然舞い降りてくる…。そんな風に、移動遊園地、ハンブルガー・ドームはやってくる。ドイツに暮らしていると、この「舞い降りてくる」という感覚がよく分かると思う。実際には、何日もかけて設営されているのだが、なぜかある日突然降りてきた、という感じがしてしまう。移動遊 園地の持つ魔法の力なのかもしれない。

移動遊園地、と訳してみたものの、このイべントはフォルクスフェスト(Volksfest)と呼ばれる伝統ある国民のお祭り。そして、ドイツ最大のフォルクスフェストは、おなじみミュンヘンのオクトーバーフェストだ。デュッセルドルフのキルメス(教会のミサの意)も、それに次ぐ大きなお祭り。ハンブルガー・ドームは北ドイツ最大規模のお祭りと言われ、1948年以来毎年、春、夏、冬 にそれぞれ1 カ月ずつ開催され、年間900万人が訪れるという。

ハンブルガー・ドームの起源は、ドーム(大聖堂)という名前が暗示しているように、教会と関係がある。11世紀頃、ハンブルクのマリエン・ドームという大聖堂の中では、あらゆる商人や職人たち、さらには見せ物師たちが、寒さや風雨をしのぐために集まり、商売をしていたそうだ。今日でもクリスマスシーズンになると教会の周囲に張り付くように市が立ったりするが、そんな感じで、大聖堂内に物売りがひしめいていたのだろう。

しかし14 世紀になると、大司教のブルシャルト・フォン・ブレーメンが、教会の中の秩序が乱れるのを嫌い、彼らを立ち入り禁止にしてしまった。しかし、ハンブルク市民たちは、庶民の伝統が失われることに抗議、結局大司教は「ハンブルク特有の悪天候の日に限って」彼らの出入りを認めることにしたという。当時は、12月になると毎日のように雨が降ったというから、クリスマスシーズ ンの大聖堂内の賑わいは大変なものだっただろう。

しかし、1804年、老朽化を理由に大聖堂が解体されると、商人も見せ物師たちも、ハンブルクの市街地へと分散してゆき、長い間、まとまった商売の場を持つことはなかった。1900年になってようやく、彼らに現在の会場であるハイリゲンガイストフェルドが割り当てられることになり、お祭りとして定着したのである。そして、ちょうどこの頃から、ジェットコースター、電動・電飾つきのメリーゴーランド、そして観覧車といった移動遊園地に欠かせないアトラクションが登場するようになった。

当初、ハンブルガー・ドームは冬場だけの営業だったが、戦後になって夏、さらには春にも開催されるようになった。冬が本来の大聖堂市、夏はフンメルのお祭り(フンメルは19世紀前半に実在したハンブルクの有名な水運び人)、春は春祭りがそれぞれの由来である。今日では、16万平米の広大な敷地に、3.3キロメートルに及ぶ大通りが形作られ、260もの興行者が参加している。ドイツ各地の本格的な郷土料理、高さ50メートルの大観覧車、ハイテクを駆使した多彩な乗り物のほか、昔ながらの射撃ゲームや砂糖菓子屋などがひしめきあい、大人も子供も楽しめるようになっている。

次回、夏のドームは7月27日から8月26日まで。

ハンブルガー・ドーム

 
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