ヨーロッパと不正咬合の遺伝にまつわる話
日本とドイツでは不正咬合(ふせいこうごう/歯並びの問題)の種類が大きく異なることは、 同コラム(1002号)で以前もお伝えしました。ドイツで明らかに症例が多いのは、過蓋咬合(かがいこうごう/上の前歯が下の前歯を完全に覆う状態)と呼ばれる過剰に深い咬み合わせ。過蓋咬合は深刻な症状の一つなのですが、見た目には分かりにくいことから、「ドイツ人は歯並びが良い」という印象を与えます。
一方、日本で多い不正咬合は下顎前突症(かがくぜんとつしょう/一般的な咬み合わせと違い、下の歯が上の歯を覆う状態)で、一般的に「受け口」と呼ばれるものです。ドイツにおける下顎前突の症例数は日本の10分の1以下で、八重歯と並んでドイツで最も少ない不正咬合の一つです。下顎前突症は下顎骨のサイズが大きい人に多く見られ、咬み合わせは下の前歯部が上の前歯より前に突出しているため、麺類やパンなどの柔らかい食べ物を咬み切ることが困難です。特に下顎骨が著しく大きい症例では、舌を上手く動かすことや唇を自然に閉じることが困難なため、発声にも悪影響を及ぼすことがあります。また下顎前突症は遺伝的要素が強いことが分かっており、下顎前突症の人は似たような咬み合わせの人が親戚の中にいることも多いのです。
下顎前突症の人の歯
さて、一般的に下顎前突症が少ないヨーロッパですが、実は世界中の歯科医学書に記載されるほど有名な下顎前突家系の歴史が、隣国オーストリアにあることは意外と知られていません。
その家系とは、かつてヨーロッパを数百年もの長い間支配していた「ハプスブルク家」。彼らが栄華を誇っていた時代にはもちろん写真やレントゲンはまだ発明されておらず、また遺骨を研究した報告もないため科学的な実証は難しいのですが、その当時に描かれた一家の肖像画から、少なくとも44人が下顎前突であったと考えられています。また、その当時は病気などで幼少期に亡くなることも多かったため、実際にはもっと多かった可能性もあります。1500 年代初期に、ハプスブルク家の歴史の中でも絶頂期の王位継承者だったカール5世については「極端な受け口のため唇は常に開いていて、咬み合わせが悪いために食事も困難だった」との記録が残っています。
カール5世(神聖ローマ皇帝)の肖像画
下顎前突症が少ないヨーロッパで、ここまで異常とも言えるほどの頻度で下顎が大きな人がいたのには理由があります。もともとハプスブルク家は今から約1000年前に現在のスイスのバーゼル近郊を発祥としていますが、婚姻政策などを介して次第に勢力を拡大し、1200年代半ば頃から本拠地をオーストリアに移していきました。そして1500年頃には「太陽の沈まない国」と言われるほどその地位を盤石なものとしたのですが、その当時ハプスブルク家がもっとも恐れたのが権力や財産の流出でした。そこで彼らが頻繁に行った対策は「親族内結婚」。長年に渡って叔父と姪、従兄妹同士の結婚などが繰り返された結果、下顎前突・末端肥大症・てんかん・知的障害など身体的にさまざまな障害を抱える子孫が生まれたのです。特に1400年代後半にオーストリアの本家から分かれたスペインのハプスブルク家はその傾向がさらに強く、家内での乳児死亡率はその当時の農村部よりも高く、約200年後に後継ぎもなく断絶してしまいました。
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