85. 指揮者カルロス・クライバーさんのこと②
臨時の演奏会があったケルンのフィルハーモニーと大聖堂
東京に住んでいたある日、仕事から帰って来ると大音量でヴェルディの「椿姫」が流れていました。少し前に発売されたカルロス・クライバーの演奏です。しばらく前に聴いたクライバー指揮の「オテロ」がよほど晴らしかったようで、それ以来、妻はすっかり彼の虜になっていました。
その後、欧州に住むようになり、ここだったらクライバーを聴く機会も多いだろうと思っていました。当時はインターネットも無いので、演奏会の情報は音楽雑誌か、ベルリンとウィーンの知り合いが送ってくれる数カ月分の演奏会スケジュールが頼り。さらに「Konzert-Almanach」という年鑑を購入して欧州中の演奏会を探すものの、何年もクライバーの名は出てきませんでした。
その頃から、「クライバーは精神的に病んでいるのでは」と噂されていました。やっと演奏会が決まっても、ドタキャンを繰り返しています。録音現場に居合わせた人によると、彼は何度も「ここはエーリッヒだったら、どうしただろうな」とつぶやいたそう。事実、彼は大指揮者である父のエーリッヒが指示を書き込んだ楽譜しか使わず、そのためレパートリーは極端に少なかったのです。
そんなある夜、家の前に立っている広告塔を通りかかりました。暗かったのですが、「Carlos」 と書かれており、その後に「Kleiber」 と続いているではありませんか! 調べてみると、この演奏会は急遽決まったとのこと。もともと予定されていた演奏会はそのままで、終演後の夜11時からクライバーの演奏会が始まるというのです。
さっそく妻に話すと、「へぇ、ありがとう! 」と大喜び。そう、この頃は子どもたちがまだ小さく、出かける時はどちらかが留守番しなければなりませんでした。演目はモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」と、ブラームスの交響曲第2番。あぁ、また妻にクライバーを取られてしまった……。
その後、数カ月の間に別の演奏会でもブラームスの2番が立て続けに取り上げられていました。ズービン・メータの指揮でイスラエル・フィル、そしてとどめはリッカルド・ムーティの指揮でウィーン・フィル。歌に溢れた、それは素晴らしい演奏でした。この時は一緒に聴きに行った妻に「良い演奏だったね」と向けたところ、「まぁ良かったけど、クライバーに比べたら」とつれない返事。そりゃ、クライバーという「切り札」を出されては、応酬の仕様がありませんでした。