63. ゴッホ②:パリ
ルピック通り近くのショップ(モンマルトル)
1833年2月、33歳のゴッホはなんの前触れもなく、パリで画廊の支店長をしていた弟のテオのアパートに突然転がり込んできました。その後、テオの懸念は的中し、ゴッホは絶えず近所の住民とトラブルを起こしてしまいます。
手狭になったこともあり、2人はモンマルトルの麓にあるルピック通り(Rue Lepic)のアパートへ引っ越しますが、なんと右隣のアパートにはドガが住んでいました。これは偶然なのかテオがわざわざここを選んだのかは分かりませんが、こんな偉大な画家が同時期、隣り合わせで住んでいたなんて考えるだけでワクワクしてきます。33歳……図らずも、私が初めてウィーンに移り住んだ年齢と同じ。これから先、何かが約束されているわけでもなく、期待と不安が交じり合った心境だったのだろうということが、手に取るように理解できます。
彼がパリに行った頃、印象派の画家たちは皆すでに大家として活躍しており、むしろ過去のスタイルになろうとしていました。自然や光を感覚的に捉えるのではなく、科学的な分析をもとに描き始めたスーラやシニャックたちが台頭し始めていたのです。
それでもパリに来た当初、ゴッホは印象派の影響を強烈に受けています。今までの絵とは見違えるほど明るくなり、タッチも短いストロークで描く割筆画法を取り入れ、ものすごい勢いで吸収していきました。この頃描いたモンマルトルの風景はまだのどかなもので、畑もあったし、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの風車の周りには建物がほとんど建っていません。
通っていたコルモン画塾ではロートレックたちとも知り合い、ここでも大いに刺激を受けたようです。彼らは毎日のように議論を交わし、新しい手法の絵画への思いを語り合っていました。そんな折、ゴッホはクリシー通りのレストランで新進気鋭の画家たちを集めた展覧会を画策します。並々ならぬ意欲で取り組み、ロートレックをはじめベルナール、そしてカリブから帰国していた当時まだ無名だったゴーギャンとも、この展覧会で知り合いました。
ゴッホが浮世絵に出会ったのもこの時期でした。彼が浮世絵から多大なる影響を受けたのは、よく知られていますが、その思いがなぜかプロヴァンスへと向けられて行きます。