91. ピアニスト、サンソン・フランソワさんのこと
ディナンの坂道(ブルターニュ)
フランソワさんとの出会いは、唐突にやってきました。私がまだ高校生の時、幼馴染のお父さんがどこかでもらったらしく、「2人で行ってきたら?」とチケットをくれました。その頃、私はやっとクラシック音楽に興味を持ち始めたころで、フランソワのことなど全く知りませんでしたし、聴いていた音楽もオーケストラがほとんどで、ピアノ演奏のことなど無知に等しい状況でした。
そのため、コンサートの演目が何だったかは全く覚えていません。ただ、ミーハーだったので、終演後には楽屋へサインをもらいに行きました。当日のプログラム(淡いエメラルドグリーンのフェルト地で、これはよく覚えています)を差し出すと、表紙の裏にサインをしてくれました。しかも手を差し伸べて、握手までしてくれたのです。差し出された手は私と変わらないくらいの大きさで、「ピアニストにしては小さいな!」と感じました。ところが握った瞬間、その手は驚くほど分厚く、まるで丸太のようで、その感覚は今でも脳裏に刻まれています。
その後、年齢を重ねていくなかでピアノ演奏へも興味が沸き、ちょっとずつ演奏の違いや良し悪しも分かるようになりました。ある時ラジオから偶然、ショパンのソナタの3番が流れてきました。テンポも自由に揺れ動くし、今まで聴いたことがないような、怪しげで独特の雰囲気を醸し出しています。「これは面白い演奏だな」と調べたところ、フランソワの演奏でした。それをきっかけに興味が湧き、ショパンをはじめ、ドビュッシーやラヴェルの演奏を片っ端から聴き出しました。
どれも自由な解釈で、テンポは揺れ動くし、ゾクッとするような寂びが利いていて、すっかり虜になってしまいました。ちょっと哀愁を帯びた独特の崩れた雰囲気は、まるで辛い人生を送ってきた酔っぱらいの演奏のようにも感じられます。そう、事実彼は、ものすごいヘビースモーカーで、酒は浴びるように飲んでいたそうです。それでもこの独特の芸術性は、誰にも真似することができない世界観でした。
彼は10年ほどかけて進行されていたドビュッシーの全集録音の最中に、前奏曲の最後の1曲を残して、突然心臓発作で46歳という若さで亡くなってしまいました。私が彼の演奏を聴けたのはたった1回きり。もう少し音楽が分かってきたころに生で聴きたかったものです。