特集


ドイツでスタート!気になる習い事

ドイツで習い事を始めてみたいと思っている人、いませんか? でも、一体どんな雰囲気なのだろう、授業はドイツ語のみで進められるのかな……と不安がよぎり、なかなか行動に 起こせない人もいるのでは。今回は、編集部員が身体を張って5つの習い事に挑戦しました。勇気を出して一歩踏み出すと、これまで見たことのない世界が広がりますよ。(編集部)

Kochen 料理

Kochen ist das Schönste, was man lernen kann.
料理とは、人間が学ぶことのできる最も素晴らしく美しいものだ
── ディルク・ホフマン氏

Da cookste !

テレビ番組に出演する人気シェフに料理を教えてもらえる!と息をまいて向かったのは、デュッセルドルフの閑静な通りの一角に佇む料理教室「Da cookste!」。ここで、1人暮らし暦やっと年、料理はレンジでチンが主流の 「料理超初心者」編集部員が、スペイン料理コースに挑戦!

体験談

料理「教室」に来たというよりは、1つの「イベント」に参加したような感覚。知らない人とも自然と仲良くなれるのは、カジュアルで明るい雰囲気の教室と、陽気なシェフのキャラクターのお陰かも!皆でレストランで食事をするのも楽しいけれど、家族や友人と一緒に作ると、美味しさも思い出もさらに特別なものになりそう。

Da cookste !
左:オープンな雰囲気の教室。お互いの顔を見ながら調理できるため、自然とコミュニケーションが生まれる
右:まるで映画のワンシーンのような1室で、出来立ての料理を「いただきます!」

ドイツ本場の味を日本語で学べる!

世界各国のユニークな料理をドイツ語と日本語で学ぶことができる料理教室「Da cookste!」。ビギナーコース、デュッセルドルフの郷土料理から時には 和食まで、様々なプランが用意されており、どのコースへ参加するか、選ぶのも楽しい。料理を習いながら同僚とのチームワークを深める企業向けのコースもあり、企業研修や会社のイベントにもオススメ。完全予約制なのでスケジュールの詳細はHPから確認を。せっかくドイツにいるのだから、本場ドイツの味を学んでみては。

Da cookste !ディルク・ホフマン氏(中央): 世界中で経験を積み、民放Kabel eins に自身のテレビ番組を持つ実力派シェフ。ユーモラスで陽気な語り口に、レッスン受講者はたちまち皆笑顔
望月こゆきさん(左): 分からないことがあれば丁寧に教えてくれるので、ドイツ語が不安な方も安心

Da cookste! Gabriel & Partner GmbH
Blücherstr. 63, 40477 Düsseldorf
Tel: 0211-51438511
E-Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください ※完全予約制。ご予約はこちらのメールアドレスへ。日本語可。
www.dacookste.de

Sprache 言語

世界で4億2000万人以上に話され、国際機関の公用語の1つでもあるスペイン語。
就職にも有利なこの言語は、ドイツでも不動の人気

Sprachcaffe Düsseldorf

スペイン語学習経験ゼロの編集部員が、スペイン語初級クラスに潜入。 19:00から始まるクラスには、仕事帰りの生徒たちが次々と「Hola!(こんにちは)」と言いながら、楽しそうにやって来た。講師は、明るいラテンのノリで生徒をやる気にさせるプロフェッショナルのマリア先生。

体験談

生徒たちの職業は、パイロット、大学教員、パン屋、販売員などと幅広く、聞いてみれば学ぶ目的は皆様々。スペイン語を習得したい! という目標に向かって意欲的に学ぶ姿には刺激を受けた。また、先生の生徒1人ひとりに対する行き届いた配慮は素晴らしく、全部は理解できなくても、続けてスペイン語を勉強したいと思わせる、そんな授業だった。

Sprachcaffe Düsseldorf
参加したスペイン語の授業風景。仕事帰りとは思えない集中力で学ぶ生徒の皆さん

ドイツ語上達というメリットも

授業は基本的にスペイン語のみで進められるが、生徒がよく理解できない場 合は、ドイツ語で丁寧に解説してくれる。ドイツで他言語を学ぶと、知らず知らずのうちにドイツ語のブラッシュアップにも役立つというメリットがある。シュプラッハ・カフェは、広々とした校内のあちらこちらで先生やスタッフ、生徒たちが歓談しており、自由な雰囲気が心地良い。また、TestDaF や TELC の公認試験センターでもあり、DSHやTOEIC、TOEFL試験のための特別準備コースがあるのも魅力だ。

Sprachcaffe Düsseldorf
左:約30カ国語が学べるシュプラッハ・ カフェの表玄関
右:校舎の別棟。中庭を挟んだ向かい側にある

Sprachcaffe Düsseldorf
Grafenberger Allee 78-80, 40237 Düsseldorf
Tel: 0211-684152
www.sprachcaffe-duesseldorf.de
※ホームページには、日本語で相談や質問を送信できるコンタクト・フォームあり。

Gitarre ギター

即興で格好良くギターを弾けたら――。
そんな希望を叶えてくれる学校がある。しかも講師陣は、プロの先鋭ギタリスト集団!

Gitarrenakademie Düsseldorf

ギターの種類さえ知らぬまま学校を訪れた。が、そんな無知な生徒を前に、丁寧に「ギターのいろは」を説明してくれた校長先生(Ben Papst氏)。体験レッスン(45分)とは思えない充実した授業内容は、またたく間に過ぎていった。

体験談

弦を正しく押さえることに四苦八苦したものの、先生に励まされながら、クイーンの「We Will Rock You」に合わせてシンプルなリズムを何とか演奏?! 先生いわく、「ギターを上手く弾けるようになる近道は、学校で基礎を学ぶこと。自 己流で学んでしまうと、後で修正するのが大変なんだ。ギターを習いたいという子どもがいたら、物事を判断できるようになる6歳くらいからが良いと思う」。

Gitarrenakademie
左:学校の入り口。アルトバウ(旧築)の地下1階が教室
右:華麗な指さばきでギターを弾くベン先生。ドイツ語・英語・スペイン語での授業が可能

Gitarrenakademie
左:上から時計回りに、アコースティック・ギター、クラシック・ギター、エレクトリック・ギター
右:先生の最新アルバム『Details des Lebens』

Gitarrenakademie Düsseldorf
Karolingerstr. 88, 40223 Düsseldorf
Tel: 0211-87537133
E-Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.gitarrenakademie-duesseldorf.de

Yoga ヨガ

「呼吸に意識を向け、自分の内側を見つめて "感じ取る"。
それがヨガ。続けていると、周りの人が気づくんだ。『最近変わったね』って」

Rundum Yoga

約10年前のヨガブーム期にヨガをかじった編集部員。さて、ヨガのポーズや その過程に至る動きの描写は細かいけれど、ドイツ語の指示を聞きながら、先生が求める様々なポーズを行えるのだろうか、という不安を胸に参加してみた。

体験談

ビンヤーサ・ヨガの初級クラスを体験した。 心配していたドイツ語での指示は、案の定、全部は理解できなかった。しかしレッスン中、 先生は見本を見せた後に教室内を回り、生徒全員のポーズを細かく修正してくれ、不安は解消された。「ヨガによって、性格も、食生活も、物事に対する見方も変わった。ヨガを始めると良いことばかり!」と話してくれたマーク先生 の笑顔が印象的だった。

Rundum Yoga
左:自分のマットがある人は、教室で保管してもらえる。貸し出し用もあり
右:ズザンネ先生とマーク先生

いくつになっても始められる。それがヨガの良さ

当教室を営むのは、Susanne & Marc Wenke夫妻。教室はデュッセルドルフに2カ所あり、学べるヨガ・スタイルは、ダイナミックな動きでパワーヨガの源流となったビンヤーサ・ヨガから、プラーナ(気)の流れを整えるハタ・ヨガ、エア・ヨガ、瞑想と多岐にわたる。インストラクターは世界中から集まった、経験・知識ともに豊富な24人。レッスンは毎日行われており、自身のレベル やスケジュールに合ったコースに参加できる。ワークショップも常時開催。

Rundum Yoga
Derendorfのスタジオ

Rundum Yoga
Studio Unterbilk: Kronenstr. 4, 40217 Düsseldorf
Tel: 0211-69168761
E-Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.rundumyoga.de

Tanz ダンス

米国西海岸生まれの米国版社交ダンスWest Coast Swing。
基本のステップさえマスターすれば、アレンジは自由自在!

tanzraum

ムード満点の照明の下に広がるダンス・スタジオ。一歩足を踏み入れると、そこは華麗で優雅な世界だった。緊張しつつも、このダンスならできるのでは?! と淡い期待を抱いて挑戦した!

体験談

自分のリズム感のなさにショックを受けつつ、細かなステップを踏みながら次々とパートナーを変えて踊るこのダンスの楽しさを味わった。先生は、身体の細かな部分の使い方にまで指示を与えてくれ、それだけで見栄えがぐっと良くなったりする。こんなに上手に教えてくれるのなら、基本の5ステップを踏めるようになる日も遠くない?!かも。

tanzraum
左:当日のWest Coast Swing のレッスン風景。練習に励む、幅広い年齢層の生徒たち
右:「若い人にも気軽に挑戦してほしい」と Johannes Tomczyk先生

2人で踊るダンスの楽しさは相手との一体感

ペアで踊るWest Coast Swing は、5種類の基本のステップを組み合わせ、 上半身は自在な動きを取り入れてOK というもの。また、男性のリードで次のステップが決まるという暗黙のルールがある。インストラクターのヨハネス先 生は米国人の先生から指南を受け、現在ドイツでの普及に努める若きダンサー。tanzraum はケルンを中心に全6教室あり、社交ダンスやポールダンス、タンゴ、ズンバに至るまで、あらゆるダンスを習うことができる。

tanzraum
ミラーボールが眩しい、広々とした1階のダンス・スタジオ

tanzraum Köln Zentrum
Salierring 33, 50677 Köln
Tel: 0221-233233
E-Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.tanzschule-tanzraum.de

最終更新 Freitag, 16 Oktober 2015 13:07
 

本場ドイツのバウムクーヘンを味わおう!

バウムクーヘン(Baumkuchen)……おそらく日本で一番親しまれているドイツ語ではないでしょうか。本場のバウムクーヘンをドイツで食べたい! お土産に買いたい!という人も多いはず。しかし、当地のバウムクーヘン事情は、日本とはずいぶん違うようです。では一体、ドイツのバウムクーヘンとは、どんなものなのでしょう? その歴史やおいしさの秘密を探ってみました。
(テキスト:坪井由美子、撮影:坪井由美子、米田由佳)

バウムクーヘンバウムクーヘンに歴史あり

ドイツでバウムクーヘンが誕生したのは、1800年代の初めといわれています。発祥の地は諸説ありますが、最初にバウムクーヘンが焼かれたという記録が残っているのが、北部ザクセン=アンハルト州の小さな町、ザルツヴェーデル(Salzwedel)。このほかにも「バウムクーヘン発祥」を名乗る町はいくつかあって、東部のドレスデンやコットブスなどが有名です。

ドイツ人はバウムクーヘンを食べない?

皆さんご存じの通り、バウムは「木」、クーヘンは「ケーキ」を意味します。名前のごとく、木の年輪のような層を持つこのお菓子は、ドイツ生まれ。ところが意外にも、当地ではなかなかお目にかかることができません。それもそのはず、ドイツのバウムクーヘンは日本のように身近な食べものではなく、クリスマスやお祝いに贈る高級菓子という位置付けなのです。常時店頭に置いているお店は少なく、バウムクーヘンを「食べたことがない」というドイツ人もたくさんいるようです。

バウムクーヘンの定義とは

ドイツでは、ビールに「ビール純粋令」があるように、「バウムクーヘンの定義」が国立菓子協会によって定められています。油脂はバターのみ、ベーキングパウダーは使用しないなど、数々の厳しい基準をクリアしたものだけが本物と認められています。専用のオーブンで手間暇かけて作られるバウムクーヘンは、高度な技術と経験が必要 とされるため、菓子職人のマイスター試験の課題にもなっているほど。ドイツのバウムクーヘンは、限られた職人さんだけが作ることのできる「特別なお菓子」なのです。

ドイツと日本のバウムクーヘンは別物?

柔らかくてふわふわの食感が好まれる日本では、バウムクーヘンも日本人の舌に合わせて独自に進化し、味も形もバラエティーに富んだ新商品が開発され続けています。一方、ドイツのバウムクーヘンは、「バウムクーヘンの定義」に則り、昔ながらのレシピと製法に基づいて忠実に作られ、伝統の味が大切に守られています。主な材料は、小麦粉、バター、マジパン(アーモンド)、卵、砂糖など。これにアルコールやスパイスなど、各店秘伝の隠し味がプラスされます。フォンダンやチョコレートでコーティングされているのは乾燥を防ぐため。ドイツのバウムクーヘンは、まるで歴史の重みを内包しているかのような、ずっしり感が印象的です。

バウムクーヘンの美味しい食べ方

ドイツには、バウムクーヘンが食べられるカフェを併設したコンディトライも、少数ですがあります。 こういったカフェで供されるのは、横に薄くそぎ切 りにした「バウムクーヘン・シャイベ」。縦に切るよりも口当たりが柔らかくなり、どっしりとしたバウムクーヘンでも重さを感じません。ドイツ風に、たっぷりと生クリームを添えていただくのもお勧めです。チョコレートでコーティングされているものは、常温に戻し、お湯で温めた包丁でチョコレートを溶かしながら刃を入れると、きれいに切れます。

Salzwedeler Baumkuchen
ザルツヴェーデル地図 バウムクーヘン発祥の町
ザルツヴェーデルへ

旧東ドイツに位置するザルツヴェーデルは、ガイドブックにも載らない小さな町ですが、「バウムクーヘンの町」として、知る人ぞ知る存在。バウムクーヘンを売るコンディトライがあちこちにあり、200年以上前のレシピ通りに直火で焼かれるバウムクーヘンを見たり食べたりできるという、お菓子好きにはたまらない町なのです。

アクセス

ベルリン中央駅から ICでStendalへ向かい、乗り換えて ザルツヴェーデルまで約1時間40分
ハンブルク中央駅から Uelzenで乗り換え、ザルツヴェーデルまで約1時間半
デュッセルドルフ中央駅から HannoverとUelzenで乗り換え、ザルツヴェーデルまで約4時間40分
※ザルツヴェーデル駅から町の中心までは徒歩で約15分

ザルツヴェーデル

ザルツヴェーデルには有名な観光名所こそありませんが、古いレンガ造りや木組みの家がたくさん残っていて情緒たっぷり。のんびりお散歩しながらバウムクーヘンが辿った波乱万丈の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

最古のバウムクーヘン作りを見学しよう

ドイツ最古のバムクーヘンドイツ最古のバムクーヘンのレシピは、1800年代初めに書かれたものと伝えられています。その後、2つの世界大戦や激動の歴史を経る中で、いろいろな人の手に渡ることになるこのレシピを現在保有しているのが、ザルツヴェーデルでバウムクーヘン専門店を営むヘニヒ家。

「最初のザルツヴェーデルのバウムクーヘン工場」という店名のごとく、同店では代々受け継がれてきたレシピ通りの材料を使い、今でも直火でバウムクーヘンを1本ずつ焼き上げています。

併設の工房は見学もできるので、ぜひ訪問してみましょう(見学無料、通常13時まで)。材料を調合し、生地を一層ずつ杓子でかけながら焼き上げ、カットしてコーティングする過程に至るまで、すべて手作業で行われているバウムクーヘン作りが目の前で見られるなんて、これは貴重な体験です。ごうごうと燃え盛る炎の中でできあがっていくバウムクーヘンを前にしたら、興奮せずにはいられません!

最初のザルツヴェーデルのバウムクーヘン工場

焼き上がったバウムクーヘンは手作りならではの、でこぼこを残したワイルドな形で、しっとりと柔らかく優しい味わい。美味しさに感動したのはもちろんですが、伝統と歴史の継承について考える、良い機会となりました。

Erste Salzwedeler Baumkuchenfabrik
St.-Georg-Str.87, 29410 Salzwedel
※工房見学時間は要確認
www.baumkuchen-salzwedel.de

ザルツヴェーデルのバウムクーヘン巡り

歴史あるバウムクーヘン・カフェ
Café Kruse

Café Kruse

「Erste Salzwedeler Baumkuchenfabrik」が保有する最古のレシピと、同じ時代から伝わる古いレシピを受け継ぐお店が、こちらのカフェ・クルーゼ。ほのかなスパイスとバニラの風味が印象的なバウムクーヘンです。200席もある広々としたカフェの中庭にはテラス席もあります。種類豊富なケーキやアイス、バウムクーヘンに生クリームをこんもりトッピングしたデザートもいただけます。

Café Kruse
Holzmarktstr.4-6, 29410 Salzwedel
www.Kruse-Baumkuchen.de

町の中心のコンディトライ・カフェ
Treff im Adler Horst

Treff im Adler Horst

ザルツヴェーデルとその近郊に何軒もの支店を持つバウムクーヘン工房「ザルツ ヴェーデラー・バウムクーヘン」が経営するコンディトライ・カフェ「トレフ・イム・アドラー」。町の中心広場に面した明るい雰囲気のお店で、朝食やランチ、アイスデザートなどもいただけます。バウムクーヘンはフォンダン、チョコレートがけのほか、2つの味が楽しめるハーフ&ハーフもあり。

Treff im Adler Horst(Salzwedeler Baumkuchen GmbH)
Neuperverstr.29, 29410 Salzwedel
www.baumkuchen-saw.de


バウムクーヘンの名店ドイツ全国
バウムクーヘンの名店5選

ドイツ各地で伝統の味を守り続ける、バウムクーヘンの名店をご紹介します。これらのお店なら、間違いなく「本物のバウムクーヘン」が手に入るはず!

コンディトライ・ラビーン
Konditorei Rabien
スパイスがほんのり香る優しい味。手作りならではの凸凹がいい!

コンディトライ・ラビーン

ベルリン郊外の住宅地に佇む「ラビーン」は、1878年の創業から、4代にわたって伝統の味を継承しています。当時のレシピと製法を守り、自然で新鮮な材料のみで手作りされているバウムクーヘンは、素朴で優しい味わいが魅力。海外からも注文がくるほどの人気ぶりで、一番多いお客様は日本人だとか。クリスマス前には1日に50本以上焼くこともあるというから驚きです。同店を訪れたなら、種類豊富なケーキもぜひお試しあれ。

Konditorei Rabien
Klingsorstr.13 12167 Berlin
www.rabien-berlin.de

コンディトライ・クロイツカム
Conditorei Kreutzkamm
見た目も味も上品でリッチな味わいのバウムクーヘン!

コンディトライ・クロイツカム

1825年にドレスデンで創業した クロイツカムは、ザクセン王国のアルバート王から王室御用達の称号を受けた、まさに「王様のお菓子」。第2次世界大戦時の空爆の影響で、ドレスデンは廃墟となってしまいましたが、ミュンヘンに拠点を移して再スタート。東西ドイツ再統一後、ドレスデンでも店を再開することができました。いまや日本人の間では、同店のバウムクーヘンはドイツの定番土産として大人気。ドレスデン銘菓のシュトレンも絶品です。

Conditorei Kreutzkamm
Altmarkt 25 01067 Dresden
http://kreutzkamm.de

ホレンディッシェ・カカオシュトゥーべ
Holländische Kakao-Stube
レトロなパッケージがかわいい!昔ながらの正統派バウムクーヘン。

ホレンディッシェ・カカオシュトゥーべ

数年前に日本のデパートに登場するやいなや、可愛いパッケージと本場の味で多くの女性ファンを獲得した同店は、1895年にハノーファーで創業。舌を噛みそうな店名は、オランダの老舗ココア「ヴァン・ホーテン」の試飲所としてオープンしたことに由来します。日本で「行列ができるバウムクーヘン」として有名になった今も、本店は変わらずレトロ感たっぷり。100年前にタイムトリップできる、愛すべきオーマ・カフェです。

Holländische Kakao-Stube
Ständehausstr. 2 30159 Hannover
http://hollaendische-kakao-stube.de

コンディトライ・ハイネマン
Konditrei Heinemann
しっとりとして口溶けが良い!外側のチョコレートもさすがの美味しさ!

コンディトライ・ハイネマン

1932年に、メンヒェングラットバッハの小さなお菓子屋さんから始まったハイネマン。支店を置くのは品質管理の行き届く近郊のみ、というこだわりからデュッセルドルフを中心に展開していますが、その美味しさは世界中のグルメから絶賛されるほど有名です。看板商品のシャンパントリュフのほか、日本人の間で圧倒的人気を誇る逸品がバウムクーヘン。一口サイズのバウムクーヘン・シュピッツェや各種ケーキもお勧めです。

Konditrei Heinemann
Martin-Luther-Platz 32 40212 Düsseldorf
www.konditorei-heinemann.de

ライジーファー
Leysieffer
オレンジ・リキュールを効かせた大人味。缶がステキ!

ライジーファー

ドイツ北部のオスナブリュックで1909年に創業したライジーファーは、現在はベルリンやミュンヘンをはじめ、20店舗以上を展開する人気店。主要空港内でも取り扱っているので、お土産 探しに困ったときにも重宝します。ドイツでは高級チョコレート店として知られていますが、日本人に人気なのは、やはりバウムクーヘン。同店ではコアントロー風味の生地に合うチョコレートがけのものがお勧めです。なかでも缶入り商品は贈り物に最適。

Leysieffer
Kranstr.41 49074 Osnabrück(本店)
www.leysieffer.com

番外編: スーパーのバウムクーヘン
普段のおやつにぴったり。
甘すぎないビターチョコがおすすめ!

スーパーのバウムクーヘン

普段はなかなかお目にかかれないバウムクーヘンですが、秋からクリスマスにかけては、スーパーマーケットでも購入可。年々売り出す時期が早まっているようで、最近は9月頃からクリスマス菓子のワゴンが見られます。大型スーパーケットから町のディスカウントスーパーまで、どのお店でもバウムクーヘンを見かけます。たいていは同じ形の箱入りのもので、味はミルクとビターチョコレートがけの2種類が定番。3ユーロ以下という安さなので、家庭でも手軽に楽しめますね。

購入できる場所:REWE、KAISER'S、
Aldi、realなど各種スーパー

最終更新 Dienstag, 27 Oktober 2020 18:07
 

特別寄稿・ドイツ再統一25周年
歴史学からとらえる
「ドイツ再統一」経済史研究者の視点から

1989年11月9日の「ベルリンの壁崩壊」のニュース。当時、大学で経済学を研究していた私は、言葉にならない焦燥感に駆り立てられ、その現場をこの目で一目見ようとベルリンへと向かったのでした。ドイツは再統一を果たし、25年を経て経済史学の教鞭を執る立場となった今、こうした大事件を正しく後世に伝える方法は何かを考えています。
(大阪大学大学院経済学研究科教授 鴋澤 歩)

Ayumu Banzawa 鴋澤 歩 Ayumu Banzawa
大阪大学大学院経済学研究科教授。1966年生。専門分野 は経済史・経営史。工業化期 ドイツにおける鉄道業の展開を多角的に調査。著書『ドイツ工業化における鉄道業』(有斐閣、2006年、第50回日経経済図書文化賞)、『西洋経済史』(共著、有斐閣アルマ、2010年)、『ドイツ現代史探訪―社会・政治・経済―』(編著、大阪大学出版会、2011年)

世代間の歴史的実感の差

現在、京阪神のいくつかの大学で経済史学の講義を受け持っています。講義の題目に「西洋」や「外国」 などの言葉が付くことが多いということは、研究者としての専攻に近いところを教えることができているわけで、これは最近の大学教員としては恵まれているほうです。例えば「西洋経済史」という科目を受け持つわけですが、中世から始めて、1セメスター(半年間の学期)計15回の授業進行が順調に進めば、学期の終わり頃には現代史、つまり20世紀西洋(欧州、米国)史を取り扱うことになります。

ご多分に漏れず、40代も終わりの年齢になると、教室で接する学生たちとの世代差による感覚のズレに気づかされることが増えてきました。もっとも、授業中にスマートフォンでLINEを、というようなことは、単純にマナーの問題です。私語や「内職」の小道具が変わっただけのことですから、それほど当方もショックを受けることはありません。

深甚な衝撃を与えてくれるのは、やはり彼らとの時間の感覚の差異、さらに大げさにいえば、現代史をめぐる歴史的実感の隔たりです。

要するに、「ああ、この18歳から20代前半の大学生や大学院生は、"ベルリンの壁崩壊"や"ドイツ再統一"をリアルタイムでは知らないのだ」ということです。今20歳の学生が生まれたのは……と指を折って数えるまでもないこの当然の事実に気づくと、いつも驚きを禁じ得ません。

ドイツ再統一までの
近代ドイツ史年表

1866 普墺戦争
1867 北ドイツ連邦成立
1870/
1871
普仏戦争、
ドイツ帝国成立
1888 ヴィルヘルム2世即位
1890 ビスマルク帝国宰相辞任
1914~
1918
第1次世界大戦勃発
1933 ヒトラー内閣成立
1938 「水晶の夜」事件
1939〜
1945
第2次世界大戦勃発
1949 アデナウアー内閣成立
1961 ベルリンの壁構築
1963 エアハルト内閣成立
1972 ミュンヘン・
オリンピック開催
1989 ベルリンの壁崩壊
1990 東西ドイツ再統一

「近現代経済史」という授業の憂うつ

20世紀経済史について、講義の場で語るべきトピックは豊富です。「20世紀」といっても、もちろん1901年1月1日から話が始まるわけではありません。まずは、「短い20世紀(1914~91年)」という、英国の歴史家エリック・ホブズボームが提唱した歴史区分を、ここで学生諸君に覚えてもらうことになります。1914年、第1次世界大戦の勃発によって、18世紀末以降、「革命の時代」「資本の時代」「帝国の時代」を通じて確立した欧州の市民社会が崩落し、いわゆる「長い19世紀(1789~1914年)」が終わります。この後、ホブズボームいうところの「極端な時代」、つまり、世界戦争と革命と大恐慌の時代がやってきました。経済史が取り扱うのは、世界大戦=総力戦を支えるための統制経済体制の出現、社会主義革命とソビエト連邦・計画経済のインパクト、世界大不況と様々な全体主義の台頭、第2次世界大戦という再びの破局、冷戦体制下の西側における復興と高成長……、といったところでしょう。

そして、こうした「短い20世紀」の終焉について教室で話すとき、1991年のソビエト連邦の崩壊にせよ、それに先立つ1990年のドイツ再統一にせよ、それらがつい最近の出来事であることを、私はまるで疑っていません。「皆さん、ご存じの……」と、自然に言ってしまいますし、決して「ご存じ」ではないと分かっていても、「あの」とか「例の」などという口調になってしまうのです。

そういうときは決まって、困惑したような、白けたような気配が伝わってくるのが分かります。学生にしてみれば、「このおじさんは何を大昔のことを、さも見てきたかのようにしゃべるのだろう? まあ、アナタは知っているかもしれないけれど、こっちは生まれる前のことでねえ……」でしょう。

加齢とともに時間の経過が早く感じられるというのには医学的根拠があるそうですが、しかし25年など、あっという間とは言わないまでも、それほど昔のことではありますまい、と言いたくはなります。25、6年前、私は大学院の1年生でしたが、本質的には今とあまり変わらない生活をしていました。学生時代と変わらず、いまだに坂の上の同じ大学に毎日通っているのがそもそもおかしいのかもしれませんし、院生室で隣の机に座っていた同期の院生が現在の職場の同僚、というような極めて狭い世間に生きているのも我ながらどうかとは思いますが、そのせいか頭の中身も、残念ながらそれほど進歩したわけではないようです。だからでしょうか、四半世紀の隔たりをそれほど実感できないのが、正直なところです。

「壁崩壊」直後のベルリンへ

1990年10月3日に行われた統一記念式典にて国旗掲揚
1990年10月3日に行われた
統一記念式典にて国旗掲揚

それに何より、私は確かに「ベルリンの壁崩壊」や「ドイツ再統一」を、少なくともそのほんの一局面だけは、この目で見ることができた気がするのです。

1989年の日本時間で11月10日の午前中、テレビのニュースであの(と、ここでもつい書いてしまいましたが)、壁崩壊の夜の光景を目にして仰天し、いろいろと考えた末に、何とかしてベルリンに行かなければならないという考えに、その日のうちに取りつかれていました。そして年が明けた2月には、私は生まれて初めて、滑稽にもこれが最後の渡独かもしれないと一種悲壮な思いすら持ってドイツの土地を踏み、当時の西ベルリンから「壁」をくぐって東ベルリンへも入りました。

「壁」の構造物そのものは、すでに物理的な破壊が かなり進んでいましたが、コンクリートの壁に大きく開いた穴の赤茶色い鉄骨の隙間から、東独の国境警備隊員たちが苦笑に近い表情でこちらを見ていたのですから、なお「壁」は残っていたといえます。「壁」の上に立って見知らぬ見物人同士が互いに写真を撮り合い、それは大したツーリストぶりではありました が、一定額の東ドイツマルクとの換金の義務を果たして国境を通過するという経験には、まだ何かしらの緊張感は残っていました。一見ご大層な東独の貨幣を換金所で受け取ったとき、その軽さにひどく驚きました。軽金属製貨幣の頼りなさは、今も掌にあります。

年寄りの思い出話でしかないこんな私事を授業でしゃべったりはしませんが、どんな重要事件でも、四半世紀前の出来事をついこのあいだ経験したことのように説明すると、小さなディスコミュニケーションが教室に生じるのでした。しかし、これは仕方のないことです。

それこそ、実際若い学生だった1989~90年頃の私の前で、先生が25、6年前の、例えば中ソ論争だの部分的核実験停止条約締結だの、いよいよ仕上げ段階に入っていた所得倍増計画だの、あるいは68年のピークに向かって高揚と膨張を続けていた学生運動だのの話を、「あの」「君たちもよく知っている」ことのようにしゃべっていたら、それは違和感を覚えたに違いありません。何しろ、私は生まれてもいなかったのですから。東京オリンピックや東海道新幹線開通(ともに1964年)には、何の記憶の持ちようもないのです。

先行する世代が、自分たちの経験を絶対視して後続の世代にそれを押し付けることは、何にせよ感心できないことですし、教師は特に避けるべきことでしょう。我が国の教室では、これまでそれが必ずしも守られていなかった、むしろその逆ですらあったことを考え、今日のその結果をみると、これは確かだと思えます。

ブランデンブルク門
(上)「壁」建設直前のブランデンブルク門前(1961年)
(下)「壁」崩壊直後のブランデンブルク門前の様子(1989年)

「再統一」以前のドイツ史

およそ25年前の、さらにその25年前の歴史について振り返ってみましたから、この試みをドイツに当てはめて続けてみましょう。1989年の25年前、1964年のドイツは、ルートヴィヒ・エアハルトが西独の首相でした。「経済の奇跡」のスタートを演出した経済相だったエアハルトは、63年にようやく初代首相コンラート・アデナウアーの後を襲ったばかり。「社会的市場経済」というそのモットーは、東側・社会主義体制への鋭い対抗意識に裏打ちされています。63年には、当時の米大統領ジョン・F・ケネディが西ベルリンを訪問しています。「Ich bin ein Berliner! (私は1人のベルリン市民だ)」* で有名な (という言い方も、いまどきの教室では良くないのかもしれませんが)訪問です。「壁」はまだ61年にできたばかりで、冷戦下の西ベルリン市民は米国に見捨てられる恐怖を、このケネディの演説で拭わなければならなかったのでした。

さらにその25年前は1939年。ドイツはナチス体制下にありました。89年の「壁」崩壊が始まった11月9日は、38年においては「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人大迫害事件の初日でした。39年9月、アドルフ・ヒトラーはポーランドに侵攻し、第2次世界大戦の火蓋を切ります。

さらにその25年前は1914年。第1次世界大戦が勃発した年です。クリスマスの頃には勲章の1つも下げて帰国できるはずだった兵士たちは、誰も予期しなかった長期戦と大量殺戮に投げ込まれることになりました。15年初頭には、銃後での食糧配給制度が始まります。

それから25年をさかのぼると、ドイツ帝国のビスマルク時代が終焉を迎えていました。「第2次産業革命」の時代で、1889年にダイムラーが自動車を製造しました。新帝ヴィルヘルム2世との衝突により、オットー・フォン・ビスマルクが自身で作り上げた帝国の宰相を辞任したのは、1890年のことです。その25年前といえば1860年代の半ば。「ドイツ」という統一国家はまだなく、「ドイツ連邦」の各邦君主たちが集まる連邦議会の議長国オーストリア帝国と、ドイツ関税同盟の議長国プロイセン王国とが、「ドイツ」の主導権をめぐって角逐しているところでした。1866年の普墺戦争で、ようやく統一の主導権がビ スマルク首相率いるプロイセン王国の手に落ちます。

さらにその25年前といえば……もう良いでしょうね。こうしてみると、近現代のドイツ史の展開が極 めて急激だったことが改めてよく分かります。「一身にして二生を経るが如く」という福沢諭吉の言葉がありますが、再統一の1990年に70代半ば以上だった人々は、帝政、ワイマール共和制、ナチス期、東西のいずれかの体制、統一ドイツと、いわば"五生"を経験したことになります。

*第35代米合衆国大統領ジョン・F・ケネディが、冷戦時代、東西に分裂されていた旧西ベルリンで行った演説の一節。ベルリン市民に勇気と希望を与えた。

ポツダム広場
ポツダム広場にある壁の展示(筆者撮影)

「希望」を伝えるには

気づかされるのは、およそ25年ごとに起こった出来事と比べて、ドイツ再統一を生んだ「ベルリンの壁崩壊」が、激烈ではあっても血なまぐささの薄い、端的にいって、はるかにまともな出来事だったということです。戦争によって失われた何ものかが回復されたというだけではなく、そこには何か新しい、より良いものが近づいてくる予感が感じられました。いっそのこと、それをもう一度、希望と呼んでもいい。私も含めた無数の能天気なツーリストまでをも世界中から惹きつけたのは、その希望の匂いだったのではないかと思われます。目の前の出来事が、自由や人権といった言葉を輝かせてくれる。そんなことが、ドイツ史に限らず、私たちの現代史にそう多くあったでしょうか。

この「希望」そのものが、後の世代にも伝えられるかどうかは疑わしいことです。実感や記憶は掛け替えのないものですが、それらを伝承することは、おそらく思うようにはできないことなのでしょう。また、25年の歳月のうちに、「希望」がある意味では色褪せたことも、残念ながら私たちは知っています。

ただ、それでも、そこに確かに希望があったことは、伝えられるべきでしょう。そうでなければ「壁」崩壊も結局は、過去の無数の事実の1つ、1回きりの片々たる事件に過ぎないものになってしまいます。

歴史を伝えるには、話者の実体験やその場の感情を語り伝えることによってだけでは、やはり不十分であると思えます。それらが偏りや変形を免れないからだけではなく、事件の経緯を明らかにし、その含意をより広い文脈に位置付けること、すなわち、歴史的事件の意味まで理解するためには、生々しいその形のままでは、かえって役に立たない恐れがあるからです。ここにこそ、歴史学の出番があるのかもしれません。こんな風に思うのは我田引水というものでしょうが、かつて感じられた「希望」の意味を、"歴史"として距離を置くことで個々人が理解することは、将来に再び見出すべき希望の在り処を探るために、とても必要なことだと思えます。

そのとき、四半世紀、さらにそれ以上という時間の経過には、かえってメリットが生じることが期待できるのではないでしょうか。すなわち、揺らぎやすい記憶や同時代感覚をも、より確たる記録"史料"に昇華させ、理解の材料に変えられるかもしれません。歴史学の方法とは、これだといえます。もっとも、そのためには、四半世紀はどうも十分に長い時間とはいえないようです。日本をはじめ東アジアの戦後70年ですら、どうやらそのようなのですから。

しかし、もしもあと10年も同じように教壇に立っていられるならば、私も「ドイツ再統一」について、 きちんと歴史の中に位置付けて、伝えることができるかもしれません。その間に、「壁」や「再統一」、それを取り巻く私たちの時代については、この歴史学の方法がより正確な知識をより多く与えてくれるに違いありません。そのときには、教室での世代のギャップや違和感も、すでに感じる必要はなくなっているのではないかと思えます。これは希望的観測、ないしは私の教師根性というものかもしれませんが……。

最終更新 Mittwoch, 26 Juni 2019 16:08
 

ビジネスも、おしゃれも人生を楽しむ紳士のためのファッション・ノート in Germany

季節の変わり目は、気持ちもスタイルも一新するチャンス。
いつものスーツ・スタイルに極上の逸品を加えて、本物が持つ輝きを身にまとう。
洗練された印象は、欧州を舞台に戦う紳士の武器にも、自信にもなり得るはず。
ここでは、思わず語りたくなる作り手のこだわりがいっぱいに詰まった、
欧州発のメンズ・アイテムを集めました。
取材・文: 編集部 高橋萌

スーツ Anzug

自分史上、最高に格好良い1着を

スーツは本来、自分の身体に合わせて仕立てるもの。採寸し、身体にぴったりと馴染むものは、着心地抜群でスタイルもより良く見せてくれる。変化する体形や自身の好み、その時代の流行によっても、自分を引き立てるスーツは変わる。どんな自分をプロデュースしたいのか、イメージを固めることが、運命の1着にたどり着く近道だ。

サイズ選びのヒント

1.肩 Schulter
肩の収まりはスーツ選びの基本。肩の頂点がスーツの袖付け部分にきちんとはまるように。ショルダーラインはカチッと決まるブリティッシュ、しなやかに身体に沿うイタリアンなど、デザインで印象が変わるポイントでもある。

2.ノボリのシワ Nackenfalte
首筋から背中にかけての「ノボリ」部分に、横ジワが入らないものを。スーツの衿の後ろから裾にかけて入るシーム(縫い目)がすっと通るものが、美しく快適なサイズ。

3.袖の丈 Ärmellänge
スーツの袖丈は、着こなしの印象を決めるポイントの1つ。長過ぎても、短過ぎても見栄えがしない。袖口からワイシャツの袖を、1.5~2cmくらい見せるイメージで。

4.ジャケットの丈 Sakkolänge
着る人の年齢や流行によって、理想のジャケットの丈は変わってくる。近年のモード界の流行は短めの丈。ビジネスシーンで着用するなら、お尻を隠すクラシックなスタイルを。

5.パンツの丈 Schrittlänge
パンツは、「靴にそっとキスするように触れる丈に。覆い被さってはいけない」と、ドイツの仕立屋は言う。しかし、これがイタリアの場合、パンツの丈はぐっと短くなる。

オーダーメイドのスーツを作る工程は
自分探しに似ている

cove & co.
生地の種類、ポケットのデザイン、
ボタンや縫い方の1つひとつを決めていく

デュッセルドルフの旧市街から数分ほど歩き、隠れ家のようなアトリエにたどり着いた。憧れのオーダーメイドのスーツやワイシャツを仕立てるため、紳士たちが集う秘密の場所に一歩足を踏み入れると、そこは 通りの賑わいとは違う、ある種の緊張感と静寂に包まれていた。経営者であるトゥッキング氏のスーツの着こなしに見とれながら、スーツをオーダーメイドする際の手順やポイントについてうかがった。

まず、欧州の服飾文化であるスーツを日本人が着こなすために大切なことは、と、少し身構えて質問すると、「日本にも独自の服飾文化があり、ライフスタイルがあります。それを変える必要はありま せん。ドイツも、英国からスーツのスタイルを輸入した側です。ご自身の求めるスタイル を教えてください。我々は、着る人の求めるイメージを共有し、そこから出発します。オーダーメイドの良さですね」と、引け目を感じていた気持ちを払拭してくれた。

クラシックなデザインはあるが、誰にでも似合う万能なデザインはないという。年齢や時代によって変化するものだからだ。また、スーツの原点は、体型を美しく見せること。採寸して作り上げたスーツは、抜群のフィット感と美しいシルエットを生み出す。体型に合ったスーツを知らずして、スーツの良し悪しは語れない。

いつの間にか、店内に入ったときの緊張感が、生地や見本を見せてもらいながら、理想のスーツについて語らう時間の心地良さに変わっていたことに気が付いた。オーダーメイドは敷居が高いイメージを持っていたが、1着にこだわることは、自分を見つめ直すことに繋がる。しかも、それは孤独な作業ではなく、知識と経験豊かなスタッフとの共同作業。「新しいお客様が、どのような要望を持って来店されるか、いつも楽しみにお待ちしています」

cove & co.
Prof. Dr. Ebbo Tücking

1997年にエッセンに最初の店舗を出店し、現在はデュッセルドルフ、フランクフルト、ハンブルク、ミュンヘンなど10都市で展開している。スーツやワイシャツのオーダーメイドのほか、高級紳士靴や香水など、厳選されたアイテムも取り揃える。
www.cove.de


時計 Uhr

思い出を詰め込む精密機器

クラフツマンシップを大切にする人にとって、機械式時計は特別なアイテム。ただ、その瞬間の時間を知るための道具ではなく、世代から世代へと受け継がれる伝統や重みを、自身の肌を通して感じる媒体でもあるのだ。アップルウォッチが大流行する日は近いかもしれないが、その時代にあえてネジを巻く。紳士の腕にちらりと光る時計に、頑固なくらいのこだわりを見たい。

NOMOSNOMOS
METRO
「美しさ・機能性・リーズナブル」と、三拍子揃ったドイツのグラスヒュッテにある機械式時計メーカー「ノモス」。2014年に発表したMETROは、完全自社製のムーブメントを搭載したこだわりの1品。
SUNDIAL (右写真下)
NOMOSの持ち運べる日時計。
www.nomos-glashuette.com
ZENITHZENITH
EL PRIMERO: SYNOPSIS
創業150周年を迎えたゼニス。第2次世界大戦時には、ドイツ軍が愛用した「DH(Deutsches Herr)」を製造していた。傑作と呼ばれるムーブメント「エル・プリメロ」搭載モデルの人気は高い。
www.zenith-watches.com

靴 Schuhe

幸せを運ぶ一生モノの靴と出会いたい

高級紳士靴のブランドといえば、英国のJohn LobbやChurch'sなどが有名。最高の素材と靴職人の技術が凝縮した1足は決して安い買い物ではないが、自分の足にしっくりと馴染み、適切なメンテナンスによって一生履ける靴となることを考えると、投資する価値はある。足の幅、甲の高さなど、自分の足に合うブランドを探そう。もちろんオーダーメイドなら最高だ。

HEINRICH DINKELACKER
HEINRICH DINKELACKER
Buda 4331 0516 schwarz
ハインリッヒ・ディンケラッカーは、手縫いの高級紳士靴を、靴作りの本場ハンガリーのブダペストに職人を抱えて作るドイツのブランド。その履き心地を、石畳の道もまるで絨毯の上を歩いているよう、と表現する人も。
Passende Gürtel (右写真下)
靴を作った皮と同素材のベルトも。
www.heinrich-dinkelacker.de
ZEHA BERLINZEHA BERLIN
Carl Häßner
1897年、チューリンゲンで創業したスポーツシューズブランド。東西再統一後は「東のアディダス」と評されながらも生産休止に。2002年から再スタートを切った。こちらは、創業者ヘスナーの名を冠したモデル。
www.zeha-berlin.de

ネクタイ & ベルト Krawatte & Gürtel

着こなしを決めるのはディテール

ネクタイ選びは、スーツを着る紳士の重要な朝の儀式。結んだ感触はその日の気分を左右し、ネクタイ1つでスーツの印象もがらりと変わる。そして、スーツを着用するときは、ベルトにまで気を抜かない。ベルトと靴は革の素材、もしくは色を合わせるのが基本。ベルトの太さは、太ければカジュアルに、細ければドレッシーな印象を与える。

Timeless Leather CraftsmanshipTimeless Leather Craftsmanship
Standard Belt 3cm
ブランド名そのままに、流行に左右されない丈夫な革製品を、ドイツの職人が作る。このシンプルな信念の基、1つひとつ、手縫いの手法を多用しながら、ベルトや財布、サスペンダーを生み出している。
www.timeless-leather.de


Ascot
Ascot
Krawatte
家族経営で、上質なネクタイを生産するアスコット。「ネクタイはただの布ではない」とは、創業一家の信念。上質なシルクやコットンを手作業で裁断し、手縫いしたネクタイは、人に喜びをもたらすという。 www.ascot.de

ステーショナリー Schreibwaren

アイデアを形にする優秀な相棒

紙にペンを走らせることで湧き出すインスピレーションがある。ドイツは、世界が注目する良質なステーショナリーの産地。大人の文房具は、力強く、繊細で、機能的。すべてのメモ機能を、スマートフォンなどのIT機器に委ねてしまうのはもったいない。確かな感触が深い思考を助け、なめらかな書き心地が仕事をもっと楽しくする。

KawecoKaweco
ELEGANCE Serie
1883年にハイデルベルクで創業したカヴェコ。1970年にその歴史に幕を下ろしたが、現在ニュルンベルクのGutberler 社が、復刻版が発売。エレガンス・シリーズのアルミのボディーは、大阪で制作されている。
www.kaweco-pen.com

MONTBLANC
MONTBLANC
StarWalker Urban Speed
言わずと知れた最高級筆記具ブランド、モンブラン。そのデザインの美しさは、アクセサリーとしても機能する。伝統的な技巧はそのままに、現代的なスタイルを融合したスカイウォーカー・シリーズは、都会的でエネルギッシュ。 www.montblanc.com

鞄 Tasche

詰め込むのは、夢か野望か

ビジネススタイルの仕上げのアイテムは、鞄。紳士の鞄の中には、商談などに必要なものも、個人的な大切なものも一緒に詰め込まれている。欧州を舞台に活躍するビジネスパーソンには、長距離移動、出張がつきもの。ここでは、機能性と収納力を重視したブリーフケースをセレクト。ビジネスの成果の分だけ、重みを感じられる鞄だろう。

PORSCHE DESIGNPORSCHE DESIGN
Roadster Briefcase
初代ポルシェのデザインにも携わったフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェが1972年に設立。機能美とシンプルなデザインを併せ持ち、大人の贅沢を醸し出す。出張の多いビジネスパーソンにはたっぷり入るブリーフケースが重宝。
www.porsche-design.com
FREITAG
FREITAG
F301 MOSS
スイスのチューリヒで1993年に創業したフライタークは、廃材を利用した鞄や小物を世に送り出している。ノート型パソコンが収まる収納力、ビジネスバッグの地味な印象を打ち消すトラックの幌の質感と耐久性が魅力。 www.freitag.ch

メガネ Brille

見えること、魅せること

できる男の顔には、メガネがよく似合う。視力を矯正する道具でありながら、知性を演出するアクセサリーでもあるメガネ。ドイツでも、ハリウッドセレブから火がついたMYKITA(マイキータ)など、デザイン性に優れた上質なメガネを生み出す機運がベルリンやハンブルクを中心に高まっている。高い技術力に裏付けられたフィット感が、ドイツ産メガネの特徴だ。

HAMBURG EYEWEARHAMBURG EYEWEAR
Emil
2005年創業のハンブルク・アイウェアは、10年で国内外の販売拠点を600店舗に増やし、昨年だけで2万5000本のメガネを販売するまでに成長。「少しだけアヴァンギャルド」なデザインで、おしゃれを楽しめる。
www.hamburg-eyewear.de
REIZREIZ
LOVELY NATURE BUCHE(上)
LOVELY NATURE FICHTE(下)
1998年にスタートしたライツは、70年代風なシンプルでレトロなデザインに、より現代的な感性をプラスしたデザインが人気。ミニマルで洗練されたフレームは、ビジネスシーンにもぴったり。 www.reiz.net

靴下 & フレグランス Strümpfe & Parfüm

素敵な紳士になるための、もうワン・アイテム

自分の身体にフィットするスーツに、小粋なネクタイやベルト。本気の紳士靴で身を固めたら、素敵な紳士まであともう一歩。なかなか見えない部分である靴下にこそ、ふとした瞬間におしゃれに対する意識が反映される。そして、さりげないフレグランスを身にまとって、イメージを膨らませれば、五感を刺激する大人の男の完成だ。

FALKE
FALKE
Airport
1895年にフランツ・ファルケ氏によって設立されたドイツの靴下メーカー。人間工学に基づいた機能性重視の物作りと、素材開発にこだわり続ける。履き心地も、他メーカーとは一線を画す。
www.falke.com
UNIQUEUNIQUE
有名ブランドの香水に、なかなかイメージに合うものがないという人は、自分だけのオリジナル・フレグランスをブレンドできるサービスを利用してみよう。ほかの人とは違う香りで差を付けるのも一興。
www.uniquefragrance.de

トータル・コーディネートで購入するサービス

スタイリストにお任せ!

あっちのお店に行ったり、こっちで試着してみたり……。ショッピングに伴う労力が惜しいという貴方に朗報。ショッピングは楽しめなくても、おしゃれは楽しみたいという男性に、スタイリストがトータル・コーディネートを提案。届いた箱を空けると、服や小物、靴まで揃っている。福袋を開けるようなわくわく感が楽しめそうだ。

FALKE
OUTFITTERY
自分の好みのスタイル、色、デザインを選びながらプロフィールを作成。それを基に、スタイリストがコーディネートする。気に入らない場合は返品も可。電話で直接スタイリストとやり取りするサービスも。 www.outfittery.de
MODOMOTOMODOMOTO
OUTFITTERYと同様のサービスだが、MODOMOTO独自の試みとして、ベルリンにフィッティング・ルームがある。スタイリストと直接話し、試着しながらコーディネートしてもらうサービスだ。 www.modomoto.de
最終更新 Freitag, 04 September 2015 13:07
 

第4次産業革命 モノづくり大国ドイツの挑戦

「Industrie 4.0」という言葉は今、間違いなくドイツ経済界、IT業界における重要なキーワードだろう。第4次産業革命と銘打ったドイツの国家戦略は、果たして壮大な夢物語なのか、それとも時代の必然か。政府と研究機関、そして産業界が一体となって取り組む「インダストリー4.0」は、モノづくりの現場を変えるだけでなく、社会問題の解決にも繋がるという。国際競争力の強化と、世界を牽引するリーダーとしての地位奪還に向けて動き出したドイツの本気が、じわりじわりと世界を巻き込もうとしている。ビジネスパーソンだけでなく、一般消費者の生活にも大きな影響を与える動きとして注目しよう。

取材・文
Megumi Takahashi
情報協力
JETRO菅野一義氏
PwC池田良一氏
Dr.-Ing. Bernd Schniering
参考資料
ドイツ連邦教育・研究省「Zukunftbild "Industrie 4.0"」
「Industrie 4.0」
日本・厚生労働省「2015年版ものづくり白書」
その他

「インダストリー4.0」を
理解するための5つのステップ

STEP 1産業革命とは?

人類は、水車や風車、馬力などの自然の力を利用し、手作業でモノを作る次元から、効率化と省コスト化を目指して一歩一歩前進してきた。第1次、第2次産業革命を経て、我々は今、IT技術を駆使する第3次産業革命の発展途上にあると定義付けられている。ドイツが見据えるのは、その先の未来だ。

1760〜1830年代 第1次産業革命: 石炭で動く蒸気機関の発明による機械工業化
1860~1900年代 第2次産業革命: 石油と電力による大量生産、大量輸送の実現
1970年代~現在 第3次産業革命: IT技術の発展による生産の自動化、機械の制御
2025年~ 第4次産業革命: 人工知能(AI)とITによる考える工場、繋がる産業へ

STEP 2インダストリー4.0とは?

2010年にドイツ政府が掲げた「ハイテク戦略2020」の中で、10の「未来プロジェクト」が紹介された。2011年、その中の1つのアクションプランとして初めて「インダストリー4.0」という概念は世に出た。目指すものは、生産システムのデジタル化により製造業に革命を起こすこと! 世界に先駆けて第4次産業革命を起こすことが、ドイツにとって必要不可欠な国家戦略ということだ。世界レベルでモノづくりのあり方が再考され、IoT(モノのインターネット)進展によるビジネスモデルの変革が待ったなしで進む中、ドイツは産官学一体となって、10年後の未来に向けて大きく舵を切った。

IoT(モノのインターネット)とは?

IoTとは、すべてのモノがインターネットで繋がるという概念。製造業の例では、製品や機械など製造・流通ライン上のすべてのモノの現状をリアルタイムで把握、管理、分析できる。この情報を基にマーケティングやトレンド予測が可能となり、経営の最適化が可能に。

業界の垣根を超えて連携

産官学一体とは、連邦経済エネルギー省、連邦教育研究省、連邦内務省の3省庁、そして、ドイツ機械工業連盟(VDMA)、ドイツIT・通信・ニューメディア産業連合会(BITKOM)、ドイツ電気・電子工業連盟(ZVEI)の3つの主要な業界団体が形成する「プラットフォーム・インダストリー4.0」のこと。また、フラウンホーファー研究所、ドイツ工学アカデミー(acatec)、先端クラスターとして注目されるit's OWLなどの研究機関も民間企業と共同で開発を進めている。組織の垣根を越えて連携しながらプロジェクトを進めること事態が画期的なことで、他の工業国では難しいという。

2006年 ハイテク戦略を発表
2010年 ハイテク戦略2020および「インダストリー4.0」を含む未来プロジェクトを発表
2012年 ハイテク戦略行動計画、ドイツ政府が80億ユーロで承認
2014年 新ハイテク戦略を発表
2020年 目標:サイバーフィジカルシステム(CPS)ソリューションの
主要市場・供給国となる

STEP 3インダストリー4.0が目指す世界とは?

「インダストリー4.0」という言葉がどんどん先行しているイメージだが、第4次産業革命は「まだ起きていない」ということを、ここでもう一度おさらいしたい。ITを活用した先進的なシステムが、閉ざされた空間の中で実現されている状況は、まだ第3次革命の延長なのだ。

10年後の実現を目指す

工場の生産工程が繋がり、さらには、販売店と工場、流通経路など、モノやサービスに関わるすべての施設が企業や国の垣根を越えてネットワークで繋がる社会。これが進むと、大量生産型の方が価格を抑えられるという、これまでの常識は脆くも崩れ、オーダーメイドでも大量生産品と同等の価格で製品を製造できるようになる。工場が変われば労働者の生活が変わり、価格や物流の変化が消費者の行動を変える。新しいビジネスモデルが誕生し、社会が変わる。ドイツ政府は、ここまで来てようやく「革命」と呼ぶにふさわしいと考えており、これを今後10年で実現するためのロードマップを作成している。

モノとモノが繋がり、自ら「考える工場」に

インターネットなどの通信ネットワークを介して工場内外のモノやサービスを繋ぎ、人口知能(AI)が生産工程を最適化させる「考える工場(Smart Factory)」という試みがある。ドイツが目指すのは、これまでのIT技術を利用した生産の自動化から、AIを駆使したサイバーフィジカルシステム(CPS)技術を用いた考える工場への進化。

CPSとは、製品の注文が入ると、最も早くコストがかからない生産・販売ルートをネットワーク全体で自動的に計算して、実行し、生産の最適化を進めようというもの。生産工程においては、シミュレーションや分析などを仮想空間(サイバー)に委ね、その結果を受けて現実世界の機械動作(フィジカル)が行われる。端的に言えば、製品は自分がどういう製品であるべきかを知り、生産ラインに「こうして欲しい」と働きかけながら自己生産を始めるのだ。

さらに、インダストリー4.0では、この考える工場と倉庫、流通経路、販売店など、関連施設すべてをネットワークで繋ぐ。将来的には、企業や業態の枠組みを超えてネットワークを結び、ドイツ国内を「1つの大きな工場」に見立てるという構想を描いている。

考える工場

マス・カスタマイゼーションの時代へ

生産や流通工程の最適化を進めると、これまでの「集中型」から、「分散型」「個別型」に生産サイクルの考え方が逆転するというパラダイムシフトが起こり、工場はもはや製品を画一的に大量生産する場所ではなくなる。顧客のニーズの多様化を反映した特注品を、低コストの大量生産プロセスで実現する「マス・カスタマイゼーション」の時代が到来する。

マス・カスタマイゼーション

STEP 4なぜインダストリー4.0を推進するのか?

1. ドイツ経済の持続的発展のため!

高い技術力を強みに「メイド・イン・ジャーマニー」の国際競争力を高めてきたドイツ。製造業は、ドイツの全就業者人口の約5割(約1850万人)、GDPの約2割を占める基幹産業だ。しかし、新興国が労働コストの安さを武器に世界の工場の役割を担い始めている今、生産拠点を新興国に移す傾向はすでにある。このまま技術力も追いつかれたら、国内産業の空洞化に拍車がかかるという危機感と共に、改めて製造業の重要性が見直されている。インダストリー4.0が成功すれば、ドイツは、改めて製造拠点、製造機器供給国、そしてITビジネス・ソリューション供給国として、経済力を安定・強化でき、年率1.7%の経済成長を生み出すとの予測もある。

2. 中小企業を守れ!

ドイツ経済の成功を支えているのは、「ミッテルシュタント(中小企業)」だ。ドイツの企業のうち約99.6%が従業員500人以下の中小企業。全就業人口の80%に当たる約2100万人を擁するドイツ最大の雇用主でもあるミッテルシュタントは、まさに「ドイツ経済の基軸」。グローバル化とIT化の波に乗り遅れ、中小企業が衰退するような事態は避けなくてはならない。そのためドイツ政府は、新ハイテク戦略(2014年)において中小企業の研究開発支援に重きを置いている。

3. 雇用を守れ!働く4.0(Arbeiten 4.0)

国内産業の空洞化は雇用機会の減少に直結する。これに歯止めをかけるために、インダストリー4.0を推進し、考える工場をもって、製造拠点としての強みを発揮するという狙いが1つ。一方で、少子高齢化が進み、国内の労働人口はますます減少傾向にある。この社会問題の解決策の1つとしても、インダストリー4.0で実現する考える工場は有効だ。機械や設備を遠隔操作できるようになるので、通勤が不要になり、危険な場所での仕事は自動化される。ITの活用によって働く人の健康、男女の機械平等、ワークライフバランスの向上を目指すことを「働く4.0」と呼び、労働環境においても革命を起こそうとしている。

4. 環境、エネルギー問題を解決!

脱原発を掲げ、2022年までに原子力発電を廃止するとしているドイツにとって、製造業におけるエネルギー問題も重要な課題だ。現在は、工場が操業していない時間帯も、業務の効率化のため機器の電源を切らず、スタンバイ状態で待機させているため、エネルギー消費の無駄が発生している。しかし、エネルギーの供給量をリアルタイムで調整することができれば(スマート工場ではそれが可能)、エネルギー消費量を減らすことができる。生産量を最適化し、材料やエネルギーの供給量をリアルタイムで適切にコントロールすることは、結果的に環境に優しい工場を生み出す。

STEP 5ドイツは世界に革命を起こせるか?

ドイツが製造業の生き残りを懸けて打ち出した国家戦略は、まだ始まったばかり。「インダストリー4.0」というキャッチコピーが踊るほどには、実現していないのが現状だ。しかし、ドイツは国を挙げて協力体制を敷き、綿密で実践的な計画を立てている。昨年7月には、メルケル首相が中国を訪問し、インダストリー4.0の推進協力体制について盛り込んだ共同声明を発表するなど、ドイツを中心に国際標準化を進めるための世界へのアプローチも進んでいる。

脱原発に端を発したエネルギー革命は、まだ道半ばだが、計画を上書き修正しながら確実に前進している。2014年のブラジルW杯でみごとW杯のトロフィーを掲げたサッカーのドイツ代表は、2000年の欧州選手権でのグループリーグ敗退という屈辱をきっかけに長期的な育成プログラムを立てていた。ドイツという国は、やると言ったらやる国なのだ。ただし、革命への動きは世界同時多発的に起きている。米国の「インダストリアル・ネットワーク」、日本のロボット技術やビッグデータ活用、中国やインドの動き……どこが革命を起こすのか、それはまだ誰にも分からない。確かなことは、時代の転換期にあるということ。経営者にも労働者にも、そして消費者にも、待ったなしで、変化に対応することが求められている。

課題は?

「繋がる工場」というコンセプトを推進するためには、工場内外の様々なモノやサービスを繋げるための通信手段やデータ形式などを標準化しなければならない。身近な例で言うと、Word形式で保存したデータを開ける環境と開けない環境があることが思い当たる。不便である。標準化が進み、世界中どの工場や施設、サービスとも繋がれるようになれば、明らかに省コストに繋がる。VHSとベータによる「ビデオ戦争」を例にするまでもなく、規格の標準化の主導権を握れるかどうかも、ドイツが第4次産業革命のリーダーになれるかどうかの分岐点ともなる。一方で、工場が外部のネットワークと接続することで、サイバー攻撃を受ける危険性が高まるため、安全やセキュリティー問題の解決も急務だ。

Interview
インダストリー4.0は
中小企業の生き残りを懸けた革命だ!

準備さえ整えば、自転車に乗るように簡単に走り出せる

インダストリー4.0の技術を、部分的に実現している企業があると知り、金物の町ゾーリンゲン近郊のレムシャイドへ向かった。中小企業支援という側面が強いこの国家戦略に対し、中小企業の経営者はどのように考え、取り組んでいるのだろうか。現場の声を聞いてみよう。

ベルント・シュニーリング 工学博士 ベルント・シュニーリング
Dr.-Ing. Bernd Schniering

Schumacher Precision Tools GmbH
Küppelsteiner Str.18-20, 42857 Remscheid

工場のデジタル化に着手して30年

工場のデジタル化精密機械工業のシューマッハー(SPT)は、1988年から、応用操縦プロセスを研究するGAPを組織し、アーヘンやドルトムントの工科大学と共同で生産工程のデジタル化について研究を進めてきた。同社のCEOで工学博士のベルント・シュニーリング氏は、「工場のデジタル化は、市場で生き残るために必要なこと」と、インダストリー4.0の意義を認める。

「今求められている変化を、インダストリー4.0ともったいぶって呼ばなくても良いのです。確実なことは、今後5年〜10年以内に大企業から順に生産工程のデジタル化が始まるということ。そうなったとき、デジタル化に対応していない中小企業に誰が仕事を依頼しますか? もう選ばれませんよ」

技術の運用は、自転車に乗るように簡単

同社は、研究と社内での実証試験の結果、サイバーフィジカルシステム(CPS)をほぼ実現している。製品の性能についての仮想シミュレーションなど一部は研究段階だが、GAPでの研究成果を即座にSPTの工場内で運用。実際に「使える技術」なのかどうかを評価基準に開発が進められてきた。デジタル化、スマート工場化することで、これまでの従業員の再教育の必要性、もしくは雇用自体が危ぶまれるようなことはあるのだろうか。

「もちろん、経営者にはIT知識がより求められるようになるでしょう。でも、例えばスマートフォンのアプリを利用するのに、特別な知識や技能が必要ですか? 必ずしも利用者には必要ないでしょう。工場のスマート化にしても同じこと。デジタル化された操縦プロセスを運用することは、自転車に乗るくらい簡単なことなんですよ。仮に、現在雇用している従業員をクビにして、ITの専門家に入れ替えないと運用できないようなシステムなら、それは完全に失敗です。我々中小企業は、現在の現状や環境、資金力を受け入れ、ここから発展しなければいけません」

多くの中小企業にとって、問題は導入前にある

「多くの中小企業にとって、デジタル化を進める際のボトルネックは、導入前の準備にあります。工場内のすべての機器、材料、商品、ソフト、作業工程に関わるすべてのデータをそろえなければなりません。実はこれこそが大変な作業で、ここさえクリアできれば、あとはスイスイ進むはずなのです。私の感覚では、国内の8~9割の中小企業で、この準備ができていないと思います」

シュニーリング氏は、工場のデジタル化は、最短であと5年くらいで達成されるかもしれないと語る。そして、デジタル化の波に乗り遅れた中小企業は、競争力を失う。今までのやり方が通用しない時代が足音を立てて近づいてきている。インダストリー4.0を目指すかどうかは、もう選べる問題ではない。その危機感が、ドイツという国を突き動かしているようだ。

最終更新 Freitag, 21 August 2015 16:13
 

<< 最初 < 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 > 最後 >>
60 / 117 ページ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


Nippon Express ドイツ・デュッセルドルフのオートジャパン 車のことなら任せて安心 習い事&スクールガイド バナー

デザイン制作
ウェブ制作