ジャパンダイジェスト

Nr. 18 学校は学問の場所、生活指導は家庭の役目

以前、東京都内の小学校を訪れたときのことをお話したいと思います。それは小4 の保護者会で、教員が保護者に学習内容や学校行事について説明する会でした。その中で私が気になったのは、“学校で学ぶこと”の中に教科学習だけでなく、生活態度も挙げられていたことでした。たとえば「自分から挨拶しよう」「自分の過ちをすぐに認めよう」「困っている友達に声を掛けよう」「時間を意識して行動しよう」などの態度が身に付くよう子どもたちを指導していると、先生たちは熱く語っていたのです。

「それは学校で学ぶことなのか」。ドイツから来ていた私はこの方針にとても違和感を覚えました。日本の保護者たちは、学業面と、いわゆる「しつけ」の両方を学校で指導してもらうことに何の抵抗もないようでした。むしろそれを期待しているようにも見受けられましたが、ドイツでは子どもに生活上のルールを教えるのは親の仕事と認識され、親が子どもに模範を示したり、他人への対応の仕方などを教えたりすることができなければ、親の役目はいったいどこにあるのか分からない、と考えられているようです。

学校は学問の場所、生活指導は家庭の役目
イラスト: © Maki Shimizu

東京のあるコンビニで1 人の男子生徒が約3時間、4 冊の雑誌を立ち読みしていました。何も買わずに帰ろうとしたとき店員に呼び止められて、その迷惑行為が学校に通報されました。翌日、先生はその生徒に注意をして、家庭にも連絡されました。これはいかにも日本的な対応だと思いました。もしドイツで同じことが起こり、店員が学校に通報しても、学校側は「うちの問題ではない」とあっさり電話を切るでしょう。生徒の生活態度の責任ははっきりと親に帰属するからです。

つまり日本の学校の存在意義は、集団生活のルールを学ぶ場としても強調されますが、ドイツでは学問の場としてのみ認識されているので、集団生活のルールを教えることにはあまり関心がないのです。それというのもドイツは多民族国家で、いろいろな価値観を持つ人が集まって社会を形成しています。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの宗教観はもちろん、“ドイツ人”とはいえ、両親や本人がドイツ生まれではない場合も多く、さまざまな生活習慣や道徳観を持つ人々が共に住む国なのです。こういう国で大切なことは、「精神的に強くありなさい」という教えになってきます。“精神的に強い”とうのは相手よりも強くあれというのではなく、「自分の意見をはっきりと表明すること。ただし、他人の意見も聞きなさい」「悪口を言いたいのなら、本人の前で言いなさい」というように、自分の意見を持ち、発言することの重要性をドイツの先生は子どもに口酸っぱく言うのです。そのため、ドイツの子どもたちは愚痴を言うことがあまりありません。愚痴を言うと「本人に直接言いなよ」と逆に諭されてしまいます。

学校は学問の場所、生活指導は家庭の役目
イラスト: © Maki Shimizu

また、ドイツの公立学校では「みんなでやろう」「みんなでがんばろう」といったスローガンを掲げることがほとんどありません。日本では、運動会のような行事を通して全体で行動し、班を作って仲間意識や連帯責任を持たせることがよくありますね。ドイツではそういった風潮がまったくと言って良いほどないので、この国で子どもを育てていると、当時はあまり乗り気でもなかった日本の学校行事が、懐かしく、羨ましくなることがあるほどです。学業+生活指導をするドイツの学校を探したい場合は、寄宿制学校(Internat)に期待ができると思います。

 
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