14. オーヴェルを訪ねて 2
オーヴェルの古い家並み
ゴッホの終焉の地、パリ北西に位置する町オーヴェル=シュル=オワーズ。駅から小高い丘へと続く緩やかな坂道を上って行くと、その途中にあの教会が目の前に現れます。あの教会とは、ゴッホが描いた「オーヴェルの教会」、Eglise Notre-Dame d'Auversです。
教会に着くやいなや、私はゴッホが描いた教会の裏側へと回りました。裏庭は絵から想像していたほど広くなく、また、道路を挟んで石塀も迫っており、いったい彼はどこに座ってあの絵を描いたのだろうと思い巡らしました。
その上、当然のことながら、本物の教会は描かれた絵のように歪んでもいません。またあの絵には、故郷への郷愁から、オランダの民族衣装をまとった婦人の姿を描き加えたともいわれていますが、そんな婦人が歩いているわけもありません。
教会は、どこにでもあるようなごく普通のカトリック教会の建物です。これを、あのような名画に仕上げてしまう画家の才能、色も形も自由な発想で描いてしまう創造力には、改めて感心させられました。
しばらく教会をあちらこちらから眺めた後、続く坂道をさらに上って行きました。木々の茂った道を抜けると途端に視界が開け、なだらかな丘陵に畑が広がっています。そうです、ここは、あの有名な麦畑の絵の連作が描かれた場所です。実際に畑を目にしてみると、やはり描かれた絵のようにはうねっていません。あの連作の絵に見る畑は、彼の異常なまでの熱い思いによって、別次元の生命を与えられているかのようです。黄金色に輝く麦や、冴え冴えとした青緑色の麦。季節や天気によって表情を変える麦にさえも、彼の鋭い観察眼や観念が凝縮されているのでしょう。
1890年7月27日。この場所でピストル自殺を図ったといわれていますが、それが自殺だったのか事故だったのか、不可解なことが多く、いまだに真相は解明されていません。
畑越しには、遠くに墓地らしき白壁が見えています。ゴッホはそこに、当時は絵が1枚も売れなかったにもかかわらず、彼の才能をいち早く見抜いて最高の画材を与え続け、1年後に後を追うように亡くなった画商、弟テオと、隣り合わせで静かに眠っています。(次回に続く)