晩秋から春にかけて、身体を温めてくれる飲み物として、ドイツで珍重されているのがボックビール。17世紀初頭にミュンヘンで生まれたアルコール度数の高いビールです。ミュンヘンのオリジナル・ビールと思われがちですが、その発祥はハノーファー近郊のアインベックで1250年頃から造られていた上面発酵のエールビールです。なぜ、北のビールが南のミュンヘンで造られるようになったのでしょうか。
中世、北ドイツの都市はハンザ同盟と貿易で栄え、特に潤沢な軟水が湧き出るアインベックは高品質なビールを生み出す「ビール醸造の都」として知られていました。長距離の輸送に耐えられるよう、高いアルコール度数に造られたビールは、北はスウェーデンやロシアから、南はオーストリア・インスブルックまで輸出されていました。同じ頃、ミュンヘンのビールはまだ粗悪品が多かったため、当時のバイエルン王マキシミリアン1世がアインベックから強引に醸造家エリアス・ピヒラーを呼び寄せ、王宮醸造所ホフブロイハウスで、当時この地で流行していた低温長期熟成のラガー製法でアインベックのビールを造らせました。この目論見は大成功を収め、バイエルン訛りで「ボック」と呼ばれるようになり、今なお人気を保っているのです。
アインベックの町を歩くと、彩色が美しい木組みの家々の扉がアーチ状で高く、屋根に採光窓があることに気が付きます。それこそが、この町がビール醸造で栄えた名残り。17世紀まで、当地では市民の家でビール醸造が行われていました。原料になるホップや麦芽は、採光窓から風が存分に入る屋根裏部屋で乾燥させ、煮沸釜は可動式のものが各家庭で順番に使われていました。その順番は毎年5月1日に抽選で決められ、煮沸釜は大きな車輪が付いた台車に乗せられて、馬車で家々を回りました。背の高い煮沸釜が通れるように、700戸あったという市民醸造家の家の入り口は1階天井までのアーチになっているのです。
木組みの美しい家々と合わせて、
ぜひお楽しみいただきたいビールの町です
市民の家で造られたビールは市のビール交易所に引き取られ、そこから輸出されました。各家庭で造られるビールの味や品質には、ばらつきが出そうなものですが、家庭に煮沸釜が持ち込まれる際、もれなく交易所の醸造責任者が付いて来て醸造指導を行っていました。市民がそれぞれビールを造っているようでも、アインベックは町自体が交易所によって管理された1つの巨大な醸造所だったのです。
しかし、17世紀に起こった30年戦争によって町は破壊され、市民はそれまで各家庭で行ってきたビール醸造を集約して、共同で新たな市民醸造所を作りました。それが町の裏手で現在まで続く「アインベッカー醸造所」です。同醸造所では、「元祖ボックビール」として年間約73万ヘクトリットルのビールが醸造され、世界中に輸出されています。町には、出来立てのビールを提供するレストランが数多くあります。ボックビールもさることながら、フレッシュな苦みとしっかりとした泡のピルスナービールも、一度飲んだら病みつきになる美味しさですよ。