ペストの時代からコロナ禍の現代へ10年に一度村人たちが演じるオーバーアマガウ「キリスト受難劇」
新型コロナウイルスのパンデミックが宣言された2020年、バイエルン州の小さな村で予定されていた重要な行事が中止となった。約400年前にペストが流行して以来、この村で10年に一度上演されてきた「キリスト受難劇」(Passionsspiele)である。2年の延期を経て、ついに今年5月から開催される運びとなった。コロナ禍を生きる私たちにとって、このキリスト受難劇はどのような意味を持っているのだろうか。バイエルン州オーバーアマガウを訪ねた。(取材・文:見市知、取材協力:ドイツ観光局、森本智子)
迫力満点のイエス・キリストの磔刑(たっけい)シーン
村人が神に立てた誓い
オーバーアマガウは、バイエルン州のガルミッシュ=パルテンキルヒェン郡にあるのどかな村
400年にわたってキリスト受難劇が演じられ続けてきた村、オーバーアマガウの人口は約5400人。美しいアルプスの山並みを背景にした絵本のような風景が広がるこの村は、木彫り細工の手工業の伝統が息づいている。かつて多くの人が読み書きができなかった時代、そして聖書がまだラテン語で書かれていた時代に、この村で造られるキリスト像やマリア像、聖書の場面をかたどった彫像は、人々のよすがだった。この地方の家々に描かれている伝統的なフレスコ画も、雄弁に聖書の物語を語っている。
そんなオーバーアマガウのキリスト受難劇は、次のようなナレーションで幕を開ける。「1632年、この村にペストがもたらされた。大いなる苦しみと恐怖を生み出したこの病に対して、村の代表たちは神に誓いを立てて10年に1回、キリストの十字架の悲劇を演じることを決めた。それ以来、この村からは一人も死者が出なかった」
この受難劇の特異なところは、舞台に立つ全ての俳優が村人であること。舞台に立つ資格を得るためには、「この村で生まれたこと」か「この村に20年以上住んでいること」が条件だ。以前はカトリック教徒であることなども条件に入っていたが、今ではこれは撤廃されている。
アルプスの山並みを背景に、建物に描かれた美しいフレスコ画が映える
今年舞台に立った村人の数は、子どもたちも合わせて約1800人。これは村人の3人に1人に当たる。10年に1回の重要行事のため、全ての出演者は日程をやりくりし、大学を休学したり会社の勤務時間を減らしたりしてもらうのだそうだ。
イエス役に選ばれる条件は?
今回ダブルキャストでイエス・キリストを演じたフレデリック・マイエットさんにお話を聞いた。1980年にオーバーアマガウの木彫り職人の家に生まれたマイエットさん。普段はミュンヘンの劇場に勤めており、プレスを担当している。2010年にもイエス役を演じており、私生活では2児の父親だ。
実はこの村には、10年に一度の受難劇だけではなく、毎年夏に村人総出でさまざまな演劇を演じる伝統がある。子どもたちも6歳くらいから舞台に立って演劇に親しむので、もはや演劇をすることが生活の一部になっているという。
今回2度目の大役を務めるマイエットさんに、イエス役に選ばれる条件を伺った。「演技力があって、外見がイエス・キリストのイメージに合っていることくらいではないかと思います。特別すぐれた模範的な人間である必要はないし、信仰も問われません」
配役が決まると受難劇のリハーサルの一環で、主要な役を演じる俳優たちは10日間イスラエルを訪れる機会があるそう。そこで彼らは聖地エルサレムを直に見て、イエス・キリストについて深く考察し、役作りを深めていく。「イエスは傑出した人物で、新しい思想をこの世にもたらしました。『あなたの隣人を自分を愛するように愛しなさい』という言葉を、もし全ての人が実践できたならば、この世はもっと良い場所になるはずです」
現代における受難劇の意味
受難劇の脚本は時代とともに改編が加えられ、現代ではよりイエスの人間性に焦点を当てた演出になっている。「人間が持つごくありふれた喜怒哀楽の感情や葛藤、肉体の限界や弱さをイエスも持っていたのだということを伝えたい」とマイエットさんは語る。
受難劇冒頭。イエス・キリストがエルサレムに入城する場面
受難劇は二部構成で、上映時間は計5時間。演劇の場面の合間に歌唱シーンが入り、舞台美術が入れ替わり、壮大なスケールで物語は進んでいく。舞台上にはロバをはじめ、ハトやウマ、ラクダまで本物の動物たちが登場し、彼らも物語の一部として見事な役割を演じている。そして何より、舞台に立つ村人たちが「演じている」ことを忘れさせるような自然さで、演劇というよりは本当に聖書の場面を目撃しているような、リアルな空間がそこに現れる。
大工の子としてこの世に生を受け、真理と愛の言葉を伝え、多くの人に救いをもたらしたイエス。しかし、時の権力者やユダヤ教を信仰する人々から受け入れられず、最後は十字架上で惨殺されてしまう。しかし彼の死後、その言葉と精神は世界中に広まり、欧米社会の精神的基盤を形作った。
マイエットさんは、現代において受難劇を演じ続けることの意味を、このように説明してくれた。「イエスは教会の権威を批判し、神の愛を説きました。戦争や貧困、病気……私たちは今もこれらの問題に直面していますが、その答えはイエスの言葉の中に全て入っているのです。これは信仰の有無や宗派の違いを超えて、全ての人が聞くべきメッセージだと思います」
「これからの400年もこの受難劇は演じられ続けるでしょう」とマイエットさん。村人たちによって紡がれ続ける伝統を、ぜひ自分の目で観に行ってみてはいかがだろうか。
劇場は舞台部分がオープンエアーになっている
基本情報
■ 上演期間
2022年5月14日(土)~10月2日(日) ※月曜・水曜は休演
■ 上映時間(二部構成)
5月14日(土)~8月14日(日)
1部:14:30~17:00 2部:20:00~22:30
8月16日(火)~10月2日(日)
1部:13:30~16:00 2部:19:00~21:30
■ 上演場所
Passionstheater Oberammergau
Othmar-Weis-Str. 1, 82487 Oberammergau
■ 公式ホームページ
www.passionsspiele-oberammergau.de
受難劇を観に行きたい!鑑賞のためのQ&A
Q 受難劇はドイツ語で上演される?
ドイツ語のみの上演で、外国語字幕はなし。演出家による約30分の無料解説(毎日10:30~英語、11:15~ドイツ語)がある。シナリオはドイツ語、英語、スペイン語、フランス語版が購入できる。
Q 今からでもチケットは購入できる?
チケットは引き続き販売中(7月11日現在)。上演期間中は、現地の宿泊の空きが少なくなっているが、宿泊とセットになったチケットもある。詳しくは公式ホームページをチェック!
Q 聖書の知識はあった方がいい?
あった方がより深く受難劇を理解できる。特に新約聖書の『ヨハネによる福音書』を読んでおくと、ストーリーを追いやすくなるのでおすすめ。また、映画「パッション」や「ジーザス・クライスト・スーパースター」などを事前にチェックしておくのも◎。
Q 現地までのアクセスは?
鉄道のローカル線を乗り継いで行けばミュンヘンから2時間、アウクスブルクからは3時間程度。なお上演期間中は、特別許可がない場合は車でオーバーアマガウの中心部には入れない。少し離れた場所に駐車場があるため、そこからシャトルバスで移動する。