2014年秋以降、ドイツ各地で反イスラムのデモ行動が続いている。反イスラム団体「Pegida」や類似団体が勢力を拡大している背景には、増え続ける移民や難民に対する市民のうっ憤がある。昨年のドイツの難民庇護申請者数は20万3000人弱と、前年比で7万6000人も増加した。今回は、難民を取り巻くドイツの実情と問題点、そして連邦政府の政策についてみてみよう。
難民とは?
1951年に成立した「難民の地位に関する条約(難民条約)」では、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国へ逃れた」人々と難民を定義している。今日では、政治的迫害および武力紛争、人権侵害や貧困などから逃れるために、主に国境を越え、他国に庇護を求めた人々のことを指す。
難民の数と出身国
2013年末時点での世界の難民数は、約5120万人。前年比で約600万人も増えていることになるが、これにはシリア内戦が大きく影響している。2013年の難民庇護申請件数は約110万件で、20万人を超える申請者数がいるドイツが、国別では最も多い。
また、申請者の出身国については、シリアと旧ユーゴスラビアの国々(コソボやセルビア)がひときわ目立つ。シリア内戦以外に、近年のウクライナ情勢の悪化やテロ組織「イスラム国」による勢力拡大が、難民増加の要因と考えられる。長年の民族紛争により大量の難民を出した欧州の火薬庫・バルカン半島諸国では、現在もなお申請希望者が多い。今年に入り、特にコソボ出身者が目立って増えてきており、2月の統計では、ついにシリアを抜いた。
難民庇護申請者の生活
申請中は、原則として就労も、指定された難民収容施設から離れることも申請者には認められない。しかし、庇護申請者への給付に関する法律によって、時給1.05ユーロの小遣いを得ることは認められている。実際に2013年、シュトゥットガルト近郊のシュヴェービッシェ・グミュントという町で、ドイツ鉄道の乗客の荷物運びを手伝うという仕事を申請者が時給1.05ユーロで担った。1日を居住地で過ごすよりも良いと、申請者は喜んでこの仕事に従事したが、低賃金で申請者を利用するのは差別に当たるなどの反対意見が寄せられ、わずか数日で中止となった。
難民増加に伴うドイツの問題点
経済大国ドイツを頼って来る難民は多い。それゆえに、国民に対しては十分な配慮が必要で、国民の不満が爆発しないよう、政府には高度な舵取りが要求される。また、少子高齢化によりドイツの人口が減る一方で、移民は年々増加。優秀な移民の能力も確かに必要だが、そこへ難民までもが急増しては、治安悪化への不安が募る。こうした社会不安から、Pegidaのような移民や難民に反対する団体が出てくるのも不思議ではない。しかし、Pegidaの言動には、外国人を敵視するなど、人種差別的な印象をぬぐいきれない。
ドイツ政府の政策
前述のような問題を深刻化させないために、連邦政府は ドイツにとどまる難民不認定となった外国人を、できる限り早く強制退去させたい方針だ。また、より多くの国を安全な第三国と位置付けて、難民庇護申請を却下するという事実もある。実際に、ドイツでのより良い生活を夢見たコソボの申請希望者が、迫害を証明することができずに門前払いされた、という記事も最近目にした。
深刻化するシリア内戦の影響を受け、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2015~16年に10万人のシリア難民を各国で受け入れるよう呼び掛けている。ドイツはすでに数万人規模の受け入れを決め、さらに2014年10月末、ベルリンで開催されたシリア難民国際会議において、2015年からの3年間に約5億ユーロの経済支援を約束した。ちなみに、2011年にシリア内戦が起きて以来、ドイツはすでに約6億5000ユーロを拠出している。
難民増加の背景には、人間としての尊厳が危機に瀕している地域が世界中で増加している現状があると言えるだろう。根本的な解決のためには、すべての内戦を平和的に解決することが理想だが、実際は難しい。ドイツにおいては目下、難民の受け入れ人数の制限など、与野党で妥協案を模索している。
日本と難民問題
日本における難民の受け入れ状況についてもみてみよう。最初のきっかけは、1970年代後半に発生した インドシナ難民である。1975年のベトナム戦争終結後、1978年にベトナム、ラオス、カンボジアの3国で新政治体制が発足し、それに馴染めない人々が国外へ脱出。いわゆる「ボートピープル」と呼ばれる人々が来日した。この3国からの難民をインドシナ難民と呼び、日本は2005年までに約1万1000人を受け入れた。
日本は1981年に難民条約に加盟したが、その後2014年までに認定された条約難民(難民条約の定める用件に該当する難民のこと)は約600人余りにとどまっている。条約に加盟して30年以上が経過していながら、受け入れが進んでいるとは言えない状況だ。例えば、2013年の難民申請者数3260人中(前年比715人増)、難民認定者数はわずか6人(前年比12人減)であった。つまり、前年比で申請者数が約28%増えたのに対し、認定者数は約67%減。シリア人に限っては、2013年の申請者52人に対し、認定者は0人であった。このほかに、難民とは認定されなかったものの、人道的な配慮が必要という理由から、日本に在留特別許可が付与された人は2257人いる。
日本の国籍別難民認定申請者数の推移(人)
国籍別にみると、トルコからの難民申請者が最も多いが、トルコのクルド人については難民とは認めていない。日本政府が難民認定をすると、トルコがクルド人を迫害していると認めることになり、それが、日本とトルコの良好な関係を傷つける恐れがある、と考えられているのだ。
また、2010年からアジアで初めて、「第3国定住(すでに難民キャンプで生活している難民を別の国が受け入れる制度)」による難民受け入れを試験的に開始。タイの難民キャンプで暮らしていたミャンマー難民を、2014年までの5年間で18家族、計86人を受け入れた。2014年をもって試験的な受け入れは最後となり、2015年度からは本格的に受け入れていく予定だ。
難民の地位に関する条約
Abkommen über die Rechtsstellung der Flüchtlinge
通称は難民条約(Die Genfer Flüchtlingskonvention、GFK)。第2次世界大戦後、欧州で大量に生じた難民の国際的保護と救済を目的とし、1951年に採択。その適応範囲は、「1951年1月1日前に生じた事象の結果として生じた難民」に限られ、問題となっていた。補足として、この時間・地理的制約を除く同議定書が1967年に採択され、適応範囲が広がった同条約と同議定書の双方で難民条約と呼ぶ。加盟国数143カ国。<参考>
■ Wikipedia「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者(Pegida)」「難民条約」
■ www.unhcr.or.jp 「数字で見る難民情勢(UNHCR 2013 年)」
■ www.bamf.de „Bundesamt für Migration und Flüchtlinge"
■ 外務省「難民問題と日本Ⅲ -国内における難民の受の入れ-」
■ 法務省入国管理局「平成25年における難民認定者数等について」(20.03.2014)
■ 朝日新聞「難民から被災者へ励ましの光 東京タワー青く輝く」ほか
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