56. セザンヌを訪ねて④:サント・ヴィクトワール山への道
エクスの農家(サント・ヴィクトワール山への途中)
セザンヌと言えば、真っ先に「サント・ヴィクトワール山」を思い浮かべます。油絵を44枚、水彩画で43枚描いたと言われていますが、一つのモチーフをこれだけ愛着を持って何枚も描き続けたのは驚異としか言えません(ほかにはモネの「睡蓮」がありますが……)。山は画家にとってはなかなか難しい題材で、技術的な問題というよりも、絵葉書のようではなく、いかに芸術性の高みを目指して描けるかにかかっています。
同じように有名な山として富士山を思い浮かべますが、この山にも愛着を注ぎ挑んだ画家たちがいます。「富嶽三十六景」で有名な葛飾北斎をはじめ、日本画の大御所、横山大観は神秘性を通じ崇高な域にまで達しています。それに日本画に絶妙なモダニズムを持ち込んだ片岡球子さんなどは、芸術としての風格と格調を与えています。セザンヌにはおそらく北斎の影響があったのかもしれません。なぜなら、富士山もサント・ヴィクトワール山も、山の稜線が長く広々とした裾野が似ているといえば似ています。
そんなセザンヌ・ファン憧れのサント・ヴィクトワール山と出会うため、彼の絵の中にも登場する館「シャトー・ノワール」を目指しました。交通手段がないので徒歩で向かいましたが、地図で確かめると街から3㎞ほどの所にシャトー・ノワールが見つかりました。道も「Route Cézanne (セザンヌ道路)」とあり、「この道をセザンヌも歩いて通ったのだ!」とますます気持ちが高まっていきました。街を出てセザンヌ道路へと入ると、松林や糸杉が点在するプロヴァンスらしい乾燥した田舎の景色が広がりました。
しかし、このセザンヌ道路は幹線道路なのか頻繁に車が走っています。道幅は4mほどと狭く、両端から50cmくらいのところに申し訳程度の線が敷かれていて、なんとか歩道と認識はできるのですが、中央線がないので車が交差するときには歩道まではみ出してきます。トラックなどが走ってくると、脇の雑草が生えている所まで逃げながらの危険歩行です。もうシャトー・ノワールまでは諦めて小高い所に見えた館への脇道へ逃れました。やっと庭先まで登り、目を上げると、おっと……目の前にあのサント・ヴィクトワール山が堂々と横たわっています。これだ!まさに絵で見たことのある風景で、まるでセザンヌの絵の中に紛れ込んだような錯覚にとらわれます。やっと出会えた憧れの風景に、しばし時を忘れて見入っていました。
帰り道、街に入る手前の石塀からサクランボの枝が飛び出しています。ヒョイとジャンプして一房手折り頬張りましたが、そのみずみずしい果汁は乾いた喉を甘く潤してくれました。