95. メードリングのシューベルト
メードリングのシューベルト
「Am Brunnen vor dem Tore, Da steht ein Lindenbaum」(門の前の泉のほとり、そびえる1本の菩提樹)で始まるこの歌は、シューベルトが最晩年に作曲した歌曲集「冬の旅」の5曲目です。日本では、「菩提樹(ぼだいじゅ)」のタイトルでよく知られています。最晩年といっても、シューベルトは31歳で亡くなっていますので、まだまだ青年といっても差し支えのない年齢でした。
この曲でシューベルトが描いた菩提樹が、今も現存しています。彼が実際に見た菩提樹は雷に打たれて倒れてしまったため、現在は後から植えられた2代目です。場所は、ウィーンの南へ6~7キロほど行った、メードリングという小さな街外れのヒンターブリュールという地区で、ヘンドリッヒと名の付いた水車小屋です。シューベルトが訪れた頃は水車小屋だった所ですが、現在もその知名度にあやかって大きなホテル・レストランになっています。
実際に行って見ると、門の前には泉(井戸)があって、すぐそばに堂々とした菩提樹がそびえ立ち、もう笑いが出るほど歌詞の通りです。もっとも、歌詞のオリジナルはドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの詩集で、おそらく彼が住んでいたデッサウ辺りの菩提樹をイメージしています。シューベルトとほぼ同時代に生き、やはり33歳で亡くなっている彼から、シューベルトは同じようなインスピレーションを受けたのでしょうね。
ここからほど近くにゼー・グロッテという欧州最大の地底湖があり、音楽ファン以外にはこちらの方が知名度が高いようです。もともとは石こうの採掘場だったそうで、戦時中はナチスがジェット機開発の秘密工場として使っていました。現在は、試作ジェット機のモデルが坑内に展示されています。また湖は岩盤から漏れ出した雨水などが溜まってできたもので、広大で迷路のような地底湖を観光ボートで巡ることができます。
帰路に着くべく、メードリングの街へと戻って行きました。そばを流れている小川も、先ほどまでの自然な姿からコンクリートの疎水へと変わります。それでも水は透明できれいなまま。そこにサッと素早く動く影を見かけました。静かに近づくと……それはシューベルトの歌曲にもあるマスでした! ゆったりと泳いでいると思いきや、エサを見つけたときの素早い身の動き。その様子は、彼のピアノ五重奏曲「鱒」でも表現されています。