ジャパンダイジェスト

祝・芥川賞受賞!石沢麻依さんインタビューコロナ禍のドイツで震災の記憶と向き合って

2021年7月、第165回芥川賞に選ばれた小説『貝に続く場所にて』。コロナ禍のゲッティンゲンを舞台とする本作を執筆したのは、ドイツ在住の石沢麻依さんだ。日本から離れた場所で東日本大震災の記憶と向き合う物語には、ドイツに住む私たちの心情に重なる部分が多々ある。今の時代だからこそ読みたい本作をさらに深掘りするため、石沢さんにお話を聞いた。(文: ドイツニュースダイジェスト編集部)

貝に続く場所にて

貝に続く場所にて

著者:石沢麻依 発行元:講談社
ISBN 978-4-06-524188-2

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話せなかった震災の記憶

『貝に続く場所にて』の語り手は、ゲッティンゲンでドイツ美術史を研究する日本人の女性。物語は、仙台の研究室で一緒だった野宮を駅まで迎えに行くところから始まる。しかし、野宮は東日本大震災の津波で行方不明となった人物だった。コロナ禍という、人との「距離」について考えさせる時代に、語り手は野宮の登場によって、これまで「距離」を置いていた震災の記憶と向き合ってゆく。著者である石沢さんもまた、仙台で2011年のあの日を経験した。

「震災の記憶は、東北で被災した友人たちとの間でもどこかタブーで、話すことが難しいと感じていました。津波にのみこまれた沿岸部や原発避難区域で暮らしていた人々、私のように被災地と呼ばれる土地に住んでいても、被害がそれほど大きくなかった人々。そして、被災地から遠く離れた場所で震災のニュースを目にしてきた人々。この三つのグループで記憶を共有するのは無理だろうという感覚があったんです。震災についてのノンフィクションでは、被災者の声などの記録を残すことができても、小説になると難しい。小説では、感情的なものは消費される可能性が高いので、震災をテーマにすることへの嫌悪感や危惧があるのだと思います。ところが『復興五輪』という言葉が出てきてから、震災や復興という言葉が表面的に使われ始め、それこそ震災の記憶というものがゆがめられてしまうと感じるようになって」

さらにコロナ禍で人や国との距離感を生々しく感じるなかで、記憶との距離感を改めて考えるようになった、と石沢さんは続ける。「私はあくまで震災を離れた場所から見ることしかできなかった人間です。それでも自分の記憶を尊重して、大きな被害を受けた人たちの記憶を踏みにじらないことを条件に、震災をテーマに小説を書くことを決意しました」。

執筆中、何度もこれでいいのだろうかと葛藤し、いろいろと思い出して落ち込むこともあった。でも、何とかして自分で声にしたいという思いで書き続け、自身の記憶とも向き合うことができたという。

ドイツと震災の距離感

作中におけるドイツの人々との交流のなかで、地震に対する感覚の違いも描かれる。実際にドイツで3.11が語られるときは、福島の原発事故が取り上げられることが多い。ここでも「距離」がテーマだ。

「日本人にとって地震は切り離せないものである一方で、ドイツでは大きなテーマとして扱われません。それはドイツの人々が全く関心がないわけではなく、経験的なものとして地震が入っていないから。逆に言えば、ドイツ人のチェルノブイリ原発事故に対する距離感と日本人のそれとでは当然違う。そういう『距離』の違いも、小説のなかで考えました。特にこれからの時代、自分の経験の有無にかかわらず、さまざまな場面で相手の目線というものを思い描かなければいけないと思います」

なぜゲッティンゲンが舞台?

ニーダーザクセン州に位置するゲッティンゲンは、石沢さん自身が長く住んでいた思い入れのある街。またゲッティンゲン大学には仙台からの留学生が多く、震災当時も学生たちが国籍を超えて募金活動を行ったそう。ほかにも小説の舞台に選んだ理由がいくつかある、と石沢さんはいう。

「もし震災の行方不明者をドイツに招くとしたら、単純な理由では来てくれないと思ったんですよね。特に語り手と野宮は恋人同士だったわけでもなく、距離のある淡白な関係。そこでゲッティンゲンを選んだ理由が三つあります。一つはホタテ貝をモチーフとする聖ヤコブの巡礼の途上にある街だから。また、作中にも登場するオブジェ『惑星の小径』(*1)がゲッティンゲンという街にきれいに取り込まれていること。それから、寺田寅彦(*2)が1910年から11年にかけての4カ月間、この街に滞在していたことです。

巡礼とは、ある場所へ祈りを込めて向かうことを意味するため、惑星から外されてしまった冥王星を目指すという物語の流れにも重なります。また、ホタテ貝は野宮が行方不明となった石巻の名産物でも。さらに、作品にも登場する寺田寅彦は自然災害についていくつも著書を残しています。これだけの理由があれば、野宮がゲッティンゲンに来てくれるのではないかと思いました」

コロナ禍のドイツに生きる意味

震災とは物理的にも心理的にも距離のあるドイツで執筆された本作。ドイツ在住だからこそ、語り手の気持ちがダイレクトに伝わってくる場面も多い。

「今ドイツに暮らす多くの日本人が、『距離』というとても大きなテーマと向き合っていると思います。一時帰国ができず、日本の家族や友人との隔たりを感じている方もいるでしょう。また、先日のドイツ西部で起こった大洪水で東日本大震災の記憶を思い出された方もいるかもしれません。この小説では、非常に分かりやすい鮮やかな答えを出すことはできませんでした。でも自分が今ここにいる意味だったり、過去に体験したことであったり、それらをつなぎ合わせることについて考えるきっかけに、この本を読んでいただけたらうれしいです」

小説家としてスタートを切ったばかりの石沢さん。二作目以降をどのように書き続けていくのか、模索している最中だという。今度はどんなテーマについて考えるきっかけを、私たち読者にもたらしてくれるだろうか。

*1 ドイツ語でPlanetenweg。街中に太陽系の惑星のオブジェが縮小された比率で配置されている。ドイツ各地の都市に存在する。
*2 1878~1935年。物理学者および随筆家で、夏目漱石に師事した。『天災と国防』をはじめ、防災の必要性なども論じた。

石沢 麻依さん Mai Ishizawa

石沢 麻依さん Mai Ishizawa

1980年、宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。ルネサンス期のドイツ美術史を研究するため、2015年からドイツ在住。今年5月に『貝に続く場所にて』が第64回群像新人文学賞に選ばれ、同年7月に同作で第165回芥川賞を受賞した。

 
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