第8回記録しなければ忘れ去られる 人々の小さな物語
Takashi Kunimoto国本 隆史さん
神戸のコミュニティーメディアで働いた後、2012年ドイツへ移住。現在ブラウンシュバイクで、ドキュメンタリーを中心に映像制作を行っている。三児の父。本誌連載「私の街のレポーター」では、ハノーファー地域のレポートを担当。https://takashikunimoto.net
日記のようにつづった短歌
普段は、社会学的な関心があるのでルポやドキュメンタリーを読んだりすることが多く、気分によっては小説を手に取ったりしています。1冊目に選んだ『豆腐屋の四季』は、著者の松下竜一さん自身のお話。彼は家庭の事情で30歳の時に家業の豆腐屋を継ぎました。豆腐屋は、朝早く起きて夜早く寝るので、遊びにも行けない。それに最初の頃は豆腐もうまく作れず、いびつな豆腐ができてしまったり。そんな毎日を短歌や短い文章でつづったのがこの本です。僕自身、ドイツで映像制作を行うなかで、身の回りの出来事を日記のような形で撮りためて作品にすることが自分のスタイルとなってきました。その意味では、松下さんの作品制作とシンクロする部分があると思います。
登場する短歌は、愚痴やいじいじとしたものが多いです。ほかにも、短歌を新聞に投稿して高評価を受けたときに、それをずっと読み返したり、幼い頃に亡くなった母を恋しく思ったりと、彼が作品を作る原動力は怒りや寂しさなのです。豆腐屋という職業を通じて人生を見返しながら、短歌として昇華していく。この人の日常の切り取り方には、感情的にも人生の重み的にも深さを感じます。
世代を超えて受け継がれる歴史
2冊目の『一万年の旅路』も、日記的な視点で読める本。ネイティブ・アメリカンのイロコイ族の間では、アジアからベーリング陸橋を超えて、北米大陸に渡った歴史が口承で受け継がれています。著者はその末裔で、自分の祖父と父から、語り手になるための訓練を受けてきました。シベリアからアラスカに海を渡るときのことや、あそこにオオカミがいるから危険だとか、あそこに食べ物があるとか、語りの中に知恵や情報が詰まっています。
また、例えばわれわれの世代では、曽祖父のことを知らない人が多いかもしれません。写真では見たことがあるけれど、どんな人で何をしていたかを詳しく知ることはできない。だからこそ、イロコイ族の人々が何世代も前の祖先の話を聞けるのがうらやましいですし、一族が焚き火を囲んで歌いながら紡いできた長い歴史を、一冊の本にまとめたというのは本当にすごいことですね。
誰かの物語に寄り添うこと
『忘れられた日本人』は、民俗学者の宮本常一さんが日本のさまざまな農漁村を歩き回り、そこでの暮らしや、辺境に生きるマイノリティーの人々の話を聞き残したもの。宮本さんが話を聞かなければ、彼らの人生が保存されることはなかっただろうし、細部にわたる描写がとても興味深いです。
一方で、この本で僕が憧れたのは宮本さん自身よりも、彼のおじいさん。宮本家は瀬戸内海の周防大島の出身で、当時、島の外はまるで外国のように違う世界でした。おじいさんは「世間師」といって、島から出稼ぎでさまざまな地域へ行き、島の外で見聞きしたことを島の人に聞かせていました。同様に世間師だった宮本さんの父も、15歳の息子を島から送り出すとき、これだけは忘れるなと10箇条のメモを取らせます。新しい土地を良く知るためには高いところへ登って見渡してみること、駅やバス乗り場で人々の服装を観察すること、お金に余裕があればその土地の名物や料理を食べること……。自分の経験や知恵を子どもや孫に伝えていく姿が面白く、自分も「世間師」みたいな存在になりたいなぁと思いました。
おすすめの3冊はコチラ
『豆腐屋の四季 ある青春の記録』
松下竜一 著
講談社文芸文庫
「泥のごときできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん」。1960年代、30歳にして家業の豆腐屋を継いだ筆者。日々の労働に明け暮れ、どん底の生活から噴き上げる感情を、短歌と散文でつづる。
『1万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史』
ポーラ・アンダーウッド 著
翔泳社
北米大陸に住むネイティヴ・アメリカンのイロコイ族は、彼らがアジアから北米に渡り、定住するまでの歴史を口承によって受け継いできた。同族の系譜を引く著者が、1万年の物語を文字に書き起こした一冊。
『忘れられた日本人』
宮本常一 著
岩波書店
柳田国男や渋沢敬三の下で民俗学を学び、日本各地を旅して民間伝承を聞き集めた宮本常一。記録しなければあっという間に忘れられてしまうような、しかし生き生きとした日本の農漁村の人々と習俗が収められている。