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水彩画からのぞく芸術の世界 寄り道 小貫恒夫

58. セザンヌを訪ねて⑥ レ・ローヴのアトリエ

58. セザンヌを訪ねて⑥ レ・ローヴのアトリエ

サント・ヴィクトワール山(テラン・デ・パントルからの眺め)
サント・ヴィクトワール山(テラン・デ・パントルからの眺め)

セザンヌはその知的な画風で印象派からポスト印象派の時代にかけ、押しも押されぬ最高峰の画家として知られ、ピカソをはじめ後世の画家たちに与えた影響は絶大なものでした。ところが、生前は先進性が強かったせいか、意外なことにあまり絵は売れていませんでした。

資産家だった父親からの仕送りに支えられ、内縁の妻と母親との折り合いが悪く、セザンヌは家を点々とせざるを得ないような苦労を強いられていました。そんな彼ですが、父親が他界して母親も亡くなった47歳のときに、別荘だったジャス・ド・ブッファンも売却され、膨大な遺産を相続します。

やっと経済的に余裕ができた彼は、街の北側レ・ローヴの丘への途中に念願のアトリエを構えます。この土地も父親の所有だったそうで、広大な敷地にセザンヌ自らが設計をしてアトリエが建てられました。

さあ、いよいよセザンヌの「アトリエ詣で」です。街から歩くのは上り坂だし、ちょっと遠かったので5番のバスに乗って向かいました。停留所名は「セザンヌ」と至って簡単です。下車をして街の方へと下って歩いていくのですが、通り名も「アヴェニュー・ポール・セザンヌ」と、誘ってくれます。

石塀に沿うように、そのアトリエは建っていました。建物の中へと入ると、そこには至るところに絵の中に登場するモチーフの数々が置かれています。それらはすべて彼が描いたオリジナルだそうで、にわかに気持ちが高ぶってきます。たんすや机などの調度品をはじめ、生姜壺やリンゴが入った籠などが所狭しと置かれていて、まるで彼の静物画の世界に迷い込んだような錯覚に陥ります。壁に掛けられているマントや鞄なども実際にセザンヌが着用したもので、100年以上前にもかかわらず、彼のぬくもりすら感じられます。北側の壁には幅が30cmほどで、壁いっぱいの高さの長細いドアが取り付けられていますが、これは大作「水浴」のキャンバスを出し入れするために取り付けられたそうです。

セザンヌは、このアトリエから足繁くレ・ローヴの丘にあるテラン・デ・パントルと言われている展望台へと通い、サント・ヴィクトワール山を何枚も描いています。さて、私もそのテラスへと向かうことにしました。

 
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小貫 恒夫

小貫 恒夫 Tsuneo Onuki

1950年大阪生まれ、武蔵野美術大学舞台美術専攻。在学中より舞台美術および舞台監督としてオペラやバレエの公演に多数参加。85年より博報堂ドイツにクリエイティブ・ディレクターとして勤務。各種大規模イベント、展示会のデザインおよび総合プロデュースを手掛ける傍ら、欧州各地で風景画を制作。その他、講演、執筆などの活動も行っている。
www.atelier-onuki.com
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