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水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

75. ベートーヴェン・イヤー④:パスクァラティ・ハウス

パスクァラティ・ハウス裏にあるシューベルト・ストゥーベ
パスクァラティ・ハウス裏にあるシューベルト・ストゥーベ

「パスクァラティ・ハウス」は、ベートーヴェン・ミュージアムとして公開されている建物の一つで、ウィーン大学の向かいに立っています。ウィーン中心部を取り巻く環状路沿いの、かつて城壁があった土塁の上に堂々とそびえ、まるでベートーヴェンの偉業を示すかのようです。

この家はもともと彼のパトロンの一人であるパスクァラティ氏が所有していたため、彼の名にちなんで「パスクァラティ・ハウス」と呼ばれています。ベートーヴェンは最上階の部屋に住んでいました。引越し魔の彼ですが、このアパートには1804年からの4年間と、1810年から4年間の合計8年間、生涯で1番長く住んだそうです。

この時代はまだウィーン大学も建っていませんでしたし、ベートーヴェンが住んでいたのは角部屋なので、窓からは遠くまで見渡すことができたでしょう。彼はここでの生活が気に入っていたようです。また、難聴を抱えた生活に慣れたのか、あるいはもはや開き直ったのか、ピアノの弦に差し込んだ板を噛み、脳にその響きを伝え音を感じ取るという超人的な作曲方法を編み出しました。それは、生来の頑固さと誇りが成しえたものなのでしょうか……。

ベートーヴェンがこの家に住んでいた時期は、作曲家としての成熟期でもあり、多くの名曲が生まれました。そのため、この期間はベートーヴェンの「名作の森時代」といわれています。最初に住んだ4年間では交響曲第4番と第5番、ピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリン協奏曲、そしてオペラ「フィデリオ」と名作の嵐です。2度目にこの家に住んでいた時も、交響曲第7番や第8番、それに「エリーゼのために」を作曲しました。

ベートーヴェンの音楽といえば「激しい」という印象を持たれていますが、それは前へ前へと進む力が希望すら感じさせてくれるからでしょう。しかも決して乱暴な表現ではなく、抑制が効いていて品格が保たれています。それは彼の自尊心からくる高貴さなのではないでしょうか。

昔、イタリアの名指揮者だったカルロ・マリア・ジュリーニ氏が、あるインタビューで「音楽には喜怒哀楽の全ての感情が表現されているが、どれ一つとして嫌な感情は入っていない」とおっしゃっていました。作曲家の純粋な心のフィルターを通して生まれた音楽からは、おのずと邪悪な部分は取り除かれるのでしょうね。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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