ご先祖様と歯の話
歯科相談や診療の際に、患者さんから「今の子供は柔らかいものばかり食べているので、昔に比べて歯や顎が弱くなっているのではないか」という質問をよく受けます。
確かに、ハンバーガーやフライドチキン、ラーメン、カレーライスといった柔らかそうな食べ物が氾濫する現代では、なんとなく「そうかもしれない」と思われがちです。しかし、これらは日本でかなり昔から一般的に食べられており、比較的新しい米国のハンバーガーやフライドチキンのチェーン店も、すでに1970年代初頭に日本へ進出。また、中華街から広まったラーメンは大正時代には一般に普及し、カレーライスは明治時代に英国海軍に倣って日本海軍でも兵食として採用されたことから始まり、昭和20(1945) 年代から国民食として食卓に上がるようになりました。
日本の食事は少なくとも、この百年で「食べ物が極端に柔らかくなった」ということはなく、食物の柔らかさが原因で歯や顎が弱くなったということもないのです。
むしろ、口腔衛生の意識の高まりから、1980年代後半から子供たちの虫歯は急減。また虫歯による抜歯が要因の不正咬合も少なくなり、全体としては歯や顎の状態は良くなっていると言えるのです。
私たちの祖父、さらにそのまた祖父くらいの世代では、それほど現代と顎の形は変わりませんが、日本の歴史を振り返ると、「縄文時代」「弥生時代」「江戸時代」といった千年単位の歴史の中では明らかに違っています。しかし、そうすると顎だけではなく頭や眼窩(がんか)の形など、顔面頭蓋(とうがい)全体の形態に大きな違いが見られるため、ただ単に環境や食事が要因ではなく、中国や朝鮮半島から渡来してきた人たちとの混血によって、このような変化がもたらされたと考えられています。
ところで、写真も記録も残っていない大昔は、私たちの祖先はどのようなものを食べていたのでしょうか?
一般的には発掘物から、その当時食べられていたであろう木の実や動物の骨などの発見から、また遺骨があれば、歯の擦り減り具合から、食べ物の種類や硬さなどを推察します。しかし、食糧の全てが化石や残留物として土の中に埋まっているわけではなく、むしろ完全になくなってしまうことも多いため充分な情報を得られません。
ところが最近、簡単でもっと確実に、古代人の食事や生活を知る方法が報告されました。これはオクラホマ大学の考古学教授(まだ40代の女性!)による研究で、なんと古代人の「歯石」からさまざまな情報を取り出すのです。
歯石は人がまだ生きているうちから歯垢が固まって、歯の表面に強固に付着したもの。最初は細菌や食べかすが唾液と混ざった歯垢の状態ですが、それを歯磨きや口腔クリーニングで取り除かなければ、唾液に含まれるミネラル成分によって固まり、何層にも重なっていきます。そのため歯石の中には琥珀の中の虫のように、細菌や食べ物、またヒトのDNAなどが閉じ込められているのです。
一般的に古い骨からDNAを抽出する場合、その骨や歯を砕いて粉末にしますが、この方法ではせっかくの貴重な資料が1回きりで失われてしまいます。そこで彼女は試しに歯石を削り取って、DNA解析装置にかけてみたのですが、最初はエラーメッセージが出てがっかりしたそうです。しかしこれは歯石に含まれるDNAが多すぎたことが原因だったそうで、実は歯石は「古代人のDNAの宝」だったのです。
現代人にとって口腔衛生の天敵とも言える歯石ですが、この歯石が古代ロマンを掻き立てるとは不思議なものです。