ジャパンダイジェスト
独断時評


完全雇用は幻想か?

日本と同じく、ドイツの政局も総選挙を中心に展開している。その中でも8月3日に、社会民主党(SPD)のフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー首相候補が行った演説は大きな注目を集めた。

シュタインマイヤー氏は「明日の雇用について」と題した演説の中で、「2020年までに400万人分の新たな雇用を創出して、完全雇用状態を実現する」と宣言したのである。経済学者の間では、失業率が4%以下の状態を完全雇用と定義している。現在の失業率は8%前後なので、SPDは失業率の半減を狙っているのだ。

シュタインマイヤー氏が失業根絶の切り札として大きな期待をかけているのが、環境保護や省エネ関連技術である。「次の産業革命の主役は、伝統的な製造業と環境保護技術を組み合わせたものである。環境保護を重視することによって、伝統的な製造業界、とくに中小企業にも大きなチャンスが巡ってくるのだ」。

ドイツ経済を支える屋台骨は、機械・化学・金属産業、とりわけ規模が小さな企業(Mittelstand)である。また世界中で、二酸化炭素など温室効果ガス削減についての関心が高まっていることから、太陽光発電、風力発電、暖房の効率化、電気自動車など環境関連技術のマーケットは急速に拡大しつつある。

SPDはこの提案によって、環境保護に強い関心を持つ市民だけでなく、伝統産業に従事する人々にもアピールしようとしているのだ。

しかし経済学者や企業経営者たちからは、シュタインマイヤー氏の野心的な構想について批判的な意見が出ている。連邦政府の諮問機関である「経済専門家会議」のヴォルフガング・フランツ議長は、「政治家が400万人分の雇用創出を一方的に目標にするのは、危険な戦略だ」と指摘。また、「雇用を創出するのは政界ではなく経済界の役目だ」として、政治家は財政赤字の削減や教育投資の増加などに専念するべきだと主張している。

ドイツの政治家にとって失業者数の削減は最も重要な課題の1つだが、これまで歴代の首相が数値目標を達成できたためしがない。1996年に、当時のコール首相が200万人分の雇用創出を目指すと宣言したが、実現しなかった。シュレーダー前首相も失業者数の大幅な削減を政策目標に掲げたが、労働市場の改革プロジェクト「ハルツIV」やITバブル崩壊の影響で、失業者数は500万人を超え、戦後最悪の数字を記録した。シュレーダー氏は財界と深い関係を持つ、SPDでは異色の政治家だった。彼は財界の意向を汲んで法人税や社会保障コストの削減などに力を入れ、企業の体力を強化することによって雇用を増やそうとした。しかし労働組合などからは「弱者を切り捨て、格差を是認する政策だ」として強い批判が上がり、SPDへの支持率は急落した。

同党は2005年の連邦議会選挙では34.2%の得票率を確保したが、ARDなどの世論調査によると、今年7月末の支持率はわずか24%。「首相を直接選べるとしたら、誰を選ぶか」という問いに対しては、回答者の60%がメルケル氏と答えているのに対し、シュタインマイヤー氏の支持率は25%にすぎない。

400万人分の雇用創出という夢のような構想で、シュタインマイヤー氏が劣勢を挽回できるかどうか。大きな疑問符がつきまとう。

14 August 2009 Nr. 778

最終更新 Mittwoch, 19 April 2017 15:26
 

重みを増すユーロ


  
ユーロ導入よりもかなり以前の1992年、私は欧州通貨同盟について記事を書くために、当時ボンにあった連邦財務省で担当課長G氏をインタビューした。私の最大の関心は、なぜドイツは安定通貨マルクを廃止するのかという点だった。G氏は「我々はマルクを捨てますが、マルクの安定性、優秀性を欧州全体に輸出するのです」と言った。マルクに固執していたら、ドイツの成長には限界がある。発展的に解消してこそ、未来があるというのだ。それから17年経った今、彼の予言は現実のものになりつつある。

国際通貨基金(IMF)の調べによると、世界各国が持っている外貨準備高の中でユーロが占める割合は、1999年には18%だったが、現在では9ポイント上昇して27%になっている。ユーロ誕生前、国際金融市場の基軸通貨はドルだけだった。中国などアジア諸国、それに中東の国々が、彼らのポートフォリオの中でユーロを少しずつ増やしているのだ。ユーロ建ての外貨準備高の増大は、欧州統一通貨の国際的な地位が上昇していることを意味する。ユーロは将来、ドルと並ぶ基軸通貨になるかもしれない。

東欧を中心に、EU加盟だけでなくユーロ導入も希望する国は多い。長い目で見れば、地中海沿岸の諸国にもユーロが広がっていく可能性がある。

ユーロ導入によって最大の利益を得たのは、ドイツだ。1990年代初頭、ドイツはマルク高に見舞われ、それによってスペインやイタリアへの輸出が急激に減少し、大きな悪影響を受けたことがある。ユーロ導入によって、域内での貿易は国内取引と同じになったので、ドイツ企業は少なくともユーロ圏内では、為替変動の悪影響を一切受けなくなった。輸出依存度が高いドイツにとって、これは大きな利益である。将来東欧にユーロ圏が拡大すれば、ドイツ企業の輸出先はさらに増えるだろう。一方、ユーロと対照的に、ドルが世界の外貨準備高に占める割合は過去10年間に71%から64%に減った。また、円の割合も6%から3%に減っている。長期的に見ればドルによる一極支配は、終局に向かいつつあるのだ。

このことは、第2次世界大戦直後には文字通り世界最強だった米国の政治的な地位が、東西対立の終焉以降、徐々に低下していることも反映している。

今年7月に開かれたラキラ・サミットで中国は再び、「ドルを唯一の基軸通貨とする、現在の外貨準備システムを改革するべきだ」と主張した。中国の外貨準備高は過去2年半の間で2倍以上に増え、初めて2兆ドル(約180兆円)の大台を突破した。ドル建て外貨準備高でも世界一の座にある。中国は、米国が金融危機の影響で巨額の財政赤字を抱え、ドルの価値が不安定になることを懸念し、ドルに変わる新しい国際準備通貨を創設することを提案しているのだ。

こうした中国の発言は、世界経済の主要メンバーの間で、力関係の変化が進んでいることを示している。上海証券取引市場は、株式時価総額ですでに東京を追い抜いた。中国が国際経済の表舞台に堂々と姿を現し、日本は静かに舞台の後方に下がりつつある。

ドイツ・マルクが、単独で今日のユーロのような地位を占めることは不可能だった。その意味でマルクを廃止し、他の国々とユーロを分かち合ったドイツ政府の決断は、正しかったと言うべきだろう。現役を退いて年金生活者となっているG氏は今頃、ライン川のほとりで満足そうに微笑んでいるに違いない。

7 August 2009 Nr. 777

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 11:13
 

ドイツ政府と人権問題


 ©共同
7月17日午後、ミュンヘンの中心部にある広場マリエン・プラッツに、「虐殺をやめろ!」というシュプレヒコールが響いた。ウイグル人と彼らを支援するトルコ人たちが、中国政府に抗議するデモを行ったのである。女性たちはベールをかぶっており、イスラム教徒が多いことがわかる。彼らの中には、現在中国の一部であるウイグル人の自治区を「東トルキスタン」という名前で独立させることを要求し、トルコの国旗に似ているが下地が青色の東トルキスタンの旗を掲げている人もいた。

7月初めに中国の新疆ウイグル自治区で発生した暴動では、ウイグル人と漢民族が衝突しただけではなく、警官隊がウイグル人の暴徒に発砲した。中国政府の発表によると、双方におよそ190人の死者が出た。しかし現地の外国人ジャーナリストは、当局によって許可された範囲内の取材しかできないので、実際の犠牲者数を確認することはきわめて難しい。

ミュンヘンに本部を持つ世界ウイグル人会議は、「死者は1000~3000人に達する」と推定しており、中国政府に対して「ウイグル人に対する人権侵害を即刻やめるべきだ」と要求している。ミュンヘンでは中国人観光客がウイグル人に襲われる事件も起きており、中国外務省は同市への旅行を控えるよう自国民に勧告している。

シュタインマイヤー外務大臣は7月9日に声明を発表し、「新疆ウイグル自治区で起きている衝突、とくに死傷者が多数出ていることに強い懸念を抱いている。(漢民族、ウイグル人)双方とも暴力ではなく、対話によって紛争を解決すべきだ。暴力では、民族対立や社会の摩擦を解決することはできない」と事態の沈静化を呼びかけた。

ドイツ政府は、人権問題にきわめて敏感である。シュタインマイヤー氏は、7月15日にチェチェンで人権活動家ナタリア・エステミロヴァ女史が誘拐され射殺体となって見つかった時にも、「この卑怯な犯罪を強く糾弾する」と述べて事件の真相解明を求めた。犯人は捕まっていないが、市民団体「メモリアル」に属していたエステミロヴァ氏は、チェチェンでのロシア軍の残虐行為などを公表しており、軍関係者にとっては目の上のコブだった。

6月にイラン市民が「選挙結果に不正な点がある」として抗議デモを行い、警官隊と衝突して死傷者が出た時にも、メルケル首相は「ドイツは発言と集会の自由を求める市民の味方だ」と述べ、イラン政府に対して暴力によって市民を弾圧しないよう要求した。

また、ドイツ人が外国での人権侵害を厳しく批判する背景には、第2次大戦中にナチスがユダヤ人や異民族を弾圧したいまわしい過去に対する反省がある。ドイツの憲法である基本法の第1条第1項には、過去と対決する戦後ドイツ人の姿勢が現われている。“Die Würde des Menschen ist unantastbar. Sie zu achten und zu schützen ist Verpflichtung aller staatlichen Gewalt.„(人間の尊厳は不可侵である。人間の尊厳を重んじ、守ることはすべての国家権力の義務である。)ドイツの政治家や官僚が外国の人権侵害を無視できない理由は、ここにある。「言葉だけでは弾圧される市民を救えない」という批判もあるかもしれない。だが政治は言葉の戦いである。外交の世界では、黙っていることは事態を受け入れていると解釈される。貿易相手として重要な国に対しても、人権侵害の排除を求めるドイツ政府の姿勢に敬意を表したい。

29 Juli 2009 Nr. 776

最終更新 Mittwoch, 24 August 2011 11:14
 

クリュメル原子炉と選挙戦

突如として原子力エネルギーが、9月末の連邦議会選挙の重要な争点に押し上げられた。そのきっかけを作ったのは、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州のクリュメル原子力発電所で先月末に発生したトラブルである。

発電所を運営しているヴァッテンフォール・ヨーロッパ社によると、6月27日にこの原発の変圧器でショートが発生したため、原子炉が緊急停止した。送電が一時的に停まったため、発電所の西側にあるハンブルクで大半の信号機が故障したほか、ショッピングセンター、製鉄所、水道施設で停電が発生し、断水や水道管の破裂などの影響が出た。

実はこの発電所では2007年にも変圧器のトラブルが発生し、原子炉の緊急停止に追い込まれていた。このためヴァッテンフォール社は、2年間にわたり発電所の運転を見合わせ、3億ユーロの費用をかけて修理・点検作業を行ってきた。

この原子炉を監督しているシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州政府は、先月19日に運転再開についての許可を出したが、わずか2週間足らずでトラブルが再発したことになる。

しかも今回の調査で、ヴァッテンフォール社が州政府の指示に反し、変圧器内部の状態を監視する計器を設置していなかったことが明らかになった。さらに同社は、変圧器のトラブルとは別に燃料棒に損傷が見つかったことも公表した。このため再修理が必要になり、ヴァッテンフォール社はクリュメル原子炉を来年の5月頃まで運転できない見通しとなった。

このトラブルは、「脱原子力」の旗を掲げる社会民主党(SPD)と緑の党には追い風となった。ガブリエル連邦環境相(SPD)は、クリュメル原子炉の閉鎖を要求するとともに、老朽化した原子炉の停止時期を繰り上げ、残った稼動年数を比較的新しい原子炉に移すことを提案している。つまり彼は、「脱原子力」のシナリオを加速しようとしているのだ。

現在ドイツでは、原子力エネルギーに関する監督権限が連邦政府と州政府にまたがっている。ガブリエル氏は、州政府に任されている個々の原子炉についての監督権を連邦政府に集約することも提案している。確かに、クリュメル発電所の修理点検作業が不完全だったにもかかわらず、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州政府が運転再開の許可を出したのは、行政の監視が行き届いていなかったことを示している。

これに対して、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は「クリュメルのトラブルを選挙戦の道具に使うべきではない」と反発。CDU・CSUは選挙に勝って自由民主党(FDP)と連立政権を樹立した場合、電力業界の要求通り、脱原子力政策を見直して原子炉の稼動年数を延長することを目指していた。それだけに、今回のトラブルはCDU・CSUや電力業界にとって、きわめて悪いタイミングで発生したのである。

近年のドイツでは、「温室効果ガスを減らして気候変動に歯止めをかけるためには、原子力も過渡期のエネルギーとして必要だ」という意見も出てきている。しかし1980年代のチェルノブイリ事故でドイツの国土の一部が汚染されて以来、国民の間には原子力エネルギーに対する不信感が根強く残っている。クリュメルをめぐる論争は、この不信感を強める要因となるだろう。9月27日の有権者の判断に注目したい。

22 Juli 2009 Nr. 775

最終更新 Mittwoch, 19 April 2017 15:24
 

アフガン戦とテロの影

「イスラム系過激派がドイツで同時多発テロを計画している?」

7月上旬に流れた情報は、ドイツ社会を緊張させた。連邦内務省などの治安当局が恐れているのは、9月末の連邦議会選挙の直前に、アルカイダの思想に共鳴するテロリストたちが英国やスペインで起きたような無差別テロをドイツ国内で実行することだ。

テロは選挙の結果に大きな影響を与えることがある。たとえば2004年にスペインは米軍を支援してイラクに戦闘部隊を派遣していたが、マドリードで通勤途中の市民らを狙った無差別テロが発生し、国民の政府への反感と厭戦気分が非常に高まった。このためテロの直後に行われた選挙では、米国寄りの与党が大敗して政権交代が実現。新政府はスペイン軍をイラクから撤退させた。つまりイスラム過激派は爆弾テロを行うことで世論を操作し、政治的な目的を達成したのである。極めて危険な前例だ。

ドイツでも、連邦軍のアフガニスタン駐留に批判的な意見が強まっている。インフラテスト社の世論調査によると、アフガン駐留に反対する回答者の割合は2004年には47%だったが、今では69%に増えている。アルカイダに共鳴する過激組織は、インターネット上でドイツにアフガニスタンからの撤退を要求している。

このため治安当局は、イスラム過激派がスペインと同じように選挙の直前にテロを起こすことを危惧しているのだ。多数の市民が犠牲になれば、メルケル政権への批判が強まり、アフガン派兵に反対している党が選挙で得票率を伸ばすかもしれない。

ドイツはアフガン北東部を中心に4500人の兵士を派遣している。ドイツ軍が担当しているクンドゥス周辺の地域では、道端に仕掛けられた爆弾や対戦車ロケット砲、小火器による攻撃が増えている。パトロール中の兵士が発砲され、激しい銃撃戦に巻き込まれることは珍しくない。兵士たちが身を守るために武器を使用するだけでなく、発見したゲリラ部隊を積極的に攻撃して制圧したケースも報告されている。

シュピーゲル誌によると、これまで前線の兵士たちは「実際に攻撃されるか攻撃が迫っている時以外に武器を使用してはならない」という規定に縛られていたが、今年4月にこの規定が削除されたため、以前よりも自由に武器を使用できるようになった。

これまでにアフガニスタンでの戦闘や事故で死亡したドイツ兵の数は、7月上旬の時点で35人。国防大臣を務めた社会民主党のペーター・シュトゥルック院内総務は、「ドイツ軍がアフガニスタンで戦争を行っているのは、まぎれもない事実。メルケル政権はそのことを認めるべきだ」と主張している。これに対しメルケル首相やユング国防大臣は、「アフガニスタンでの連邦軍の任務は平和維持である」として、戦争という言葉を使うことを避けている。

ドイツ人は平和主義的な傾向が強い国民である。政府が戦争という言葉を使いたがらない背景には、9月末の選挙に悪影響が及ぶことへの懸念がある。だが前線からの報告を読むと、アフガニスタンでの日常はもはや単なる平和維持活動ではなく、外国軍と抵抗勢力の間の戦争という性格を日に日に強めている。ドイツ人が、旗幟(きし)を鮮明にしなくてはならない時が、次第に近づいているように思える。

17 Juli 2009 Nr. 774

最終更新 Mittwoch, 19 April 2017 15:22
 

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