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水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

62. ゴッホ①:ヌエネンからアントワープへ

ゴッホも描いたヌエネンの民家
ゴッホも描いたヌエネンの民家

フィンセント・ファン・ゴッホゆかりの地として知られる、オランダ南部の街ヌエネン。父親が牧師をしていたこの街で、ゴッホは画家になりたい思いを父親から渋々許されるようになります。ここでは、農民や労働者の肖像画をたくさん描いていますが、集大成としての代表作は何といっても「ジャガイモを食べる人々」でしょう。しかし、そのモデルの1人だった娘さんとのよからぬ噂が立ったり、父親が亡くなったこともあり、ヌエネンには居づらくなってしまいました。

この地で描かれた最後の絵は、「開かれた聖書の静物画」と題されています。カルヴァン派というキリスト教のなかでも厳格な宗派だったゴッホの父。自らもその精神を受け継ぎ伝道師として働いたことがありますが、彼の極端なまでの言動に皆からそっぽを向かれ挫折します。ゴッホはこの絵で、父親や聖職者として生きることに対しての決別を表現しているのです。聖書の脇に、キリスト教の象徴の1つでもある燭台がありますが、ろうそくの火は消えています。机の手前にはゾラの小説『生きる歓び』があり、この小説には聖書の教えとは対極の自由に生きる世界観が描かれていて、画家として決意表明しているようです。

もがくゴッホに対し、すでに経済的に彼を援助していた弟のテオからアントワープの王立芸術アカデミーへ行くことをすすめられます。ここで学び始めたゴッホはアカデミックな技法をみっちり教えられ、初めて見るルーベンスの絵からは、オランダの画家たちよりもずっと明るく力強い作風に感銘を受けています。あの『フランダースの犬』にも登場する大聖堂に飾られている「祭壇画」も見たのかもしれません。

しかし、ここでのゴッホの生活もひどいものでした。絵には没頭していたようですが、テオからの仕送りのほとんどは画材とモデル代、タバコそしてアブサン(薬草系リキュールで毒性があり、現在では製造禁止)に消え、冷たいパン以外はほとんど食べていなかったようです。そんななか、パリにいたテオに宛てた手紙で、何度も「パリへ行きたい……」と伝えていますが、テオは難色を示しています。そりゃ、今やゴッホといえば美術史上燦然(さんぜん)と輝くすごい画家に違いありません。でも、もしこんな神経質な変わり者と一緒に暮らすなんてことになったら、想像をするだけでもゾッとしてしまいます。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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