94. シューベルトは生粋のウィーンっ子
シューベルトの生家
ウィーンといえば、「音楽の都」が代名詞です。その理由は、ほかに類を見ないほど多くの大作曲家が何代にもわたってこの地で活躍したからです。古くはハイドンからモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、ヴォルフ、シェーンベルクなど、枚挙にいとまがありません。
しかし、これだけ多くの作曲家がウィーンに住んでいたにもかかわらず、生粋のウィーンっ子はシューベルトたった一人です。気が弱く優しかったといわれる彼の音楽には、激しい箇所がほとんど見当たりません。怒りを表現しているところもあるのですが、やや控えめにアタックされます。
彼の有名な「未完成交響曲」でも、1楽章でサラサラと舞う落ち葉のような表現を淡々と奏で甘美なメロディーが続きますが、そのうち辛かったことや悲しかったことなどが思い出され、それを断ち切るかのようにジャ~ン、ジャ~、ジャ、ジャンと刻まれます。しかし、決して刺激的ではなく慎ましい表現です。
31歳という早世ながら、彼の作品はピアノ曲をはじめ室内楽や交響曲、そして宗教音楽まで幅広いジャンルにまたがっています。そんなシューベルトの最大の功績は、何といっても「歌曲」でしょう。彼は天性のメロディーメーカーで、歩いているだけでもそのテンポや雰囲気から次から次へとメロディーが浮かんできたといいます。「美しき水車小屋の娘」、「冬の旅」、「白鳥の歌」をはじめ、何と600曲以上の歌曲を作曲しました。
ある時、シューベルトが田舎道を散歩していると、庭先から洗濯をする女性の歌声が聴こえてきたそうです。きれいな歌だったので、彼が「それは誰の歌ですか?」とその女性に尋ねたところ、彼女は目をパチクリさせながら彼を指差して「あ、あなたですよ!」と答えたという、彼の多作ぶりを象徴するエピソードも残っています。
貧しいながら仲間に恵まれた彼は、「シューベルティアーデ」と呼ばれる音楽サロンのような集まりで、多くの友人と交流しました。ただ唯一叶えられなかったのは、恋人の存在です。もし彼の恋が成就し、結婚、そして子どもが生まれて幸せな家庭を築いていたら、そんな名曲の数々は生まれなかっただろうといわれています。憧れはそのまま遠い所で夢として残っている方が、きれいな思い出だけが膨らんでいくのでしょうね……。