45. ヴィリー・ボスコフスキーさんの思い出
シェーンブリュンの噴水
ニューイヤー・コンサートは今ではお正月の風物詩としてすっかり定着していますが、ヨハン・シュトラウス2世と同じようにヴァイオリン片手に25年間も指揮を執っていたヴィリー・ボスコフスキー(1909〜1991)さんの時代に世界中の人々に親しまれるようになりました。
ところで、超大昔のある年、私は大学受験で上京していましたが結果は見事に不合格……。落胆して雪道をトボトボと帰路に就いていましたが、ふと「確か今日はウィーン・フィルでワルツの夕べがあるはずだ!」と思い浮かびました。チケット売り場は開いているかもしれないと、当てもなく会場の武道館を目指しました。しかし、ガランとした広場には人気もなく空っ風が空しく吹いているだけでした。
諦めて帰ろうとすると、何処からともなく音が聞こえてきます。恐る恐るドアを開き中へ入ってみると……な、何とリハーサルの真っ最中ではないですか! 2階席でポツリと座っていると、「そこの君、こっちへ降りてきて!」と誰かが叫んでいます。いやぁこれは叱られるのかと思ってヒヤヒヤしながら降りていくと、どうやらバイトのスタッフと間違えられたようで「これ、ステージの上に持っていって!」と、楽器を運ばされることに。
休憩に入りTVスタッフは皆帰り、私はたった1人で客席の最前列にポツリと残りました。リハーサルは続きますが、ウィーン・フィルの皆さんは和気あいあいとした雰囲気で楽しそうです。「常動曲」では途中で「und so weiter, und so weiter」と指揮者の掛け声で止まる決まりなのですが、ファゴットが造反し、パカパカ・パカパカとものの見事に吹き続いています。これには全員から喝采が起こり、大笑いとなりました。その後もポルカ「狩り」では、打楽器奏者がボスコフスキーさん目がけて銃を撃つ真似をすると、彼も胸を押さえて撃たれた格好をしていました。
リハーサルも終了しサインを恐る恐るボスコフスキーさんにお願いしましたら、ニコニコとしながら気軽に応じてくれました。握手までしてくれましたが、その時私の薬指にガチッと当たるものを感じました。ふと見るとそれは四角い立派な黒ダイヤが付いた指輪でした。
彼はスイスで亡くなりましたが、お墓はウィーンの中央墓地で眠っています。ボスコフスキーさんはやはりウィーンが良く似合います。