ジャパンダイジェスト

水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

49. バーデン・バーデンのブラームス

49. バーデン・バーデンのブラームス

湖畔
バーデン・バーデンのブラームス・ハウス

バーデン・バーデンはドイツ随一の温泉保養地として知られていますが、私の興味はブラームスの家を訪れることでした。この頃の彼は30代、既に有名な作曲家としてウィーンに住んでいたのですが、クララ・シューマンがバーデン・バーデンに滞在していた10年間にわたり、毎年5月から10月頃まで彼女に会うためにここにやって来たようです。

クララのピアニストとして腕前はシューマンと結婚する前から有名で、彼の没後は演奏家として7人の子供たちを育てていましたが、ブラームスは精神的にも経済的にもシューマン家を援助していまいた。

さて、ブラームス・ハウスがある郊外のリヒテンタールを目指しました。バス停は「ブラームス・プラッツ」と、明確です。この家はちょっと小高い所に建っていますが、かつて写真で見たことがある白い家が現れた時にはちょっとした興奮を覚えました。かの高名なドイツのピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプさんがここを訪れた際には「ここでひざまずいてから、上にあがるべきだろう!」と仰ったそうです。この家は一時、解体の危機にありましたが、世界中のブラームス・ファンが募金を募り、保存することができました。

ここでは彼の重要な作品の数々が生み出されています。主な作品では「ドイチェス・レクイエム」、それに20年以上も悩みに悩みながら作曲し続けた大作「交響曲1番」の仕上げ、そしてオーストリアのペルチャッハで作曲をしていた「交響曲2番」の仕上げも行なったそうです(いやぁ~あまりの名曲の数々に感慨深いものが込み上げてきます)。それに「ブラームスの子守唄」として有名な曲、「Lullaby」も、クララの誕生日に演奏をしたそうです(作曲家はこんな技が使えて羨ましい……)。

キッチンがあった部屋には古い写真や楽譜などが展示されています。ショーケースには小物と共にブラームスのデスマスクとクララの石膏手形などが展示されていました。クララの手形は大きくてたくましく、さすがピアニストだけあって堂々とした立派な手でした。

にぎやかに説明をしてくれていた管理人さんによると、途中にあった修道院の先にはクララが住んでいた家もあるそうで、ここも訪れてみることにしました。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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