Hanacell

世界を動かすビジネスリーダーに聞く!ドイツ発グローバル時代を生き抜くチカラ

海外進出が、大企業だけではなく、中小企業や個人にとっても必要不可欠な選択肢となっている時代。欧州の中心部に位置する地の利を活かして、ドイツを活躍の拠点としているビジネスパーソンが見いだした海外での挑戦の意義や魅力とは?


第1回

ドイツ「未来賞」を受賞、液晶を育てた理学博士
樽見和明樽見 和明
Mr Kazuaki Tarumi

プロフィール


早稲田大学を卒業後、政府交換留学生として渡独し、ブレーメン大学で学ぶ。1987-90年、群馬大学教養部・助教授として教鞭をとり、1990年メルク社に入社。液晶事業部の研究開発部に所属し、部長として製品開発の指揮を執る。その功績が認められ、2003年にはドイツ大統領よりドイツ未来賞を受賞。

ドイツ国内の研究機関や企業で働く研究者を評する賞に「ドイツ未来賞(Deutscher Zukunftpreis)」がある。賞金は25万ユーロ、ドイツ大統領から贈られる、ドイツ最高峰の栄えある賞を、外国人として初めて受賞したのが、物理学者の樽見和明さん。

イノベーションに必要なチカラ

テレビからスマートフォン、パソコンまで、現代の生活の中で目にしない日はないというくらい溢れている「液晶」の画面。液晶の製品化は、ここ20年ほどで大躍進した分野だ。樽見さんは、大手化学メーカー・メルク社の液晶事業の研究所で、液晶の黎明期から研究に携わり、当時は「夢」であった、大型液晶テレビの生産に不可欠な新素材の開発に成功。2003年に研究リーダーの樽見さんを筆頭に3人のメルク社の研究者に授与されたドイツ未来賞は、その功績を称えられたものだった。ちなみに、その当時の「大型液晶テレビ」とは、15インチ以上を指し、液晶テレビの市場占有率は3%。97%がブラウン管テレビという時代だった。

狙って獲れる賞ではない。授賞式に招待される候補者は4組に絞られた。「25%の確立です。私は、50%以下は信用しませんから、獲れなかったときのお詫びの言葉ばかり考えていました」と言うが、ヨハネス・ラウ大統領(当時)が開封した封筒には、樽見さんらメンバーの名前があった。緊張のあまり、自分の名前が呼ばれたことに気づけずにいた樽見さんに、隣に座っていた女性研究者が歓喜の声を上げる。「樽見さん、我々ですよ!」それから毎年、受賞者として、未来賞の授賞式への招待状が届く。今も変わらない、受賞者発表の際の封筒を開けるという演出に、当時の息苦しいまでの緊張感が生々しくよみがえる。そして、その感覚と共に思い出すのが、ラウ大統領が樽見さんに直接伝えた言葉だ。

「ドイツや日本のように資源がない国が世界で生き残るためには、イノベーションが必要です。そのために大事なのは、若い人の力。最近は、イノベーションに必要な基礎学問にかかわる若者が減っていると聞いています。賞をもらった者の使命として、あなたの経験を若者に語り伝えてください」

「運・鈍・根」、失敗するチカラ

「この言葉が好きでね」と、樽見さんが大学の講演などで話すテーマに、「運・鈍・根」がある。「運」と根気の「根」には納得だが、「鈍」に込めた深意とは?「現代社会においては、成績がよく、何事もスマートにこなせる方が成功することが多いように思います。でも、研究は違います。95%が失敗。成功体験しかないエリートは、失敗に耐えられない。研究分野には、どんどん失敗できる『鈍感』で『根気』のある人が必要です。私自身も、学校の成績は良くなかった(笑)。研究は、うまくいかないことがほとんど。人間の考えることですから、失敗もしますよ。けれど、研究者としての失敗に対してはめげない」 これは、樽見さんが研究者として一番大切にしているものに通じる。「研究者としてのアイデンティティーです。それだけは失いたくない。失敗したプロジェクトからも学べることはある。失敗は研究者の財産です」

樽見和明氏
ドイツ未来賞の授賞式にて。
ラウ大統領(当時、写真右)と、樽見さんら受賞メンバー

樽見さんが、研究者としてのアイデンティティーを確立していく過程で、多大な影響を与えたのが、ドイツでの留学体験だった。大学を卒業した後、就職する前に「とにかく一度、海外に出たい!」と、政府交換留学生の試験を受け、合格。ドイツへの留学を実現する。ブレーメン大学では、日本の勉強方法では通用しないという挫折も味わった。しかし、「海外に出て、各国の研究者と出会い、世界にはこういう考え方があるのかと視野が広がり、モチベーションが高まりました」と、研究の面白さをより深く知った。「若い世代の皆さんには、興味関心に対するアンテナが高く、異なるものを受け入れる能力が十分にある、20代のうちにそういう経験をしていただきたい。海外で生活をして、違いを肌で感じる経験は必ず力になります。留学や海外挑戦の際に問われる語学力ですが、流暢である必要は全くありません。それよりも問われるのは、自分が何を伝えたいか、伝えられるものがあるかです」

分からないことを知るチカラ

留学期間を終えた後もドイツとの縁は途切れず、研究の場を求めて日本とドイツを行き来していた樽見さんは、ついに「液晶」と出会う。樽見さんの講演を聞いていたメルク社から声が掛かったのだ。採用面接の日、樽見さんは大胆にもメルク社のことも、液晶のことも下調べせずに門を叩く。液晶研究所長(当時)の、「液晶をご存知ですか?」との問いに、「いいえ、全く知りません」と答える樽見さん。すると、「そうですか。私は液晶の研究を何十年もやっていますが、いまだによく分かりません」と所長も同意。衝撃だった。「自分が分からないことが何かを知っている人は強い」。採用面接は、候補者が質問し、採用担当者が答える質疑応答が3時間も続く異例の事態となった。樽見さんは、1990年にメルク社に入社し、以後20数年間、液晶の研究に没頭することになった。

液晶が製品化し、世界の市場に花開く時代を共に歩んできた樽見さん。「私は運が良かった。その運と縁に、感謝したいと思います。そして今後は、自分の経験を活かし、世の中のお役に立てることをしたい」。最後の質問。ご自宅のテレビは?「60インチの4Kテレビ。自分達が開発した素材が全て入っているテレビを見る。それは格別な気持ちですよ!」

 
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