ジャパンダイジェスト

ドイツ女性参政権行使100年
21世紀の現在、女性は社会に何を求めるのか?

1919年の国民議会選挙で議員に選ばれた、社会民主党の女性たち 1919年の国民議会選挙で議員に選ばれた、社会民主党の女性たち

2019年1月19日、ドイツで初めて女性が選挙に参加してからちょうど100年を迎えた……。ドイツの顔とも言えるメルケル首相をはじめ、女性の影響力は大きいと感じられる一方で、あらゆる場面で男女間に格差があるのも事実だ。今年、ベルリンがドイツで初めて3月8日の「国際女性デー」を祝日に制定したことを機に、女性の権利について考える特集を組んだ。男女平等を実現させるための第一歩となった女性参政権獲得の歴史を振り返り、現代のドイツにおいて女性が求める権利を知ることで、さまざまな人々の間にある格差がまた少しずつ縮まっていくことを信じて。(Text:編集部)

ドイツで女性が参政権を得るまで ─ 知っておくべき5つのポイント

1世界的にみる女性参政権獲得への動き

女性参政権運動が始まるのは、18世紀のフランスから。この動きを皮切りに、19世紀に入ると各国で労働運動や社会主義運動と結びついた活動が本格化した。そして1893年に世界で初めて女性参政権が認められたのが、ジャシンダ・アーダーン首相が産休を取ったことでも話題になったニュージーランドだ。次いで1902年にはオーストラリア、1906年のフィンランド、1917年のロシア、1918年のカナダ・ドイツ・英国(条件あり※)と続く。女性の政治への参入を世界で初めて主張したフランスにおける女性参政権の実現は1945年。ちなみに、日本ではフランスと同じく第二次世界大戦後の1945年に女性参政権が認められた。

※1918年に英国で女性参政権が認められたのは30歳以上で、世帯主、世帯主の妻などいくつか設けられた条件に当てはまる人に限られていた。21歳以上の全女性に権利が与えられたのは1928年になってから。

2ドイツで初めて男女平等を訴えた人々

ドイツにおける女性運動の感心ごとは、もっぱら生活の向上や職業・労働、教育についてだった。フランスの二月革命の波及により、1848年にはドイツで三月革命が起こる。これを契機に文筆家で女性運動のパイオニアでもあるルイーゼ=オットー・ペータースが「女性新聞(Frauen Zeitung)」を発行し、女性の労働する権利を訴えた。1865年になると、友人で同じく女性の権利を唱える教師でジャーナリストのアウグステ・シュミット 、ドイツ社会民主党(SPD)の創設者の1人でもあるアウグスト・ベーベルとともにドイツで最初の女性協会「全ドイツ女性協会(Allgemeine Deutcher Frauenverein / ADF)」を発足。 ADFはのちにドイツの有力な女性団体へと成長し、女性の雇用機会の増大、職業教育、既婚女性の権利の保障など、さまざまな権利を訴え続けた。

3女性参政権に一役買った女性たち

ルイーゼ=オットー・ペータースルイーゼ=オットー・ペータース
Louise Otto-Peters (1819–1895)
文筆家、ジャーナリストとして活躍。ドイツの女性運動の先駆けとなる存在。1865年にライプツィヒにて「全ドイツ女性協会(ADF)」を設立し、代表を務める。女性が教育を受ける権利や雇用の権利を訴えた。

アウグステ・シュミットアウグステ・シュミット
Auguste Schmidt (1833–1902)
教育者、ジャーナリスト。ルイーゼ=オットー・ペータースとともにADFを設立した。1894年には「ドイツ女性協会同盟(BDF)」の初代代表に就任。クララ・ツェトキンの教師を務めていたことも。

ミナ・カウアーミナ・カウアー
Minna Cauer (1841–1922)
教育者、ジャーナリストとして、「女性福祉協会」や「ドイツ女性参政権協会」などの女性団体を設立し、女性の権利を訴え続けた。ベルリンで初となる女性の大学進学準備のための教育機関を設立した。

クララ・ツェトキンクララ・ツェトキン
Clara Zetkin (1857–1933)
活動家として、女性解放運動を主導。1891年にはSPDの女性向け新聞「平等(Die Gleichheit)」の編集者となり、1907年に新設された党婦人部長に就任した。ドイツにおける国際女性デーの提唱者でもある。

4女性の権利を唱えた団体

1865年に設立された全ドイツ女性協会(ADF)を皮切りに、ドイツでは女性の権利を訴えるさまざまな団体が結成された。なかでも戦前の欧州で最も大規模で影響力を持っていたのが、1894年3月28、29日に女性の公民権フェミニスト運動の包括的組織として設立された「ドイツ女性協会同盟(Bund Deutscher Frauenvereine / BDF)」だった。同協会は家族や結婚、教育への平等な権利、男性と同等の政治的権利を唱え続け、ナチスが政権を掌握する1933年まで存続した。そのほかにも、中絶を受ける権利など女性の権利全般を唱えた 「女性福祉協会(Frauenwohl)」(1888年設立)や、女性参政権を求める「ドイツ女性参政権協会(Deutschen Verein für Frauenstimmrecht)」(1902年設立)などの団体が存在した。

5現在のドイツ女性議員の割合

ドイツの首相を13年以上務めているアンゲラ・メルケル氏をはじめ、女性議員が活躍している印象が強いドイツの政界。しかし、2018年時点におけるドイツ連邦議会議員の合計709人に対して、女性議員はわずか30%ほどの219人しかいないのが現状だ。政党別に見てみると女性議員の割合が最も少ないのが極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の11%で、最も多いのが「同盟90 / 緑の党(Bündnis 90 / Die Grünen)」の58%となる。また、2013年に比べ、女性議員の数は7%減少しているという。ドイツで初めて女性参政権を行使した1919年から100年が経った現在でも、本当の意味での男女平等は実現されていない。

メルケル首相とクランプ=カレンバウアーCDU党首メルケル首相とクランプ=カレンバウアーCDU党首

ドイツの主な女性参政権行使までの道のり

GESCHICHTE DES FRAUENWAHLRECHTS
1848年 ドイツで三月革命が起こる。
1865年 アウグステ・シュミット、ルイーゼ=オットー・ペータース、アウグスト・ベーベルが 「全ドイツ女性協会(ADF)」を結成。
1871年 ドイツ帝国成立。帝国議会にて25歳以上の男性のみが選挙権を得る。
1888年 ミナ・カウアーが 「女性福祉協会」を設立。女性の権利全般を要求する。
1891年 エアフルト党大会で、SPDが党プログラムに女性の参政権の要求を取り入れる。
1894年 女性運動の包括的な組織として「ドイツ女性協会同盟(BDF)」が設立される。
1902年 ミナ・カウアーら女性活動家が「ドイツ女性参政権協会」を設立。
1904年 BDFが主催する「国際女性会議」がベルリンで開催され、25カ国1000人以上が集まる。男女共同参画に注力する国際的な非政府組織「国際婦人参政権同盟(IWSA)」が設立される。
1907年 シュトゥットガルトで、第一回目となる「国際社会主義女性会議」が開催される。
1908年 結社法により結社の自由を制約する法律が廃止されたことで、女性の政治団体や政党への参加が許可される。
1911年 クララ・ツェトキンの提唱により初めて「国際女性デー」が祝われる。
1917年 ドイツ皇帝が選挙改革を進めるなか、女性選挙権の要求が盛り込まれていないことが判明。それに伴い女性活動家たちが12月にプロイセンの州議会に選挙権に関する宣言を渡す。
1918年 10月に58人もの女性団体の参加者がバーデン内閣(ドイツ帝国最後の内閣)に対し、合同書簡で「女性の投票意欲は同等である」と要求。ベルリンには数千人が集まり、女性投票権の権利を主張した。
  ドイツ革命により11月9日にドイツ帝国が崩壊し、のちにヴァイマル共和国の首相に就任するフィリップ・シャイデマンが共和国誕生を宣言。その3日後に男女普通選挙権の導入が決定した。
1919年 1月19日の憲法制定議会選挙は、初めて女性有権者が出席した選挙となる。女性有権者の80%以上が投票し、423人の議員のうち37人の女性議員が国会に参加した。

参考記事、ウェブサイト:Frauen macht Politik「Geschichte des Frauenwahlrechts in Deutschland」、Digitales Deutsches Frauenarchiv、NRD .de「Vor 100 Jahre n: Frauenerkämpfen das Wahlr echt」、世界大百科事典

 
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