109. ヘルベルト・フォン・カラヤンさんの思い出
カラヤンの出身地、ザルツブルク
長年、音楽界の帝王として君臨されたヘルベルト・フォン・カラヤンさんのことは、音楽に興味のない人でも知っているほどでしょう。彼の生演奏に接したのは、1970年の大阪万博の際に来日され、ベートーヴェンの交響曲全曲の演奏会をされたときのこと。私はそのうち第4番と第7番の演奏会を聴くことができました。当時、カラヤンさんとベルリン・フィルは頂点ともいえる状態で、その一糸乱れぬアンサンブルに舌を巻きました。
その後、私はウィーンに住むようになったのですが、彼は精霊降臨祭(Pfingsten)に毎年ウィーン・フィルとの演奏会をしていました。彼の演奏会が迫っていたあるとき、会場の楽友協会から道路を挟んで建っているインペリアル・ホテルのカフェへ出向きました。一番奥の席に着くと、前に置いてあるグランド・ピアノの向こうが何だか明るく見えます。な、なんとそこにはカラヤンさんがご機嫌うるわしく、後光を放ちながら歓談されているではありませんか。お邪魔をしてはいけないと思い、なるべく見ないように心がけていました。そして帰り際、前を通るときに軽く会釈をしたら、こちらを凝視して大きく3度うなずいてくれました。
その数日後の演奏会では、ブラームスの「ドイチェス・レクイエム」が演奏されました。カラヤンさんはゆっくりとした歩みで登場されましたが、顔も晴れやかで、相変わらず後光も射しておられます。静かに慈しむようなオーケストラの前奏に導かれるように、「Selig sind, die da Leid tragen」(幸いなるかな、悲しみを抱くものは)と合唱によって歌い始められましたが、まるで天上からの響きのような神々しさです。
続いて、重々しい足取りで2曲目に入りました。「Denn alles Fleisch, es ist wie Gras」(肉(人)はみな、草のごとく)と歌われ、後半に入ったころであちこちから鼻をかむ音が聞こえてきます。「6月で暖かいにもかかわらず、風邪をひいている人が多いのかな。まぁ、お年寄りが多いので仕方がないか」と思いつつも、あまりにも多いので辺りを見回したところ、大勢の人たちが泣いているのです。オペラでは時々泣いている人も見かけますが、オーケストラの演奏会でこれだけの人が泣いている状況を経験したのは、この時だけでした。