「日本へ帰りたい」と言い出した我が娘の突然の要望を叶え、とりあえず日本の中学校で1週間の体験入学を終え、無事ドイツに戻って来たものの、その願望は満たされるどころか、以前よりも強いものになっていきました。その経緯については、すでに前回お話しした通りです。ドイツの教員のあり方にまで不満を述べてしまいましたが、すべての先生に不満があったわけではありません。5歳から13歳になるまでの長い期間、ドイツ人の先生の多くが、言葉の不慣れな外国籍の娘に特別な配慮や温かい対応をしてくれたのも事実です。私自身も、先生と話をする機会が増えるごとに、ドイツという国がどんどん好きになっていったことは間違いありません。
先生とのやり取りの中で、特に思い出に残っている出来事があるので、ここでそのエピソードをご紹介したいと思います。それは娘の小学校でのことですが、誕生日を迎える生徒がいる日には、先生からお菓子のプレゼントがありました。お菓子を配り終え、まだ余っているときには、「1つ余っているけど欲しい人は?」と先生が聞くと、ハイ! ハイ! とクラス中の生徒が手を挙げます。すると先生は、「1つしかないから、このクラスで一番小さい子にあげましょうね」と言って、6月30日生まれのクラスで一番年下の我が娘は(おまけに背も体格も小さいおチビちゃんでした)、余ったプレゼントをいつももらって帰って来ました。弱者には優しく接すること、そういった気持ちを子どもたちにしっかりと伝えつつ、この先生は小柄で小さな我が娘を守ってくれていたのだと、私は今でも確信しています。
イラスト: © Maki Shimizu
ちなみに、ドイツの子どもには小学生とは思えないほど大きな体格の子が多く、子ども服売り場に“170cm”サイズの服が売られているのをご存じですか? 小柄な日本人女性なら大人でも購入可能です。と話が脱線してしまいましたが、そんな体の大きな生徒たちの中で、我が娘は学校生活を送っていたのです。
今思えば、豊かな人間関係に恵まれていたのですが、我が娘にとってはアイデンティティーの危機というのでしょうか……。今まで楽しく過ごしてきたにもかかわらず、自分をドイツ人とすら思っていた子がついに、自分は“日本人である”と自覚し始め、日本人なのに日本をまったく知らない私、日本語ができない私、さらには決して自分はドイツ人になれないことへの劣等感を埋め合わせるように、日本への憧れを強くしていく様子は、とにかく必死の形相でした。
そこでいよいよ私たちは、本帰国ではない、長期での帰国を考え始めました。そこでぶち当たったのが、「ドイツの学校はどうしたら良いのだろう?」という問題。私は校長先生に電話でアポイントを取り、娘の心理的な葛藤をすべてお話ししてみました。すると、その校長先生は静かに頷きながら、「いつでもこの学校に帰って来られるように」と、“語学留学”という形での休学を認めてくれました。おまけに日本でもこちらの勉強が続けられるようにと、すべての教科書の日本への持参許可までいただけたのです(ドイツの教科書は学校から借りるため)。これは思ってもいない展開でした。てっきり退学しなければならないだろうと思っていたからです。いつ戻って来るか分からない生徒に、席を空けて待っていてくれる。感激でした。個々の事情に応じた柔軟で自由な対応に、この社会でしばしば感じる寛容さを、このときもまた実感したのでした。
イラスト: © Maki Shimizu
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