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So. 17. Feb. 2019

2019年に
記念年を迎える偉人
ドイツの著名アーティストたちの軌跡

新年を迎えるにあたり改めて過去を振り返ると、そこにはさまざまな発見や学びがあるもの。今年は世界中でファンが多いドイツ出身の芸術家5人に焦点を当て、その軌跡をたどる。
(Text:ドイツニュースダイジェスト編集部)

2019年はバウハウス誕生100周年 20世紀芸術と造形教育に
大きな影響を与えた総合的教育機関

バウハウス

1919年、ドイツのテューリンゲン州ヴァイマルにて設立された総合的教育機関。建築家のヴァルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエなど、ドイツを代表する建築家たちが学長を務めた。ナチスによる弾圧で1933年に閉校を余儀なくされたが、閉校までの14年の間に20世紀芸術と造形教育に大きな影響を与え続けた。100周年を迎えた今年は、4月6日に本拠地だったヴァイマルにバウハウス美術館が新たにオープンするのをはじめ、ドイツ各地で展覧会やイベントが企画されている。

没後50年

世界三大モダニズム建築家の一人
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ
Ludwig Mies van der Rohe 1886〜1969年

ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトとともに20世紀のモダニズム建築を代表する建築家。「Less is more.(少ないことは、より豊かなこと)」という建築スタイルを確立した。1886年3月にアーヘンに生まれたミース・ファン・デル・ローエは、地元の職業訓練学校で製図を学んだ後、建築事務所に入り本格的に建築を学ぶ。1929年に開催されたバルセロナ万国博覧会ではドイツ館の「バルセロナ・パビリオン」を設計し、著名な建築家の仲間入りを果たす。1930年からは「バウハウス」の3代目校長に就任。ドイツの「ベルリン美術館 新ナショナルギャラリー」も彼の作品。

没後50年

バウハウスを創立した建築家
ヴァルター・グロピウス
Walter Gropius 1883〜1969年

ヴァルター・グロピウス

奇しくもミース・ファン・デル・ローエと同年に亡くなったヴァルター・グロピウスも、モダニズム建築を代表する建築家の一人。造形美術学校「バウハウス」の創立者であり、1919年から1928年まで初代校長を務めた。1883年5月ベルリンに生まれたグロピウスは、ベルリンやミュンヘンの工科大学で建築を学ぶ。1911年の作品、「ファグスの靴型工場」は、後のバウハウス校舎の構想にもつながるような鉄とガラスを用いた初期モダニズム建築であった。代表作には、「 ヴァイマル・バウハウス校長室のインテリア」(1923年)などがある。

生誕200年

女性音楽家の礎を築く
クララ・シューマン
Clara Schumann 1819〜1896年

クララ・シューマン

ドイツを代表する女性ピアニスト、作曲家。また、作曲家のロベルト・シューマンの妻でもあった。1819年9月、当時のザクセン王国ライプツィヒに生まれたクララは、9歳のときにライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会で、モーツァルト・ピアノ協奏曲のソリストを務め、プロデビューを果たす。以後、19世紀において最も名高いピアニストに。夫のロベルト・シューマンとの苦難多き人生を歩むことになりながらも、若い頃に共作をするなど、夫婦としてともに試練を乗り越えた。また、ロベルト・シューマンはクララを主題にした楽曲も残している。

没後50年

激動の時代を生き抜いた画家
オットー・ディクス
Otto Dix 1891〜1969年

オットー・ディクス

ドイツで第一次世界大戦後に始まった芸術運動、「即物主義」を代表する画家の一人。ゲーラで生まれたディクスは小学生の頃から画家としての片鱗を示していた。第一次世界大戦では従軍し、惨状を目の当たりにした彼は戦争という悲しい現状をスケッチに落とし込み、多くの作品を残す。終戦後はドレスデンとデュッセルドルフでアートを学ぶ。1920年にはベルリンの国際ダダ見本市に参加し、高い評価を受ける。鋭い観察眼で矛盾に満ちたドイツの実状を作品に昇華し続けた。代表作には、銅版画連作「戦争」や、油彩「大都会」などがある。

没後10年

世界的に活躍したコンテンポラリーダンサー
ピナ・バウシュ
Pina Bausch 1940〜2009年

ピナ・バウシュヴッパータール舞踊団による「春の祭典」

ドイツのコンテンポラリーダンスを世界に広めたダンサー、振付師。ドイツ西部・ヴッパータール・タンツ・テアターの芸術監督を務めた。1940年7月ゾーリンゲンに生まれ、14歳からエッセンのフォルクヴァンク芸術大学でドイツ表現主義舞踊の権威であるクルト・ヨースに師事。米国で活動したのち、1962年にドイツに帰国。世界中で公演を行うかたわら、フェデリコ・フェリーニ監督の映画『 そして船は行く』(1983年) に出演。2002年にはペドロ・アルモドバル監督作品『 トーク・トゥ・ハー』の冒頭で代表作「カフェ・ミュラー」を自身が踊っている。

ベルリンの壁崩壊から30周年 今を生きるアーティストとともに進化する街

ベルリンの壁崩壊から30周年

2019年11月9日、ベルリンの壁が崩れてからちょうど30年の節目を迎える。28年以上も東西を分断していた壁は、民主化を求めた旧東ドイツの市民たちの手によって崩壊に至った。現在は自由に東と西の行き来ができるベルリンだが、30年近く経っても東西の街並みやカルチャーには違いが見られ、さまざまな価値観がぶつかり合い、今なお発展途上の街であることがうかがえる。そんな刺激的なベルリンには世界中からアーティストやクリエイターが集まり、常に新しい発想に溢れている。壁亡き後のベルリンから、次はどんな「偉人」が輩出されるだろうか?

 
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