ジャパンダイジェスト

ドイツの街の風景 私たちのリトファスゾイレ

ドイツの街ですっかりお馴染みの深緑の円筒形の野外広告塔。1855年、ベルリンで初お目見えし、その名前は考案者であるエルンスト・リトファスにちなんで「リトファスゾイレ(Litfaßsäule)」と名づけられた。昨今ではリトファスゾイレという名前の由来を知らないドイツ人も少なくないというが、今年2月に考案者の生誕200周年を迎えたこの機会に、リトファスゾイレ誕生の経緯を追ってみよう。

アイデアと歴史的背景

リトファスゾイレの誕生からさかのぼること12年前の1843年、ベルリンで印刷業を営んでいたエルンスト・リトファスは、パリを旅行中に円形の男性用公衆トイレ(Pissoir)の外側に広告が貼ってあるのを見て、感動を覚えた。これをベルリンに設置したら、お金を稼げるのではないかと思いついたのだ。その当時、ベルリンでは人々が無断で、乱雑に広告を貼るのが常であり、街の景観を損ねていた。

また、1848年は欧州各地で革命が起こった。王やそれに準ずるような貴族や皇帝などが国を支配し、権力者よりの政策を推進していたことに不満を募らせた民衆が、民主主義と報道の自由を求め、フランスやプロイセンなどで立ち上がったのだ。しかし、この革命は一部の例外を除き、失敗に終わった。支配者たちは再び民衆が暴動を起こすことを恐れ、革命を呼びかけるようなポスターが街中に貼付されることを危惧するようになった。そして、国家権力である警察によってポスターや広告を監視下に置く仕組みが模索されていた。

このような時代背景の下、リトファスは、「街の景観と秩序を保つ」「掲載内容を管理できる」などの内容を盛り込んで、国との交渉に臨んだ。その際、自分の利益(独占権の取得)についても交渉している。交渉は難航したものの、1854年12月5日、ベルリン警視総監フォン・ヒンケルデイによって広告塔の設置許可が下りた。この広告塔のシステムは、広告主にとってもほかのポスターが勝手に上から貼られてしまうことがないというメリットがあった。

2013年の人口
150年以上前から設置されている
ベルリンのリトファスゾイレ

リトファスはどんな人物?

翌1855年、最初の100基が、1865年にはさらに50基がベルリンに設置された。深緑の柱で、上部にスイカズラの模様をあしらった広告塔が多かった。原案の時点では、30基は公衆トイレにするという案が入っていたが、最終的にこの項目は外された。当時、ベルリンは、下水の臭いが漂っており、公衆トイレが設置されれば異臭問題が改善されると市民から期待されていただけに、実現にいたらなかったことで不評を買うことになる。

1854~65年までの11年間は彼の独占契約だった。リトファスには金持ちになりたいという野心があり、自分を売り出すことにも長けていた。例えば、数千基ものリトファスゾイレのミニチュアを作って配布したり、それに関する歌「宣伝ポルカ(Annoncir Polka)」を、当時有名なハンガリーの作曲家アーダルベルト・ケラーに依頼している。

また、彼ははどうやらオポチュニスト(迎合主義者)な一面を持ち合わせていたようだ。革命のときには、革命関連のパンフレットの印刷を請け負い、ベルリンの風刺雑誌Berliner Krakehlerも印刷。これにリトファス自身も匿名で記事を執筆している。そうかと思うと、逆に検閲を称賛する記事も書いている。彼が意見を変える理由には、革命の結果がどちらに転んでも自分の利益が得られるように、という下心が隠れていたと思われる。

柱の聖人としてたたえられる

こんな彼だが、今ではベルリンの人々に柱の聖人(Säulenheiliger)としてたたえられている。それはなぜか? 1864~71年、対デンマーク、オーストリア、フランスとの戦争期間中に、この広告塔のおかげで新聞より早くニュースを伝えることができた。人々は広告塔に集まっては戦況関連のニュースを読み、それに伴う不安などを話し合う場として重宝された。こうして、リトファスゾイレは人々に愛される存在になっていった。

現在、ドイツ国内には5万本以上のリトファスゾイレがあり、誕生から150年以上経てなお、ドイツの街の風景の一部となり続けている。


Litfaßsäuleの豆知識

本文でご紹介したスイカズラ模様以外に、アールヌーボー様式のものや、無装飾のものなど、様々なデザインが存在する。最近では、表面をアクリルガラスで覆い、ライトアップさせたり、回転させたりする最新型も増えてきている。

1. 内部空間の様々な活用方法

街の掃除用具倉庫、地下の空調、券売機や公衆トイレ、などとして活用されている。ニュルンベルクの旧市街にもトイレが2015年11月25日オープンした。バイエルン州では初である。利用料金は50セント。便器が自動的に壁に収納され、消毒や洗浄、乾燥する機能も備わっている。その作業に3分かかるため、次の人は待つ必要がある。室内は静かで、室温は18度に保たれてる。特に、冬は居心地がいいのだろうが、長居することは出来ず15分で引き戸が自動で開く。

当市は2018年までにさらに10基増設したいと考えている。一基の建築費用は5万ユーロで、1㎡あたりで考えるとニュルンベルクで一番高い建築物といえるのではないだろうか。

2. 記念グッズ

記念グッズ

3. パリの広告塔

パリでは、1868年にモリス広告塔(Colonne Morris)の設置が始まった。ベルリンと同様に、無秩序に広告が貼られ、美観が損なわれていた。それを解消するために、出版者のガブリエル・モリスが広告塔の設置を実現した。2006年にはパリ市内に773基あったが、パリ市の広告禁止令が出てからは550基までに減った。そのうち、18基は電話ボックス、6基は公衆トイレとして活用されている。

用語解説

エルンスト・テオドール・アマンドゥス・リトファス
Ernst Theodor Amandus Litfaß
(1816-1874)

ベルリンの印刷業者。ユダヤ人の血を引くが、宗教にはあまりこだわりがない。若い頃は継父の印刷会社を継ぐ意志はなく、俳優を夢見ていたが、継父に反対され家出。2年ほど俳優として各地を巡業した後、会社を継ぎたいと思うようになる。その後、結婚。プロイセンの宮廷の人々と交流を図り、重用されることを願ったが、残念ながら最後まで叶うことはなかった。

<参考>
■ Reklamekönig Ernst Litfaß, Der Mann mit den 50.000
Denkmälern (Spiegel Online 11.02.2016)
■König aus dem Mittelstand(Jüdische Allgemeine 05.01.2006)
■ 20-Euro-Gedenkmünze „200. Geburtstag Ernst Litfaß“ Bundesministerium der Finanzen 11.11.2015)
■ Litfaß-Toilette eröffnet: "Ab heute ist freies Schießen" (Nordbayern.de 25.11.2015)
■ Fachverband Außenwerbung www.faw-ev.de
■ リトファスゾイレ、Litfaßsäule、Colonne Morris、その他

筧 美恵子(かけひ・みえこ) 大学卒業後、婦人服のパタンナーとなる。その後一転し、電機メーカーにて主に輸出関連業務に10年間携わる。その頃からドイツとの馴染みが深い。2006年4月からニュルンベルク在住。幅広い視野を持って、分かりやすい記事の発信を目指す。健康のため、ジムで筋力トレーニングに日々励んでいる。

 

 
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