ジャパンダイジェスト
特集


130周年を迎えた欧州映画の過去•現在•未来 英独インタビュー

誕生から130年という歴史の中で、映画は社会の変化とともに進化した。映画や映画館は今後どこへ向かうのか。ここでは、映画産業を内側から支える英独のお2人に話を伺った。

英国
映画館は作品を通じて
観客と新しい視点を分かち合う場所

ロンドンのインディペンデント系映画館「ガーデン・シネマ」。キュレーターであるジョージ・クロスウェイトさんが語る、映画館が今の社会で果たす役割とは。

ジョージ・クロスウェイト George Crosthwait
ジョージ・クロスウェイト

キングス・カレッジ・ロンドンのフィルム・スタディーズ修士課程で教鞭を取る。2017年にはロンドンで「Japanese Avant-garde and Experimental Film Festival」を企画。20年から「ガーデン・シネマ」キュレーター。

オーナーの思いから誕生した映画館

外観も内部もアール・デコ調のガーデン・シネマは、世界中のクラシックな名作や新作映画を上映するインディペンデント系映画館として、2022年3月にオープンしました。この映画館は、オーナーであるマイケル・チェンバース氏のこだわりから生まれたといってもいいでしょう。現在83歳の同氏は、かつてこのビルの上階で法律事務所を経営し、地下に映画館を建設しました。少年時代に通っていたアール・デコ調の映画館を再現したいという思いがあったのだそうです。また、このビルにはメディア関連の企業やロンドン・フィルム・スクールの一部も移転してきており、発展途上ではあるものの、映画業界のハブとしての役割を果たしつつあるのは喜ばしいことです。

The Garden Cinemaガーデン・シネマ

パンデミックで再認識した映画館の在り方

ガーデン・シネマも新型コロナによるパンデミックの影響を大きく受けました。開業予定だった20年3月は、英国の最初のロックダウンの直前であり、実際にオープンできたのは2年後です。その間に自宅でのエンターテインメントが主流となり、ストリーミング視聴が定着しました。そのため多くの映画館が閉鎖され、今もこの業界は非常に困難な状況にあります。また一方で、映画館という場所が提供する「体験」を一層大切にする観客が増えてきました。映画館での共同体験や特別な空間が、単なる鑑賞を超えた価値を持つようになったといえます。

The Garden Cinema地下に二つのスクリーンと、バー・エリアがある

ガーデン・シネマでは新作だけでなく、クラシック映画やキュレーションされた特集を積極的に上映しています。自宅で何万本もの映画をストリーミング視聴できる、選択肢があまりに多い現代において、「慎重に選ばれ、提示される」感覚が、人々にとって魅力的なものとなっていると感じます。プログラムの内容を信頼し、ここに来ることで何を観れば良いかという指針を得ることができるからです。この映画館全体が設計から上映作品、提供するイベントまで、全てが人々をつなげることを目的としています。映画を観た後、ロビーで知らない人とその映画について話し始めることもあるでしょう。それは単なる鑑賞体験にとどまらず、コミュニティーを築き、既存のロンドンの映画文化に新たな場所を提供する試みなのです。

The Garden Cinema2025年には地上階に三つ目のスクリーンがオープン予定

インディペンデント系映画館の未来

あるシーズンでは非常にニッチな作品を取り上げる一方で、昨年のアル・パチーノ特集のように、観客に親しみやすいものも提供するなど、年間を通じてバランスの取れたプログラムを目指しています。社会動向については、それが意識的であれ無意識的であれ、必然的にプログラムに影響を与えると感じていますが、政治的なトレンドを追い過ぎることは避けたいと思っています。そうすると、企画自体がその時代に限定されたものになり、時間が経つと古臭く感じられる可能性があるからです。結局のところ、最高の映画は時代を超えて鑑賞する価値があり、社会の大きな変化を乗り越えて存続します。それが映画の素晴らしさだと思います。そして、時には昔の映画が再び現代の文脈で関連性を持つこともあります。インディペンデント系映画館の未来は挑戦に満ちています。ガーデン・シネマやほかの独自のプログラムを上映する映画館は、過去の名作を中心としたプログラムで成功を収めているので、インディペンデント系映画館の未来は「過去」にあるともいえるかもしれません。同じ新作映画が上映される大手チェーンとは異なる、独自のビジネス・モデルを持った映画館が増加するのは、業界にとっても非常に健全な流れだと思います。

The Garden Cinema

The Garden Cinema
39-41 Parker Street, Covent Garden
London WC2B 5PQ
Tel: +44 20 3369 5000
Holborn駅
www.thegardencinema.co.uk

ドイツ
過去を紡いで映画の未来が生まれる

1984年にドイツ初の映画博物館としてオープンしたドイツ映画協会&映画博物館(DFF)。あらゆる映画遺産を収集・保存し、未来へとつなぐDFFの使命について、同館ディレクターのクリスティーネ・コプフさんに聞いた。

クリスティーネ・コプフ Christine Kopf
クリスティーネ・コプフ

ドイツ映画協会&映画博物館(DFF)のディレクター。映画学、文学、メディア学、民俗学を学ぶ。映画祭をはじめ、映画にまつわる展覧会や上映プログラムのキュレーションなどを20年以上にわたり手掛けている

気付いたときには多くが失われている

私たちドイツ映画協会&映画博物館(DFF)は、ドイツ連邦映画文化館やドイツ・キネマテーク財団と共に、ドイツの映画遺産を保存し、維持し、アクセスできるようにするための中央映画図書館のような役割を担ってきました。昨今では、アナログ作品のデジタル化にも取り組んでいます。

DFFDFFの常設展示では、時代を追うごとに変化する映画の技術を追体験することができる

当館には、数え切れないほどの映画史上の重要な展示物、カメラや映写機などの機材、衣装や小道具、あるいは制作文書、脚本、写真、スケッチなどが保存されています。しかし何よりもまず、映画そのものを保存することが重要です。なぜならその多くは、最初に映画遺産の保存が考えられたときには、すでに取り返しのつかないほど失われていました。こうした活動は、映画というメディアや映画産業の発展に直接的な役割を果たしてきたとはいえません。しかし、DFFのような映画遺産機関は、映画史や映画製作に関する情報、数字、データなどの提供を通じて、映画産業と密接に絡み合っています。

映画史を体感する常設展、映画史を問う特別展

DFFの常設展示では、映画史への感覚的なアプローチを提供しています。第1部「Filmisches Sehen」(映画のヴィジョン)では、18~19世紀の多種多様な映像メディアと映画の発明がテーマ。映画的知覚がどのように機能し、どのような伝統に基づいているのかについて、古い幻灯機から映写機などを実際に動かしながら学べます。第2部「Filmisches Erzählen」(映画のストーリーテリング)では、映像、音響、演技など、映画がどのようにその効果を展開していくかを理解することができます。

DFF

特別展では、映画に関する美学的・歴史的問題を取り上げてきました。2025年2月23日(日)まで開催の「NEUE STIMMEN. DEUTSCHES KINO SEIT 2000」(新しい声 - 2000年以降のドイツ映画)展では、多様性とアイデンティティーの問題を特徴とする近年のドイツ映画に光を当てています。博物館の地下には映画館があり、日替わりでドイツをはじめとするさまざまな国の映画を上映しています。博物館から映画館、保存・研究活動からアウトリーチまで、こうした活動を一つ屋根の下で行っているのは、今のところドイツでは当館だけであると自負しています。

映画の存在感はますます増していく

映画の歴史はまだ浅く、130年の間に映画は信じられないほど変化し、発展してきました。そのため映画の未来を予想するのは容易ではありません。確かなことは、私たちの日常生活の中で、映画というメディアの存在感が拡大し続けていくだろうということです。映画館やストリーミング・サービスだけでなく、広告スペース、スマートフォン、ソーシャル・メディアなど、私たちはあらゆる場所で映画と出会っています。映画鑑賞がパーソナル化する一方で、他者と共に体験する場所としての映画館がこれからも残り続けるだろうということも、映画を愛する専門家の一人として確信しています。

DFF

映画は文化的資産であり、ほかの芸術と同様に、思考プロセスや議論のきっかけを作ってきました。また鑑賞者の美的感覚を喜ばせ、社会的交流の重要な基礎を築き、人々の視点や世界を広げるという点において、重要な役割を担っています。そうした映画遺産を保存し、いつでも誰もが参照できる状態にしておくことは、歴史を検証するのと同じくらい重要なことです。私たちが歴史に関わるとき、私たちよりも前にそこにいた人々から学びます。そうしてまた新しい映画の歴史が生まれるのです。

DFF

DFF – Deutsches Filminstitut & Filmmuseum e.V.
Schaumainkai 41,
60596 Frankfurt am Main
Tel: 069 961 220 – 220
Schweizer Platz駅
www.dff.film
最終更新 Dienstag, 28 Januar 2025 11:22
 

屋内ゲレンデから世界最大のスキーリゾートまで ドイツ&欧州でスキーを楽しむ!

暗くて寒いドイツの冬。家の中でぬくぬくまったりするのもいいけれど、ウィンタースポーツが盛んな国にいるなら、この季節は雪の世界に足を運ばなきゃ損!本特集では、そんな冬のスポーツの本場であるドイツや欧州でスキーを楽しむ魅力やヒントを、在独スキーインストラクターの中川有武さんに伺った。経験のない人も上級者も、この冬は広大な欧州のゲレンデを滑りに行こう!
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

スキー

お話を聞いた人 中川有武さん 中川有武さん Aritake Nakagawa オーストリア州検定スキー教師(Arlberg AlpinおよびAlpenpark Neuss スキースクール所属)、デザイナー(TAPA creatives代表)。1996年からケルン在住。毎年12月から4月まではアールベルクのスキースクールに勤務し、毎日ゲレンデを滑っている。

スキーインストラクター直伝 欧州の大自然を滑る魅力

オーストリアスキーに魅せられて

物心ついたころには、もうスキーをしていました。小学校中学年くらいから冬休みは姉と二人で子ども向けのスキースクールに行くようになって。中学生のころには、長野県の奥志賀高原にある杉山スキー&スノースポーツスクールに毎シーズン行くようになり、さらにスキーの技術を学びました。そこでたまたま教わったのがオーストリアスキーだったんです。

杉山進先生は日本人で初めてオーストリアでスキーを学んだ方で、元オリンピック選手。オーストリアのアールベルクのサンクト・クリストフにスキーアカデミーがあるのですが、そこからオーストリア人の先生にワンシーズン来てもらったり、日本の先生がアカデミーに送り込まれたりといった交流がありました。

スキーはもともと雪の山野を移動する手段。ノルウェー軍が国民の救出活動のためにスキー部隊を持っていたことが現在のスキーの起源といわれています。それから、山を下るいわゆる「アルペンスキー」が広まったのがオーストリアで、サンクト・クリストフで生まれました。オーストリアスキーの特徴を一概に言えるわけではないのですが、教え方や滑り方に明確なメソッドがあります。そんな経験があって、オーストリアのスキーはすごいな、一度は本場で滑ってみたいなという思いがありました。

アールベルクのゲレンデを豪快に下る中川さんアールベルクのゲレンデを豪快に下る中川さん

スキーインストラクターの資格取得

大学に上がるに当たってスキーを職業にすることも考えたのですが、当時興味のあったデザインの道に進むことに。デザインの勉強のためにドイツに来て、大学を卒業してからもそのままドイツでずっとデザインの仕事をしていました。転機は4年前のコロナ・パンデミックの時。自分の人生がいつ終わるか分からないから、やりたいことをやろうと思ったんですね。それまでずっと遊びでスキーはしていたのですが、やっぱりスキーの方に職を転換しようと思い立って。それからオーストリアでスキーインストラクターの資格を取るためにアウスビルドゥング(職業訓練)を始めて、今に至ります。

オーストリアのスキーインストラクター制度には、最初にAnwärter( 候補者)、Landesskilehrer( 州検定スキー教師)、staatliche Skilehrer( 国家検定スキー教師)、Skifüher(スキーガイド)の四つのレベルがあります。スキースクールで働くには最低でもAnwärterでなければならず、資格のレベルによって給与が変わります。私はLandesskilehrerを取得済みで、国家検定を受けるかはまだ検討中です。

ヴェルビエの壮大な景色ヴェルビエの壮大な景色

広大で変化に富んだコースが魅力

欧州のスキーの特徴といえば、スキー場の大きさ。もちろん大中小と程度の差はあるのですが、日本と全然違います。日本一大きい志賀高原スキー場の総滑走距離は80キロほどですが、例えば私が勤めているアールベルクは300キロ、広いところでは600キロあります。それだけ広いので、初心者から上級者向けまでコースがそろっているのが魅力の一つだと思います。それから、滑走エリア以外も自己責任で入ることができるのは日本との違いです。

私自身、自分のレベルをどんどん上げていくことによって、いろいろな斜面を滑れるようになることに喜びを感じます。一方で自然を相手にするので、サーフィンなんかも同じ感覚かもしれませんが、自分がどこまで対応できるのか挑戦したり、自分の不甲斐なさを感じたりすることも。雪やゲレンデの状況を見て、今の技術では滑れないからもっとうまくなろう、こんな滑り方を学んでみようと思える。自然と直接対峙するスポーツというところに、魅力を感じるのかもしれません。

それから欧州のスキー場にはスキー以外のアクティビティ、例えば室内テニスコートやスケートリンクがあったり、レストランやショッピング施設がそろっていたり、とにかく娯楽が豊富。なかにはただゴンドラに乗って、山小屋やレストランで日向ぼっこを楽しむ方もいます。小さな子どもからお年寄りまで楽しめることはスキーというスポーツの魅力だと思うので、家族や友人と一緒にぜひスキー場に足を運んでほしいですね。

チェルヴィニアのリフトからの眺めチェルヴィニアのリフトからの眺め

ビギナーから上級者まで楽しめる ドイツ&欧州おすすめスキー場7選

南ドイツやアルプス山脈のある国々を中心に、欧州はスキーのメッカ。スキー好きの中上級者はもちろん、まだスキーをしたことがない人、雄大な冬の大自然を味わいたい人のために、引き続き中川さんにおすすめのスキー場を教えていただいた。

ヨーロッパのおすすめスキー場

ドイツ 初心者の練習にもぴったり! Alpenpark Neuss
アルペンパーク・ノイス

総滑走距離:300メートル
最高標高:110メートル

アルペンパーク・ノイス

ドイツ初の屋内スキー場。傾斜10~18度の緩やかな斜面のほか、上級者やプロ向けの28度の急斜面がある。およそ100メートルの初心者専用のゲレンデが設置されており、初めてスキーやスノーボードをする人が練習のために訪れることも少なくない。屋外のスキー場を訪れる前に、体を慣らしに行くのもおすすめ。レストランや宿泊施設が併設されており、年中スキーはもちろん、さまざまなアクティビティを楽しむことができる。
www.alpenpark-neuss.de

ドイツ 週末でも気軽に行けるスキー場 Winterberg
ヴィンターベルク

総滑走距離:27.5キロ
最高標高:820メートル

ヴィンターベルク

ザウアーラントのヴィンターベルクは、デュッセルドルフやフランクフルトなどから週末に行くことができる距離に位置する。ドイツ国内のスキー場はほとんど南部にあるが、北部で唯一のスキー場となっている。七つの山に34のゲレンデがあり、ナイターでもスキーを楽しむことができる。比較的ビギナー向けの地形で、子ども連れにも人気。最新の降雪機が備わっており、シーズンは毎年12月中旬~3月中旬頃まで。
www.winterberg.de

ドイツ ドイツ最高峰の天然雪100%ゲレンデ Zugspitze
ツークシュピッツェ

総滑走距離:180キロ
最高標高:2962メートル

ツークシュピッツェ

ドイツで最も標高が高いツークシュピッツェにあるスキー場。金色の十字架が立つ山頂からはドイツ、オーストリア、イタリア、スイスの4カ国を望むことができる壮大なパノラマが広がる。天然雪100%の全長20キロのゲレンデが目玉。また、近郊のゲルミッシュ・クラシックスキー場(Garmisch-Classic)には全長40キロのゲレンデがあり、併せて訪れる人も多い。シーズンは12月初旬から5月上旬までと長め。
https://zugspitze.de

オーストリア アルペンスキー発祥の地 Arlberg
アールベルク

総滑走距離:300キロ
最高標高:2811メートル

アールベルク

オーストリア最大のスキー場であるアールベルクは、世界でも5本の指に入るスキーリゾート。1885年にノルウェーから研究目的で持ち込まれたスキー板で娯楽として山を下るようになったことから、アルペンスキーの発祥の地と呼ばれ、古くからスキー客でにぎわう。大きく分けて三つあるスキー場には最新のゴンドラとリフトが整備されており、あらゆるレベルに対応したコースがある。シーズンは12月上旬~4月中旬まで。
www.skiarlberg.at

スイス 広大な山々に囲まれたスキー場 Verbier
ヴェルビエ

総滑走距離:410キロ
最高標高:3330メートル

ヴェルビエ

イタリアとフランスの国境近くに位置するスイス最大のスキーリゾート地。約100基のリフトとゴンドラでつながれた四つの谷の最高地点であるモン・フォートからは、モン・ブランなどの4000メートル級の山々を眺めることができる。スタート地点とゴール地点だけが決められたフリーライドのメッカで、ワールドツアーの開催地としても知られる。山間には屋根に雪が積もった山小屋がいくつも連なり、趣ある風景が印象的だ。
https://verbier4vallees.ch

フランス 世界最大のスキーリゾート Les Trois Vallées
トロワヴァレー

総滑走距離:600キロ
最高標高:3250メートル

トロワヴァレー

その名の通り三つの山が連なり、全600キロに上るゲレンデがある世界最大のスキーリゾート。八つのエリアに分かれており、300以上のコースが整備されている。ゲレンデの50%は初心者向けで、キッズスクールが充実しているほか、ほとんどの宿泊施設には託児所があるため、小さな子どものいる家族でも思いっきり楽しめるのが魅力の一つ。多数の降雪機と標高の高さにより、11月中旬から5月初旬まで良好な条件で滑ることができる。
www.les3vallees.com

イタリア&スイス 欧州最高地点で国境越え Cervenia / Zermatt
チェルヴィニア/ツェルマット

総滑走距離:360キロ
最高標高:3899メートル

チェルヴィニア/ツェルマット

イタリア(チェルヴィニア)とスイス(ツェルマット)の二国にまたがるスキー場。モンテ・チェルヴィーノ(スイス側からはマッターホルン)は欧州で一番標高の高いスキー場として知られ、スキーをしながら国境を越えることができる。二国共通のリストパスを使って、イタリアとスイスそれぞれの雰囲気やグルメが楽しめるのがポイント。その標高の高さからチェルヴィニアでは、10月~5月初旬までリフトが運行されている。
www.cervinia.it

スキーに行く前に持ち物&事前チェックリスト

「この冬はスキーに行くぞ!」と気持ちが高まったところで、 スキーに必要なものや事前のヒントをご紹介。自然を相手にするため、万全の準備をしてスキーに出かけよう。

持ち物リスト

● 自分で用意するもの

これらはレンタルできないため、必ず用意していこう

  • グローブ
  • ゴーグル
  • 帽子
  • スキーウェア
● レンタルできるもの

現地で直接レンタルも可能。事前レンタルで割引があることも

  • スキー板
  • ストック
  • ブーツ
  • ヘルメット
● あると良いもの

標高が高い所では顔や首回りが凍傷になることもあるため、バフは必需品!

  • ウィンター(スキー)
  • クリーム ( 日焼け止め&防寒)
  • サングラス
  • バフ(ネックウォーマー)
  • バックパック
  • 水筒

そのほかのヒント

1週間の滞在がスタンダード

長期休暇を取ることが一般的な欧州では、スキー場へは土曜に来て土曜に帰る1週間の滞在が基本。それに合わせてスキースクールも日曜〜金曜にレッスンを開講していることが多い。それ以外はプライベートレッスンになるため、レッスン料が割高になる。

インストラクターはガイド的な存在

日本ではスキーインストラクターが細かく技術を教えてくれることが多いが、欧州のインストラクターはレベルに合わせていろいろな場所に連れて行ってくれるガイド的な存在。初心者の人は、事前に屋内スキー場などで基本の滑り方や止まり方を学んでおくとより楽しめる。

ホテルは夏休み明けの予約がベスト

宿泊施設の予約が始まるのは夏休み明け。常連客の予約が優先されるため、キャンセル待ちとなることも。特に年末年始、カーニバル時期は混むため、早めの計画がおすすめ。多くの宿泊施設では1年先の予約が可能で、一度宿泊すれば翌年の予約が取りやすくなる。

スキー場のホテル予約

ご当地グルメのほか自炊も人気!

チーズフォンデュやカイザーシュマーレン、タルティフレットなど、その土地ならではの冬のグルメが楽しめるのもスキー場の楽しみの一つ。大きいリゾート地には星付きのレストランもあるが、キッチン付きアパートで自炊をしたり、お惣菜を買って食べたりするのも人気だ。

冬のグルメ

夜まで楽しむ「アプレースキー」

Après-Ski(アプレースキー)とは、フランス語で「スキーの後」という意味。スキーを楽しんだ後に、山小屋で音楽をガンガン流してお酒を飲んではしゃぐのは、欧州のスキー文化の一つ。飲み過ぎには気をつけて、スキー休暇を楽しみつくそう!

雪不足でスキー場が閉鎖?

昨今、気候変動による雪不足でスキー場を閉鎖せざるを得ない状況が目立ってきている。毎年アールベルクでスキーシーズンを過ごす中川さんに、現場の状況を伺った。

氷河に関していうと、例えば2~3年行っていなかったところで「こんなに減っちゃったんだ」と思うことがありますね。一方で、雪が年々減っているという感覚は実はあまりなくて、今年は雪が少ない・多いという感じで波を感じます。同時に雪の降るシーズンが後ろ倒しになっていて、シーズンが始まっているのに雪がなかったり、イースターの時期なのに雪がどかどか降ったり。もしくはシーズンの初めにものすごく雪が降って、その後ずっと降らないことも。現地の人たちとも、雪不足というよりも「今年はどうなるかね?」と話しているような状況です。

やはり標高が低いところにあるスキー場はもろに影響を受けていて、シーズンを通してオープンできなかったり、インストラクターの仕事がなくなったりということが起きています。実際に私の友人で標高の低いところでインストラクターをしている方は、途中全く仕事がなく、失業手当を申請するなど結構大変な思いをしたようです。

人工降雪機はどこの施設も持っていますが、気温が低くないとすぐに溶けてしまうので、気温が低いときにバンバン雪を作っておくというような状況です。また雪が降ったとしても、雪崩の危険性があります。ドカッと降っても、暖かくて定着しないと雪崩が起こりやすくなります。これまでは雪崩が起こる場所はある程度予測できていたのですが、最近ではゲレンデに流れ込んでくることも。対策として、ゲレンデにわざわざ雪崩が溜まるような場所を作っているところもあります。スキー場の運営側も試行錯誤しながら、環境を整備したりコントロールしたりすることが必要になってきていると感じています。

最終更新 Donnerstag, 12 Dezember 2024 10:07
 

寒い季節を温かく彩る ドイツのクリスマス飾り

いよいよ始まるドイツのクリスマスシーズン。ドイツ各地でクリスマスマーケットが開かれ、クリスマスツリーやアドヴェントカレンダーなど、家も街もさまざまな装飾で温かく彩られる。実はそれらのクリスマス飾りの多くが、ドイツの発祥であることをご存知だろうか。本特集では、そうしたドイツの代表的なクリスマス装飾とともに、ドイツ各地のクリスマスマーケットで手に入るアイテムをご紹介する。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

ドイツ

Weihnachtsbaum
クリスマスツリー 発祥地:フライブルク

クリスマスツリー

モミの木などの常に緑を保つ常緑植物は、かつてゲルマン民族の間では冬の精霊を追い払い、豊穣を約束するものとして崇拝されていた。1419年にフライブルクのパン職人組合がクリスマスに木を飾り、それがクリスマスツリーの始まりといわれる。1570年ごろにはドイツ北部でも習慣となり、ブレーメンのギルドハウスには、リンゴや木の実、ナツメヤシをつるしたツリーが飾られたという記録が残っている。当初はプロテスタントの家庭にしかなかったが、19世紀になるとカトリック家庭でも飾るように。宗派に関係なくクリスマスに欠かせないものとなった。

Weihnachtskrippe
クリッペ 発祥地:イタリア(ドイツではミュンヘン)

クリッペ

イタリアでは、古くからキリスト降誕の情景「クリッペ」が展示されていた。16世紀、対抗宗教改革の一環としてイタリアのイエズス会士がミュンヘンへやって来た際に、ドイツにクリッペが紹介されたという。1607年には、ミュンヘンの聖ミヒャエル教会にドイツ初のクリッペが設置された。文字を読めない人でもキリスト生誕の物語が分かるような教育的ツールとしても、クリッペはたちまち人気に。その後、教会にクリッペを設置することを禁止された時期もあったが、裕福な家庭や農家にも伝わり、家庭でも置かれるようになった。

Christbaumkugel
ガラスボール発祥地:ラウシャ

ガラスボール

テューリンゲン地方のラウシャでは、16世紀末からガラス製品を造っていた。クリスマスツリーが普及してくると、装飾としてリンゴや砂糖のお菓子がつるされたが、それらは貧しい住民にとって手の届くものではなかった。一方、ガラスの原料は手頃な価格だったため、1847年にガラス職人が色付きのガラス飾りを作ることを思い付く。この新しいツリー飾りは、すぐに小売店のカタログに掲載され、見本市でも紹介された。1880年には米国の実業家が大量に注文して需要が急増し、世界中に広まっていった。

Adventskalender
アドヴェントカレンダー発祥地:ミュンヘン

アドヴェントカレンダー

12月1日からクリスマスまでの日数を数えるためのカレンダー。24個の「窓」が付いており、毎日一つずつ開けるとその中に小さなプレゼントが入っていたり、絵が描かれていたりする。オリジナルで作るという家庭も少なくないが、現在売られているアドヴェントカレンダーを作ったのは、ミュンヘンのリトグラフ会社に勤めていたゲルハルト・ラング。幼いころに彼の母が、キャンディーの入った24個の小箱を毎日一つずつ彼に開けさせていたという思い出から、1908年にリトグラフを使ってアドヴェントカレンダーの製造を開始。1926年には窓の裏にチョコレートを入れたアドヴェントカレンダーも発売し、商業的に大成功を納めた。

Adventskranz
アドヴェントクランツ 発祥地:ハンブルク

アドヴェントクランツ

ハンブルクの神学者ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィッヒェルンは、自ら設立した児童養護施設で、クリスマスがいつ来るのかを子どもたちが分かるようにと、1839年に車輪を使ってクリスマス・カレンダーのようなものを作った。車輪には大4本、小20本のろうそくを飾り、 平日は小さなろうそく、アドヴェントの日曜日は大きなろうそくと、毎日新しいろうそくに火を灯した。下の輪っかの部分がモミの木の枝で作られるようになったのは1860年頃で、20世紀初頭までに教会や一般家庭でも飾られるようになっていった。現在では、ろうそくが大4本のみのものが主流。

エルツ地方の手工芸品 発祥地:ザイフェン

くるみ割り人形やクリスマスピラミッドなどの手工芸品は、ドイツのクリスマスに欠かせない装飾の一つ。実はこれらのほとんどが、ザクセン州エルツ山地にあるザイフェンという人口約3000人の小さな村で作られている。もともと炭鉱業で栄えたザイフェンだったが、鉱山の衰退によって職を失った炭鉱夫たちが、それまで趣味で作っていた木工おもちゃを本業に変えたのが始まり。今日でも村人の半分以上が何かしら木工おもちゃに関わる仕事をしている。

Nussknacker
くるみ割り人形

くるみ割り人形

バレエなどでも有名なくるみ割り人形は、もともとは王様や衛兵など、「権力者の口をクルミでふさいでしまおう」という庶民のアイデアから生まれた。よく見るデザインのものは、ハインリヒ・ホフマンの絵本『くるみ割り王とあわれなラインホルト』に登場する「くるみ割り王」がもとになっている。

Engel und Bergmann
天使と炭鉱夫

天使と炭鉱夫

ろうそくを手にした天使と炭鉱夫がセットになったモチーフ。鉱山の中での作業は暗く危険なものであったため、古くからエルツ地方の炭鉱夫にとって「光」はクリスマスを祝う大切なシンボルだった。そこに、彼らを温かく見守る妻を天使に見立てたモチーフが加わり、ペアで飾られるようになった。

Schwibbogen
シュヴィップボーゲン

シュヴィップボーゲン

アーチ型のキャンドルスタンドで、この形は鉱山の入り口を象徴している。炭鉱夫たちが仕事を終えて家族のもとへと安全に帰る道しるべとして、各家庭が窓辺にシュヴィップボーゲンを置き、明かりを灯したという。

Weihnachtspyramide
クリスマスピラミッド

クリスマスピラミッド

ザイフェンの技術が集結した工芸品。数階建てのクリスマスピラミッドの中では、キリスト降誕のシーンや炭鉱夫のパレード、エルツ地方の風景などが再現されている。下で燃えるろうそくの熱によって、羽根車が静かに回転する仕組みになっている。

Räuchermann
煙出し人形

煙出し人形

クリスマスに飾る人形で、1830年ごろに初めて作られた。中にお香をセットすると、口からもくもくと煙を出す仕組み。炭鉱夫をはじめ、牧師やパン屋、おもちゃ屋さんなど、エルツ地方に暮らす人々の生活を表現したさまざまなモチーフがある。

ドイツのクリスマスマーケットで見られる 世界最大のクリスマス飾り

世界最大のピラミッド&キャンドルアーチ

ドレスデン
シュトリーツェルマルクト

2024年11月27日(水)~12月24日(火)
https://striezelmarkt.dresden.de

ドレスデン シュトリーツェルマルクト

1434年から続くドイツ最古のクリスマスマーケットであるドレスデンの「シュトリーツェルマルクト」。その見どころの一つといえば、世界最大のクリスマスピラミッド。サンタや天使たちが飾られたピラミッドの高さは14.62メートルで、ギネスブックにも記録されている。入り口にあるキャンドルアーチも高さ5.85メートル、幅13.03メートルの特大サイズ!

ドレスデン シュトリーツェルマルクト

世界最大のクリスマスツリー

ドルトムント
クリスマスマーケット

2024年11月21日(木)~12月30日(月)
www.weihnachtsstadt-do.de

ドルトムント クリスマスマーケット

世界最大のクリスマスツリーは、ドルトムントのハンザプラッツで行われるクリスマスマーケットで見られる。1996年に初めて設置されて以来、毎年このマーケットを華やかに照らしている。巨大なツリーは1700本のモミの木からできており、高さ45メートルで、重さは90トン。4万8000個のライトに彩られたツリーの頂上には、重さ200キロ(!)の天使が鎮座している。

世界最大のアドヴェントカレンダー

ゲンゲンバッハ
アドヴェンツマルクト

22024年11月29日(土)~12月23日(月)
www.gengenbach.info

ゲンゲンバッハ アドヴェンツマルクト

1996年以来、シュヴァルツヴァルトのゲンゲンバッハにある市庁舎は、毎年クリスマスシーズンになると巨大なアドヴェントカレンダーに変身する。市庁舎の24の窓が、アドヴェント初日から毎日18時になると一つずつ開けられていく。シャガールやウォーホルなどの芸術家から、現代のドイツ人イラストレーターの作品まで、毎年さまざまなコンセプトの絵を毎日楽しめる。

クリスマスマーケットで買いたいグッズ

わら細工のオーナメント

わら細工のオーナメント

ドイツ南部で伝統的に作られていたといわれる、麦わらのオーナメント。ドイツの伝承では、羊飼いの少年が誕生したばかりのイエス・キリストに贈り物をしたいと思い、麦わらで「ベツレヘムの星」を作ったのが始まりといわれる。代表的な星型をはじめ、雪の結晶や天使などがある。

すず細工のオーナメント

すず細工のオーナメント

すずは非常に柔らかく加工がしやすいため、19世紀ごろからツリーの飾りとしても使われるようになった。鋳造したすずのフィギュアには、職人によって繊細な絵付けがされている。こちらは、1796年創業の老舗すず製品工房ヴィルヘルム・シュヴァイツァー社のもの。

限定マグカップ

限定マグカップ

クリスマスマーケットの定番ドリンクといえばグリューワイン。提供されるマグカップは、それぞれのマーケットが毎年オリジナルで制作しており、気に入ったものは返却せずに持ち帰ることができる。各地のマーケットを周ってカップを集めるのも楽しい。

レープクーヘン

レープクーヘン

クリスマス菓子の定番であるレープクーヘン。その発祥の地はニュルンベルクで、シナモンやグローブ、コリアンダーなどの香辛料が効いていて食べ応えも抜群。マーケットでは、アイシングやチョコレートで装飾されたものが並ぶ。日持ちするので、クリスマス飾りとしても◎。

最終更新 Dienstag, 19 November 2024 09:43
 

ベルリンの壁崩壊35周年記念特集ベルリンの壁崩壊後のドイツで 「見えない壁」を見るために

来たる11月9日、ベルリンの壁が崩壊してから35年を迎える。東も西も関係なく喜びに沸いたあの日から35年。東西ドイツの経済格差をはじめ、2015年の難民危機や極右の台頭など、人々の間には今もさまざまな形で「見えない壁」が立ちはだかっている。ベルリンの壁崩壊から世界が学んだことは一体何だったのか、「壁」を壊す・越えるには何が必要なのか。国際関係学者である羽場久美子さんへのインタビュー、そしてさまざまな世代・文化的背景を持つドイツ在住・出身者の視点を通して考える。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

ベルリンの壁崩壊

分断された二つのドイツ ベルリンの壁、建設・崩壊の歴史

参考文献:本誌 1108号「分断された2つのドイツの物語」、1109号「2つのドイツが迎えたあの日とそれからの30年」、Bundeszentrale für politische Bildung「Die Berliner Mauer」、Westdeutscher Rundfunk Köln「Geteilte Stadt Berlin」

冷戦による二つのドイツの誕生

ベルリンが東西に分断されたのは、第二次世界大戦後のこと。1945年7月のポツダム会談で米国、英国、フランス、ソビエト連邦(ソ連)による共同統治が決まる。首都ベルリンについては、ソ連が連合国軍が同市へ侵攻する前に東側を占拠していたため、残りの西側を米国、英国、フランスで分割・管理することになった。

もともとはドイツの再統一を目指しての決定であったが、西側では資本主義と議会制民主主義を、東側はドイツ社会主義統一党という形で社会主義を主張。ソ連代表が連合国統制評議会から脱退し、1949年5月、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)が誕生した。西ドイツは米国、英国、フランスの占領地区が統一され、各国がソ連の軍力と共産主義の浸透を防ぐために経済的に支援した結果、奇跡的な経済復興を遂げた。一方、東ドイツの多くの個人商店は財産を没収され、生活協同組合への加入を強制された。農業生産は劇的に落ち込み、経済崩壊の危機に瀕していた。

突然現れた厚い壁

こうした不安定な状況により、1950年代に入ると東ドイツから西ドイツへの逃亡が急増。東ドイツ政府は市民の移動を阻止し西側へのルートを封鎖するため、1952年5月26日に連邦共和国とのドイツ内陸国境を閉鎖した。しかし、ベルリンは市全体が4カ国の共同管理下にあったため境界線がなく、西側に向かう抜け道だった。1949〜1961年までの13年間で、東ドイツの人口の約15%に当たる273万9000人が東から西へ流出したとされている。

突然現れた厚い壁

これに危機感を覚えた東ドイツ政府は、1961年8月12日から13日の真夜中過ぎにかけて、ついに壁の建設を始める。13日の午前1時45分ごろには西ベルリン全域が封鎖され、武装した東独部隊が国境に並んだ。壁建設からすぐは、まだ逃亡のチャンスも残っていたが、やがて国境には5キロにも及ぶ立入禁止区域が設置される。1970年代に入ると、世界の人々、そして多くの西ベルリンの人々も、ドイツが分断されている状況に慣れていった。

民主化の波とベルリンの壁崩壊

転機が訪れたのは1985年。ミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦共産党書記長に就任し、政治体制の改革「ペレストロイカ」を推進する。それに伴い、東欧諸国でも民主化を求める声が高まっていった。1989年5月には、ハンガリー政府が国境にあった有刺鉄線を撤去。これを知った東ドイツ市民たちは、ハンガリー経由でオーストリアの国境を越え、西ドイツへと渡った。内側から改革を目指す運動も広まり、1989年9月4日にライプツィヒで行われた市民デモでは「大量逃亡の代わりに旅行の自由を」というスローガンが掲げられた。

こうした状況に対応すべく、1989年11月9日に東ドイツ指導部が新たな渡航規制を発表した。新政令について正しく理解していなかったスポークスマンは、会見で記者の質問に対し、新しい旅行規則が「今すぐに」効力を発揮すると発言。このニュースを聞いた東ベルリン市民たちは、国境沿いのゲートに詰めかけ、その数は3万人にも及んだという。やがてゲートが限界を迎え、人々の安全のために遮断機が上げられた。こうしてベルリンの壁が崩壊。東ベルリン市民は、西ベルリン市民によって迎え入れられ、朝まで共にパーティーを楽しんだ。

鉄のカーテンと共産主義体制が崩壊した当時、多くの人がもう二度とこのような悲惨な壁が築かれることはないと思っただろう。しかしながら、ベルリンの壁が崩壊した35年前よりも、人々を分断する物理的・心理的な「壁」は世界中で増え続けている。その後の35年に築かれた「見えない壁」について考えることが、これからの未来を考える上でヒントとなるかもしれない。

人々の間に再び築かれた壁世界から「壁」はなくせるのか?

昨今ドイツでは極右・極左政党が支持率を大きく伸ばすなど、ベルリンの壁が崩壊して35年がたった今もなお、人々の間に見えない壁があることを感じる場面が少なくない。現在ドイツを含む欧州で右傾化が進んでいるのはなぜか、ベルリンの壁崩壊後の欧州がどんな経験をしてきたのかをひも解くことで見えてくるかもしれない。再び築かれた壁を私たちはなくすことができるのか、国際関係学者の羽場久美子さんにご自身の経験も併せてお話を伺った。(取材:ドイツニュースダイジェスト編集部)

羽場久美子さん Kumiko Haba 羽場久美子さん Kumiko Haba 青山学院大学名誉教授、世界国際関係学会副会長(2016-17)、世界国際関係学会アジア太平洋会長(2021-24)、現在早稲田大学招聘研究員、京都大学客員教授。著書に『ヨーロッパの分断と統合―包摂か排除か』(中央公論新社)、『移民・難民・マイノリティー欧州ポピュリズムの起源』(彩流社)など多数。 https://side.parallel.jp/kumihaba

壁崩壊の歓喜はどこへ?
東側の1年後

もともと冷戦は私自身の重要な研究テーマであり、ベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦の終焉は自分自身の転機でもありました。ベルリンの壁が崩れたとき、テレビでは歓喜する若者たちが映し出されていましたが、ソ連からの解放と自立の道をずっと研究してきた私も、欧州の「ユーフォリア」(極度の幸福感)に共感するところがあり、当時多くの新聞や雑誌論文にも寄稿しました。他方で混乱を客観的に分析したいという気持ちもありました。なぜなら現地の知人たちが混乱を表明していたからです。

それから1年後、ベルリンにも行きましたが、東西の貧富の差が著しかったことを覚えています。あのテレビで見たような笑顔や歓喜は東西のどちらにもあまり見られず、特に道を歩く東ベルリンの人たちは本当に暗い顔をしていました。当時、共産主義的な知識人は亡命し、多くの人が元シュタージとして逮捕されています。実際に東ベルリンにあるフンボルト大学を訪れても、共産主義政権下で知っていた研究者の多くが解雇されたり亡命したりして、ほとんど残っていませんでした。またコール政権下で東西マルクを1対1で交換可能と宣言された結果、当初それは東ドイツで歓喜を持って迎えられたものの、旧東ドイツの国営企業の製品は誰も買わなくなり、倒産へと追い込まれていきました。旧東ドイツの働く人々の5割以上が失業したといわれています。

ドイツ銀行の窓口に押し寄せた東ベルリン市民東西マルクの換金のためにドイツ銀行の窓口に押し寄せた東ベルリン市民(1990年7月1日撮影)

一方ハンガリーは対照的で、多くの共産主義者が銀行員やマクロ経済学者になって生き残っていました。例えば、マルクス経済大学(現ブダペスト経済大学)で共産主義を教えていた人たちがマクロ経済を教えるというような状況で、とてもプラグマティックで興味深かったです。そもそもハンガリーにはポーランドなどと同様に、壁崩壊前から「市場社会主義」が実践され、マクロ・ミクロ経済が導入されていました。またそうした比較的自由な経済活動の中で、隣国のオーストリア国境周辺の住民は国外へ買い出しに行けるなど、東ドイツとの大きな違いがありました。

他方で冷戦終焉後、それまでロシア語が義務教育だった東欧でロシア語教師をしていた女性、また保育園の閉鎖により子どものいる女性が働くのが難しくなったことから、多くの女性たちが職を失います。旧社会主義国では共働きによって家庭が支えられていたので、そうした結果、西側諸国へ売春や人身売買などを含め、出稼ぎに行かざるを得ない状況も出てきたのです。実際に訪れた東側は、1年前にテレビを通じて切り取られて拡散されたユーフォリアとは大きく異なる混乱状況で、非常に強いショックを受けました。

冷戦時代のヨーロッパ

若者やエリートたちは西へ
大多数が貧しい生活に

少なくとも1990年初めまではユーフォリアがありましたが、1年も経つと、誰もベルリンの壁崩壊が「平和と自由の象徴」とは言わなくなっていたと思います。その当時、「鉄のカーテンは崩れたが、レース(ブリュッセルの特産)のカーテン、紙幣(西側の紙幣)のカーテンが東西を覆った。今度は西側から見えない壁が作られてわれわれを排除した」ということがよくいわれていました。東欧諸国の人々は、解放されて豊かな西側の一員になろうとしているのに、自分たちは貧しいまま差別され、排除されているという意識が、その後10年の間に強まっていくことになります。

そんななか、若者たちは次々に西側へ行きます。特に英語を駆使して西側で活躍できるポテンシャルのある大卒の若者たちや頭脳労働者は、英国やフランス、旧西ドイツ、ブリュッセルなどに移り、ほとんどが自国へ帰ってきませんでした。それから医師や大学教授、核技術を持った軍事科学技術者たちなどのエリートも、次々と国境を超えて西側へ移っていきます。給与も東側に比べて3倍や10倍にもなるので、著しい頭脳流出が起こりました。

一方で、新しい職場で働けないような中堅労働者や年金生活者の暮らしは厳しいものでした。社会主義時代は給与の7~8割程度の年金をもらえていたため、悠々自適の老後を過ごしていました。しかし、新しい時代に入って物価は西側並みに急上昇したにもかかわらず、賃金水準は変わらなかったため、社会主義時代の賃金のままでは生活できなくなります。さらに年金は目減りして、年金生活者たちはパンとミルクを買うのがやっとというような生活になってしまったのです。国に残った人たちは、社会主義時代よりもずっと厳しい物価高と賃金格差にあえぐことになります。

さらに国家破綻したウクライナやモルドバでは大量の人身売買が発生。ホテルや新聞社、テレビ局や城に至るまで、その多くが西側企業によって買い占められました。このように、東側では資本主義に移行できた人たちが豊かになった一方で、圧倒的多数の人たちが物価高にあえぎ貧しくなるような状況が90年代に広がり、21世紀になっても改善されないまま今日に至っています。

ドイツ再統一後に行われた東ベルリンのデモドイツ再統一後に行われた東ベルリンのデモでは、「1990年10月3日、私たちは故郷を失い、二度と見つけられなかった」と記されたプラカードが掲げられた(1991年撮影)

極右勢力の台頭は自分たちを守るため

『東欧にとって、89年、90年は資本主義、自由主義、民主主義が非常に美しいものに見えていたし、自分たちは本当に西欧や米国のようになれると思っていました。次々に社会主義を捨てて民主化・自由化を達成し、欧州連合(EU)にも入っていくわけです。ところが、それは個々人の生活にとっては幻想だった。逆に西側から見たら、東側は社会主義時代の四十数年間で著しく遅れていて資本主義も自由主義もあまり発達していない。鉄のカーテンは崩れましたが、東西の格差は現在に至るまで縮まることがないばかりか、東側に対する蔑視と非難が恒常的に投げつけられてきたのです。

冷戦時は東側に西側の資本主義が入ってこないように、あるいは社会主義の民衆が西側へ逃げないように、東側から壁が築かれました。一方冷戦終焉後は、豊かな西側が、東側の貧しい人々が大量に西側に入ってこないように壁を作ってきました。東側の壁は「イデオロギーの壁」だったのに対し、西側の壁は「格差を固定化する壁」だったといえます。

そうしたなか、東欧諸国の政府は西側批判として右傾化を正当化してきました。西側からすれば、東欧諸国は後進国だから右傾化したと思うかもしれません。ただ、これだけの社会転換を経験した東欧の国々としては、右傾化は自己防衛のための行動だったともいえるのです。

オルバーン首相2024年6月10日、欧州議会選挙での勝利を祝うハンガリーのオルバーン首相(中央)

その結果として、例えばハンガリーのオルバーン首相のような人物が出てきて、リベラルではなく「イリベラル(非自由主義的)な民主主義」が唱えられるようになりました。ハンガリーは、EUに入っても結局西欧から差別され排除されていると感じたとき、自分たちはどこの国と手を結べば国益になるかということを考えたのです。その結果、あれほど嫌っていたロシアや中国やシンガポール、トルコなどと連携して、自国経済を発展させようという方向に転換します。これはまさに、自己防衛本能でもありました。当時ハンガリーは極右の代表として非常に批判されましたが、ドイツでは東西の格差、西欧諸国でも都市と農村の間で深刻な格差があり、それが現在に至る自己防衛による右傾化の背景になったと考えられます。

ブリックスやグローバルサウスに見る未来像

2010年以降、ユーロ危機などでEUの成長が頭打ちになってきた一方で、中国やインドをはじめとしたブリックス(BRICS:ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)がものすごく成長してきました。その結果ハンガリーのように、これらの国と一緒に歩んだ方が自分たちの経済もよくなるのではないかと考える国がいくつも出てきます。

例えば、中国やインドは、周りの貧しい国々のインフラを整備し、高速道路や高速鉄道を作るなど投資をしています。インドに至っては、南アジア大学を設立し、アフガニスタンやスリランカなどの近隣諸国の若者たちを無償で教育しようとしている。現時点では国同士はけんかをしているかもしれないけれど、若者たちが共に学びそれぞれの国で働くようになったら、EUのようにお互いに助け合うだろうというビジョンを掲げ、共同発展を目指しています。

格差や差別、排除の壁は、資本主義が生み出したものです。本来、旧社会主義の体制というのは、中世から近世の帝国のように、貧しい地域を豊かにするため引き上げようとしてきました。中国やインドも問題を抱えながらそうした取り組みを進めています。排除ではなく、貧しい国を底上げして共に豊かにするという方向性が、今後は重要になってくるかもしれません。

今年9月、中国で開かれた国連平和デー記念式典に招聘され参加する機会がありました。80カ国130団体が来ていたのですが、面白いことに圧倒的にグローバルサウス(南半球を中心とした新興国・途上国の総称)の国々が多かったんですね。なかでも南アフリカの元大統領であるカレマ・モトランテ氏が「イスラエルのジェノサイドを止めることが私たちの使命である」という趣旨の発言をしていたのが印象的でした。われわれグローバルサウスの国々も戦争によって被害を受けている。われわれは平和、そして安定と発展を望むといわれていて、とても心に響きました。

実際に、戦場で犠牲になっているのはロシアとウクライナ東部の人々、イスラエルに爆撃されているガザの人々ですが、戦争の影響を受けて食物や石油が届かなくなった第三世界では飢餓が起きている。グローバルサウスは生活の中から平和を求めているんですね。戦争の終結や共同発展を望むグローバルサウスの国々を巻き込む形で、連携と共同による新しい国際社会を共に作っていくことが、今の不安定な状況を変え、戦争を終わらせていくことにつながるのではないかと思います。

壁をなくすためにこれからの100年を考える

そもそも物理的な壁がなくなっても、本能的に人の心の中には何重にも壁があるのだと思います。壁は、最初は物理的なものとして現れますが、徐々に社会構造の中に現れる心理的な壁、つまり格差や差別などの見えないガラスの壁として立ち現れてきます。例えば、ドイツに入ってきたムスリム系の難民などに対して、入国管理で物理的に排除するだけではなく、ヘイトなど心の中で差別して排除するようなイメージです。

今こうした心理的な壁の存在が、極右や極左を生み出していると思います。西側から差別されてきた東欧諸国側から見ると、自分たちの人権や発展の要求がなぜ認められないかという立場で、ぎりぎりのところで戦っている。その差別や格差は先進国の中にも内包されていて、内側からも極右や極左が現れてネオリベラルの自由競争を批判している。また逆にこの極右や極左を批判している人々も、無意識のうちに差別と排除を実行していることを認識していく必要があると思います。

これは日本の話ですが、これから急速に少子高齢化が進んで、あと40~50年もすると生産年齢人口は半分になるといわれています。欧州も同じ状況です。少子高齢化問題は、まさに移民問題につながります。歴史人口学者のエマニュエル・トッドはすでに30年前、白人の人口がイスラム系の人口に凌駕されていくという統計を出していました。今まさに日本や欧州は、移民が入ってくることをはじめ、新しい時代の多様な価値感を受け入れるのか、それとも壁を築いて移民を排除し、静かに衰退していくのか、いずれかを選ばなければならない状況に来ているといえます。

人類の歴史を振り返ってみると、古代や中世で500年以上続いた帝国というのは、基本的に多民族国家なんですね。例えばローマ帝国は法によって人々を支配しましたが、その中にはイスラム教徒もユダヤ教徒もいました。オスマン帝国もイスラム教が基本であるにもかかわらず、キリスト教徒も国に追従するのであれば認めるというような、非常におおらかな体制でした。実際に中国やインドのような人口が多いところでは、多民族・多宗教国家として国を統治しようとしています。そういった国々が欧米をしのいで成長していくとしたら、国民国家そのものの考え方も変わっていくような気がします。

今後の100年をどう作っていくかは、われわれにとって重要な課題だと思います。国連の人口統計が示しているように、G7に代表されるような欧米の民主主義・自由主義システムを取る国は75年後には1割ほどに減り、8割がブリックスやグローバルサウスの国々となります。今や中国とインドのIT・AI人口はそれぞれ10億人、6億人の計16億人で、これは欧米と日本のIT人口8億人の2倍に相当します。人口や経済で負けているばかりか、すでにIT人口の数で負けているという状況下です。先進国はイスラムやアジアの人々、考え方、価値観などを考慮することなしに果たして生き残れるのか、という時代に入っているのではないかと思います。ですから、先進国から貧しい国を排除する壁を作るのではなく、壁を開いて共に生き延びる時代を作っていかなければならないと考えています。

ハンガリーとセルビア国境に築かれたフェンスの壁難民が自由に入ってこられないように、ハンガリーとセルビア国境に築かれたフェンスの壁(2016年)

ドイツ出身・在住者と考える分断と再生「壁を感じる」のはどんなとき?

ベルリンの壁が35年前に崩壊し、ドイツを分断する物理的な壁はなくなった。一方で、社会にはさまざまな分断が存在し、それが強化されてしまうこともあれば、乗り越えようとする努力も絶えず行われている。そんなドイツ社会で私やあなたを隔てる「見えざる壁」の存在について、ドイツ在住のさまざまな世代・文化的背景を持つ方々の声を聞いた。※各回答は、あくまで個人の見解です。

旧東ドイツ人と旧西ドイツ人の壁

ハンス=ユルゲン・シュタルケによるカリカチュア(1994年)ハンス=ユルゲン・シュタルケによるカリカチュア(1994年)。
レンガの接着剤が入ったそれぞれのバケツには、
「オッシーは怠け者で、世間知らずで、鼻持ちならない」(左)、
「ヴェッシーは傲慢で、利己的で、冷酷」(右)と書かれている

  • 壁崩壊後のドイツで育った自分にとって、正直なところ、東西の境界線は必ずしも明確ではありません。一方で、もちろん社会的には大きな格差があります。西ドイツの人々は1990年以降、方向転換をする必要がなく、新しいシステムを学ぶこともなく、システムが消えていく様子や工場が大量に閉鎖されるのを経験しませんでした。こうした経験の違いが、異なる影響とお互いへの理解の難しさを生んでいると思います。(A、20代、ポーランド出身)
  • あるとき、旧東ドイツ出身の友人が「ドイツ再統一は、新たな機会を得たというよりも、祖国を失うという感覚だった」と言っていて、これは自分にとって全く知らなかった視点でした。このアイデンティティ・クライシスは、現在も旧東ドイツの社会的・政治的状況に影響を及ぼしていると思います。同時に、この視点に対する旧西ドイツ人の無知は、旧東ドイツ人が社会の中心から阻害されていると感じる原因でもあります。時間の経過とお互いへの理解こそが、本当の意味で助けになると思います。(A、20代、デュッセルドルフ出身)
  • 私は1990年の東西ドイツの統一をベルリンの東側で経験し、2015年の難民危機の際にはバイエルン州にいました。10月3日がドイツ統一記念日だという話をバイエルンの人と話していたときに「その日って、バイエルンも祝日なの?」と聞かれたことがあります。比較的最近の話です。州が変わるとこれほど関心も薄れるのかと、びっくりしたのを覚えています。(T、50代、日本出身)
  • 特に高齢者の間では、「他者」に対する偏見がまだ残っていると思います。「ヴェッシー」(Wessi、西ドイツ人)は傲慢で知ったかぶり、「オッシー」(Ossi、東ドイツ人)は愚かで怠け者。そうした先入観を持ち、お互いの意見に耳を傾けようとしないのは大きな問題です。こうした偏見は若い世代では薄まっていると感じます。(J、60代、エーレンフリーダースドルフ出身)
  • 旧西ドイツに住む自分の家族が(軽蔑的な意味で)旧東ドイツの人々について話すとき、あるいは自分が旧東ドイツの人と話しているときに「ヴェッシー」という言葉を聞いたとき、どちら側からも壁を感じました。連邦政治における旧東ドイツからの代表を増やすこと、東西分断を助長するようなソーシャルメディアの取り締まりなどがもっと必要なのではないでしょうか。(K、30代、ハノーファー出身)

経済・教育格差の壁

  • 旧東ドイツでは、さまざまな職業の人が生活の中で混ざり合っている状態が望ましいと考えられていました。そのため私が子どもの頃住んでいたアパートには、職人、弁護士、医者、組立ライン労働者など、さまざまな隣人がいました。それが今日では、それぞれの経済状況によって住んでいる場所が異なるし、受けられる教育にも経済格差が明らかに反映されています。もっと公的扶助のある住宅が増えてほしいと思います。(F、40代、ヴェルニゲローデ出身)
  • 全ての人が質の高い教育を平等に受けられるような教育政策改革と、学校への財政支援が必要だと思います。教職員の給与を改善し、生徒への個別支援を強化する。今日でも、アカデミックな家庭の子どものほとんどが大学で学んでおり、非アカデミックな家庭の子どもで大学に行けるのはごく一部です。親が教育を重要な財産と考えなければ、どんなに優秀な子どもでも大学に入るのは非常に難しいと思います。(I、30代、エッセン出身)
  • もちろんドイツ東部の収入や仕事の少なさは問題ですが、東部の住宅は西部に比べてはるかに安価です。例えばライプツィヒでは、そうした安い家賃や生活費に惹かれて、西側や外国から若いアーティストやデザイナー、スタートアップが集まってきました。また教育制度でいえば、ザクセン州は優れた学校制度で知られているなど、ポジティブな面にも目を向けることは大事だと思います。(S、40代、ケムニッツ出身)
  • 地区間の境界線も、壁のように作用することがあると思います。住んでいる街を歩くと、どの地区が裕福かがはっきりと分かります。最も厚い壁は、貧富の差によるもので、残念ながら最近ますます厚くなっています。(E、60代、ブレーマーハーフェン出身)

ドイツ人と移民の壁

ドイツ各地にある難民キャンプドイツ各地にある難民キャンプでは、子どもたちのためのワークショップなども行われ、
インテグレーションの機会を提供している

  • 2016年に難民申請者としてドイツに渡り、申請と並行してドイツ語とドイツ文化を学びました。申請には長い時間がかかりますが、その間は働くことができず、自分が社会からはみ出た存在のように感じていました。その後、宅配ドライバーとして働いていたときも、荷物を届けに来ただけなのにすごく警戒されたり、怖がられたりすることがありました。難民による犯罪がメディアで強調され、「難民は危険」という固定概念がさらに強まっていると思います。(K、30代、アフガニスタン出身)
  • ドイツで外国人が滞在許可を得るためにはさまざまな申請が必要ですが、一般的なドイツ人でこのシステムについて理解している人はほとんどいません。私はよく外国人の友人をビザの申請などで助けてきましたが、用意すべき書類の多さや、複雑なプロセスにいつも驚かされます。ドイツ語ネイティブである私自身が、理解するのに時間がかかるような申請も少なくありません。(A、20代、ポーランド出身)
  • 難民危機の際、熱狂的に難民を受け入れて支援しようとした人たちと、難民に恐れを抱く人たちがいましたが、彼らの間に接点や対話はほとんど存在しないと思います。難民受け入れが地方自治体を圧迫し、一つの学校に難民の子どもたちが集中してしまっているといったニュースを昨今よく目にします。また、一人の難民による殺傷事件が国内で起こると、それが人々の心に恐怖心を植え付けてしまう。そして多くの人が、政治に対する信頼を失ってしまっていることも、この問題に大きな影を落としていると思います。 (T、50代、日本出身)
  • もちろんそれぞれの文化には違いがあります。私たちは何よりも、互いに学び合う覚悟を持つべきだと思います。(E、60代、ブレーマーハーフェン出身)

ジェンダー/セクシャリティの壁

  • ドイツにおける性差別は、まだまだ克服されていないと思います。例えば、大学で年配の教授が30年前なら受け入れられたような(差別的)発言をしたとして、私たちはそれをただ笑って受け流すことしかできない。また一部の社会層では、「フェミニスト」という言葉が侮辱的な意味合いで使われているように感じます。(A、20代、デュッセルドルフ出身)
  • LGBTQIA+にとっての壁。ベルリンはゲイパレードに象徴されるようにLGBTQIA+ フレンドリーな街ですし、当事者である私とパートナーはこれまでのところ不安なく暮らせています。一方で、日常で好奇な視線を向けられたり、雇用における差別を受けたりしたという知り合いも。誰もが自分らしく安心して暮らすには、法が整備されて終わりではないと思います。(D、30代、ブラジル出身)
  • 自分の仕事をきちんとこなし、お互いに敬意を持って振る舞う限り、性別の違いはますます少なくなっていると感じています。しかし、旧東ドイツ地域に引っ越して気づいたことがあります。ここでは、女性たちが西側よりもずっと自信を持っているように思えました。これは、彼女たちが東ドイツの統一前に完全な労働力として認識され、男性と平等に扱われていたからかもしれません。(J、60代、エーレンフリーダースドルフ出身)

ジェネレーションの壁

  • 若者と高齢者の間の価値観、ライフスタイル、テクノロジースキルの違いは、しばしば誤解を生む原因となりますが、私はこれは当たり前のことだと思います。どの新しい世代も、親の世代から何かを変えたいと考えます。ほかの世代の経験に対するオープンさや、お互いから学ぶことが重要ですし、これは政治的なレベルだけでなく、家庭教育によって形作られるものでもあります。私はこれを壁ではなく、歴史的に全ての世代が同じであることを映し出す鏡だと感じています。(I、30代、エッセン出身)
  • 高齢者の貧困は問題ですし、一方で若い人々の間では年金制度への信頼が薄れています。さらに、デジタルデバイド(情報格差)という問題もあります。つまり、年齢により人々が社会的な参加や関与から排除されることがあるのです。(A、70代、ベルリン出身)
  • 少子高齢化が進むドイツでは、「高齢者のために政策を進めている」と不満を持つ若い世代が少なくありません。なぜなら高齢者は多数派であり、若者よりも重要な有権者グループだからです。若者が高齢者と同じような経済的・社会的な機会を得ることができず、世代間で世界政治の見解や未来に対する印象、考え方が食い違ってしまいます。(D、30代、リューネブルク出身)

ドイツ語の壁

  • ドイツ社会への統合や社会包摂には、語学力がとても重要だと思います。プライベートな場面では、限られた語学力でも十分にやり取りできることがよくあります。しかし、言語は出会いや意思疎通の基盤であることに変わりはありません。お互いの言語を十分に理解できない人同士の会話は、本当の意味でのつながりを深めることが難しく、結果として関係が表面的になりがちです。(F、40代、ヴェルニゲローデ出身)
  • 移民である自分は、ドイツ語を一対一で話すときは理解できるのに、数人のネイティブスピーカーに囲まれると途端に話に入れなくなることがあります。一方で、自身の考えをつたないドイツ語でも言葉にし続けることで、面白がってもらえたり、仕事でアイデアが採用されたりする。また忍耐強く私のドイツ語に耳を傾けてくれる人たちとは、かけがえのない友人になることができました。(E、30代、ベトナム出身)

ほかにも感じる日常の中の壁

  • 民主主義に対する姿勢のギャップ、権威主義的なリーダーを強く求めたり、陰謀論にのめりこんだり。これらは全て、細分化されたメディアによって助長されていると思います。特にソーシャルメディアは、自分の中の「バブル」(閉ざされた環境)でのみ情報や意見を受け取る傾向を強めています。(A、70代、ベルリン出身)
  • 富める者はますます富み、貧しい者はどんどん貧しくなる新自由主義的な社会の中で、さまざまな分断が起こっています。ドイツ人は言論の自由を愛し、対話を愛する人たちだと思っていたけれど、問題と根本的に向き合う対話が失われてしまっているのを感じます。そういう分断という名の壁を社会のあちこちで感じます。(T、50代、日本出身)
  • 今回の特集制作のために、さまざまな人にアンケート協力を依頼するなかで、特に旧東ドイツ出身の方や移民・難民の方から「このテーマについて簡単に言葉にできない」「回答することが辛いので協力できない」というお返事をいただきました。そうした返答自体が、ドイツ社会の現状を反映しているのは言うまでもありません。回答くださった方々に感謝すると共に、「多数派に声をかき消されてしまった人」「歴史の中であえて沈黙を選んだ人」の存在についても、真摯に向き合いたいと思いました。(編集部O、30代、日本出身)
最終更新 Freitag, 08 November 2024 15:39
 

古典から若手作家の作品まで勢ぞろい! ドイツ生まれの絵本を読もう

読書の秋、今年はドイツ語の本も読んでみたい。でも長編はちょっと難しいかもという人や、子どもと一緒にドイツ作品を楽しんでみたいという人は、ドイツ語の絵本を読んでみるのはいかがだろうか。古典から現在活躍している作家の作品まで、思わず飾っておきたくなるようなデザインが美しい本も含め、ドイツ生まれの絵本を一挙にご紹介! 書店や図書館でお気に入りの一冊を見つけてみて。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

100年以上読み継がれる古典絵本

ちょっと怖いのがクセになる!? Der Struwwelpeter
『もじゃもじゃペーター』 (ほるぷ出版)

もじゃもじゃペーター

著者:ハインリヒ・ホフマン
出版社:Thienemann-Esslinger Verlag
初版出版年:1845年
対象年齢:5歳以上

1年以上爪を切らず、髪の毛は伸び放題……ぎょっとする見た目の男の子が表紙にどーんと描かれている『Der Struwwelpeter』(もじゃもじゃペーター)は、なんと180年前に出版された絵本。開業医だったハインリヒ・ホフマン(1809-1894)は、クリスマス前に3歳の息子に絵本をプレゼントしたいと思っていたが、書店でなかなかいいものが見つからない。そこで絵本を手作りすることに。息子が夢中になったことをきっかけに、翌年に出版が決まり、現在も元祖ドイツ絵本として世界中で読み継がれている。不潔なペーターをはじめ、イヌをいじめる男の子、マッチで遊ぶ少女など、悪いことをする子がどんな仕打ちを受けるのか、ちょっと怖い展開は大人になっても忘れられないかも?

いたずら二人組の元祖コミック Max und Moritz
未邦訳:マックスとモーリッツ

Max und Moritz

著者:ヴィルヘルム・ブッシュ
出版社:Schwager & Steinlein Verlag
初版出版年:1865年
対象年齢:3~10歳

詩人でイラストレーターのヴィルヘルム・ブッシュ(1832-1908)は、「現代コミックの元祖」といわれている。1865年に出版された『Max und Moritz』(未邦訳:マックスとモーリッツ)は、そんなブッシュの作風が表れている作品の一つで、ドイツ児童文学の古典として広く知られる。人をからかったり何かを盗んだりするのが大好きなマックスとモーリッツは、未亡人のボルテさんのニワトリにいたずらを仕掛けることに。二人のいたずら模様が四コマ漫画のように描かれている。しかしそんな悪さばかりをしていたら、ハッピーエンドとはいかないのがお決まり。七つ目のいたずらで二人の身に起こることとは……。ドイツ的なブラックユーモアに笑えるか笑えないか、最後まで読んでみてのお楽しみ。

季節の移り変わりを美しく描く Mit den Wurzelkindern durchs Jahr
『ねっこぼっこ』 (平凡社)

ねっこぼっこ

著者:ジビュレ・フォン・オルファース
出版社:Thienemann-Esslinger Verlag
初版出版年:1906年
対象年齢:3歳以上

幼いころから絵を習っていたジビュレ・フォン・オルファース(1881-1916)は、24歳で修道女となり、リューベックの芸術アカデミーで学んだという経歴の持ち主。代表作『Mit den Wurzelkindern durchs Jahr』(ねっこぼっこ)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのアール・ヌーヴォーの美しさが詰まった絵本だ。子どもの姿をしたねっこぼっこ(Wurzelkinder)たちが目を覚ますと、色とりどりのドレスを縫ったり、虫の手伝いをしたりと、春の支度を始める。六つのお話を通じて四季の移り変わりが語られ、温かみあるタッチの挿絵と共に自然のサイクルを知ることができる。心が洗われるようなフォン・オルファースの優しい世界に浸ろう。

ウサギの子どもたちの一日 Die Häschenschule
『うさぎ小学校』 (徳間書店)

うさぎ小学校

著者:アルベルト・ジクストゥス 文、フリッツ・コッホ=ゴータ 絵
出版社:Thienemann-Esslinger Verlag
初版出版年:1924年
対象年齢:4歳以上

2024年で初版出版から100周年を迎えた『Die Häschenschule』(うさぎ小学校)は、何世代にもわたって愛されてきたドイツの定番絵本で、2017年には映画化もされている。学校へ行く日の朝、「キャベツのハンカチで鼻をかんでね!」とウサギのお母さんが子どもたちにてきぱきと身支度をさせるシーンから始まる本作。空想の世界の楽しさとどこか見覚えのあるようなリアルな光景が生き生きと描かれている。アルベルト・ジクストゥス(1892-1960)は、およそ70作品を残した20世紀の児童文学作家。一方、挿絵を担当したフリッツ・コッホ=ゴータ(1877-1956)はベルリンで人気を博したイラストレーターで、本作のウサギたちは当時の市民生活を反映している。

ドイツを代表するベストセラー絵本

小さなクマとトラのちょっとおかしな旅 Oh, wie schön ist Panama
『パナマってすてきだな』 (あかね書房、絶版)

パナマってすてきだな

著者:ヤーノシュ
出版社:BELTZ
初版出版年:1978年
対象年齢:5歳以上

ドイツの国民的作家といっても過言ではないヤーノシュ(1931-)は、柔らかい水彩画のタッチとユーモアのある言葉で子どもから大人まで夢中にさせてきた。そんな彼の作品を代表するキャラクターが、小さなクマとトラのコンビ。この『Oh, wie schön ist Panama』(パナマってすてきだな)にも彼らが登場する。ある日小さなクマが見つけたバナナの香りのする箱に「パナマ」と書いてあったことから、二人は夢の国パナマを目指して旅に出る。珍道中の末、生きる上で大切な何かを教えてくれる作品で、1979年にはドイツ青少年文学賞を受賞した。公式ホームページ(www.janosch.de)では動画版も公開されているので、併せて見てみよう。

いろいろな形のうんちが登場!? Vom kleinen Maulwurf, der wissen wollte, wer ihm auf den Kopf gemacht hat
『うんちしたのはだれよ!』 (偕成社)

うんちしたのはだれよ!

著者:ヴェルナー・ホルツヴァルト 文、ヴォルフ・エールブルッフ 絵
出版社:Peter Hammer Verlag
出版年:1989年
対象年齢:2歳以上

ある日、モグラが地面から顔を出すと、頭にソーセージのような細長いものが落ちてきた。「うんちしたのは誰なの?」と怒るモグラに、ハトは自分ではないと白いフンをして見せる。そうやって犯人捜しをするモグラが次に出会ったのは? 同作は日本語を含む40カ国語以上に翻訳されたベストセラー。今年は、ザールラント州立劇場で子ども向けオペラが上演された。ヴェルナー・ホルツヴァルト(1947-)は、広告代理業界で活躍後、バウハウス大学で教べんを取っていた人物。ヴォルフ・エールブルッフ(1948-2022)は、息子の誕生をきっかけに児童書の執筆と挿絵を描き始め、2006年には国際アンデルセン賞の画家賞を受賞している。

昼の世界に憧れたおばけの物語 Das kleine Gespenst
『小さいおばけ』 (徳間書店)

小さいおばけ

著者:オトフリート・プロイスラー 文、フランツ・ヨーゼフ・トリップ 絵
出版社:Thienemann-Esslinger Verlag
出版年:1966年
対象年齢:6歳以上

『大どろぼうホッツェンプロッツ』や『クラバート』(いずれも偕成社)など、ドイツ児童文学を代表する作品の数々を世に送り出してきたオトフリート・プロイスラー(1923-2013)。出版された35冊以上の本は50カ国語以上に翻訳され、国内外の文学賞を受賞している。そんなプロイスラーの『Das kleine Gespenst』(小さいおばけ)は、昼の世界を見たいと願う小さなおばけが主人公。オイレンシュタイン城に住むおばけは、昼を見るために朝も目を覚ましていようとするが、何度も失敗してしまう。ところが、突然その願いが叶って……。フランツ・ヨーゼフ・トリップ(1915-1978)の素朴かつユニークなモノクロの挿絵が、さらに想像をかき立ててくれる。

小さいおばけ

何度読んでも新たな発見が! Herbst-Wimmelbuch
未邦訳:秋の探し絵本

秋の探し絵本

著者:ロートラウト・ズザンネ・ベルナー
出版社:Gerstenberg Verlag
出版年:2024年
対象年齢:2~6歳

イラストレーターとして活躍するロートラウト・ズザンネ・ベルナー(1948-)は、これまで何度もアストリッド・リンドグレーン記念文学賞や国際アンデルセン賞にノミネートされ、2016年に後者を受賞している。ベルナーの作品といえば、人や動物、建物、乗り物など、ありとあらゆるものが細かく描かれた文字のない絵本「Wimmelbuch」(探し絵本)。眺めながらお話をするのもよし、人やものを探して遊ぶのもよし、いろいろな読み方ができるのがうれしい。最新作『Herbst-Wimmelbuch』(未邦訳:秋の探し絵本)は、秋の季節をテーマに紅葉の風景、かぼちゃ祭り、ランタン行列など、ドイツの風物詩も登場。パズルやカレンダーもあるので、気になる人はチェックしてみて。

秋の探し絵本

今注目の若手作家たちの絵本

大学の卒業制作から生まれた絵本 Lindbergh
Die abenteuerliche Geschichte einer fliegenden Maus
『リンドバーグ 空飛ぶネズミの大冒険』 (ブロンズ新社)

リンドバーグ 空飛ぶネズミの大冒険

著者:トーベン・クールマン
出版社:NordSüd Verlag
出版年:2014年
対象年齢:5歳以上

ハンブルクに、人間の本を読むのが大好きな小ネズミが住んでいた。ある日、仲間のネズミたちが安全な場所を求めて海を渡っていることに気付く。そして、小ネズミは空を飛ぶことを決意したのだった。初めて単発機で大西洋横断に成功したチャールズ・リンドバーグにちなんだ作品で、同シリーズのタイトルはそれぞれ『アームストロング』、『エジソン』、『アインシュタイン』と偉人の名が付けられている。作者のトーベン・クールマン(1982-)は、幼いころから何かを発明したり、機械や飛行機の歴史に夢中だったという。本作はハンブルク応用科学大学の卒業制作として構想され、デビュー作にして日本語を含む20カ国語に翻訳された。

リンドバーグ 空飛ぶネズミの大冒険

丁寧に描く子ども同士のあるある Morgen bestimme ich!
未邦訳:明日は僕が決める!

Morgen bestimme ich!

著者:イョルク・ミューレ
出版社:Moritz Verlag
出版年:2024年
対象年齢:4歳以上

イョルク・ミューレ(1973-)は、デザイナーとして書籍や雑誌のイラストを手がけてきた。2007年から絵本の挿絵を担当するようになり、2015年、ウサギをお世話したり寝かしつけたりするという新しいコンセプトの「Hasenkind」シリーズで絵本作家としてデビュー。娘のために作った同シリーズは、日本では「バニーといっしょ!」シリーズ(キーステージ21)として人気だ。最新作『Morgen bestimme ich!』(未邦訳:明日は僕が決める!)は、クマとイタチが主人公。誰がアナグマと遊ぶかをめぐってクマとイタチが言い合いを始め、何をするにも「ああ言えばこう言う」状態に。なんでも自分で決めたい年頃の子どもたちの姿がそのまま描かれており、作者の鋭い観察眼が伺える。

Morgen bestimme ich!

森へ探検に出かけよう Waldtage!
未邦訳:森に行く日

Waldtage!

著者:シュテファニー・ヘーフラー 文、クラウディア・ヴァイカート 絵
出版社:BELTZ
出版年:2020年
対象年齢:4歳以上

ある日、幼稚園の掲示板に「来週はWaldwoche(森週間)!」と張り出された。ハリネズミ組は5日間続けて毎日森へ出かけることになり、みんなワクワクドキドキ。先生に連れられて歩く森の中で、何か音が聞こえ、子どもたちは動物たちをおびき寄せようと、いろいろなアイデアを出し合うが……。作者のシュテファニー・ヘーフラー(1978-)はドイツ児童文学界の新鋭で、数多くの賞にノミネートされている。教師として働くへーフラーは、家族と一緒に黒い森の街に住んでおり、森の魅力を分かりやすく伝えてくれる。森を親しみ深く描いたイラストは、ドイツ青少年文学賞にもノミネートされたクラウディア・ヴァイカート(1969-)が担当する。

ドイツで最も美しい哲学絵本 Ludwig und das Nashorn
未邦訳:ルートヴィヒとサイ

Ludwig und das Nashorn

著者:ノエミ・シュナイダー 文、ゴールデン・コスモス 絵
出版社:NordSüd Verlag
出版年:2023年 
対象年齢:4歳以上

『Ludwig und das Nashorn』(未邦訳:ルートヴィヒとサイ)は、2023年に「Die Schönsten Deutschen Bücher」(ドイツの最も美しい本)に選ばれた作品だ。本作は哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが唱えた「この部屋にサイがいないことを証明せよ」をテーマにしている。「僕の部屋にサイがいる」と言うルートヴィヒに対し、全く信じないお父さん。たとえ目に見えない物だとしても、そこに存在する可能性を考えさせてくれる。作者のノエミ・シュナイダー(1982-)は、ジャーナリストとして映画やラジオ、印刷物などさまざまなジャンルで活躍する人物。ゴールデン・コスモスはベルリンで活動するアーティストデュオで、本作が初の絵本作品となる。

Ludwig und das Nashorn

誰もが主人公になれる時代へ
絵本における多様性を考える

さまざまな場面で「多様性」が語られるようになった今日、絵本の世界でも多様性は重要なテーマの一つだ。ここドイツの絵本や児童書でも、ジェンダーをはじめ、LGBTQがテーマになっているほか、マイノリティや障がいのある人物が主人公のものが次々と出版されている。

もともと絵本には、冒険の旅に出る男の子、お母さんのお手伝いをする女の子など、固定観念的なジェンダーロールが描かれていることが多い。2019年に南ドイツ新聞が過去70年に出版された5万冊のドイツの絵本や児童書、ヤングアダルト本を調査したところ、男性の主人公は女性の主人公に比べて2倍以上冒険をしていることが分かった。

さらにドイツでは、登場人物の肌や髪の色についてもしばしば指摘される。ドイツの主要都市に住む子どもの約半数が移民的背景を持っているにもかかわらず、児童書の主人公は白人やブロンドヘアが大半だ。2019年時点の児童文学研究において、ドイツの児童文学市場ではBAME(Black, Asian and Minority Ethnic)の登場人物は限られた範囲内でしか登場しないと結論付けられている。有色人種が主人公になるのは移民や人種差別をテーマにした物語であることが多く、おとぎ話に出てくることはほとんどない。

初等教育専門家のラース・ブルクハルト氏によると、児童書は子どものアイデンティティの形成に寄り添ってくれる存在だという。本の登場人物と自分を重ね合わせることは、子どもの成長にとって重要だ。しかし本の中に限られたアイデンティティしか描かれていなければ、自分自身の可能性を広げることも難しくなる。例えば、白人の医師や政治家しか描かれていないとしたら、有色人種の子どもは、自分はその職業に就くことができないと考える傾向にあるとする意見もある。さらに、AfroKids Germanyを主催するジャメ=ジーゲル氏は、作品に白人の登場人物しか出てこない場合、白人の子どもが「外国人」の存在を知ることができず、遠ざけることにつながると、シュピーゲル紙のインタビューに答えている。

そうした背景もあり、近年ドイツ国内では当事者が有色人種の子どもを主人公とした絵本を出版するなどの動きも見られている。さらに多様性を意識した絵本を取り扱う専門書店などが増えているほか、今年の「Deutscher Kinderbuchpreis」(ドイツ児童書賞)にも家族の多様化について取り上げた『Ach, das ist Familie?!』(未邦訳:ああ、これが家族⁉)がノミネートされ、多様性への意識はますます高まっているといえるだろう。ドイツの作品以外にも、さまざまな国で評価された多様性の絵本や児童書がドイツ語に翻訳されているため、書店や図 書館でぜひ手に取ってみよう。

Ach, das ist Familie?!

Ludwig und das Nashorn

著者:ブリタ・キヴィット 文、エミリー・クレア・フェルカー 絵
出版社:Edition Michael Fischer
出版年:2023年
対象年齢:5歳以上

参考:ze.t「t Vielfalt: Warum es nicht egal ist, was wir Kindern vorlesen」、Goethe-Institut「 Diversität in aktuellen deutschen Kinder-Bestsellern」、Deutschlandfunk Kultur「Diversität: Mehr Vielfalt in Kinderbüchern」、Spiegel Familie「Diversität in Kinderbüchern Von Schwarzen Prinzessinnen und männlichen Meerjungfrauen」

最終更新 Dienstag, 22 Oktober 2024 08:50
 

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