ジャパンダイジェスト

水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

30. モレ・シュル・ロアンのシスレー1

30. モレ・シュル・ロアンのシスレー1

ドーデの風車小屋
モレ・シュル・ロワンの古い家並み

私は印象派の絵が大好きなのですが、なかでもモネやセザンヌ、そして特にシスレーが好きで、こんな絵が描けたら良いなぁといつもうらやましく眺めています。

ある時、マチスが「最も印象派らしい画家は誰か?」とピサロに尋ねたところ迷うことなく、「それはシスレーだよ!」と答えたといいます。  アルフレッド・シスレー、このパリ生れの英国人画家は控えめで物静かな性格だったようです。そんな彼の性質が素直に表現された絵は穏やかで見る人に安らぎを与えてくれます。絵はほとんどが風景画で、モチーフには空やそれを映し出す水面をたくさん選んでいます。

特に空を描くのが好きだったそうで、真っ先に空から描き始めたそうです。そのためか彼の描く絵には水平線が画面の中央よりも極端に下に構成され、画面の大きなスペースを空に割り当てているものが多いです。それは一般的な構図法からすればタブーで、錯覚する癖がある人間の目には落ち着きの無い不安定な感覚を与えてしまいがちです。それでも彼の絵には大きな空を通して、どこまでも続いていきそうな空間の広がりや、その先にある何かにあこがれすら感じ取ることができます。生涯にわたり一貫してそのスタイルを変えなかった画家でした。

実家は貿易商で豊かな生活を送っていましたが普仏戦争で父の会社が倒産して以降は、援助もなくなり一転して困窮生活へと陥ってしまいます。オボッチャン育ちのおとなしい性格だったこともあり、自分を売り込むことには向かず、絵自体もインパクトが弱かったので生涯にわたり売れなかったそうです。ずっと懇願していたフランス国籍も最期まで得られることがなく、妻ウジェニーが亡くなった1年後、失意のうちに59歳という若さで亡くなってしまいました。翌年ようやく「ポール・マルリーの洪水」が高値を付け落札されたそうですが、もし彼らが生きていたらどれだけ喜んだことでしょうか。

さて、彼がこよなく愛し、晩年の10年間を過ごした街モレ・シュル・ロアンはパリから1時間ほど南に下った所にあります。彼の画家としての出発点バルビゾンからフォンテーヌブローの森の方角、ロワン川とセーヌ川が合流する辺りです。ある秋の日、この街へ訪れてみることにしました。(続く)

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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