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人から人へと受け継がれる世界遺産ドイツの「無形文化遺産」を知る!

人類共通の遺産として保護されているユネスコの無形文化遺産。グローバリゼーションに伴って、世界的に伝統文化の消滅の危機が叫ばれており、ドイツでも伝統文化の保護対策として無形文化遺産は重要視されている。本特集ではドイツが築いてきた無形文化遺産をご紹介。さまざまな地域やコミュニティーによる無形文化遺産を知ることで、異文化や多様な生き方への理解を深めてみよう。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:Deutsche UNESCO-Kommission、UNESCO Intangible Cultural Heritage、文化庁「無形文化遺産」、『ユネスコ「無形文化遺産」生きている遺産を歩く』(国末憲人著、平凡社)、シンクタンクせとうち総合研究機構

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そもそも「無形文化遺産」とは?

「世界遺産」と聞くと、ユネスコにより1978年から登録が始まった文化遺産や自然遺産など、有形のものを思い浮かべるだろう。伝統文化や知識、技術などのいわゆる「無形文化遺産」が世界遺産条約の対象となったのは、2003年のこと。その年に開催されたユネスコ総会で、無形文化遺産も国際的に保護する仕組みを作ることが採択されたのだ。その背景には、1990年代からグローバル化の大きな流れにより、各地の文化遺産が消滅の危機や脅威にさらされていたという事実がある。

また欧米では第二次世界大戦後に、著作権を保護する活動が活発になったが、民間伝承や伝統的知識が著作権や特許権の対象になることはほとんどなかった。例えば先住民族の絵柄や民謡などを、欧米人が商品として使用し利益を得ていたことも。先住民族側は大切な文化を無断で使われたことが許せないと、著作権をめぐって争いになったケースもある。このような背景から、民間伝承や伝統的知識を知的所有権を有するものとして守ることも、無形文化遺産の登録を目指す大きな軸となった。

各国の無形文化遺産をユネスコの「無形文化遺産の保護に関する条約」へ登録するには、まず国内の無形文化遺産一覧表に登録される必要がある。すなわち、各締約国は自国における無形文化遺産の保護のため、国内の無形文化遺産を特定し、一覧表を作成する。各国は遺産の保護措置を取るよう努めることが求められているのだ。この中から、各国は国際的な水準での無形文化遺産の保護のため候補を選定し、ユネスコ事務局に提案。提案書は、無形文化遺産保護条約政府間委員会によって評価され、記載するか否かが決定される。ちなみに政府間委員会は締約国の中から十数カ国が選ばれ、任期は4年。2年ごとに半数が改選される。

2023年7月現在、世界140カ国で676件がユネスコ無形文化遺産に登録されている。ユネスコでは、無形文化遺産を次の三つのカテゴリ(一覧表)に分類し、それぞれの目的や方法によって保護している。

❶ 人類の無形文化遺産の代表的な一覧表

文化の多様性を尊重する対話を奨励するために、無形文化遺産の重要性が世界的に認識され、認知度が高まることを目的としている。登録件数が一番多く、2013年に登録された「和食;日本人の伝統的な食文化」はこれに分類される。

人類の無形文化遺産の代表的な一覧表

❷ 緊急保護が必要な無形文化遺産一覧表

適切な保護措置が必要であることを強調するための一覧表。この一覧表にある無形文化遺産の保護を支援するために、ユネスコは国際基金を設立している。例えばモンゴルの伝統的民族舞踊「モンゴル・ビエルゲー」などがある。

緊急保護が必要な無形文化遺産一覧表

❸ グッド・プラクティス

無形文化遺産を革新的な方法で効果的に保護している実践事例の一覧表。日本にはまだグッド・プラクティスに登録されているものがないが、ドイツでは「バウヒュッテにおける工芸技術と慣習」が登録されている。

グッド・プラクティス

ユネスコに登録された7つのドイツの無形文化遺産

現在、ドイツの無形文化遺産でユネスコで登録されているものは7件。なかには他国と共同遺産として登録されているものもあるが、それぞれにドイツの文化的要素も垣間見える。そんなドイツの無形文化遺産をピックアップするとともに、実際にその文化遺産を見学したり体験したりできるヒントをご紹介する。

今日の「協同組合」の原点はドイツに!❶ 協同組合における共通的利益を組織する理念と実践Idee und Praxis der Organisation gemeinsamer Interessen in Genossenschaften

登録年
2016年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)

同じ目的を持つ人同士が集まって組織される「協同組合」の存在は今日では当たり前となったが、ドイツには古くから商業や職人による職業別組合「ギルド」があり、ドイツらしい無形文化遺産ともいえる。

中世のギルドでは、メンバーになるとさまざまな規律に従わなくてはならなかったが、その代わりに経済的安定や平等が保証され、共用施設も使用できた。19世紀になって自由主義思想が広がると、ギルドは解体する。そこで新たに登場したのが、協同組合だった。その協同組合の重要な基礎を築いたのが、ヘルマン・シュルツェ・デーリチュ(1808-83)とフリードリヒ・ヴィルヘルム・ライファイゼン(1818-88)だ。経済学者であるシュルツェ・デリッチュは世界初の信用協同組合を、市長であったライファイゼンは農村信用組合の基となる信用協同組合を築き上げた。

協同組合は民主的に確立された組織構造であり、組合員が市民社会への積極的な関与を通じて社会的責任を担う。組合員は、協同組合に出資することで共同所有者となり、議決権は出資額に関係なく皆平等に与えられる。協同組合のアイデアはすぐに応用され、今日では仕事、金融、食料、住宅など、地域的にも世界的にも、ほとんど全ての分野に存在している。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Gesellschaftliche Selbstorganisationsform ist erster deutscher Eintrag auf UNESCO-Liste」、Deutscher Genossenschafts- und Raiffeisenverband e.V「Kulturerbe der Menschheit」
見学・体験

シュルツェ・デーリチュ・ハウスの協同組合博物館Genossenschaftsmuseum im Schulze-Delitzsch-Haus

ヘルマン・シュルツェ・デーリチュの生涯と、協同組合の誕生について学ぶことができる博物館。約250平方メートルの広さを誇る館内では、19世紀の社会問題を解決するために彼が行ったさまざまなアプローチについて解説。また当時のドイツの社会から経済、社会史の一端が語られ、現在の協同組合へのつながりも見えてくる。壁に展示されている「協同組合の世界地図」では、協同組合のアイデアが国際的に広がった様子が一目で分かる。
https://genossenschaftsmuseum.de

楽器の音色も文化遺産❷ オルガン製造技術と音楽Orgelbau und Orgelmusik

登録年
2017年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)

オルガンは約2000年前にエジプトで誕生したといわれている。その後、東ローマ帝国時代に欧州に伝わり、ドイツでも発展してきた。中世以来、オルガン演奏は教会の典礼の一部でもあり、バッハ、リスト、メンデルスゾーンなどドイツの作曲家たちもオルガンの曲を多く残している。

職人に代々引き継がれる技と知識はオルガン製造に欠かせず、非常に高度な感性も必要といわれる。オルガンを制作する際は、建物の音響条件をしっかり把握し予算に応じて個別に設計される。一方でオルガンは伝統的な職人技だけではなく、常に変化する革新的な技術を取り入れていくことも大切にされている。例えば、初期のオルガンの内部は鍵盤と弁が直接結合されていたが、時間が経つにつれて空気圧のモーターや電気で動作するように改良されてきた。

今日、ドイツ全国には5万台のオルガンがあり、オルガン工房は400社(2800人の従業員と180人の見習い)存在する。国内に3500人のオルガニストがいるが、アマチュア奏者も合わせると数万人ともいわれる。音楽大学や教会施設でオルガン奏者養成を行っており、将来のオルガニストが今も着々と育っている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Hochspezialisiertes Erfahrungswissen und besondere Fähigkeiten」、Sonntagsblatt「Orgelbau und Orgelmusik gehören zum "Immateriellen Kulturerbe" der UNESCO」
見学・体験

第13回 ドイツオルガンの日13. Deutscher Orgeltag

毎年9月の「ドイツオルガンの日」には、さまざまな大きさ、古いものから新しいものまでドイツのオルガンが全国同時に一般公開される。コンサートだけでなく、舞台裏を見学するオルガンツアー、オルガニストやオルガン製作者、オルガン愛好家たちとのトークやインタビュー、オルガンの歴史や新築計画に関する展示会など、オルガンにまつわるあらゆるイベントも開催。音も見た目も違うオルガンは、聴きごたえ見ごたえあること間違いなし!
2023年9月10日(日)
www.orgeltag.de

工業化で消滅しかけた伝統技術❸ 藍染め ヨーロッパにおける防染ブロックプリントとインディゴ染色Blaudruck

登録年
2018年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)
※オーストリア、チェコ共和国、ハンガリー、スロバキアと共同

17世紀後半、オランダ東インド会社の旅行者たちによって、藍染めが欧州に伝えられた。その後、18世紀から19世紀にかけて藍染めの技術は中欧にも広まってゆく。それまで染色には森林植物が使われていたが、大量に収穫しやすい藍が染料として使われるようになったことが理由の一つだ。しかし工業化により大量生産の時代になると、手作業による藍染めは衰退し、多くの工房は閉鎖を余儀なくされた。

今日、伝統的な方法で藍染めを行っている工房はドイツでは12軒、そのほかの欧州諸国では15軒のみ。そのほとんどが家族経営だ。伝統的な工房は何世代にもわたって存続し、固有の知識と技術は家族内だけで受け継がれている。

生地のデザインは、木型を使って手作業でプリントされる。細かい模様が施された木製(あるいは金属製)の版木に防染剤を付け、布の上に版木を設置。次に藍の染色槽に布を浸すのだが、防染剤を付けた部分は染まらないため、模様ができるという仕組みだ。現在、若手のデザイナーが工房と協力して独自のファッション・コレクションを発表するなど、藍染の魅力があらためて注目されている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Blaudruck in Deutschland ist Immaterielles Kulturerbe der UNESCO」、Auswärtiges Amt「Blaudruck von der UNESCO als Immaterielles Kulturerbe der Menschheit anerkannt」
見学・体験

イェーファー藍染工房Blaudruck Jever GmbH

ニーダーザクセン州イェーファーの中心部にある藍染工房は、1822年に建てられた倉庫を使用し、消滅しかけていた藍染めの伝統を復活させた。ニーダーザクセン州で受け継がれている型のほか、北ドイツ、オランダ、スイス、ハンガリーなどの伝統的な型も保管。古くから伝わる職人技と現代的なデザインを融合させながら、藍染技術を守り続けている。毎週水曜15時には、色模様を染めだす 捺染 (なせん) などの様子を実演するほか、工芸の歴史や文様の由来を解説し、藍染めについて深く知ることができる(所要時間約45分、参加費7ユーロ)。
www.blaudruckerei.de

数百年受け継がれてきたチームワーク❹ ヨーロッパにおける大聖堂の建設業場、いわゆるバウヒュッテにおける工芸技術と慣習:ノウハウ、伝達、知識の発展およびイノベーションDas Bauhüttenwesen - Weitergabe, Dokumentation, Bewahrung und Förderung von Handwerkstechniken und -wissen

登録年
2020年(グッド・プラクティス)
※フランス、ノルウェー、オーストリア、スイスと共同

ゴシック建築様式の大聖堂は、建築家、石工、鍛冶職人、大工、芸術的なガラス職人、足場職人、塗装職人、屋根職人など、多くの専門的な石工作業を必要とする。そんなゴシック建築の最盛期である13世紀、都市生活が発展すると同時に、分業制に基づいて高度に専門化された建築組織と施工形態も発展した。そうした新たな組織や形態は「バウヒュッテ」と呼ばれ、棟梁の指導のもと各専門家が共同作業で一つの建物を造り上げていた。中世後期以降、バウヒュッテは国境や帝国を越えて互いに密接に結びつき、ネットワークが形成され、欧州中に知識や技術が広まった。

バウヒュッテの職人たちは、毎年春になると欧州中の大きな建設現場に出向き、秋になるとまた故郷へと帰った。職人を長い期間確保するために、彼らには宿舎が提供され、冬でも作業できる部屋が用意されることも。こうして同じ職人たちによる長期的な計画が可能になり、非常に複雑な構造の建築が可能になった。

大聖堂のバウヒュッテの安定と成功の中心は、経験豊かなマイスターの知識と技が弟子たちに受け継がれてきた教育システムの賜物。職人としての活動以外でも保存活動を記録し、青少年などに活動を広めたり、定期的に会議を開き情報交換したりと、地域を超えて文化を受け継いできたことがグッド・プラクティスに登録された要因だ。現在も当時と同じように、バウヒュッテは教会のすぐ近くに作業場を持ち、さまざまな業種の人々が建築現場で密接に協力し合っている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Das Bauhüttenwesen - Weitergabe, Dokumentation, Bewahrung und Förderung von Handwerkstechniken und -wissen」。Karlsverein – Dombauverein「UNESCO nimmt Bauhüttenwesen als Immaterielles Kulturerbe auf」
見学・体験

ケルン大聖堂Kölner Dom

3人の王の骨を収めた聖遺物箱があるケルン大聖堂は、ゴシック建築の傑作の一つといわれている。ローマ・カトリック教会として1248年から建設が始まり、完成したのは1880年。600年以上の歳月を費やした大聖堂は、1996年にユネスコの世界遺産に登録された。しかし近年は環境の影響によって風化が深刻に進んでいる。バウヒュッテは損傷した石造物の修復や、歴史的な窓の保存と保護などを随時行なって、世界遺産を守り続けている。
www.koelner-dom.de

24カ国で守り続ける狩猟文化❺ 鷹狩りFalknerei

登録年
2021年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)
※オーストリア、ベルギー、クロアチア、チェコ共和国、フランス、ハンガリー、アイルランド、イタリア、カザフスタン、キルギスタン、モンゴル、モロッコ、オランダ、パキスタン、ポーランド、ポルトガル、サウジアラビア、スロバキア、スペイン、韓国、シリア、アラブ首長国連邦、カタールと共同

訓練された猛禽類を使って野生の獲物を捕らえる狩猟には、3500年以上の歴史がある。動物を飼いならし、調教するための知識と経験は、世代を超えて受け継がれてきた。

猛禽類と鷹匠は、まず信頼関係を築く必要があり、打ち解けるまでには繊細なプロセスを踏まなければならない。猛禽類はごほうびをもらうなどポジティブな経験を通じてゆっくりと鷹匠に慣れていき、やがて狩猟を行うようになる。訓練した猛禽類たちの飛行速度は、時速300キロ以上にもなるという。鷹匠の技術習得は、生きた動物を扱うため、理論の勉強だけでは不十分であり、実践のほか、動物や自然の保護対策も不可欠である。

ドイツで狩猟免許を取得するためには、通常の狩猟試験に加え、特別な鷹匠試験に合格しなければならない。この二つの試験が存在するのは、世界でもドイツだけである。またドイツでは鷹匠1名につき合計2羽まで飼育が可能で、鷹狩り用の鳥としてオオタカ、イヌワシ、およびペレグリン・ハヤブサが、法的に認められている。使用される道具も、この数千年の間、ほとんど変わっていない。これらの道具は高品質で特別な仕組みがあるため、今日でも手作業で作られている。

鷹狩りは多くの国で行われていて、鷹匠間で国内および国際的に情報を交換することは文化保存にとって重要だ。リストに登録されたことで、国境を越え、後世に継承されるに違いない。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「3.500 Jahre alte Tradition durch insgesamt 18 Länder nominiert」、Deutscher Falkenorden e. V.「Immaterielles Kulturerbe」
見学・体験

ホーエン・ノイフェン城でのサマープログラムSommerprogramm auf der Burg Hohen Neuffen

シュトゥットガルト近郊にあるホーエン・ノイフェン城で毎年夏に行われる鷹狩りショー。ワシ、ハヤブサ、ハシビロコウ、フクロウなどを間近で見ることができ、猛禽類が来場者の頭上近くを飛び、さまざまな狩りの戦略や獲物を捕らえる技術を実演する。鷹匠の高度な技術はもちろん、人と動物、そして自然が織り成す特別な体験を楽しめる。
2023年4月7日〜11月末まで
日曜・祝日 12:00、14:00、16:00
www.falkner-wolfgang-weller.de

ワイマール共和国時代に生まれた前衛舞踊❻ ドイツにおけるモダンダンスの実践Moderner Tanz – Stilformen und Vermittlungsformen der Rhythmus- und Ausdruckstanzbewegung

登録年
2022年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)

モダンダンスは、ワイマール共和国時代にクラシックバレエを否定して生まれた自由な身体表現で、表現主義ダンスと生活改革運動にルーツを持つ。表現主義ダンスの創始者の一人、ルドルフ・フォン・ラバン(1879-1958)をはじめ、舞踊家ピナ・バウシュ(1940-2009)の師匠であるクルト・ヨース(1901-79)、振付師のマヤ・レックス(1906-86)などに影響されながら発展し、今日まで受け継がれている。

あらかじめ決められたポジションを再現するのではなく、感情や人生経験を反映したありのままの表現を追求するモダンダンス。ソロや小グループでの共同創作が中心で、年齢、社会的地位、出身、体格、性別は関係ない。そしてモダンダンスはさまざまなダンススタイルと組み合わさり、コンテンポラリーダンスへと発展した。

ドイツでは、モダンダンスはさまざまな年齢やスタイルのダンサー、振付家、ダンス教育者によって実践され、教えられている。また公立学校やレジャー施設での子どもや若者のためのダンス・プロジェクトも盛んだ。専門学校、文化施設、成人教育や学習プログラムにおいても、コースやワークショップを提供し、地域に根差している。モダンダンスには共同体感覚を生み出し、人と人との結びつきを強めるという側面もあるのだ。こうしたコミュニティー構築に貢献している点も、無形文化遺産登録に際して評価されたといえる。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Moderner Tanz – Stilformen und Vermittlungsformen der Rhythmus- und Ausdruckstanzbewegung」、Ständige Vertretung der Bundesrepublik Deutschland「Der Moderne Tanz wurde in die UNESCO-Liste des Immateriellen Kulturerbes aufgenommen」
見学・体験

タンツハウス nrwtanzhaus nrw

デュッセルドルフのtanzhaus nrwは、現代のダンス文化を促進する非営利団体で、アマチュアからプロまで通えるダンスアカデミー。さまざまなジャンルのダンスが学べ、モダンダンスのコースも開講されている。八つのスタジオのほかにシアターもあり、プロのパフォーマンスが見られる機会も多い。またドイツ各地にある市民学校のフォルクスホッホシューレ(VHS)でも、モダンダンスのコースが提供されていることもあるため、気になる人はチェック!
https://tanzhaus-nrw.de

ライン川でも行われていた木材輸送❼ いかだ流しFlößerei

登録年
2022年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)
※オーストリア、チェコ共和国、ラトビア、ポーランド、スペインと共同

河川に木材を流して運ぶ「いかだ流し」は、何世紀にもわたって森林地帯から木材を移動させる最も費用対効果の高い方法だった。遅くとも13世紀には、木材の需要は燃料や家屋の建築のみならず造船用としても高まり、いかだ流しは重要な輸送手段の一つとなったと考えられている。

いかだ師たちは、組んだいかだの上で何週間も共同で生活を送り、作業をしていた。その結果、いかだを作り川を下るための知識や技術、価値観を共有するコミュニティーが生まれた。いかだ流しによって繁栄した街もあり、例えばバーデン=ヴュルテンベルク州のヴォルフアッハでは、1763年時点で労働人口の20%がいかだ流し業に携わっていたという。

三十年戦争(1618〜1648)の復興期には、木材に乏しいオランダでは造船需要に対応するため、取引先を拡大。その莫大な需要により「オランダいかだ」でライン川を航行し、ドイツから大量の木材を輸送していた。しかし19世紀末には交通網と鉄道網が整備され、さらにライン川の運送船がいかだ流しに不満を抱くようになり、いかだ流しの重要性は次第に低下していった。第二次世界大戦には、いかだ流しはドイツの川で散発的にしか行われなくなり、1967年にライン川でのいかだ流しは廃止された。

人々の生活を支えてきたいかだ流しは、1980年代まで商業的に続けられ、現在は観光客向けに行っている地域も。近年では、いかだ流し協会が学校などに出向き、いかだ流しを通じて子どもたちに木材の重要性を伝える活動をしている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「UNESCO erklärt Flößerei zum Immateriellen Kulturerbe der Menschheit」、planet wissen「Vom Floß zur Kogge: Geschichte der Floßschiffahrt」
見学・体験

いかだ流しと交通博物館 ゲンゲンバッハFlößerei- und Verkehrsmuseum Gengenbach

ヘッセン州にあるキンツィヒ渓谷のいかだ師の歴史を詳しく紹介する博物館。いかだ師は長旅に出る前に天に祈りを捧げ、危険な旅への安全を祈願していた。いかだ師の仕事は体力勝負でもあり、気性が荒い人が多かったが、根は優しかったといわれている。いかだ流しは、19世紀までシュヴァルツヴァルトの重要な収入源であった。地域の活動を後世に残すために、1991年にシュヴァイバッハのいかだ師組合がかつての鉄道衛兵の家を使用して博物館を設立。館内ではいかだ流しや林業、木材加工に関する数多くのドキュメンタリーを見ることができる。
www.floesserei-museum.de

ドイツ国内で保護されている無形文化遺産

ユネスコの無形文化遺産に登録されるには、まず国内で保護体制が取られていることが条件。そのため、ドイツユネスコ委員会はまず国内で無形文化遺産リストを作り、該当する遺産を登録している。ドイツ国内で登録されたものから、あまり知られていない興味深いものをご紹介しよう。

ハイデルベルクのヒップホップ文化Hip-Hop-Kultur in Heidelberg und ihre Vernetzung in Deutschland

登録年
2023年

ラップ、DJ、ヒューマンビートボックス、グラフィティ、ブレイクダンスなどのさまざまな要素に基づくヒップホップ文化。多様な表現形態があることが特徴で、1970年代の米国が発祥の地だ。ドイツでは1980年代からハイデルベルク出身のグループ、アドバンスド・ケミストリーを中心に発展した。ドイツ語圏全域で継承されているが、ハイデルベルクはヒップホップ文化の発展に貢献した都市として、同地のヒップホップ文化がドイツ国内の無形文化遺産にリストアップされた。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Hip-Hop-Kultur in Heidelberg und ihre Vernetzung in Deutschland」、Stadt Heidelberg「 Immaterielles Kulturerbe: Deutsche UNESCO-Kommission zeichnet Heidelberger Hip-Hop aus」

ハーメルンの笛吹き男 民間の取り組みAuseinandersetzung mit dem Rattenfänger von Hameln

登録年
2014年

「ハーメルンの笛吹き男」は、最もよく知られたドイツ民話の一つ。そして今日、ハーメルン市ではこの話を軸にして、芸術や大衆文化のあらゆるジャンルでさまざまな解釈による上演や創作活動が行われている。例えば、1956年以来、毎年夏にボランティアの俳優たちによる「笛吹き男」の野外劇が、2000年からは5~9月までの毎週水曜日に、ミュージカル「RATS」が入場無料で上演される。さらに2004年には、70匹以上のネズミが表現された彫刻フェスティバルが開催された。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Auseinandersetzung mit dem Rattenfänger von Hameln」Die Rattenfängersage: Stadt Hameln「Eine gelebte Tradition」

モールス信号Morsetelegrafie

登録年
2014年

1830年代半ばに米国人のサミュエル・モールスが開発した、短音と長音の組み合わせで伝達を行うモールス信号。当初は有線のみだったが、19世紀末には電波を使った無線機器も登場した。1849年にドイツ人のフリードリヒ・クレメンズ・ゲールケが符号を改良し、国際規格として承認され、今日まで公式かつ世界的に使用されている。20世紀後半にはモールス信号は使用されなくなったが、アマチュア無線家の中にはファンも多い。歴史、言語、そして文化を超えたモールス信号は、世界のコミュニケーションツールとして伝承されている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Morsetelegrafie」、Ministerium der Deutschsprachigen Gemeinschaft Belgiens「Morsetelegrafie」
 
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