第9回女性たちが書き留めた強くて美しい言葉
Yuko Kasekiカセキ ユウコさん
ベルリン在住。舞踏の師匠である故古川あんず氏を追いかけ、91年に渡独。ブラウンシュヴァイク芸術大学パフォーミングアーツ科に在籍した。舞踏をよりどころに、テキストや音楽、現代美術など、さまざまな分野と交わりながらパフォーマンスを行っている。
https://www.cokaseki.com/
掘り起こされた美しい言葉
私は紙の本でないと読めないタイプです。かさ張るけれど、「消えてしまわない文字」というのがいいですよね。1冊目に紹介する『苦海浄土』は、水俣出身の石牟礼道子さんが、公害によって苦しむ故郷の人々に寄り添って書いた作品。彼女は水俣病の被害者をサポートし、患者やその家族の声に耳を傾けてきました。まるでシャーマンのように人々の感情を掘り起こせる人で、水俣弁でつづられたそれらの言葉は、心の底から出てくるような美しさ。とても肉感的で、私には舞踏のようにも感じられました。一方で患者の被害、チッソの対応、裁判の状況を克明に記している素晴らしいドキュメンテーションだと思います。
自然が美しい場所は、住人が少なく経済基盤も弱いことから、工場や原発などを誘致することが多い。それがやがて公害や災害につながる、ということが歴史上何度も繰り返されてきました。この本でつづられている弱者に対する思い、故郷が汚されたことへの思いに、強く胸を打たれます。
小さな声の中にある真実
『戦争は女の顔をしていない』は、第二次世界大戦で従軍したソ連の女性たち500人以上のインタビューをまとめた本です。死ぬ思いで戦ったのに、戦争が終わって国に戻ると、男たちが英雄となった一方で、女たちは冷ややかな目で見られました。傷をひた隠しにしてきた彼女たちの言葉は、語ることが躊ためら躇われるほど辛いものですが、著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんは、彼女たちの迷いも含めて、言葉がころっと出てきた瞬間をすくい上げています。戦争に関するニュースを見ると、どういう爆弾を使ったか、何人が亡くなったか、どんな不況が来るか……そんな話が多いですよね。でも本当は、聞かれることのない小さな声の中に真実があるのではないかと思うんです。
以前、『苦海浄土』とアレクシエーヴィチさんのもう一つの名著『チェルノブイルの祈り』をモチーフに、ドイツ人パフォーマーとパフォーマンスを行いました。私は言葉に不自由だから踊りを始めたようなもので、いつも言葉の強さに憧れます。彼女たちが書き留めた切実な言葉を、踊りを通して「体に移す」ことを続けていきたいです。
ミソジニーから考える日本社会
3冊目の『女ぎらい』を読んだのは、日本に帰ったときに、女性たちの討論番組を観たのがきっかけでした。上野千鶴子さんが出演していて、女性に対する問題について説明する際に、相手が理解しやすいような提案や、ナビゲートするような話し方をしていて。それで興味を持って同書を読んでみたら、何となくモヤモヤしていたことを言語化してくれていて、とても勉強になりました。
上野さんは女性の地位や力について語るとき、まずは「ミソジニー」(女性嫌悪)に向き合い、その葛藤を引き受けなければならないといいます。私は日本を離れて30年くらいですが、自分が日本的なミソジニーから自由かというとそうでもないし、それに加担している部分もあるかもしれない。それをどう変えていけるか、考えていきたいなと。この本で特に印象に残ったのが、「『私』とは、常に中途半端な過渡的な時代の産物だ。過去の自分は他者だ。未来の自分は他者だ」という言葉。これからも女性の言葉を読み、体現し、「自分の他者」を探していきたいなと思う今日このごろです。
おすすめの3冊はコチラ
新装版 苦界浄土
石牟礼道子 著
講談社
熊本県の水俣湾に排出された工業廃水によって生じた「水俣病」。水俣に育った著者は、患者やその家族の苦しみや悲しみに寄り添った。悲惨な状況にありながらも水俣に生きる人々の無垢な心情が、生命の美しさを物語る。
戦争は女の顔をしていない
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著
岩波書店
旧ソ連では、第二次世界大戦中に100万人以上の女性が兵士として戦った。しかし戦後、彼女たちは自らの戦争体験を隠して生きてきた。元従軍女性たちのインタビューを通して、戦争の姿が見えてくる。
女ぎらい ニッポンのミソジニー
上野千鶴子 著
朝日新聞出版
「ミソジニー」は、男にとっては「女性嫌悪」、女にとっては「自己嫌悪」。日本のジェンダー研究のパイオニアである著者が、現代社会の事象や文学作品を取り上げながら、日本社会の「生きづらさ」をひも解く。