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チョコレート大国ドイツの愛とおいしさの秘密

ドイツ人は年間11キロのチョコを食べる!?チョコレート大国ドイツの愛とおいしさの秘密

季節ごとにさまざまなフレーバーが楽しめ、疲れた時の甘〜い一口がたまらないチョコレート。そんなチョコ好きにとってうれしいことに、ここドイツはチョコレート大国だ。年間1人当たり約11キロのチョコを消費するというドイツ人の「チョコ愛」を探るとともに、編集部スタッフがドイツチョコの食べ比べ調査を、別ページにて実施!大切な誰かやいつも頑張っている自分に贈りたい、絶品チョコが見つかるかも? (Text:編集部)

チョコレート

ドイツ人とチョコの愛の物語

中南米からドイツへの長い旅路

チョコレートの歴史の始まりは中南米。紀元前に繁栄したオルメカ文明にはチョコレートの原料である「カカオ」に似た言葉があり、最初にカカオを利用したといわれている。その後、マヤ文明(4~9世紀)ではカカオの栽培を開始し、上流階級の間で飲料として重宝された。またカカオは貨幣や神への捧げものとしても役割を果たしていたという。

16世紀初頭、アステカ王国(14~16世紀)はスペイン軍の征服によって植民地となった。それを機にスペイン人たちがカカオ飲料(チョコレート)に砂糖を入れて飲むようになり、欧州にチョコレートが到来。16世紀末には薬用効果もある高級品として、欧州各地の特権階級や聖職者の間で広まり、需要が高まったことで植民地でのカカオ生産が始まった。

産業革命によって大量生産が可能になると、安価なチョコレートが出回るようになり、1847年には英国で初めて固形チョコレートが生産された。その後、1875年にスイスでミルクチョコレートが誕生すると、ドイツでもミルクチョコレートの生産が盛んに。今日にも残るチョコレートメーカーが誕生したのもちょうどこの頃からで、ドイツの一般市民たちもチョコレートを楽しめるようになった。

戦争を経てチョコレート輸出大国に成長

第二次世界大戦中、ドイツではチョコレートのほとんどは軍向けに生産されていた。そのため、終戦後に米国の慈善団体から寄付されたチョコレートが、初めてのチョコレートだったという子どもも少なくなかったという。そして、戦後復興のなかでドイツのチョコレート生産は再び息を吹き返す。

現在ドイツは、チョコレートの輸出量で世界一を誇り、全体の16.9%を占めている。こうした背景には、戦後にチョコレートを生産し続けてきたドイツの中小企業による地道な努力があるという。人はチョコレートを食べると幸せな気持ちになるとしばしばいわれるが、チョコレート生産大国の国民がチョコ好きというのは、当たり前のことなのかもしれない。

フェアトレードでカカオ農家に愛を

チョコレート生産でたびたび話題に上がるのが、児童労働問題や森林破壊などの環境問題。ドイツでは、農家と公正な取引を行うフェアトレードや環境にも人にも優しい有機栽培に取り組む企業が存在する一方、大手メーカーも近年そういった問題に積極的な姿勢を見せている。

実際に、持続可能な方法で栽培されたカカオを含む菓子製品の割合は、2011年の3%から2019年には72%となり、ここ10年で大きく伸びている。しかし、フェアトレード協会によれば、公正に取引きされるカカオの市場全体のシェアは8%とまだ小さい。また、フェアトレード認証といっても、一部の製品に条件を満たした原料を使用しているだけなのか、児童労働を禁ずるような100% フェアな製品なのかなど、マークの種類によって幅があることも問題になっている。

とはいえ、ドイツのように大手メーカーもフェアトレードについて積極的という国は、そう多くはないのが現状だ。世界のカカオ生産量の10%以上をドイツが輸入しているため、チョコレートを愛する国としてこのような公正な取引きを行うことはある意味で「使命」。誰もが笑顔でチョコレートを食べられるように、ドイツは世界をリードしていくべきだろう。

参考:日本チョコレート・ココア協会ホームページ、CHOCION ホームページ、OroVerde – Die Tropenwaldstiftung ホームページ、WELTEXPORTE「Die international größten Exportländer von Schokolade」

ドイツでもバレンタインデーにチョコを贈る!?

日本では、バレンタインデーに女性が思いを寄せる男性にチョコレートを贈る……という伝統(?)があるが、職場の男性などに贈る「義理チョコ」をはじめ、友人同士で贈り合う「友チョコ」、自分へのご褒美として「マイチョコ」、男性が女性に贈る「逆チョコ」など、そのバリエーションは時代と共に増え続けている 。

ここドイツでは、男女関係なくパートナーにプレゼントを贈り合う。ソーシャルショッピングサイトmydealzが2020年2月に発表した調査報告によると、女性の44.4%、男性の45.1%がバレンタインデーにパートナーに何かを贈りたいと回答した。人気の贈り物は、男性は花(32.9%)が1位だったのに対し、女性はレストランでごちそう(19.2%)すること。ちなみに、女性から2番目に人気の贈り物として、チョコレートとプラリネ(16.7%)がランクイン(男性は4位で6.1%)。ドイツでも、チョコレートが特別なプレゼントとして認識されているようだ 。

一方で、愛が強すぎて(?)パートナーを困らせてしまう贈り物の例も。2020年2月のYouGovとStatistaが「バレンタインデーの最悪な贈り物」を調査したところ、1位は家具、2位は家電、3位は電子機器、4位はお金という結果となった。もし今年のパートナーへの贈り物に迷っていたら、やはりチョコレートを贈るのが間違いないのかもしれない 。

参考:Pepper「Umfrage zum Valentinstag: 15 Fragen, 15 Antworten」、Statista「VALENTINSTAG Die schlimmsten Geschenke zum Valentinstag」

数字で見るドイツ人のチョコ好き度

ドイツ人は一体どれほどチョコレートが好きなだろうか。さまざまな統計やアンケート調査からも、ドイツでチョコレートが愛されていることが裏付けられている。

チョコレート製品の消費量は堂々の1位!

欧州における年間1人当たりのチョコレート製品消費量(2017年)

チョコレート製品の消費量は堂々の1位! 参考:CAOBISCO

ドイツ人の好きなお菓子はやはりチョコレート!

少なくとも週に1度は食べるお菓子の種類(2019年10月~2020年3月)

ドイツ人の好きなお菓子はやはりチョコレート! 参考:VuMA

ドイツで人気フレーバーは王道の「ミルクチョコ」!

ドイツ人が1番好きなチョコレートの種類(2018年)

ドイツで人気フレーバーは王道の「ミルクチョコ」! 参考:BDSI

ドイツのチョコレート&プラリネ
食べ比べ調査報告書
最終更新 Dienstag, 02 März 2021 18:08
 

【全9種】ドイツで人気のチョコレート&プラリネを食べ比べ!

人気メーカーから高級老舗までドイツのチョコレート&プラリネ食べ比べ調査報告書

1月某日、本誌と姉妹誌JAPANDIGESTの編集部スタッフ4名が、オンライン会議にてドイツ各地の9社のメーカーから取り寄せたチョコレート&プラリネ(一口サイズのチョコ)の食べ比べ調査を実施した。今回は、1 売上トップ3の定番&新作チョコ、2 フェアトレード&ビオチョコレート、3 老舗チョコレート店のプラリネの三つのカテゴリに分けて試食。それぞれのブランドヒストリーとともに、各調査員のコメントもご参考にそれぞれの味を想像してみて! (Text:編集部)

調査員

編集部D:板チョコが朝ごはん代わりのチョコマニア 編集部O:チョコは全部同じだと思っているチョコビギナー 編集部C:とにかくナッツ入りチョコに目がない 編集部T:1番好きなチョコはリッターのアルペンミルク

ドイツで絶大な人気を誇るチョコレートブランド TOP3

1位Milka ミルカ

milka バレンタイン向けパッケージのハート型チョコ「I love Milka Haselnusscrème」

ウシのイラストと紫色の包み紙に入ったミルカは、ドイツで人気ナンバーワンの座を誇るチョコレート。1826年にスイスでフィリップ・スシャールがココアの生産を始めたのがその起源で、1901年にミルクチョコレートが「ミルカ」として商品登録された。発売当初から、お馴染みの紫色の包み紙が使われていたそう。100% アルペンミルクを使用し、代々受け継がれるオリジナルレシピで作られたチョコレートは、舌触りの良い繊細な味わいが特徴だ。

I love Milka Haselnusscrème
2.69€ / 110g
www.milka.de

コメント

  • リッタースポーツやキンダーと比べて、甘みがまろやかで食べる手が止まらない(D)
  • ミルカのミルクチョコは食べたら絶対にミルカだとわかる味!(C)
  • 「板チョコ以上高級プラリネ未満」な感じで、気軽に人にプレゼントできそう(O)

2位Ritter Sport リッタースポーツ

milka 直近の新フレーバーから「Cranberry Nuss」と「Die Starke 81%」

正方形のフォーマットがトレードマークのリッタースポーツ。1912年にシュトゥットガルトでリッター夫妻がチョコレートの生産を始め、戦前の1932年にこの珍しいフォーマットの板チョコが誕生した。常時20種類以上の味が販売されているが、消費者のアイデアも取り入れながら毎年新しいフレーバーが開発され、世に送り出される。また2018年以降は、100%持続可能な方法で生産されたカカオを使用していることを公表している。

Cranberry Nuss 100g
Die Starke 81% 100g
www.ritter-sport.de

コメント

  • クランベリーやナッツよりもチョコレートが強いけど、食べる場所によって印象が違いそう(C)
  • クランベリーがジューシーでアクセントになっておいしい。ヘーゼルナッツの歯ごたえも良し◎(D)
  • 81%のビターチョコはハードでドライ。これまでのビターチョコとそこまで変わらないかも?(T)

3位Kinder キンダー

milka キンダーの人気チョコを詰め合わせた「Kinder Happy Moments」

キンダーの故郷はなんとイタリア。数々のヒット商品を生み出してきたフェレロ社のブランドとして1968年に誕生し、初の海外進出先としてドイツで成功を収めた。日本では、卵型のチョコレートの中からおもちゃが出てくる「キンダーサプライズ」(KinderÜberraschung)が知られているが、イースターの卵から着想を得たのだとか。チョコレートからアイスクリームまで、さまざまな商品ですっかりドイツの味として親しまれている。

Kinder Happy Moments
162g
www.kinder.com

コメント

  • 子どもが大好きな典型的なチョコバー! 全体的に甘めだが、ミルクチョコは特においしい(T)
  • ポン菓子入りのキンダーカントリーは初めて食べたけど、病みつきになりそう(D)
  • ずっと同じ味なので、子どもの頃に見ていたCMを思い出してすごく懐かしくなる!(C)

人にも環境にも優しいドイツ発のビオチョコレート

GEPA ゲパ

GEPA ゲパ ビオのアールグレイと抹茶が香る「Earl Grey Blanc」と「Matcha Blanc」

1975年に設立されたゲパは、フェアトレードのパイオニアとして発展途上国の食品や工芸品などを扱ってきた。南米と西アフリカの小規模農家組合から直接カカオ豆とカカオバターを購入しており、2000年にビオチョコレートの生産へ移行。独自認証の「GEPA fair+(フェアプラス)」は取得条件が厳しく、より公正な取引きをしていることを示す。100%ビオとは思えないさまざまフレーバーのほか、乳製品を使わないヴィーガンチョコも展開する。

Bio Schokolade Earl Grey Blanc 2.49€ / 80g
Bio Schokolade Matcha Blanc 2.49€ / 80g
www.gepa.de

コメント

  • 袋を開けた時に強いアールグレイの香りが! 味は濃いめで茶葉のカリカリ感がある(O)
  • 日本の抹茶チョコレートよりも少し薄めの味だけど、抹茶ファンにはぜひおすすめしたい!(C)
  • 抹茶よりもホワイトチョコの味がメインという印象だけど、雑味がなく上品な味わい(D)

Vivani ヴィヴァーニ

Vivani ヴィヴァーニ チョコファンもきっと未体験の味「Weiße Hanf Caramel」と「Bitter 100+Cacao Nibs」

2000年に小さなビオチョコレートブランドとしてスタートしたヴィヴァーニ。設立者はもともとビオおよびフェアトレードの企業に勤務していた経験を生かし、サステナブルなチョコ作りを追及してきた。今では世界50カ国以上に最高品質のチョコレートを届けている。チョコレートを単なるお菓子ではなく芸術作品として捉え、パッケージにはドイツ在住アーティストによる絵画を採用。その美しい見た目も人気の理由の一つになっている。

Weiße Hanf Caramel 2.45€ / 80g
Bitter 100+Cacao Nibs 2.45€ / 80g
https://vivani.de

コメント

  • 一口目は馴染みのない味だけど、ヘンプとキャラメルは甘くておいしい組み合わせ◎(T)
  • 初のカカオ100%……苦いを通り越して酸味が感じられる。チョコマニアの人はぜひ試してほしい(D)
  • 当たり前だけど100%だから甘くない……(笑)。ミルクに溶かしてココアとして飲むとおいしいかも!(C)

the nu company ヌ・カンパニー

the nu company ヌ・カンパニー 雑穀やナッツが入ったさまざまな種類が楽しめる「nucao」

健康的な食事とサステナブルなライフスタイルを理想に掲げ、さまざまな食品を開発するヌ・カンパニー。その始まりは2016年にシェアメイトだった創立者の3人がキッチンでDIYチョコに挑戦したことだったという。試行錯誤の上、一般的なチョコよりも65%少ない砂糖で、100%ビオ&ヴィーガンの「ヌカオ」を開発した。土に返る包装を採用するほか、1商品売れるごとに木を1本植えるプロジェクトなどの環境保護活動にも積極的だ。

nucao
2.29€ / 100g
www.the-nu-company.com

コメント

  • ごはん1膳分の栄養が補給できそう。甘さはそれほど感じられず健康的な味(O)
  • チョコバーというよりもミューズリーバーに近い。珍しい味わい……個人的にはもう少し甘くても良さそう(T)
  • 企業理念に共感! 糖分を控えていたり、ダイエット中の人におすすめ(D)

特別な味をお取り寄せ! 老舗チョコレート店のプラリネ


Rausch ラウシュ

Rausch ラウシュ いろいろなスピリッツがそのまま入った「Selection feine Brände」

家族経営のパティスリーとして1890年に始まり、1918年にベルリンの高級菓子店として設立された。1920年代に開発されたクラシックなプラリネのレシピはラウシュ家によって大切に保管され、今日に至るまでショコラティエたちが愛情を込めて作っている。ベルリンのミッテ地区にあるチョコレートハウスでは、カフェやデリでケーキやアイスクリームなども楽しめる。店内を飾る「チョコレートアート」は圧巻で、一見の価値あり!

Selection feine Brände
12.50€ / 130g
www.rausch.de

コメント

  • かじってびっくり! お酒が溢れ出してくる。チーズとかしょっぱいものと一緒に食べてもいいかも(O)
  • サクランボ酒やウォッカなど6種類のお酒が入っているので、お酒好きな人にとても喜ばれそう(D)
  • 一口で食べないと大変なことになるので、みなさん気をつけて!(笑)(C)

Heinemann ハイネマン

Heinemann ハイネマン お酒入りの定番プラリネが詰まった「Pralinen gemischt mit Alkohol」

鮮やかな緑色のパッケージでお馴染みのデュッセルドルフのコンディトライ。1932年の創業以来、「最高品質と鮮度」を理念に掲げてお菓子作りを続けている。名物のシャンパントリュフをはじめとするプラリネやケーキは地元の人に愛されるのみならず、欧州で高い評価を得ている。チョコレートがけのバウムクーヘンも人気が高く、デュッセルドルフ在住の日本人の間では定番の帰省土産にもなっている。カフェ併設の店舗では、朝食メニューなどの食事も提供する。

Pralinen gemischt mit Alkohol
16.95€ / 240g
www.konditorei-heinemann.de

コメント

  • ハイネマンといえば、クラシックな味と季節ごとに違うすてきなパッケージが特徴(C)
  • 紅茶風味のプラリネがお茶もお酒も香ってなかなかイケる。デュッセルドルフ馴染みの味(D)
  • 名物シャンパントリュフを初めて食べたが、お、おいしい! お酒とチョコがいい感じに口の中で混ざり合う(O)

Elly Seidl エリー・ザイドル

Elly Seidl エリー・ザイドル お好みの種類を選んで詰め合わせられる「Pralinenboxkonfigurator」

エリー・ザイドルは1918年にミュンヘンにオープンしたチョコレート工房。当時ビジネスは男性中心だったことから、創立者のバーバラ・グラートヴォールは女性経営者としてセンセーショナルを巻き起こしたそう。店名は娘のエリーにちなんで付けられ、その後エリーが事業を引き継いだ。120種類以上のプラリネを販売しており、季節限定プラリネや新製品の開発に暇がない。毎年約500万個が世界中のチョコレートファンに届けられている。

Pralinenboxkonfigurator 16 Pralinen
15.60€ / 200g〜
www.ellyseidl.com

コメント

  • 好きなプラリネを選べるのはすてきなアイデア! クマさん型のNougatbärchenはとってもクリーミー(T)
  • 一つひとつ丁寧に作られている感じがして、当たり外れがなさそう。見た目も楽しい◎(O)
  • Aprikosengeistはブランデーでマリネされたアンズが宝石型のようなチョコに入っていて、絶妙なバランス!(D)
チョコレート大国ドイツの
愛とおいしさの秘密
最終更新 Dienstag, 09 Februar 2021 10:10
 

「ドイツ哲学入門」のための入門

哲学初心者からビジネスパーソンまで「ドイツ哲学入門」
のための入門

カント、ヘーゲル、ハイデガー……ドイツは近代以降、「哲学の国」として多数の哲学者を生み出してきた。「ドイツ人は理論的」ともいわれるように、哲学とドイツの関係はとても深いが、実際のところ「哲学」ってよく分からない、という人も多いだろう。本特集では、哲学者の岡本裕一朗さんによるナビゲートのもと、皆さんをドイツ哲学の入り口にお連れする。ドイツで哲学が発展した背景や、近現代の哲学者の言葉から、現代を生きるヒントが見えてくるかも?(Text:編集部)

お話を聞いた人

岡本裕一朗さん

岡本裕一朗さん
YUICHIRO OKAMOTO

1954年、福岡県生まれ。玉川大学名誉教授。西洋の近現代思想を専門とするほか、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究も行なっている。

ドイツ哲学はじめの一歩

そもそも「哲学」って?

哲学を一言で説明するならば、「私たちが当たり前だと思っている知識や考え方について、それが『本当に正しいのか?』を問い直す」こと。例えば数学の問題を解くときに、私たちはさまざまな公式を組み合わせて使いますが、「そもそもその公式って正しいの?」と、今まで信じてきた知識をもう一度疑ったり、組み替えたりするのが哲学の営みです。そのため、哲学とは何らかの「答え」を出すというよりも、むしろ「問い」を生むことなのです。哲学者がいわゆる「変人」のようなイメージを持たれているのは、私たちが絶対に疑わないような前提条件や常識を平気で疑い、問い続けているからかもしれません。

ドイツが「哲学の国」になった理由

Immanuel Kant
当時のドイツ語は学問用語として洗練されておらず、カントはラテン語やギリシャ語の哲学書から、多くの哲学概念をドイツ語に翻訳した

17世紀前半のドイツは三十年戦争に敗れ、国全体にわたる大きな荒廃に見舞われました。それによって英国やフランスなどに比べて近代化が遅れたことが、その後のドイツ文化の発展に大きく寄与したといわれます。哲学の場合も、イマニュエル・カント(1724-1804)以前の哲学者は、ドイツ人であってもラテン語か、もしくは当時最も洗練されているとされたフランス語を使うことが一般的でした。田舎言葉のように見なされていたドイツ語では、哲学はうまく表現できないと考えられていたのです。それに対して、初めてドイツ語で哲学を書いたのがカントです。当時のドイツ人哲学者にとって大きなテーマの一つは、「いかにほかの欧州先進諸国に負けない国家をつくるか」。ある種のナショナリズムの発露としても、ドイツ語で哲学を語ろうという動きが活発化していったのです。

そうした形でドイツ哲学が19世紀に非常に大きな力を持ち始めると、国家や官僚制度と大学が緊密に結びつき、哲学者は大学でのポストを得て研究に専念できるシステムが確立されていきました。そうなると当然、国家とのつながりの中で重要な役職を得ようとする者も登場してくるわけです。例えば20世紀の大陸哲学の重要人物であるマルティン・ハイデガー(1889-1976)は、ナチス支持者としてフライブルク大学の学長となりましたが、戦後は「ナチス加担者」として厳しく批判され、それまでの名声に深い影を落としました。

時代の転換点に求められる「哲学」

このようにドイツ哲学は、さまざまな歴史的状況と結びついて発展してきたのですが、実は、哲学者の活躍は時代の変化とリンクしていることが多いです。例えば15~16世紀に活版印刷技術が登場した時や、18~19世紀の産業革命の時期には次々と哲学者が台頭しました。時代の考え方が根本的に変わり始めると、これまでの常識ではうまくいかなくなることも増えてきます。そうした場合に、新しい考え方が必要になり、それが哲学という形で表面化するのではないでしょうか。

その意味では、私たちが生きる21世紀もまた、時代の大きな転換点かもしれません。デジタル技術やバイオテクノロジーの発展によって、これからの「人間」や「社会」はどのような方向に向かうのか。さらに2020年は新型コロナウイルスが世界中で流行したことで、私たちがこれまで当たり前だと思っていた生活が根本的に覆されました。その意味では、後に「偉大な哲学者」と呼ばれる人物が、これから数十年の間に登場してもおかしくないと思います。

ドイツの哲学者たちと考える
「○○とは何か?」

哲学者たちは、その時代ごとにさまざまな「問い」を探求してきたが、面白いことに彼らの言葉は、時代を超えて示唆的である。ここでは、そんなドイツの哲学者4人の言葉をピックアップ。彼らの言っていることに対して「どういうこと?」と首をかしげつつ、自分なりに哲学してみよう。

「哲学」とは何か?ゲオルク・ヘーゲル

ミネルバのフクロウは、迫りくる夕闇とともに飛び立つ


ゲオルク・ヘーゲル
Georg Hegel

(1770-1831)

プロフィール近代ドイツを代表する哲学者。カントから始まるドイツ観念論の完成者といわれている。人間の個人的な意識よりも、いっそう大きな「理性」や「精神」などの概念を強調し、それに基づいて自然や歴史を説明した。

主な著書『精神現象学』(1807)、『法哲学』(1821)

「ミネルバのフクロウ」とは、ローマ神話の女神が従えているフクロウであり、知恵の象徴とされている。ヘーゲルは、それぞれの時代における考え方をフクロウに例えて、一つの時代が終わろうとするとき(=迫りくる夕闇)に、その時代を俯瞰(ふかん)的に把握するために哲学が登場すると考えた。つまりヘーゲルもまた、「時代の転換点には新しい哲学が登場する」ということを説明しているのだ。

興味深い点は、ヘーゲル自身は、自分が生きている時代こそが歴史の転換期であり、古代ギリシャ時代から始まる歴史の頂点だと確信していたことだ。ヘーゲルが生きた当時、ドイツは欧州における後進国であり、フランスとの戦争では惨めな敗戦を経験していた。そのためヘーゲルは、哲学によってドイツを国家として再生することを目指し、それによって彼の時代の歴史は完成される、と考えていた。

「現代」とは何か?フリードリヒ・ニーチェ

次の2世紀がニヒリズムの時代だ


フリードリヒ・ニーチェ
Friedrich Nietzsche

(1844-1900)

プロフィール24歳でバーゼル大学の教授に抜擢されるも、処女作が全く評価されずアカデミズムの世界から追放された。近代市民社会やキリスト教道徳などをラディカルに批判。晩年は精神錯乱に陥り、10年ほど狂気の境をさまよった後に死去した。

主な著書『ツラトゥストラ』(1885)、『この人を見よ』(1888)

「ニヒリズム」とは、ラテン語の「ニヒル」(何もない)が語源で、絶対的な価値基準や真理が消滅してしまった状態を指す。ニーチェが19世紀を生きたことを考えると、彼が「ニヒリズムの時代」と言っているのは20世紀と21世紀のことだ。

ニーチェの有名な「神は死んだ」という言葉もあるように、近代以降の科学技術などの発展により、キリスト教の神などの存在が人々にとって絶対的に信じられるものではなくなった。そうなると、人間の認識や評価は全て相対的なものであるという「相対主義」の考え方が蔓延し、人々は何が正しくて何が間違っているかという判断に自信を持てなくなる。このような困難な時代の訪れをニーチェは予言していたのだが、21世紀の政治やメディアのあり方が「ポストトゥルース」とも呼ばれているように、彼の予言はあながち間違っていないのかもしれない。

「人間」とは何か?ハンナ・アーレント

人間の条件は、人間が条件づけられた存在であるという点にある


ハンナ・アーレント
Hannah Arendt

(1906-1975)

プロフィールドイツのユダヤ人家庭に生まれ、大学時代にはハイデガーやフッサールなどのそうそうたる哲学者の下で学んだ。ナチスの迫害を逃れ、フランス、米国へ亡命。20世紀の全体主義を人類全体の問題として解明しようとした。

主な著書『全体主義の起源』(1951)、『人間の条件』(1958)

ナチスによって収容所に送られた経験を持つアーレントは、ナチスのような全体主義国家を生み出した大衆社会の心理を分析した。彼女の主張では、ナチスの人間は特別な悪人ではなく、人間は誰しもが全体主義に走る可能性があるという。そのことを証明するために、「そもそも人間とは何か」を探求したのだ。

アーレントは、人間を条件づけるものとして「労働・仕事・活動」の三つを挙げる。「労働」は生きるために必要なものを生み出すこと(例:肉体労働)、「仕事」はものを作り出すこと(例:芸術作品の制作)、そして「活動」は、政治のように他者に直接働きかけることだと説明する。そして近代以降、私たちの生活では「労働」が優位に立ち、「仕事」や「活動」が人間的な意味を失ってきた。アーレントは現代において特に「活動」の意義を改めて確認し、それを取り戻すことを求めた。

「存在」とは何か?マルクス・ガブリエル

植物も、夢も、トイレの水を流した音も、ユニコーンも存在する


マルクス・ガブリエル
Markus Gabriel

(1980-)

プロフィール2009年に若干29歳でボン大学の教授に就任。ドイツ観念論を専門とするが、古代から現代哲学に至るまで幅広い知識を持ち、多数の言語を操る。自身の「新実在論」の構想を解説した著書『なぜ世界は存在しないのか』は世界的なヒットに。

主な著書『なぜ世界は存在しないのか』(2013)、『「私」は脳ではない』(2015)

現代思想の新たな天才と呼ばれるガブリエル。彼が提唱した「新実在論」のポイントは、「存在」とは「意味の場において現象する」ことと捉えられていることだ。つまり世界には、自然科学で規定される物理的な物や事実だけでなく、例えばユニコーンは「神話」という意味の場、自分が見た夢は「自分の記憶」という意味の場において存在するというのだ。

この主張の根底には、20世紀以降の自然主義への批判がある。自然科学の進展によって「人間の心の動きさえ、脳を解明すれば分かる」というように、世界や精神などの哲学本来のテーマを語ることが、科学の特権へと変化してきた。このように科学が唯一の「意味の場」となり、人間の心や精神が取り残されていることをガブリエルは否定し、人の心の動きも肯定するべきだと主張する。

21世紀が見えてくる!?
岡本先生のドイツ哲学相談室

ここまで、ドイツの哲学の面白さを分かりやすくご紹介くださった岡本先生。実は最近では、経済界の人やビジネスパーソンからも「哲学の話をしてほしい」と依頼を受けることが増えているそう。特集の最後に、そんな岡本先生に「哲学」にまつわる疑問にお答えいただいた。

Q1哲学って実際のところ、役に立ちますか?

そもそも「哲学は役に立つのか?」ということが言われ始めたのは、18〜19世紀くらいのこと。かつてドイツの大学では、まず一般教養として哲学を学び、その後、神学部・法学部・医学部などに分かれて専門的な知識を学ぶというシステムが作られました。つまり哲学はもともと、職業に直結する「役に立つ」学問ではないというのが大前提。さらに18世紀から19世紀にかけて科学技術が飛躍的に発展すると、ますます哲学には「役に立たない」という位置付けが与えられるようになりました。

そうした風潮をひっくり返したのが、カントです。例えば法学部であれば、当時の法曹界の基本的な理論に楯突くような議論は絶対にできませんでした。しかし哲学は職業と直結しないという意味で非常に自由であり、「そもそもその法律って本当に必要なの?」と問えるのです。また、特定の分野のルールに縛られず、幅広い視野で問題を捉えることができるのが哲学の強み。その意味では、先の見えない未来に立ち向かっていくために、これから哲学が役に立つシーンは少なくないと思います。

Q2経済人やビジネスパーソンなどからも「哲学」が求められる理由は?

逆説的ですが、世の中があまりうまく行っていないと、哲学は求められるような気がします。世の中がスムーズに行っていれば、ちょっとした問題が起きても修正すれば何とかなる。そんな時に哲学者はお呼びでなく(笑)、経済学者や社会学者の方を呼んで、どうすればもっと利益が出るか、経済がうまくいくかという話を聞きたいですよね。実際、20世紀末あたりまでは経済界の方から講演を依頼されるということはなかったです。

それが21世紀になって、米国の同時多発テロやリーマンショックが起き、「果たして資本主義は継続できるのか」という議論が起きました。日本の場合は、2011年の東日本大震災や原発事故も、私たちの既存の価値観を大きく揺さぶる契機に。このように根本的な前提や原理が揺らいで発想を変える必要があるのではないか、社会のルール自体を見直す必要があるのではないかと、経済や社会を推進する人たちも強く感じ始めているようです。

Q3哲学の世界では今、どんなことが語られていますか?

今日の哲学にとって重要な課題は、例えばデジタルテクノロジーやバイオサイエンス、あるいは資本主義経済の行く末、環境問題など、さまざまな変化の見通しをどう描き、どう理解していくかを考えることです。例えばバイオテクノロジーが発達し、人間の遺伝子も編集可能な段階まで来ていますよね。それによって、20万年くらい続いてきたホモ・サピエンスが終わりを迎えるとしたら……まるでSFのように聞こえるかもしれませんが、21世紀はそうした「人間」や「社会」の変化が全面に出てくる時代になると考えられます。

この変化を一気に推し進めたのがコロナ禍です。今までの私たちの生活様式では、会社に行ってみんなで仕事をする、というような集団行動が当たり前でしたが、コロナ禍によってほぼ不可能に。リモートワークをはじめ、学校でも対面ではなくオンライン授業が行われ、人々の移動や行動も制限されています。これを機にテクノロジーの導入も一気に進み、これまで以上に人々が管理・コントロールされる社会が訪れるかもしれません。

そうなると、私たちが近代以降当たり前と考えていた「自由」や「平等」の概念も、今まで通りの考え方でうまく処理できなくなる。世界の哲学者はこの状況について、分散型の新しい社会形式を見出そうとする者もいれば、P11で紹介したガブリエルは「コロナ禍で起きた社会の分断から、いかに連帯をつくるか」を語るなど、哲学の議論は一層活発化しています。

もっと知りたい人におすすめの書籍

哲学と人類 ソクラテスからカント、21世紀の思想家まで

哲学と人類 ソクラテスからカント、
21世紀の思想家まで

著者:岡本裕一朗/発行元:文藝春秋
2021年1月27日刊行

今日、目覚ましい技術革新の時代を生きる私たちは、社会や生命を変えうる「テクノロジー」とどのように向き合うべきか……。人類史を形成してきたテクノロジーの歩みと、その検討を続けてきた哲学者の歴史をたどることで、21世紀以降の未来が見えてくるかもしれない。

Q4哲学に興味を持ったら、どんな本を読めばいいですか?

分かりやすく書かれた哲学の入門書や解説書が多く出版されていますが、私自身が解説書を執筆する際には、絶対にオリジナルの代わりにはなり得ない、ということを基本にしています。解説書はあくまでも解説書でしかないので、それ一冊を読んでも全てを分かったことにはなりません。むしろ解説書を読んだ後で、ぜひオリジナルに挑戦してほしい。

ただ残念なことに、本当の哲学書って難しい言葉で書かれていますし、特にドイツの哲学者はみんな分厚い本を書きますから、最後まで読み通せる人はそう多くありません。そこでおすすめなのが、古代ギリシャの哲学者であるプラトン(BC427-BC347)の『メノン』や『リュシス』などの短い対話篇です。これらは、プラトンの師であるソクラテス(BC469ごろ-BC399)が議論によって若者を育てようとする対話を記録したもので、比較的読みやすいです。さらに、相手にどんな質問を投げかければ有意義な応えを引き出せるかを実践しているので、議論の方法を学びたいという学生や社会人の方にとっても読む価値がありますよ。

もっと知りたい人におすすめの書籍

哲学の名著50冊が1冊でざっと学べる

哲学の名著50冊が1冊でざっと学べる

著者:岡本裕一朗/発行元:KADOKAWA
2020年10月16日刊行

カントの『純粋理性批判』、マルクスの『資本論』……世界の哲学者たちがどのような思想を持っていたのか、知的好奇心はあるけど難解すぎて読み切る自信がない。そんな人のために、哲学の名著50冊の要点を図版を使って分かりやすく解説してくれる、哲学入門にぴったりな一冊だ。

最終更新 Freitag, 01 Oktober 2021 13:45
 

英国・ドイツ・フランスのメディア解剖 - コロナ時代の「情報力」を身に付ける

コロナ時代の「情報力」を身に付ける 英国・ドイツ・フランスのメディア解剖

欧州では長い歴史の中で、新聞社や公共放送がメディアの中心的存在を担ってきたが、昨今、私たちを取り巻くメディアの様相は大きく変化している。特にコロナ時代になり、情報を意識的に取捨選択することがますます必要になった。2021年最初のニュースダイジェストでは、英独仏の新聞やカリカチュア、さらにはソーシャルメディアの視点から、今日のメディアのあり方を徹底解剖! 情報とうまく付き合い、困難な時代を生き抜くためのヒントを探る。(文:英国・ドイツ編集部)

全ての「メディア」はローマに通ず
紀元前ローマから始まった新聞

世界最初の「新聞」を発行したのは、共和政ローマ期の政治家カエサルだといわれる。元老院の議事録を中心に、催事やよもやま話も織り交ぜたこの新聞は、掲示板に張り出される形だった。その後、手書きのニュースレターは存在していたが、新聞といえるものの登場は印刷技術の発明まで待たなくてはならない。

活版印刷技術が早く実用化したドイツでは、世界で1番に週刊紙「リレーション」(Relation)(1605年)を発行。フランス初の定期発行された新聞は「ラ・ガゼット」紙(La Gazett)(1631年)、英国ではオランダから輸入された英字新聞が1620年代にあったものの、最初の英国新聞として知られるのは「オックスフォード・ガゼット」紙(Oxford Gazette)(1655年)だ。ドイツの新聞が他国より先に発達したのは、技術的な理由だけでなく、国家が分裂状態にあり、印刷物への検閲が緩かったためだといわれている。この時代、各国では王室や国王を攻撃する新聞などは処罰の対象になった。

報道の自由を求める闘いは17世紀に始まり、最終的に英国では1695年に「権利の章典」として実を結ぶ。フランスではヴォルテールらの啓蒙思想が広まり、フランス革命へと発展。ナポレオンが「新聞によって王朝が終結した」と語ったほど、この時期には次々と新聞が誕生し、世論形成に大きな役割を果たしたのだ。新聞の基本的な役目は19世紀まで変わらなかったが、印刷技術の発達によって大量印刷が可能に。やがて、マスメディアに進展していくのだった。

参考:European History Online http://ieg-ego.eu MITTELDEUTSCHER RUNDFUNK www.mdr.de 小糸 忠吾『新聞の歴史―権力とのたたかい』 (新潮選書)

世界報道自由度ランキング2020
欧州は比較的メディアの自由度が高い!

世界報道自由度ランキング2020※数値が小さければ小さいほど自由度は高くなる。

出典:国境なき記者団「2020 World Press Freedom Index」

世界報道自由度ランキングとは

世界のジャーナリストたちによって構成されるNGO「国境なき記者団」が2002年から毎年発表しているランキング。世界180カ国と地域を対象に、メディアの独立性、多様性、透明性、自主規制、インフラ、法規制などについて、専門家へのアンケートや各国のデータを組み合わせた独自の評価基準と数式によって評価値が算出される。

三国の新聞比較

英国・ドイツ・フランスとも、報道の自由度が比較的高いことで共通しているが、各国のメディアを比較してみると、それぞれお国柄が表れていることが分かる。そんな三国の新聞がどのような視点で世の中の出来事を報道しているのか、各国のジャーナリストにお話を聞いた。

権力に対し健全な批判を展開する英国 権力に対し健全な批判を展開する英国

指導者層の愛読紙からタブロイド紙(大衆紙)に至るまで、英国で発行されている新聞の根本にあるのは「批判精神」。テレビやラジオが英国情報通信庁(Office of Communications)による監督を受け、中立性を順守しているのに比べ、新聞には特定の法律的縛りはない。そのため左派も右派も権力の監視塔としての役目を果たすべく、論鋒鋭く問題に切り込んでいく。保守であっても政府の広告塔ではなく、その新聞の立ち位置であるに過ぎない。それでも過激に走り過ぎず、一定の自主規制の下で報道するところは英国らしいといえる。

お話を聞いた人

小林恭子さん Ginko Kobayashi

在英ジャーナリスト。英国をはじめとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。英国ニュースダイジェストでは毎号「英国メディアを読み解く」を執筆。

英国を代表する新聞

冷静な視点は指導者層が愛読
The Times
タイムズ紙

保守中道の全国紙。政治家、大企業の経営者などの指導層が愛読する。常に冷静な視点から報道し、偏りの少ない公正な論調が基本。先ごろの米大統領選では、他紙がバイデン氏の勝利を大々的に報じていたのに対し、軸足をトランプ大統領側に置いた冷静な見出しを掲げたのも、その表れといえる。

1785年に創刊された英国の老舗メディアの一つであり、「ニュースペーパー・オブ・レコード」、つまり「正式な記録を残す新聞」としての権威がある。2010年からはオンライン版の有料化に踏み切るなど、長い伝統を持ちながらも、常に先手を打って英国の新聞業界を牽引する存在。ポッドキャストにも力を入れ、「ストーリーズ・オブ・アワ・タイムズ」では、米大統領選からシリアの情勢まで、毎日1本、政治や文化を中心に一つのトピックを掘り下げる。姉妹紙には「サンデー・タイムズ」がある。

権力を監視する英国の良心
The Guardian
ガーディアン紙

左派・リベラル系。知識層やアーティスト、中産階級が主な読者。民衆弾圧事件「ピータールーの虐殺」を機に1821年に創刊され、1959年に全国紙となった。営利主義を拒否し、オンラインで全記事が無料で読める数少ない高級紙。基本的に労働党支持だが、かつて労働党のブレア元首相が参加を決断したアフガニスタン侵攻や、イラクでの戦争には猛反対を示し、人々の良心に訴えた。

権力を監視する、積極的な取材に定評がある。NSA(米国国家安全保障局)による国際的監視網「PRISM」の実在を告発したエドワード・スノーデンから託された資料を調査・掲載するなどし、2014年にはピューリッツァー賞を受賞した。ポッドキャスト「トゥデイ・イン・フォーカス」は、ニュースをより深く理解するために週5日さまざまなトピックを解説する。姉妹紙に日曜版の「オブザーバー」がある。

扇動的な見出しで庶民の心をつかむ
Daily Mail
デーリー・メール紙

英国のタブロイド紙としては最も古い保守系右派の新聞。反権力の名の下に庶民の立場から報道するものの、扇動的な見出しが多く、内容が事実と異なることがある。そのため、ウィキペディアは同紙を情報源として引用することを禁止したほど。政治的には、移民や難民の受け入れ反対派。英国の欧州連合からの離脱を決める国民投票の際には、当時の首相デービッド・キャメロンが苦情を訴えるほど、大々的に離脱キャンペーンを行った。

読者層は平均年齢が58歳、「中産階級のやや下」(Lower Middle Class)の女性という結果が出ている。ほかのタブロイド紙同様、王室ネタ、有名人ネタなどのゴシップ記事が豊富で、一面を飾ることも多い。英国は概してタブロイド紙間の競争が激しく、特ダネ記事をめぐる熾烈な争いが展開されており、メーガン妃が悩まされたのもこの点だったといわれている。

ほかにもユニークな視点の新聞

サーモンピンク色のフィナンシャル・タイムズ紙(Financial Times)は、保守中道派の経済紙。国際報道では高い情報力と信頼を得ている。現在オンライン版のみのインディペンデント紙(The Independent)は、1986年発刊の比較的新しい一般紙。ガーディアン紙よりも左派・リベラルで、ジョンソン政権の新型コロナ対策に強く反対するなど、メッセージ性の強い紙面構成が特徴。エコノミスト誌(The Economist)は雑誌の外見をとるが、れっきとした週刊新聞。国際政治と経済を扱い、科学技術系にも強い。記者は完全匿名性で、「本誌は」などの一人称を用いることで知られる。左にも右にも寄らない中道を標ぼうするが、その主張の多くはリベラルな左派といっても良い。

ニュースの背景や影響を徹底解説するドイツ ニュースの背景や影響を徹底解説するドイツ

ドイツでは、日本のように新しい事実をいち早く伝える特ダネは重要視されていない。どのような背景から事件が起きたのか、今後それが社会にどう影響するのかを解説することが、新聞の大きな役割と考えられている。各分野に精通した専門記者が多数活躍しており、報道自体が政治や社会を大きく動かすことも。また、報道自由ランキングで上位になる理由は、ナチス政権時代の反省から言論や報道の自由を重視していることにある。さらにナチスドイツの歴史を繰り返し報道することで、若い世代に伝えていくこともドイツのメディアの使命といえるだろう。

お話を聞いた人

熊谷徹さん Toru Kumagai

在独ジャーナリスト。過去との対決、統一後のドイツ、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続ける。ドイツニュースダイジェストでは毎号「独断時評」を執筆。

ドイツを代表する新聞

政治家や官僚が毎朝必ず読む
Frankfurter Allgemeine Zeitung
フランクフルター・アルゲマイネ紙

フランクフルター・アルゲマイネ紙(F.A.Z.)はドイツを代表する高級紙。政治家や企業の取締役、研究者など、ドイツのかじ取りをする人にとって必読紙であり、中央官庁の官僚たちは毎朝必ず読むという。その理由は、ほかの新聞にはない圧倒的な質の高さにある。良質な記事に丸1ページを割いていることから、F.A.Z.の記者には取材力と筆力が感じられる。読者は中道右派が多い。

また、F.A.Z.の社説は政治にも影響力を持つことで知られる。1990年代に旧ユーゴスラヴィアで内戦が起きた際、東欧情勢に詳しいヨハン・ゲオルク・ライスミュラー記者が「クロアチアがユーゴスラヴィアから独立したら、ドイツはクロアチアの独立を承認すべきだ」と社説で論じた。実際にドイツは非常に早い段階で独立を承認し、独政界ではこの社説が当時のコール政権の政策に大きな影響を与えたといわれている。

調査報道に強い元祖リベラル
Süddeutsche Zeitung
南ドイツ新聞

南ドイツ新聞(SZ)の特徴は、独自の取材・調査によって問題を掘り起こす調査報道の強さにある。2016年に世界を揺るがしたパナマ文書(租税回避に関する機密文書)のスクープは、このSZの調査報道によるものだった。多数の政治家やビジネスマンなどのオフショア資産口座の実態を暴露した報道をきっかけに、パナマ文書のデータを持つ人物がSZにコンタクトし、その存在が明るみに出たのだという。特ダネから次の特ダネにつなげることも、SZの強みである。

国際的なジャーナリスト機関とデータを共有するというネットワークの広さも自慢で、お金と時間と人手が必要な調査報道を国内の他メディアと協力して行っている。調査報道に強い記者が多くそろっており、昨今ではIT テクノロジーを駆使し、膨大な量の文書を分析して記事を執筆。リベラルな論調のため、読者層は中道左派が多い。

政界も揺るがすタブロイド紙
Bild
ビルト紙

ビルト紙は、ドイツで唯一100万部以上を発行するタブロイド紙。スキャンダル報道も多いが、面白いことにドイツの政治家は同紙を非常に重視している。ドイツの政治家は社会に向けて重要なメッセージを発信するとき、一紙のみのインタビューを受けることがあるが、その媒体としてよく選ばれるのがビルト紙なのだ。その理由は、ずばり広く読まれているから。

また、2010年にドイツ連邦軍の指示で起きたアフガニスタンでの爆撃について、ビルト紙の報道が注目された。当時のユング国防相は、死亡したのはテロリストのみであると発表していたにもかかわらず、実は市民も犠牲になったという事実を隠ぺいしていたことを同紙が明らかにしたのだ。ユング国防相はこのスキャンダルにより辞任。ビルト紙の報道があながちばかにできないことを象徴する出来事だった。

ほかにもユニークな視点の新聞

週刊新聞のツァイト紙(Die Zeit)の読者は、社会民主党(SPD)や緑の党を支持しており、圧倒的に中道左派が多い。その論調は非常に穏健で、経済的な利益よりも人権保護や環境問題などに重点を置く。さらにリベラル派には、ベルリンのターゲスツァイトゥング紙(taz)が読まれている。一方、ハンデルスブラット紙(Handelsblatt)は、調査報道を重視する経済新聞。最近ではフォルクスワーゲンの不正排ガス事件やワイヤーカードの不正会計事件など、厚みのある記事を多く発表している。また、地方紙がよく読まれていることもドイツの大きな特徴だ。地方分権が進んでいるため、地域の出来事を重視する人が多く、全国紙より地方紙を読んでいるということも珍しくない。

報道にも思想を求めるフランス 報道にも思想を求めるフランス

フランスの新聞の特徴は、思想的立ち位置が明確なこと。コンテンツ作成の際は、「ファクトよりもイデオロギーに重点を置くべき」という観念があり、事実報道の記事にも、各紙の論調に基づく独自の「アナリシス」が添えられていることが一般的だ。新聞が「何が正しくて、何が悪いのか」をはっきりと主張する傾向が強く、読者は個々の思想信条に沿って、自分の読む新聞を決める。そのため、新聞によって、一面に掲載されるニュースが大きく違うことも少なくない。「新聞報道は中立的でなくてはならない」という常識がある日本とは、全く異なる文化といえるだろう。

お話を聞いた人

フィリップ・メスメルさん Philippe Mesmer

ジャーナリスト、ニュースキャスター。Le MondeとL’Expressの在東京コレスポンダントとして活動中。École Supérieure de Journalisme 修士課程修了。

フランスを代表する新聞

知識層に愛される国際派新聞
Le Monde
ル・モンド紙

1944年に創刊されたル・モンドは、「地球」を意味する紙名に象徴される通り、伝統的に国際情勢を重視する傾向にあり、国際ニュースが一面を飾る頻度も高い。思想的には中道左派で、創刊当時は反植民地主義を唱えるプログレッシブな新聞という立ち位置だった。

現在では、主にパリを中心とする都市部の知識層から支持され、親EU(欧州連合)主義、LGBTの権利の容認など、国際協調や人権主義を基本とした論説を唱える。アナリシスの分量とクオリティーにこだわり、記事の本数を絞ってでもアナリシスに注力するという編集スタイルが特徴的だ。大手新聞の中では最も早い1995年に電子版を発行し、オンラインでの読者獲得と囲い込みに成功。デジタル面での施策に積極的で、2018年には大量の有料記事を無償解放し、会員登録者数を20%以上増やしたことでも話題になった。

カトリック系富裕層からの厚い支持
Le Figaro
ル・フィガロ紙

1826年に初めて発行された、フランスでは最も古い歴史を誇る新聞。「フィガロ」という名称は、モーツァルトのオペラでも知られるボーマルシェの戯曲「フィガロの結婚」に由来している。伝統的にカトリック系のブルジョア層を主な読者とし、資力は抜群。現在、フランスの日刊紙の中では最も発行部数が多い。

思想的には中道右派としてスタートし、第二次世界大戦後はド・ゴール政権を支持する立場を取っていた。2004年に航空機製造企業を起源とするコングロマリット、ダッソー社がオーナーに就任して以降は、右派系の新聞として認知されている。現在の紙面は、反移民主義、自由貿易主義、同性婚への反対など、保守的な論調が強い。2006年には、イスラム教を批判する記事を掲載したとして、エジプトとチュニジアの政府が国内でのフィガロ紙購読を禁止するという事件も起きた。

哲学者サルトルが創設した活動家の愛読紙
Liberation
リベラシオン紙

1973年、実存主義で知られる哲学者ジャン=ポール・サルトルが中心となって創刊。当時は編集長から清掃員までが同じ給料を受け取るという、階層を排除した社会主義的な運営スタイルをとった。伝統的にフランスにおける左派の論壇として知られ、急進左派的な新聞として認知されていたが、2005年にロスチャイルド家が上場株の37%を取得。編集長が解任されるなど社内紛争が起こり、一時ストライキにまで発展した。

現在のリベラシオンは中道左派にシフトし、移民保護、同性婚容認、人工授精の権利拡大などを促進する論調を展開。社会活動家を後押しする新聞としても知られる。業界関係者からは、タイトルセンスの良さ、ユーモアのある文章、高品質な報道写真など、アーティスティックな部分への評価が高く、哲学や精神世界をフィーチャーしたコンテンツにも特徴がある。

ほかにもユニークな視点の新聞

「人道」を意味する名前を持つ、左派系の日刊紙リュマニテ(L’Humanite)。1904 年、フランス社会党の党首だったジャン・ジョレスによって発行され、1921 年からはフランス共産党の機関紙としての役割を果たした。2001年に民営化したが、論説面では変わらず共産主義的な視点を保っている。各地にネットワークを持ち、全国的には知られていない社会現象を取り上げるなど、大手新聞では読むことができない独自の記事を掲載。取材力の高さやユニークな切り口で、ジャーナリストからの評価が高い。庶民の生活に密着した社会問題を取り上げる点は、日本の「赤旗」と似たところがある。株式の60%を読者や著者らが保有し、毎年9月に読者が集まる「ユマニテ祭」を開催している。

最終更新 Dienstag, 26 Januar 2021 17:55
 

英独仏三国の識者に聞く - 新聞の強みと日本のジャーナリズム

Web限定インタビュー!英独仏三国の識者に聞く新聞の強みと日本のジャーナリズム

ニュースダイジェスト2021年新年号では、英独仏のメディア事情に詳しい3名の識者に、各国新聞の特徴についてうかがった。ここでは、紙面では語り尽くせなかったインタビュー内容を、余すことなくご紹介する。三つの視点から浮かび上がった、「新聞メディアの強みと、日本のジャーナリズムの課題」とは?

お話を聞いた人

英国

小林恭子さん Ginko Kobayashi

在英ジャーナリスト。英国をはじめとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。英国ニュースダイジェストでは毎号「英国メディアを読み解く」を執筆。

ドイツ

熊谷徹さん Toru Kumagai

在独ジャーナリスト。過去との対決、統一後のドイツ、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続ける。ドイツニュースダイジェストでは毎号「独断時評」を執筆。

フランス

フィリップ・メスメルさん Philippe Mesmer

ジャーナリスト、ニュースキャスター。Le MondeとL’Expressの在東京コレスポンダントとして活動中。École Supérieure de Journalisme 修士課程修了。

新聞の強みはどのような点にありますか。

小林さん「規制に縛られない自由な報道」

時間をかけて、自分のペースでじっくり集中して読めることでしょうか。また、(英国の)テレビやラジオの報道は、放送網を利用するために英国情報通信庁(Office of Communications)による監査を受けていて、内容の中立性を順守する必要がありますが、新聞にはそのような特定の法律的縛りはありません。事実と情報を流すだけではなく、論説や分析なども多いので、ニュースの背景についてより深く知ることができる点も、新聞の強みだと思います。

熊谷さん「思いがけない情報に出会える」

印刷された新聞の利点は、デジタル化されたメディアよりも、情報を早く吸収できることにあると思います。物理的にページをめくっていくことによって、新しい情報を見つけやすいんですね。

もちろん、デジタルメディアの場合は、検索すれば知りたい情報がすぐに出てくるという利点がありますが、逆に言えば、検索しない情報は見つけにくい。紙媒体を最初から最後まで読んでみると、あっと思うようなニュースが見つかったということが、これまでに何度もありました。

メスメルさん「読者の知性に訴える『確かな情報』」

新聞の持つ真面目なイメージは、ほかのメディアにない強みだと思います。特に、ソーシャルメディアや個人ブログなどによる情報発信が増えた結果、フェイクニュースが問題になっている現在においては、「信頼に足る情報」を確実に届ける新聞の存在意義が大きいといえるでしょう。

新聞記者は、見聞きした情報を丸ごと信じることはありません。手掛かりとなる情報をもとに、取材やリサーチを通じて深堀りし、ファクトを確かめます。このプロセスが重要であり、オンラインメディアなどにはない特徴です。

現在はビジュアルの時代ともいわれており、写真や動画といったイメージがニュース視聴者に与えるインパクトが大きいですが、私はこの傾向にも懐疑的です。

私の通ったジャーナリズム学校の講師が言ったことで、印象に残っている言葉があります。「イメージは感情に訴え、言葉は知性に訴える」というものです。言葉を用いて情報発信する新聞は、読者が冷静に状況を把握し、判断を下すために重要な存在だと考えています。

日本の新聞に必要なことは何でしょうか。

小林さん「権力との距離を保ち、市民の側に立った報道を」

新聞の役割は民主主義を守ることなので、日本の新聞はもっと市民の側に立った報道が必要です。そして権力に対する監視をもう少し厳しくしていただきたい。政治家に「メディアは怖い、用心しなくては」と思わせ、緊張感を持たせるような記事を書かなければいけません。昨今の日本の政治を見ていても、もしこれが英国であれば、菅政権はもうとっくにメディアからボコボコに叩かれているはずです。

英国の新聞の特徴は、思い思いの政治的見解を展開することですが、日本の新聞は不変不動、つまり報道の中立性を重視していますね。偏向報道をしないように作る側が心掛けているし、読むほうもそれを期待している。ですから日本ではよく「偏った報道だ」という言い方で批判が起こります。しかしその分、紙面はどっちつかずになり目立った意見が掲載されないともいえるかもしれません。

英国では、政府が政策を発表すると、新聞は市民の視点から報じます。「市民の生活にとってその政策はどうなのか」と、必ず批判的に物事を見ています。これは例えば性犯罪の報道などでも同じで、被害者の側に立った記事になり、「被害者にも悪い点があったのでは」などという、公平を装った報道にはならないわけです。

また、日本のメディアは、大企業について「企業の言うことにも一理あるのではないか」という姿勢で報道することがありますが、英国では、政治家や大企業などの権力者の言うことは最初から「おかしいことがあるかもしれない」と疑った目で見ている。権力の監視を役割としているのです。

取材方法も、日英で大きく違います。2011年に東日本大震災で原発事故が起きたとき、日本の新聞界は「危険だから行ってはいけない」という政府の言葉を守り、現場に足を踏み入れませんでした。しかし英国のチャンネル4などは行ってしまった。これは、与えられたものを報道するだけではなく、一歩踏みこんで自分たちで判断するということを意味します。人種差別に関する問題なども、当事者に話を聞くだけでは分からないことは、潜入取材で自らが当事者になることで記事を書く。公益のためにはかけ引きや危険も辞さず、情報をもぎ取るくらいのやり方です。それに比べると日本はおとなしいですね。特に政治に関しては、日本は政権がなかなか変わりませんから、一定の政党、政治家と仲良くなることで情報を流してもらう形になってしまいがちです。

熊谷さん「複雑な出来事を解説するクオリティーペーパーを」

日本にもドイツのような高級紙(クオリティーペーパー)ができてほしいですね。これは、日本のマスコミ関係者や新聞記者の間でもよく話されています。

ドイツ語の動詞に「einordnen」という日本語には訳せない言葉があります。これが意味するのは、出来事や事件を解析して、さらにそれにどういう意味があるのかを解説すること。ドイツでは、新聞を読んで単に新しい情報を入手するだけではなく、「einordnen」することが新聞の一番重要な機能なのです。日本の新聞には、この「einordnen」が足りないと感じています。

日本では事実を中立的に報道し、あとは読者が判断するというスタンスが基本です。しかしながら、この世の中には複雑な出来事が多すぎるため、事実を提示しただけでは一般の人が判断できないことが多いんですね。ドイツ人は理論性を好む傾向にあるので、一般の人が理解できるように出来事の歴史的・政治的背景を解説してくれることを新聞に望んでいます。昨今、世界では右派ポピュリズムが勢力を拡大しています。特に若者たちがその主張の問題点を自分の頭で考えられるようにするには、やはり「einordnen」が重要だと思います。

日本の新聞記事に比べて、ドイツの記事は圧倒的に長いです。日本では、できるだけ記事をコンパクトにしないと受け入れられないと思うのですが、ドイツの新聞ではよく取材したものに関しては丸1ページを割いており、記者の取材力と筆力を感じますね。また、一流の経済学者や歴史学者、政治学者が一面を使って評論を書くこともあります。ホットな話題でなくても、例えば第一次世界大戦や第二次世界大戦が現代の政治に及ぼしている影響といったトピックも。ちょっとした本を読むくらいの内容量があり、読むのは大変なのですが、非常に勉強になります。

今の日本には高級紙と呼べるものはありませんが、月刊誌「FACTA」など一般的な新聞には載らないような内容を伝える雑誌が発行されています。現在は関心のある人だけがそういった雑誌を購読しているような状況ですが、時間と費用をかけてでも物事の背景をきちんと解説するような高級紙が、これからの日本に必要だと思います。

メスメルさん「独立独歩の姿勢で、市民の意見形成に貢献を」

日本の新聞は、もっと独立した存在であるべきです。今の新聞は、政府をはじめとする権力からの干渉を許し過ぎています。官邸での記者会見などを見ていると、政府側の誘導に従って、当たり障りのない質問をしているだけで、突っ込んだ質問をする記者はほとんどいません。メディアの経営層が政府に取り込まれているからだと思いますが。ジャーナリストらしい取材をしていると思えるのは、東京新聞の望月衣塑子記者くらいですね。

紙面を見ても、一面を飾るニュースはほぼ横並びで、各紙の特色が見えません。まるで同じ新聞を読んでいるような気になります。もっと自由に取り上げるネタを選んでもいいと思いますね。紙面上でもっと活発な議論を展開することも必要でしょう。新聞が読者に対して具体的な「イデア」(考え方)を提供し、「こうあるべきだ」という提案をするべきです。読者が自分なりの意見を形成するための助けにならなくてはいけません。民主主義国家の言論機関として、それこそが新聞の使命なのですから。

最近は、ソーシャルメディア上でマスメディアを「マスゴミ」と呼ぶような風潮もありますが、これはマスメディアの記者たちが積み重ねている地道な取材・調査活動のような舞台裏が、一般の人たちに知られていないからという面もあると思います。

これに対しては、米「ニューヨーク・タイムズ」紙が良い試みをしてます。トランプ政権によるマスメディア攻撃が始まっていた2018年、自社の記者たちの日常を映したドキュメンタリー番組である「ザ・フォース・エステート」(The Forth Estate)を公開したのです。「新聞記事が多くの時間と労力をかけ、時には命の危険を冒して作られているという事実をきちんと説明してこなかったことが、信頼不足につながっている」という反省のもとに制作された番組で、視聴者からは「記者たちが地道な取材活動や真剣な議論を繰り返し、悩む様子を観て、彼らも私たちと同じ人間なのだということが分かった」といった感想も出ています。日本の新聞社も、もっとありのままの姿を見せ、等身大の存在として理解してもらう試みをしてみるといいのではないでしょうか。

マスメディアは、市民に寄り添うパートナーとしての情報提供を

お三方のインタビューを通して、新聞やジャーナリズムにとって欠かせない、いくつかの共通ポイントが見えてきた。

まずは、権力との適切な距離を保ち、民主主義国家における「第四の機関」としての役割を果たすことだ。その時その時の政権や大企業と癒着することなく、主権者である市民の利益を考えた報道をすることが求められる。それに伴っては、独立した報道機関の存在意義をしっかりと示し、「新聞が権力批判をするのは政治家叩きがしたいからではなく、民主主義国家を構成する機能としての役割を果たすためだ」という事実を、丁寧に伝えていくことも必要だろう。

また市民の利益を考えるにあたっては、複雑な事象や問題を中立的に報道するだけでなく、背景なども含めて分かりやすく説明し、市民生活にはどのような影響があるのか、といった解説を提供することも重要だ。

メディアは、権力の暴走を食い止め、私たち一人ひとりの手から主権が奪われることを防ぐための重要なツールだ。ソーシャルメディアを利用したポピュリズムが蔓延する現代こそ、「一般の人々に寄り添うパートナー」としてのマスメディアの在り方が、ますます求められている。

最終更新 Mittwoch, 13 Januar 2021 14:01
 

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