ジャパンダイジェスト

文明開化とビール

メソポタミアに起源を持つビールには5000年以上の歴史がありますが、日本人がビールに出会ったのは、わずか400年ほど前のことです。初めて長崎のオランダ商館でビールを口にした日本人の感想は、「ことのほか悪しきもので、何の味わいもなかった」ですって。残念ながら、日本酒の味に慣れていた当時の日本人の舌には合わなかったようですね。しかし舶来品として日本に入ってきたビールは、今ではすっかり晩酌の定番になっています。

最初にビールを造った日本人は幕末の蘭学者、川本幸民と言われています。彼はオランダの本を手掛かりに、自宅の庭で実験的に造ったそうです。

ビールが本格的に日本に入ってきたのは、ペリーが黒船に乗ってやってきた開国後のこと。幕末から明治初期にかけては、ビールはまだ居留地の外国人向けの輸入品ばかりで、最もよく飲まれていたのは英国産のバスペールエールでした。やがて文明開化と共に外国人との交流を通じて日本人の間にも浸透していくと、居留地の外国人によって日本国内でビールが生産されるようになります。最初に成功を収めた醸造所は、1870年(明治3年)にウィリアム・コープランドという名のアメリカ人が横浜の外国人居留区に設立した「スプリング・バレー・ブルワリー」(キリンビールの前身)でした。

現存する日本で一番古いビアホール「ライオン銀座7丁目店」
現存する日本で一番古いビアホール
「ライオン銀座7丁目店」。昭和9年創業

一方、日本人としては1872年(明治5年)に大阪で渋谷庄三郎が、翌年には甲府で野口正章が本格的にビールの醸造・販売を開始しました。1876年には札幌に官営の開拓使麦酒醸造所が創設され、ベルリンで修行を積んだ中川清兵衛が中心となって醸造を開始します。渋谷と野口の醸造所は短命に終わりますが、開拓使麦酒醸造所は現在のサッポロビールに引き継がれました。

日本は近代化にあたって英国を模範としていたため、ビールも英国スタイルのエール醸造が試みられました。しかし明治10年代末頃には、ドイツスタイルのピルスナービールが主流になっていきます。冷蔵技術の開発により、諸外国でもピルスナーがもてはやされたことや、日本の軟水がピルスナーに適していたということもその理由ではありますが、何よりも欧米の視察から戻った明治政府関係者による、国を挙げての“ドイツかぶれ”の影響が大きかったようです。上品に飲む英国流よりも、豪快に楽しく飲むドイツ流の方が侍の性にあったのでしょうね。それ以降、日本は急速な工業発展と共に「ビールと言えばドイツ」と言わんばかりに、ピルスナー醸造の技術を磨いていくのです。

日本でのビール醸造の歴史はヨーロッパに比べて浅いにもかかわらず、ビール産業の技術の進歩は目覚しいものがあります。ノンアルコールビールのほか、糖質やプリン体を削減した健康志向のビール、麦を使わない新ジャンルの商品の開発など、新しい価値を持ったビールが次々に開発され、現在では世界最高峰の技術を誇っています。

 
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