明日誰かに教えたくなるドイツ人も知らない20のこと
ドイツに来たばかりの人はもちろん、長年住んでいるという人、はたまたドイツで生まれ育ったという人であっても、この国について知らないことはたくさんある。本特集では、そんなドイツにまつわるとっておきの豆知識や雑学をご紹介。歴史や政治をはじめ、言語や文化までドイツのことをもっと知れるのはもちろん、ドイツ人の同僚や友人に披露するのにもぴったりだ。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)
目次
言語 Sprache
1. ドイツ語は女性名詞が46%を占める
ドイツ語を勉強し始めた人が最初に苦戦するのが、名詞の性だろう。すなわちドイツ語の名詞には必ず性があり、男性名詞(der)、女性名詞(die)、中性名詞(das)の三つのうちどれかに属する。名詞の特徴や語尾などによって、どの性に属するかをある程度見分けることはできるが、基本的には性と名詞をセットで覚える必要がある。しかしこの三つの性は均等にあるわけではなく、女性名詞が全体の46%を占めている。2番目に多いのが男性名詞で34%、中性名詞は20%。ドイツ語試験などで名詞の性が分からなくて困ったときは、ひとまず女性名詞(die)を選んでおけば正解率が高まるかもしれない。
また三つ全ての性に属する単語もいくつかある。例えばヨーグルト(Joghurt)という単語は、主に男性名詞(der Joghurt)で使われるが、中性名詞(das Joghurt)を用いる人もおり、さらにオーストリアの一部地域などでは女性名詞(die Joghurt)で使われることもある。 参考:Karpatenblatt「10 unnütze Fakten über die deutsche Sprache」
2. 「Dreh mal am Herd」(コンロの電源を入れて)は、上から読んでも下から読んでも同じになる
「しんぶんし」や「たけやぶやけた」のように、上から読んでもしたから読んでも同じ意味になる回文。ドイツ語で回文は「Palindrom」といい、単語では「Neffen」(甥の複数形)、「Kajak」(カヤック)、「Lagerregal 」(倉庫の棚)などがある。文章では、「Dreh mal am Herd」(コンロの電源を入れて)をはじめ、「Ein Esel lese nie」(ロバは字を読まない)、「Bei Leid lieh stets Heil die Lieb」(悲しいときには愛によって慰められる)などなど。
またドイツ語で最も長いとされる回文は、「Geist ziert Leben, Mut hegt Siege, Beileid trägt belegbare Reue, Neid dient nie, nun eint Neid die Neuerer, abgelebtgärt die Liebe, Geist geht, umnebelt reizt Sieg.」(精神は人生を飾り、勇気は勝利を育み、弔いは悔恨を運び、ねたみは決して役に立たず、ねたみはただ改革者を束ね、亡き者は愛を増大させ、精神は行き、霧で包み込み、勝利を刺激する)。 参考:Leemeta「PALINDROME IN DER DEUTSCHEN SPRACHE」
3. ドイツ語には-nfで終わる単語は3つしかない
ドイツ語は約530万語で構成されており、これは英語の約8倍に相当する。このうち3分の1は過去100年の間にできたもので、その数は年々増え続けているという。もっとも、ドイツ語を話す人が一般的に使用するのはこのうち1万2000〜6000語程度。そのなかでも、ドイツ語には語尾が「-nf」で終わる単語は、「Hanf」(麻)、「Senf」(マスタード)、「fünf」(数字の5)の三つしかない。さらに地名を加えるならば、スイスの都市「Genf」(ジュネーブ)と川の名前「Sernf」(ゼンフ)の合計五つとなる。ちなみにドイツ語には、母音が五つを超えて続く単語は存在しない。母音が五つ続く単語の例としては、「Niveauausgleich」(レベル調整)、「Bioeier」(ビオの卵)などがある。 参考:Karpatenblatt「10 unnütze Fakten über die deutsche Sprache」、Actilingua「5 überraschende Fakten über die deutsche Sprache」
政治家 Politiker
4. ショルツ首相のあだ名「Scholzomat」を付けたのは、ツァイト紙のジャーナリスト
ショルツォマートのあだ名が付いたシュレーダー政権時代のショルツ氏(左)
オーラフ・ショルツ首相(社会民主党・SPD)のあだ名「Scholzomat」(ショルツォマート)をご存知だろうか? これはScholzとAutomat(ロボット)を掛け合わせた造語で、シュレーダー政権時にショルツ氏が書記長を務めていたころ、政治的発言をまるでロボットのように感情なく話すことが由来となっている。この不名誉なあだ名を付けたのは、ツァイト紙の政治部ジャーナリストであるヤン・ロース氏だ。同氏は、2003年3月13日の記事で「彼(ショルツ氏)が審議会後に報道陣の前に現れるとき、ショルツォマートのスイッチが入る」と表現した。同年、ロース氏は出版社PONSがクリエイティブな新語に贈る「PONS PONS メディア賞」を受賞している。
その後ツァイト紙は、2013年のショルツ氏へのインタビューで「私たちがあなたをショルツォマートと名付けましたが、どのくらい傷つきましたか?」と質問。ショルツ氏は「まあ、もちろんうれしくはなかったですね」と述べつつ、これまでも今後も批判するつもりはないと応えている。 参考:Presseportal「Hertha BSE - Global Prayer - Der Scholzomat: Medienpreis PONS PONS für kreative Wortschöpfer」、SPD「Zeit Interview: "Ich Mache Politik, Weil Ich Etwas Verändern Will."」
5. ブッシュマン連邦司法相は、「MBSounds」という名前で楽曲制作をしている
ブッシュマン氏は大学卒業後に米国の法律事務所で弁護士として働き、2009年から連邦議員
何かとお堅いイメージのあるドイツの政治家だが、実は連邦司法相を務めるマルコ・ブッシュマン氏(自由民主党・FDP)には、意外な裏の顔がある。なんと「MBSounds」という名前で音楽活動をしているのだ。数年前からSOUNDCLOUDにオリジナル楽曲をアップロードしており、ジャンルはハウスミュージックや電子音楽が多い。日中は政治の場で仕事をし、帰宅後はパソコンの前で打ち込みをするブッシュマン氏は、一見して仕事と趣味を分けているように思えるが、どうやら曲名を見るとそうではなさそうだ。
例えば、FDP党首のクリスチャン・リントナーの演説を取り入れたサンプリング音楽「Wutrede」(怒りの演説)や、リントナー氏の著書名をもじったサウンドトラック系の「Schattenjahre: Die Zweifel verschwinden」(影の数年:疑いは晴れる)などがある。一方で「Train toBerlin」といった政治色のない楽曲もたくさんアップされている。一番人気は「Wutrede」。政治家魂が込められたサウンドをぜひ聴いてみては? 参考:SOUNDCLOUD「MBSounds」、watson「Inklusive Lindner-Remix: Justizminister Buschmann aka "MBSounds" wird nach Feierabend zum Musikproduzenten」
6. ベアボック外相は子どものころ、トランポリン選手として活躍していた
選手を引退してからは、ハンブルク大学で政治学と法学を学んだベアボック氏
外務大臣として世界中を飛び回るアンナレーナ・ベアボック氏(緑の党)だが、子どものころはトランポリンの上を華麗に飛び回り 、選手として活躍していた。しかも、ドイツ選手権で3度も銅メダルを獲得したというから、かなりの実力の持ち主である。6~18歳までトランポリン教室に通っていたベアボック氏。当時トレーナーをしていたドロテー・クリストリープ氏は早くから彼女の才能に注目し、多い時では週6でトレーニングしていたという。ベアボック氏自身も「トランポリンで飛ぶことが私の人生だった」と振り返っている。
大学進学後はトランポリンから離れてしまったが、ロベルト・ハーベック経済・気候保護相と共同党首を務めていた際、共同事務所にレクリエーション用トランポリンが設置されていたことが知られている。ドイツには庭にトランポリンを置いている家庭も多く、100ユーロ以下の安価なものから数千ユーロする本格派までそろう。各地にトランポリンパークもあり、その人気ぶりがうかがえる。 参考:ntv「Einst Bronze bei Trampolin-DM: Die sportliche Sternstunde der Kandidatin」、Abendzeitung「Annalena Baerbocks und das Trampolin: ein unterschätztes Sportgerät」
文化・芸術 Kultur / Kunst
7. グーグルアースの前身となるシステムは、1990年代にベルリンのアーティスト&ハッカー集団が作った
ネットフリックスで配信中のドラマ「ビリオンダラー・コード」のワンシーン
グーグルが開発したバーチャル地球儀システムの「グーグルアース」(Google Earth)。実はこれの元になったのは、1991年にベルリンのアーティスト・ハッカー集団であるART+COMが実施したアートプロジェクトだったといわれる。1990年代、ドイツの通信会社テレコムは未来技術のための研究資金を提供しており、ART+COMはこの支援を受けてデジタルアート作品に取り組み、衛生写真や航空写真を使用したデジタル地球儀「テラヴィジョン」(Teravision)を開発。このプログラムは1994年に京都で開催されたITU技術フェアで初めて発表された。
しかしその11年後の2005年、グーグルアースが発表され世界的に大ヒット。ART+COMのメンバーらは、アイデアおよびアルゴリズムを盗用されたとして、2014年から特許侵害でグーグルを訴えていた。法廷では激戦を繰り広げたが、2017年、ART+COMの敗訴によって終わりを迎える。この一連の騒動は、2021年にネットフリックスによって「ビリオンダラー・コード」というタイトルでドラマ化されている。 参考:Gründer.de「Terravision-Gründer: Stahl Google ihren Code?」
8. カウントダウンは、1929年のドイツ映画「月世界の女」から生まれた
映画「月世界の女」のワンシーンから
ロケットの打ち上げ時はカウントダウンするのがお決まりだが、実はこの習慣はあるドイツ映画から生まれた。その作品とは、1929年に公開されたサイレント映画「Frau im Mond」(月世界の女)だ。監督はヴァイマール時代の伝説的なSF映画「Metropolis」(メトロポリス)を製作したフリッツ・ラング。金を採掘するために月へと旅立つ冒険物語で、恋愛ドラマも描かれる壮大なSF作品である。同作に登場するロケットの打ち上げシーンでは、「残り20秒」という字幕が挿入され、乗組員たちの緊張した面持ちが映し出される。そして「残り10秒!」で飛行士がレバーを握り、「残り6秒!」から「3、2、1」と数字が徐々に大きくなり、最後「JETZT」(Now)の後、ロケットが勢いよく空へと飛び立つ。
ラングは後に、「1、2、3……と数えては観客はいつそれが始まるのか分かりません。でも、逆に10、9……3、2、1と数えれば分かりますよね」と語っている。ラングの匠な演出力によって生まれたカウントダウンは、今日もさまざまな場面で私たちをワクワクした気持ちにさせてくれる。 参考:Forschung & Lehre「Wie das Kino die Welt lehrte, rückwärts zu zählen」
9. ケルン大聖堂の資産価値は、たったの27ユーロ!?
ケルン大聖堂自体は入場無料だが、財源確保のため尖塔を登るには6ユーロかかる(2023年6月現在)
人類共通の財産として登録されている世界遺産。ドイツ屈指の世界遺産であるケルン大聖堂には世界中から毎年600万人もの観光客が訪れるが、その資産価値はたったの27ユーロだという。1248年から1880年にかけて建設されたケルン大聖堂は、157メートルある二つの尖塔が特徴で、ゴシック式の大聖堂では最大規模。そんな歴史ある建築物がなぜ27ユーロなのだろうか。
まず、教会は非売品であるため市場価値を付けることができない。そして、大聖堂を維持するためには人件費や改修費として年間1200万ユーロ、1日当たりにして3万3000ユーロという膨大なコストがかかる。これに司祭の給与は含まれず、ケルン市とノルトライン=ヴェストファーレン州からも予算がつく。そうした状況を加味し、あえて資産価値を述べると27ユーロになってしまうようだ。この価格は、2015年にケルン大司教区が初めて資産(総額34億ユーロ)を公開したときに付けられたもので、今も変わらず27ユーロだという。 参考:wa.de「Verblüffende Zahl: Warum der Kölner Dom nur 27 Euro wert ist」
10. ジェームズ・ボンドはルール工業地帯の炭鉱町生まれ
架空の英国人スパイ、ジェームズ・ボンド。1950年代初頭に英国の作家イアン・フレミングによって考案された小説のキャラクターで、テレンス・ヤング監督による1962年の映画「007は殺しの番号」で世界中に知られるようになった。フレミングの死後、彼の友人でジャーナリスト、小説家であるジョン・ピアソンは、1973年にジェームズ・ボンドの伝記を出版。この架空の伝記では、ジェームズ・ボンド自身が「私はエッセン近郊の街、ヴァッテンシャイトで生まれた」と述べていたという記述がある。ボンド・ファンの間では異論もあるものの、フレミングがジェームズ・ボンドシリーズを発表した出版社もこの伝記を「公認」としてカタログに掲載。そのため信ぴょう性は高いとみられている。ヴァッテンシャイトはルール地方の独立都市だったが、1975年に地域改革の一環としてボーフムへと合併された。「ジェームズ・ボンドの生誕地」ということを知れば、旧ヴィッテンシャイトにゆかりのある人たちも誇りに思うことだろう。 WESTFALENSPIEGEL「James Bond – Spion aus Wattenscheid」
産業 Industrie & Handel
11. アディダスとプーマは、もともと同じブランドだった
ドイツの二大スポーツブランドであるアディダスとプーマ。歴史をたどると、1920年にダスラー家兄弟がバイエルン州ヘルツォーゲンアウラハに設立した靴工場で、実はもともとは一つのブランドだった。兄のルドルフはセールスマンとしての才能があり、弟のアドルフは靴職人として優れた腕前を持っていた。まさに理想のコンビとして会社を成長させ、1928年のアムステルダムオリンピックで選手たちに着用されるまでに発展。8年後のベルリンオリンピックでは、米国代表のジェシー・オーエンスがダスラー兄弟の靴を履いて四つの金メダルを獲得した。
しかしヒトラーが政権を取り戦争に向けて動き出すと、兄弟関係も次第に崩れていく。ルドルフは徴兵されたが、アドルフは職人としての力を買われて免れ、アドルフだけが経営を続けていくことになった。そして戦後も兄弟間での対立は続き、1948年以降、別々の道を歩むことになる。ルドルフは工場を出て、川を挟んだ対岸に靴工場「ルーダ」(その後プーマと改名)を設立。残されたアドルフは自分のニックネーム「アディ」と苗字「ダスラー」を繋ぎ合わせた「アディダス」を創業することになった。犬猿の仲になった兄弟は互いにつぶし合ったが、最終的には二つの世界的企業の出現という神話を築き上げた。 参考:Nürnberger Nachrichten「Adidas und Puma: Die Geschichte zweier fränkischer Sportgiganten」、News.de「Adolf und Rudolf Dassler: Puma und Adidas: So entstanden die beiden Kult-Marken」
12. 世界一粘着力の強い接着剤は、バイエルン州のDELO社が作っている
ギネス記録を達成して喜ぶDELO社の人々
バイエルン州に拠点を置く工業用接着剤の会社「DELO」。自動車産業や機械工学、スマートフォンなどに使用する特殊な接着剤の開発を行っている同社は、現在「接着剤で持ち上げられた最大重量(非市販品)」のギネス記録を保持している。挑戦が行われたのは2019年、クレーンに装着された直径7センチのアルミシリンダーに同社製の接着剤を3グラム塗布し、それによって17.5トンのトラックを1メートル宙に浮かせ、1時間の耐久に成功した。ちなみに前記録保持者はドイツ航空宇宙センターで、2013年に16.09トンの重量を持ち上げたという。
DELO社のユーチューブチャンネルでは、ギネス記録の審査当日の様子を記録した「Der stärkste Klebstoff der Welt」というビデオを公開している。緊張した面持ちの社員たちが見守るなかで接着剤がトラックを持ち上げる様子と、記録更新を達成したときの感動の様子はなかなかの見応えあり。 参考:DELO「Der stärkste Klebstoff der Welt」
13. ケバブサンドはトルコ発祥……ではなく、ベルリンで誕生した
ドイツのB級グルメといえば、ブラートヴルスト(焼きソーセージ)やカリーヴルストが思い浮かぶが、もう一つ忘れてはならないのが、そう、ケバブ! トルコ料理であるケバブは、もともと肉や魚、野菜をローストしたものを指し、よく耳にするドネルケバブは回転焼き、シシケバブは串焼きを意味する。ドイツではドネルケバブをフラットブレッドに挟んだケバブサンドがポピュラーだが、実はこの食べ方はベルリンで誕生した。その発明者とは、戦後にガストアルバイター(出稼ぎ労働者)としてベルリンにやってきたトルコ人。1972年にベルリンの動物園駅でカディル・ヌルマンがケバブをパンに挟んだのが、ケバブサンドの始まりだという。歩きながら食べられるケバブサンドは瞬く間に人気となり、すぐにほかのスタンドでも売られ始めた。
カリーヴルストに並ぶ国民的ファーストフードとなった現在、ドイツにはおよそ1万6000軒のケバブ店があり、そのうち1000軒がベルリンにあるとか。1996年には欧州トルコケバブ製造業者協会(ATDiD)が設立され、ケバブの品質を守る活動をしている。 参考:ベルリン市ホームページ「Döner Kebab ist eine Berliner Erfindung」
法律・規則 Gesetze / Richtlinien
14. ドイツでは1951年まで、女性教師は結婚してはいけない規則があった
1970年代のドイツの小学校で教える女性教師。この頃には女性教師の独身制は廃止されていた
1880年、ドイツ帝国では女性教師は独身でなければならないという法律が制定された。当時、家事は女性がこなすべきものであり、仕事と家庭を両立させることはできないという考えがあった。そのため19世紀から20世紀初頭にかけて、女性は大きな決断を迫られた。「若い女の子を教育したい」という熱意に溢れた女性教師たちは、教師協会に参加したり、会議に出席したりと活発な社会生活を送っていたが、19世紀に期待されていたようないわゆる「良妻賢母」とは異なっていた。その後1919年のワイマール憲法調印により、女性教師の独身主義はひとまず終わりを告げた。
しかし1920年代は高騰するインフレのなか、国家は公務員の削減を迫られ、職員削減令を公布する。そのなかで結婚している女性教員を解雇することを規定した。女性教師の独身制が廃止されたのは、西ドイツでは1951年、バーデン=ヴュルテンベルク州ではさらに時間がかかり、差別がなくなったのは1956年である。一方、東ドイツでは1949年に男女平等がすでに憲法に明記されていた。 参考:Süddeutsche Zeitung「"Außereheliche Sexualität war ein No-go"」
15. ドイツでは7人目の子どもが生まれると、連邦大統領がその子の名誉スポンサーになってくれる
ドイツのラッパーおよび起業家として知られるBushido(写真左)は、シュタインマイヤー連邦大統領が、2022年11月に生まれた三つ子の娘たちの名誉スポンサーになったことをSNSで報告。3人分の贈呈金は寄付したという
ドイツでは1949年以来、「子どもの多い家庭に対する国家の特別な義務を表明する」として、7人目に生まれた子どもに対して、連邦大統領が名誉スポンサー(Ehrenpatenschaft)になるという制度が存在する。これまでに歴代の連邦大統領は8万2600人以上の子どもの後援者となり、2022年には400人の子どもがこれに該当した。大統領に名誉スポンサーになってもらう条件は、7人の実子がいること、全員が同一の父母の子どもであること、子どもがドイツ国籍であることなど。また名誉スポンサーシップは、1家族に付き1回のみ申請が可能で、子ども1人に付き500ユーロの贈呈金をもらえる(多胎児の場合は、全ての子どもに対して付与される)。
なお、連邦大統領はそれ以上の義務を負うわけではない。名誉スポンサーシップの申請は、子どもの誕生から1年以内に行う必要があり、各自治体のウェブサイトから申請書をダウンロードできる。 参考:rbb「Bundespräsident Steinmeier übernimmt Patenschaft für Bushidos Drillinge」、Bundesverwaltungsamt「Ejtunhrn unf Ausyeichnung」
16. ドイツの労働局では、失業中のプロサッカー選手は「芸術家・パフォーマー」に分類される
コロナ禍や経済危機などによって、財政難に陥るサッカークラブが増え、サッカー選手も失業による影響を受けることが多くなってきている。特に大きな問題となっているのがテレビ放映権による収入の大幅減で、これによりチームの縮小を余儀なくされているのだ。プロのサッカー選手が失業した場合、彼らは労働局では「芸術家・パフォーマー」(Künstler&Artisten)に分類され、一般的な失業者と同じように手続きを行うことで失業手当を得られる。失業手当の査定限度額は、旧西ドイツ地域だと月給総額6700ユーロ、旧東ドイツ地域では6150ユーロ。そこから保険料などが差し引かれるため、たとえ失職前のクラブチームとの契約が年俸30万ユーロであったとしても、実際の手取りは月額2000〜2400ユーロ程度に。失業以前の生活とは大きなギャップが生まれることになる。また新しいクラブチームに配属されることは容易ではなく、スポーツマーケティングに携わったり、スポーツ用品メーカーで働いたりと、元プロ選手たちも第二のキャリアを模索する必要があるようだ。 参考:Sportfails「Kein Fail: Arbeitslose Fußballer fallen unter Künstler und Artisten」、StN.DE「So viel Arbeitslosengeld bekommt ein Profi」
17. ドイツで初めて有給休暇ができたのは1903年で、日数は3日間だけだった
19世紀中頃まで、国民の多くは休暇を取ることができなかった。そもそもドイツ語の 「Urlaub」(休暇)は古・中高ドイツ語では「職務・任務からの解放」を意味する。つまり現在使われている娯楽のための休暇ではなく、親族の葬儀など、家庭の事情のために雇用主へ「Urlaub」を求めるときに使われていた言葉だ。また中世で旅をするのは、商人が長距離貿易を行うため、または宗教的な理由がある場合のみだった。貴族が旅をすることもあったが、目的は観光ではなく、遠くの領地を管理するため、あるいは領地を手に入れるために訪れた。
19世紀半ばになると、上流階級の人や公務員は「バカンス」のための休暇を取るように。休暇はステータスや自慢の種となった。しかし一般の工場労働者は、この社会の変化の恩恵を受けることができず、20世紀まで待たなくてはならなかった。1903年、ビール醸造所の労働者が労働協約によって初めて有給休暇を取得するが、それは年にたったの3日間。1933年にヴァイマール共和国が終わるまでには法的に有給休暇が与えられるように。当時は休暇は3~4日と短い期間だったが、民間旅行会社が低価格で旅行の提案をするなど、次第に現在のような休暇の形になっていった。 参考:Bayerischer Rundfunk「Die Erfindung der Ferien: Geschichte einer wunderbaren Zeit」、Norddeutscher Rundfunk「Ferien ohne Urlaub? Als Reisen noch nicht selbstverständlich war」
恋愛・結婚 Liebe / Heirat
18. ドイツの戸籍役場では、「Ja」以外の答えだと婚姻が認められない
ドイツで結婚する際は、市役所内にある戸籍役場(Standesamt)へ婚姻届や必要書類を提出し、戸籍役場に併設されている結婚式場の予約を取る。そして結婚式当日には、戸籍役場の担当官が婚約者たちそれぞれに結婚の意思を尋ね、結婚証明書への署名をもって婚姻が成立する。
結婚式では、担当官からの「結婚に同意するか」という質問に対して、はっきりと「Ja」(はい)と意思表示をすることが必要。これはドイツ民法(BGB)133条で、「結婚の意思表示に当たっては、文字ベースではなく真意を確認する必要がある」と定められているのに基づく。そのため担当官にもよるが、「Nein」(いいえ)はもちろん、「Gern」(良いですね)、「Mhm」(うーん)、「Klar」(もちろん)などの曖昧な返事、うなずきやジェスチャーも基本的には認められないという。なかには「本当に結婚をして良いのかな」とジョークを言ったために、結婚が認められず帰されたという例も……。 参考:stern「Ein Bräutigam macht einen doofen Scherz – dann sagt der Standesbeamte die Hochzeit ab」
19. ドイツで最も多いパートナー間のもめごとは「片付けができていないこと」
ドイツで多いパートナー間のけんかの原因は?エリートパートナー研究の調査によると、ドイツ人のカップルにおいて、けんかの原因として最も多いのは、片付けができないことや家が散らかっていること(Unordentlichkeit)。例えば書類が散乱していたり、食器洗い機が片付いていなかったりすると、ついけんかになってしまうという。これをけんかの理由として上げているカップルは、交際期間が1年未満の場合は約29%だが、交際期間5年以上10年未満では、なんと約52%にも上る。さらにけんかの原因として2位にランクインしたのは、スマートフォンなどの使用時間の長さ。4組に1組が、携帯電話、タブレット、パソコンの見すぎが原因で口論になる。
また生活面で、時間を守らない、出費や金銭面、買い物から家事、食事まで日常生活の計画も、5組に1組の割合(各20%)で衝突する原因に。また在宅ワークであろうとなかろうと、カップルの7人に1人 (14%) が、労働時間について口論になる。一方、義理の家族(13%)や性生活(11%)のような感情的な話題は、比較的少ない。 参考:statista「Über welche der folgenden Themen streiten Sie und Ihr/e Partner/in am meisten?」、welt「Wenn ständige Unordnung die Liebe belastet」
20. ドイツ人の70%は一目惚れを信じている
YouGovの調査によると、ドイツ人の70%が一目惚れを信じており、また45%は一目惚れを経験したことがあると回答している。さらにアレンスバッハ研究所によると、ドイツ人66%は生涯の愛を信じているという。この数字を見ると、ドイツ人はロマンチストであるといえるだろう。家族心理学者の研究によると、パートナーに恵まれ、幸せな結婚生活を送っている人は、そうでない人よりも4年長生きすることが明らかになっており、重病にかかるリスクも35%低くなっているという。
ただし、自分たちのパートナーシップに満足している人でさえ、4人に1人が「自分にはもっと適切なパートナーがいるのではないか」と考えているという結果も。これは現パートナーへの不満からではなく、オンラインでの新しい出会いの機会も多いため、本当に自分に最適なパートナーを見つけられたかどうかの確信が持てないのだという。 参考:Lovomi「Beziehung Statistik: Die Liebe in Zahlen」、Süddeutsche Zeitung「Mehrheit der Deutschen glaubt an die große Liebe」