ジャパンダイジェスト

水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

16. オーヴェルを訪ねて 4

16. オーヴェルを訪ねて 4

首吊りの家から
首吊りの家から

ゴッホがここオーヴェルへやって来たのは、印象派画家のカミーユ・ピサロに紹介された、精神科医ポール・ガシェ医師の勧めからでした。そして現在は、画家ゴッホの終焉の地としてすっかり有名になりました。

しかし、ここへ移り住んで来た画家は、ゴッホが最初というわけではありません。絵の嗜みがあったガシェ医師をはじめ、バルビゾン派のシャルル=フランソワ・ドービニーなどは、ゴッホよりも前にこの地にやって来ています。

当初はドービニーを頼って、やはりバルビゾン派といっても差し支えのないジャン=バティスト・カミーユ・コローや、印象派の先駆けとなったピサロたちが訪れ始めました。

高低に富んだいくつもの丘を背景に、古く趣のある家並みが点在するオーヴェルは、絵の題材に溢れ、訪れる画家たちをすっかり魅了しました。あの気難しいポール・セザンヌでさえも、唯一彼が畏敬の念を抱いていたピサロの誘いに従い、やって来ています。

セザンヌはここで、初期の名作「首吊りの家(La Maison du pendu)」を描いていますが、それにしても、そのものずばりの凄いタイトルを付けたものです。しかし一説には、この家を購入した人の名前を聞き間違えたという話もあります。その描かれた場所には絵のコピーが入ったプレートが取り付けられていて、そこには、「“首吊り”の家は特定しない方が良いでしょう」という主旨の断り書きがありました。

私は長年、「ここを一度訪れたいなあ」と思っていたので、記念にスケッチを1枚。セザンヌさんと同じ位置からではあまりにも失礼と思い、坂を下った反対側から今回の絵を描いてみました。

オワーズ川を下流方面に6kmほど行くと、ポントワーズの町があります。ピサロは1972~82年にわたってここに住み、多くの名画を残しました。

印象派の時代以降も、この地にはフォーヴィズム(野獣派)の1人だったモーリス・ド・ヴラマンクなどが移り住み、1924年には、そのヴラマンクを訪ねてパリに滞在していた佐伯祐三も訪れています。

この時代の絵が好きな私にとって、オーヴェルやその近郊は、興奮が抑えきれないほどワクワクする町でした。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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