ジャパンダイジェスト

水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

35. ヌエネンのゴッホ

35. ヌエネンのゴッホ

茅葺屋根の家(オランダ)
茅葺屋根の家(オランダ)

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は19世紀オランダのポスト印象派の画家で、後の美術に大きな影響を与えました。短くも激しく燃え尽きた生涯は、伝記本や映画にもなっていており、ご存知の方も多いと思います。

生涯に1枚しか絵が売れず、弟テオからの仕送りに頼って暮らしていたこともよく知られている事実。33歳の時にテオを頼ってパリへ赴き、当時やっと主流派の地位を築き上げていた印象派の絵画から影響を受けて、彼の絵は急に明るくなりますが、オランダやベルギーでの修業時代の絵は暗く、テーマも重苦しいものでした。

オランダ・ブラバント地方のベルギー国境に近い小さな町ズンデルトで、牧師の長男として生まれたゴッホは、生来の性格も暗く、人付き合いも良くありませんでした。高等学校時代に初めて絵の手ほどきを受けたようです。11歳の時に描いた「農場の家と納屋」(1864年)の鉛筆画が残っていて、素直な筆運びの穏やかな絵に、才能の一旦を覗のぞかせています。

16歳で叔父が経営する画商「グーピル商会」に就職しますが、事あるごとに問題を引き起こし、とうとう23歳の時に解雇されてしまいます。この頃から本格的に画家を目指し、ブリュッセルやハーグで絵の修行に打ち込みます。ところが修行中も各地でトラブルメーカーとなったゴッホは、失意のうちに父親の元に戻ってきます。

父親の新しい赴任地であるオランダの「ヌエネン」では、画家になることに反対していた父親の許しも得て、風景画を描き続けました。最も力を入れて描いたのは農民達の姿。ゴッホは、同じく牧師を父親に持つミレーから題材を始め、大きな影響を受けています。ミレーはゴッホの精神的なバックボーンでもあり、その集大成として描かれたのが「ジャガイモを食べる人々」(1885年)でした。これは習作を含め3作も描いていますが、「ジャガイモを掘った手で、ジャガイモを食べている……。顔も土で汚れたように描きたかった」と、ここに農民の労働に対する尊厳や尊さを見出しているようです。まるでミレーの「晩鐘」のように……。  ここには、ゴッホ・ミュージアム「フィンセンター(Vincentre)」があり、彼が描いた教会も残っています。それほど期待をせず出向きましたが、可愛い街並みが大いに気に入りました。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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